10 2人の先輩
控室で着替え、グラウンドへ向かう。俺は履き古してきたスパイクの裏に存在する凹凸を確認してつぶやいた。
「結構削れてるな…。」
この凹凸はポイントと呼ばれ、主に切り返しや地面を踏む際の力の入り方に関係している。ポイントが削れてきたらスパイクの買い換え時と思っていいだろう。
少年サッカークラブではそこまで動いてなかったから削れる量は少なかったけど、トレセンで一気にもってかれたみたいだな。
「それだいぶ削れてんね。新しいの買いなよ。」
隣で俺のポイントを見ていた選手が声をかけてきた。確か名前は…『田畑』だったか?
「そうだな。今度買いに行こうと思ってる。」
「それがいいよ。チームの練習はともかく、選考会で全力を出せないとなると後々後悔が残るかもしれない。」
田畑はそう言って自分のスパイクの裏を見せてきた。まるで新品のように磨かれた綺麗なポイントがキラリと光る。
「俺ももうこのスパイクを一年は履いてるけど、やっぱり手入れが大切。中学行っても使って行きたいしね。」
もう中学のことも考えてるのか。やっぱ選抜にくる奴らは意気込みが違うんだな。
「じゃあ後でまた会おう仁界。同じチームでプレイできるのを楽しみに待ってるよ。」
一緒に控室を出ると、田畑は素早くスタジアムへの入場口へ向かって走っていった。
「おーい巡〜!」
控室から出たところで靴紐を結んでいると、1人だけ別の部屋で着替えをしていた夏波がこちらに向かって走ってきていた。すでに着替えは終えており、スパイクもしっかり履いている。準備は万端のようだ。
「今の、6年生の田畑だよな。知り合いだったのか?」
「6年生?」
俺は夏波の言葉に疑問を覚え問い返した。
「もしかして知らなかったのか?県トレ以降はU12…12歳以下の選手全員から選考されるんだ。だから6年生もいれば、年下の4年もいる。僕も去年は最年少でここにきたんだ。」
靴紐を縛り終えた俺は、レガースを持ち立ち上がる。
「じゃあ本当にいい経験になりそうだな。地区トレより熱い戦いを期待しておこう。」
「なんだよそれ!お前らしいな!」
夏波にバンっと背中を叩かれ、俺達は歩き出した。
「葛西達の事…大丈夫か?」
夏波は少し俯いて口を開く。
「去年から慣れてるから、大丈夫だ。それに、今年は巡もいるしな!」
夏波は顔を上げて大きく笑った。
俺もそれに返すように笑顔を作る。
「よし、行くか。」
「おう!」
俺達は2人でスタジアムの入場口から飛び出した。
◆
初めに賜るのは、総監督である渡辺コーチ基渡辺監督の言葉だった。
「みんな今日は集まってもらってありがとう。みんなはそれぞれの地区から選ばれた特に優秀な選手達だ。だから僕らコーチ陣も、一人一人のプレーを楽しみに見ている。また、このトレセンの上には『北信越』、そして『ナショトレ』が待っている。更なる高みを目指して頑張ってほしい。」
渡辺監督の言葉はそこで終わり、「それではさっそく」…と言葉を続けた。
「基本練からやろうか。2人組みでリフティングから。」
渡辺コーチはそう言ってピッと笛を吹いた。
「巡やろうぜ!」
「おう。」
俺は隣にいた夏波と基本練習を開始した。
「渡辺コーチ、緊張してたな。」
「流石にこの人数まとめるとなると覚悟がいるんだろうね。確かに少し固かった。」
まずはアップがてらの基礎練から。俺は夏波が投げたボールをワンタッチで夏波の胸に正確に返す。そして夏波はそれキャッチしてもう一度投げる。基本となるトラップコントロールを身につけるためにはとても効果的な練習だ。また、ボールをトラップする前に周辺を見て情報を入れたり、距離を長くしたりしてカスタムすることができる。
首を振ってから目の前にきたボールをとらえて夏波に返す。しかし、その蹴りは少し強くなってしまい、さらに夏波の胸を越えて少し顔の近くに飛ばしてしまった。
「うおっ!?珍しいな巡。前は地区トレの練習会の時はほとんどズレてなかったのに。」
俺は一球目で悟った。芝生と砂のグラウンドが全く違うものだと言うことを。芝生だとボールの跳ねがまるで違う。それに足を取られて動きずらい。
「すまん。調整させてくれ。」
俺は感覚を掴むために、自分のキックの威力をチューニングする。しかし、ポイントの削れたスパイクの影響もあり、うまく合わない。
「夏波は芝でも慣れてるのか?」
「おう。僕は去年北信越までいってるし、所属してるチームも芝生で練習することが多いんだ。だから逆に砂に慣れてないかも。」
そうか…。もとよりプレイしている環境による違いも出てくるわけか。こんなところで選手としてプレイしていなかった前世の影響が出てくるとは…。
「ま、今日くらいは耐えれるだろ。」
カッカッっとつま先で地面を2回突っつき、アップに戻る。
俺は足元の感覚に一抹の不安を残しながらアップを終えた。
ピピーっと、渡辺コーチのメンタルには関係なく高い音を出す笛が軽快に鳴った。皆が集合の合図を聞いてコーチの前に整列する。
「それじゃあ1日目だし、多めにゲームをしようか。とりあえず6チームに分かれるよ。」
1人ずつ名前を呼ばれていく。基本的に地区トレとやり方は同じようだ。俺は名前を呼ばれるのを待ちながら、解けかけていた靴紐を結び直す。
なんとなく芝の感覚は掴んだつもりだが、万全じゃない状態で俺は試合に挑むことになる。少し不安だが、産むが易し。俺はキュッと靴紐を締めて立ち上がった。
「…以上。みんな今呼ばれた色のビブスを着ているコーチの前に集まってね。1試合目は青対赤…そして緑対黄色ね。ビブス無しチームと黒ビブスチームはサイドでパス練!」
ピッとまた笛が吹かれ、選手達がそれぞれ言われた場所に向かい走り出した。俺はなんの縁かまたも青チーム。ちなみに小岩井は黒チーム。初めはパス練習だ。他に知ってるやつは…
「おう…お前同じチームか。」
ガシッと肩を手で掴まれ、振り返るとそこには葛西が立っていた。同じチームなのにその形相はないと思う。
「うわぁ…。」
「おい…うわぁってなんだ?」
早速喧嘩に発展しそうなんですけど…コワイ!
「葛西じゃん、それに…仁界もいる!ラッキー!」
そして同タイミングで、俺と葛西の様子を見ていた1人の青チーム選手からそう声がかけられた。先ほど俺のスパイクを見てくれた田畑である。
「お、おう…田畑。よろしくな…。」
田畑が現れた瞬間、葛西は飼われた猫のように小さくなってその場を後にする。
「あらら…また逃げられちゃった。仁界も逃げなくていいの?」
俺はそう聞かれて、田畑の方に線を向ける。
「なんでですか?」
田畑は一つ上の先輩だ。コート以外では敬語を使う。ん?そういや葛西はタメ口だったな。
「…あれ?もしかしてトレセン初めて?」
田畑は純粋に不思議そうな顔をしてそう口を開いた。
「一応…去年のナショナルトレセンレギュラー…8番の『田畑 清光』。よろしくね巡。」
いきなり俺の呼び方が巡に変わった。田端の中でどんな心境の変化があったのかわからないが、気に入られてしまったようだ。
「よろしくお願いします。あの、もしかして葛西さんって…6年生ですか?」
俺は頭を下げるついでに小さな声で質問を投げかけた。田畑は「うーん?」と『なぜそれを聞く…?』と訝しむような表情を浮かべた後、「そうだよ。」と短く答えた。
「マジかよ。あれ先輩なのか。」
俺はついつい、みんながまだ小学生で周りはみんな子供であるということを忘れてしまっていた。先輩とはみんな偉大なものではないという前世では学べなかった事を学んだ。
俺達は青チームだったので、すぐに第一試合が始まった。コートはプロ選手が使用するものを2分割して小学生用に小さくして使う。
「よーしみんな、気合い入れてこー。」
田畑はFWであり、キックオフの前に後ろを向いてそう声をかけた。そしてその瞬間にコーチが試合開始の笛を鳴らした。
「よし、お手並拝見だね。」
田畑はMFである俺にボールをおとす。俺は周りを確認し、フリーな選手にダイレクトでパスを出し姿を隠した。
俺が出したパスはサイドハーフの選手につながるり、もう1人の中盤である葛西がパスコースを作るために近づいていく。パスを受けた葛西は選手と選手の間で待っている田畑にダイレクトでパスを出した。
「…もったいない…サッカーはそんなにうまいのに。」
俺はそのプレーを見て無意識につぶやく。そう言いながら、田畑にパスコースを作るように位置取る。周りの選手の動きから、田畑がパスを出しやすいその一歩手前にあえて位置取った。
「へぇ…見えてるんだ。」
田畑はそう言って俺の一歩手前にパスを出す。スピードの遅いそのパスを俺は的確に逆サイドのハーフ選手が走り込んでいるその一歩手前に出した。パスはつながり、サイドにできた大きなスペースにドリブルで侵入することに成功する。
「中枚数増やせ!」
葛西の声が聞こえてくる。相手ディフェンスは4人、対してこっちは俺を含めて5人。クロスで当てるなら確実に田畑だ。俺はもし外れた時、そのカバーができる位置に移動し、右サイドからのクロスボールの軌道を確認する。
「ファーか。」
おそらく田畑と意思が疎通できていない。今田畑は確実にニア…つまりクロスを蹴る選手に近い側のポスト付近にボールを要求していた。しかし、クロスはその田畑の頭を大きく越えて、ファーつまりクロスを上げる選手から遠いサイドのポスト付近へと落ちる。
「カウンターだ!一気に攻め上がれ!」
こぼれたボールをキャッチした相手チームのキーパーがそう指示を出す。そうさせないために俺はこの位置にいた。この位置であれば、こぼれ球からゴールも狙えて、カウンターにも対策できる。
「ナイス仁界!」
案の定俺の近くの選手にパスが通ったため、俺はそれを後方からカット。すぐに自チーム側のボールにする。
「取ったはいいけど…。」
周囲の味方選手達は俺が取れると思っていなかったようで、いい位置へ走り込んでいる選手が少ない。今の状況で俺がパスカットをすることに備えていたのは、葛西、田畑だけだった。他の選手達は自分の方にボールが来ないとたかを括っていたのか、予測できておらず動き出しが遅い。
「じゃあ…」
俺は小さく息を吐いて、左足の軸で力強く踏み出す。振り上げた右足を素早く鋭く振り抜く。足をむちのようにしならせて放つその見だるシュートは的確にゴールの左端へ飛んでいく。
しかし、コントロールが狂いカンっとギリギリバーに阻まれ、ゴールラインを割った。
「おっしい!やっぱすごいねそのミドル!いいもの見れたよ。動かなくてよかった!」
田畑が俺の近くに来てわざわざ会話を求めてきた。入らなかったから何もすごくはないのだが…。
「…わざとマークを外さなかったんですか…?」
俺は呆れてため息をついた。あの一瞬、田畑についていたマークはたった一人。田畑ならいくらでもマークを外せたはずだ。俺のシュートを見るためにわざとそうしたという事だろう。
「ま、次からはちゃんとプレーするから。」
田畑はそう言って舌をぺろっと出して笑い、自分のポジションへと戻っていった。