14 怖い後輩
県トレセン2日目。
練習メニューは前回と特に変わりなく、軽いアップと昨日とは違うチームでのゲーム。
「巡…!」
今回のチームは夏波と同じだった。俺は裏に抜け出した夏波の少し前方、スピードを落とさなくていいかつ、手前で勢いが弱くなるよう少しバックスピンをかけたロングパスを蹴る。それは俺の頭の中で思い描いたと俺の軌道を描き、そのまま夏波に渡った。
「最高!」
笑いながら呟き、それをトラップする夏波。そのまま勢いに乗り、キーパーと1対1。夏波は完全にキーパーの逆ついたシュートを放ち、ゴールネットがわさっと揺れた。
「よしっ!」
「ナイスシュー…!」
「ナイス小岩井!」
「仁界もナイスパス…!」
チームメイトが集まり、ゴールの喜びを分かち合う。俺はその輪には入らず、相手チームでプレーするある選手を目で追っていた。
「ドンマイドンマイ〜!切り替えてこ〜。」
ゴールを決められた相手チームを鼓舞しているのは、前回同じチームだった田畑である。相変わらずヘラヘラとした顔は健在だが、どこか昨日と動きが違う。
「巡〜!ナイスパス!」
田畑の動きを思い出しながら、膝に手をついて汗を拭っている俺に夏波が抱きついてくる。あれだけ女として扱え…とか言っておきながらこいつは俺をまるで男として扱っていないのが少し癪だ。
「お、おう…ナイスシュー。」
「ん?どうした巡?」
いつもと様子が違う俺に夏波も気づいたようだ。
「いや、なんでもない。やっぱまだ芝に慣れないわ。」
俺はそう言ってスパイクのつま先でトントンと芝をついた。
「何言ってんだよ!あんなパス出せるのこのトレセンじゃ巡くらいだぞ?」
確かに今はうまくいったが、100発100中ではない。100回中一回でも失敗するようなら、それは99回の偶然に過ぎない…というのが俺の持論だ。とはいえ、確かに少しずつではあるがこの場に慣れてきてはいる。
「んじゃ…もう一本決めようぜ!」
そう言ってポジションに直る夏波。その後ろ姿は自信に満ち溢れており、自分が必ずゴールを取るという野心が見てとれた。
「おう。」
俺はそう返事をして自分のポジションに戻った。そして、相手フィールドで俺と同じポジション…MFに位置する田畑に注目する。偶然か必然か、田畑も俺のことを見ていたようで、ヘラヘラと興味なさげな笑みを浮かべてきた。
「昨日はFWだったよな…。」
俺は気がかりだった昨日のプレイを思い出す。FWでありながらMFをしている今日のプレイを思い返す。それを統合しても、どちらが本職かわからないほどに卓越していた。しかもおそらく…まだ本気を出してない。
「っと…試合に集中だ…。」
俺は頬を叩いて気合いを入れ直した。そして同時に試合再開の笛が高らかに鳴り響いた。
「5番マーク…!2番上がってきてるぞ!」
キーパーが後方からディフェンスの指示を飛ばす。聞けばうちのチームのキーパーである『後藤田』は、去年の北信越トレセンのメンバーらしい。元々は隣の石川県でプレイしていたが、父の転勤で今年から環境が変わったみたいだ。
「ナイスカット!一旦下げろ!」
その指示は的確かつ短文でわかりやすい。状況把握能力がよく、頭の回転も速いようだ。そして相手チームからボールを奪った俺達『緑チーム』は相手陣地に攻め込む。
「逆サイドも空いてるぞ!後ろもありだ!」
後藤田の指示は攻めの状況でもやまない。そしてそれはうちのチームの助けになっていた。後藤田の与えた選択肢から、逆サイドへと大きく蹴り出すサイドハーフ。そのパスは逆サイドを走る夏波に繋がった。
「ナイスパース!」
そして夏波はそれをすぐに少し後方に位置していたもう1人のMFである4番に預ける。あまりにも気持ちよく繋がるパス回し。俺はそこに違和感を感じた。そしてすぐ田畑を探す。
「まずい…。」
見つけた頃にはもう遅かった。俺たちが所持していたボールは、わざとスペースを開けて緑チームを誘い込んでいた田畑に奪取された。まるで全てを読み切ったかのようにボールを奪うと、瞬間FWの選手が一気に前線へ走り出す。
「よーい…」
ボールを取られたうちの選手はまだ立ち上がれていない。つまり、今田畑にプレッシャーをかけられる選手は…いない。
「ドンっ!」
美しすぎる軌道を描き、素早く鋭い縦パスが前線に1人残っていた相手チームのFWに渡る。俺はなんとか追いつこうと走るが、流石に距離が遠すぎる。
「後藤田すまん…!」
カウンターを読んでいなかったディフェンスも出遅れる。しかし、それは仕方がない事だ。田畑は先程わざと俺たち緑チームに攻めさせてた。そして明らかに…不自然にあの大きなスペースが空いていた。100の攻撃から突然の100の守備への転換。ついてこられる選手は少ないだろう。
「まさかチームで動きを統一してるのか。」
俺はそう1人でに呟いた。先程明らかに、あのスペースで田畑がボールを奪った瞬間にチーム全体が攻撃に転じた。行きのあったプレイの裏には必ず仕掛けがあるものだ。そしてそれを考えたのが田畑…。
「本職はMF…それもゲームメイカーってところだな。」
田畑はFWじゃなかった。前線でもあれほど優れた動きをしていながら。やはりナショナルを経験してる選手は格が違う。
「ピピーっ!」
そしてその後すぐに、後藤田が逆をつかれて一点を決められてしまった。後藤田はめげずに声かけを続けるが、チーム全体で完全に田畑の罠にハマってしまっていた。驚くべきはその戦術理解力だ。小学生チームでここまで統一したプレイができる…俺はその点に驚いていた。
「…切り替えろお前達!あまり強くプレスに行くな!攻めるのも慎重に!」
後藤田のその言葉に俺は天を仰いで考える。
ダメだ後藤田。ここで攻める手を緩めさせると相手チームの思惑通りだ。あいつの…田畑のチームには、どんな作戦を組もうと対応されかねない。攻めればスペースで取られカウンター。攻めるのが遅ければ、プレスを強くされミスを誘われる。田畑が率いるチームは、この切り替えが恐ろしく速いチームだった。
「巡…取り返そうな。」
「おう。」
近くでそう声をかけてきた夏波に返事をし、俺達はポジションを戻す。そして俺たち緑チームからキックオフで試合が再開。
「やぁやぁ巡。調子はどう?」
試合中、マッチアップした田畑が声をかけてきた。余裕そうな笑みを浮かべ、味方に指示を飛ばしていた。
「最悪ですよ。」
俺はそう返す。そして田畑を後方に背負いながらパスを受けた。思った以上に強いプレッシャーに俺のフィジカルが一瞬ブレそうになる。
「巡と小岩井くらいだね…僕らの作戦に対応しようとしてるの。」
田畑が俺からボールを奪おうと後ろからプレスをかけてくる。俺は既に見つけていたパスコースをあえて使わず、田畑に大して仕掛ける選択肢をとった。
「そもそも残りのメンバーは、さっき何が起きたのかすらわかっていないようだし。今回は不運なチーム構成だったって事だ。」
一瞬ボールを目の前に軽く蹴り、同時に後ろの田畑のタックルを体で弾き返す。ボールと田畑の間にできた一瞬の隙間を使って俺は前を向いた。
「無理するな仁界!パスコース探せ!」
後藤田から飛んでくる指示を聞き入れる前にシャットアウト。この場面では田畑に対し仕掛けるのが俺の成長に最も繋がる。
「お怒りじゃん後藤田。出しなよパス。」
俺は右足で絶妙な間合いをキープしながら田畑と対面する。
「冗談じゃない。今はあなたから少しでも多く学びたいですからね。」
俺はそう言って笑う。同時に左足を大きく前に踏み込み、右足でボールを掬うように反発を使って前に大きく踏み出した。
「わお。」
緩急のあるドリブルに、一瞬田畑が置いていかれそうになる。しかし、そこで終わるタマではないことは既にわかっていた。後ろから伸びてきた右足が俺の足元にあるボールに触れようと迫ってくる。俺はそれをもう一度右足でボールをタッチする事でかわす。
「はっや。」
そう口にしながらも、冗談ぽく笑って俺のドリブルについてくる田畑。
「しつこいですね…。」
何度振り切っても伸びてくる足。そして他の相手ディフェンスも気にしながらのドリブル。俺は自然とそうこぼしていた。
「巡がしぶとい…の間違いだろう?」
俺と田畑との1対1は、いつの間にかコート内を縦横無尽に進んでおり、コートの端の端まで来ていた。
「…はぁ…。」
俺はこれ以上のドリブルを諦め、近くにパスを受けに来ていたサイドバックにボールを預けた。サイドバックはそのボールをダイレクトで逆サイドへ送る。
「結局取れなかったな…。やるね巡。」
そう言って汗を拭う田畑。取れなかった…と言うのは事実だが、実際俺はボールを持って何もできていない。田畑を抜き去ったわけでもなく、前に絶妙なパスを出したわけでもない。ただ持ち上がって、また後ろに戻しただけだった。
「じゃあ次は…」
田畑は体を起こすと前方に向かって走り出す。俺はその動きに勘づき、素早く周囲の確認を行った。しかし、やはりボールはまだ俺たち緑チームが所持している。そして田畑が前に出たことによって先ほどの作戦は機能しない。
「俺がオフェンスだ。」
しかし…俺の想定は一瞬にして覆された。大きく空いたスペースに走り込んだ夏波。あいつも田畑が前にいることに気づいたのだろう。機能しないとわかり、その罠に飛び込んでいく。
「マジか。」
完全に抜け出した夏波。あとはキーパーと1対1。俺も夏波もそう考えながらボールをトラップし、前を向いた。
「夏波…!」
俺のその声は少し遅かった。
「嘘…!?」
夏波がトラップして前を向いた目の前に、先ほどまでゴールの前にいたキーパーが迫ってきていたのだ。その勢いは凄まじく、夏波がセカンドタッチに移る前に大きく前線へ蹴り出されてしまった。
「まずい…。」
俺は危険を察知し、先程前の方へ走って行った田畑を探す。嫌な予感は見事的中。田畑は既に最前線。キーパーがクリアしたボールのその着地点で悠々とボールを待っていた。
「ごめんみんな…!」
夏波は申し訳なさそうにディフェンスをしに下がってくる。
「夏波大丈夫だ。お前は前でボール待っててくれ。」
俺はそんな夏波を声で止め、同時に全力ダッシュで田畑の方へと走り出す。
「冗談だろ巡…。」
近づいてくる俺に気づいた田畑は一瞬こちらに視線を向けてそんなことを呟く。俺はトラップした瞬間を狙うため歩幅を調整した。
「ギリギリ…。」
俺はなんとか足を伸ばし、田畑がフリーでボールを受け取るのを防ぐ。しかし田畑のハイボールへの対応は完璧で、ディフェンスに間に合った俺を背で庇いながら胸トラップでボールを収めた。そして俺と体を入れ替えるようにして前を向く。
「追いついてくるとか…ないわ。」
ニヤリと笑って田畑が前を向く。同時に鋭いタッチで前線へボールを大きく蹴り出した。もうディフェンスは既に振り切られている。残っているのはキーパーの後藤田と紙一重でついて行っている俺だけ…。
「ないのは田畑さんでしょ。」
そんな軽口を呟きながら俺はまた全力で地面を蹴り出した。グンと体全体をバネにして前への推進力に変換する。
「激しいね〜…ファウルじゃない?」
どうしても田畑に並べず、一歩手前を走る俺。後ろからじゃ確かにファウルになる可能性が高い。それでも俺は足を伸ばした。それがプレッシャーになり、スピードが落ちる可能性を信じたのだ。
「ファウルじゃないと止められないって、それだけ田畑さんがすごいってことですよ。」
にしても本当に止まらない。どこから足が伸びてくるか全て読まれているような…。きっと田畑はそれを完全に感覚で行なっている。
「確かにね〜。」
マジでこいつ…体の使い方うますぎるな。
そもそも並ばせてもらえない。あくまで俺は田畑の後方からディフェンスをし続けることになる。常にボールを隠された状態でファウルの危険性を背負いながらディフェンスをすることになる。
「すいません田畑さん。」
「え?」
ゴールが見えてきた。もう手段を選んでいられない。もう少し進めばペナルティエリアだ。PKになる可能性を下げるために…ここで一つ賭けに出る。
「足出すんで避けてください。」
「マジ?」
ズザァァァーっ!!
俺は後方から田畑の前に転がるボールめがけてスライディングをした。下手をすれば田畑に怪我を負わせてしまう危険性の高いプレイだ。だから瞬発力を振り絞って…田畑のドリブルで蹴り出したボールが戻ってくる瞬間…足と足の間を絶妙に狙い定め、適度な勢いで足を伸ばす。
俺の足は綺麗に田畑の両足の間を縫って、ボールにだけ当たる。そして思わぬ方向から勢いの強い衝撃が加えられたボールは、田畑の足元から離れて、後藤田の方へコロコロと転がっていった。
「ナイスディフェンス仁界!」
後藤田がそれをキャッチ。俺は立ち上がり、間一髪の状況を乗り越えたことに胸を撫で下ろした。
「危なくない今の?」
「だから謝ったじゃないですか。」
田畑は不服そうに両手を広げる。しかし俺のディフェンスでは田畑は倒れなかったし、ボールにしか俺の足は触れていない。だからあれはファウルにはならない。
「はえ〜…怖い後輩。」
「危なかったのは認めますよ先輩。」
田畑はニコリと笑って自信に戻っていく。俺はずり落ちたソックスを膝上まで履き直してプレイを再開した。