102 僕達の過去
残り10分。逆転の勢いは十分だと考えられたが、試合内容は意外にも防戦一方。まだ成長途中の壁立が守るゾーンからの執拗な攻め…そして、それをカバーすることで本来の倍以上スタミナを消費する衛里と追分。
「はぁ…はぁ…」
全員が肩で息をするほどに限界を迎えていた。このまま引き分けの場合、延長線に突入する。しかし、ただでさえ人数不利で戦っているこちらの選手たちのスタミナ消費は半端ではない。できることなら、後半で鎮めたいところである。
「はぁ…まだいける?…追分君…」
衛里が、自分と同じくらい動き回ってかなり良いディフェンスをし続ける追分に声をかけた。追分はその坊主頭から滴り落ちる一筋の汗を拭って口を開く。
「余裕…。」
明らかな強がり。しかし、衛里はそれを聞いて楽しそうに笑う。
「…僕も。」
スタミナに限界が来ている壁立、そして攻撃に重きを置く貫井の代わりに、ほぼ2人でディフェンスを続ける彼らの体力はどちらもほぼ残っていなかった。しかし、互いに残り5分…死んでも走り続けるという気概が見てとれた。
「来るぜ…?衛里。」
「うん…。左半分は任せるよ。」
互いにディフェンスの仕方には大きな違いがある。衛里はある程度予測に基づいてロジカルなディフェンスを展開するが、追分は考える部分全てを体力でカバーし、とにかく動き続ける。しかし、その根幹にある信念は同じ…
「「必ず止める。」」
中盤の飯田、秀川のインターセプト、プレスでボールを奪えたら良いのだが、攻撃参加もしている2人…加えてスタミナの消費、人数差も相まって、限界が近い。ギリギリのところで3年生チームにパスを通されてしまう。
「すまん…っ!カバー頼む…っ!」
左サイドハーフを抜け出したウイングの選手。秀川が後ろを振り向いて声をかけ時にはすでに、追分が対応に入っていた。
「…きついぜ…秀川。」
相手のウイングもかなり体力を消費している。しかし、追分とは比べ物にならないだろう。今なら簡単に左右に揺さぶっただけで、簡単に追分を抜けるはずだ。
「ちがうな…ズルいぜぇ…秀川っ!!」
その想像通り、素早い揺さぶりからカットインを仕掛けるウイングの選手。右足のタッチでフィールドの中央に入り込もうとする。
「俺も先生の調教受けてぇ…っ!」
「なっ…っ!?なんなんだこのハゲ…っ!」
しかし、それを読んでいた追分が鋭いスライディングでボールを蹴り出した。妙な言葉と共に。
それを耳にした3年生のウイングが若干引き気味に悪態をついた。
「…追分…。ナイスだが、ナイスじゃない。」
冗談が通じない秀川は、追分に対してかなりの怒りを抱いているようだ。しかし、神業にも近いカバーリングがそれを相殺し、ギリギリ『ナイス』という言葉をもらうことができた。
「こぼれ球っ!」
一瞬全体の気が緩むも、追分がかき出したボールは毒島の足元へと転がっていった。
「衛里…っ!前からプレス頼む!」
飯田の掛け声に呼応するように、衛里が毒島のドリブルコースに立つ。そして、それを前後で挟み込むように、飯田が後方から毒島にプレスをかける。
「来たか飯田…っ!調子はどうだぁ…っ!?」
「ぐ…っ!?」
後ろから迫り来る飯田を先にやり過ごそうと、あえてスピードを落として前からぶつかりに行く毒島。飯田は前方からぶつかってきた毒島の背中に腹をぶつけられ、その衝撃にしゃがみ込む。どうやら鳩尾に入ってしまったようだ。
「後ろばっか見てると…前から思いっきり奪い取れますよ…っ!」
倒れ込む飯田の借りを返すように、毒島のボールを奪い取りに行く衛里。鋭いながらも、完全に重心を乗せることなく、様子見を兼ねた足の出し方。毒島という選手が一筋縄ではいかないという現実をしっかりと頭に入れた対応だった。
「…ぶね…っ!」
しかし毒島も流石の対応…すぐにボールをコントロールし、衛里の足から遠い位置へと動かした。そしてそのまま衛里へと体をぶつける。
「単純ですね…っ!」
しかし、素早いステップでそのタックルをかわす衛里。別の角度から毒島の足元に転がるボールを狙った。
「…っそ…っ!!」
悪態をつきながら、なんとかボールを取られまいと片足でコントロールする毒島。しかし、全身でボールを奪いに動く衛里に対応するにはそれでは不十分。
「もらいます…っ!」
両者ギリギリの体力であり、息切れ寸前の戦いの結果、なんとか衛里がボールを奪い取る結果となった。
「…はぁ…ダメだ…」
だが、衛里の様子がどこかおかしい。奪い去ったボールはコロコロと転がり、衛里はその場で倒れ込む。
「衛里…っ!!」
竜胆がすぐに異変に気づき駆け寄ろうとするが、わずかに意識の残る衛里がそれを静止した。
「来るな竜胆…君は…ゴールだけを…」
そのまま心臓のあたりを抑え悶え苦しむ衛里。しかし、決死の思いでボールを奪った衛里の気持ちを無碍にするわけにはいかないと、竜胆は涙を拭って前を向いた。
「秀川君…っ!すぐに僕にボールをっ!」
そして力強い一歩をゴールに向かって踏み出した。
「…おう…っ!」
転がるボールの近くにいた秀川が、素早くそのボールをコントロールし、竜胆へとパスを繋いだ。
「…これが…最後の攻撃。」
竜胆はワンタッチで大きくボールを前に転がし、自分の左側へとコントロールした。泣いても笑っても最後の攻撃。ここで外して…試合が続いたとしても…もう衛里はいない。
「決めるんだ…。」
竜胆は得意のミドルシュートの体勢に入る。しかし、それはいつもと様子が違った。
ーー
「大丈夫か?衛里。」
俺と秋音はすぐにベンチから飛び出し、衛里の元へと急いだ。買収された審判が、人が倒れたくらいでファウルを取るとは考えられない…とは思っていたが、やはりそのまま試合は続行している。
「うん…。だんだん…治ってきた。」
「持病の心臓病ですか?…治ったと、お聞きしていたのですが…。」
秋音の言葉に答えるように衛里が笑う。
「完治はしてるんだ。体にも何も問題はない。でも…一定の興奮状態下で…あの時…小学生で倒れたあの時の記憶がフラッシュバックされる…。呪いみたいな物だよ。」
後遺症が残っているわけか…。体に異常がないのであれば、それは不幸中の幸いだが。
「どうかな…?仁界…。俺達…仁界と一緒にサッカーできるかな?」
「できるさ。当たり前だ。だって信じてるんだろ?」
俺はフィールドを一気に駆け上がる竜胆の姿を見た。
「うん。竜胆は…俺のヒーローなんだ。だから…」
竜胆は秀川から受けたボールを左側にコントロール。右利きだと思っていたのだが、この大事な場面で左足を振りかざすのか?
「…外さない。」
助走もほぼないまま、僅か一歩で振るわれた竜胆の左足は…
「驚きだ…。」
ゴールを破壊するほどの凄まじい威力を誇っていた。
ーー
僕…竜胆は焦っていた。またあの時みたいに…小学生のあの時みたいに…大事な相棒を失うんじゃないかって…。
「衛里…っ!!」
あの時もそうだった…。
〜〜
「竜胆、今日の試合も絶対に勝とうな!」
ニッと笑う衛里。相変わらずの綺麗な金髪が風にゆれた。
「うん。」
僕はメガネをとって試合の準備を始める。僕らのチームはここらの地域で負けなし。正直どんなチームが相手でも怖くなかった。
「俺がボールを取って…竜胆が決める…!これで完璧、何点でも取れる…っ!」
「うん。後ろは任せるよ…衛里。」
僕は笑顔で答えた。きっと今日も試合に勝てる。最強のディフェンス…衛里と、僕の得意な左足があれば。
「…な…んで…。」
しかし、結果は惨敗。十分勝利できる相手でありながら、僕らは一点差で敗北した。そして、傍には…
「衛里っ!!」
倒れ込む金髪の少年が1人。
フィールドには大粒の雨が降り注いでいた。
「衛里…っ!どうしたの…っ!?衛里…っ!」
どれだけ揺すっても反応はない。すぐに監督が駆けつけるも、衛里が起き上がることはなかった。
「監督…衛里は…っ!?」
「あぁ…今救急車を呼んでる…っ!今は待つしかない…っ!」
僕は絶望した。大切なパートナーが…相棒が…目の前で倒れている。どうして…?
「僕が…」
頭によぎる。キーパーに防がれたシュートの数と、枠から外れて後方に逸れていったシュートの数。
「点を決められなかったから…。」
衛里は必死にゴールを守ってくれた。勝利のために…体をも犠牲にしてボールを奪って僕に繋いでくれた…。なのに僕は…
「何がヒーローだ…。」
悔しさと、虚しさと、ひたすらに胸の内をうねる気持ち悪さをなんとか晴らそうと…強く強く拳を握った。
「僕は…弱い…っ。」