第八話 黄金の太陽を瞳に湛えて
「少し、聞いてもよろいですか?」
ショッピングモールの案内図を確認した後、カルアと少女は並んで食事の出る店舗へと向かっていた。
「ただその前に、別に敬語を使う必要はありませよ。楽な話し方で結構です」
「アンタは敬語なんだな」
楽でいいと言われれば敬語を続ける必要もないだろう。あっさりと言葉を崩したカルアを前に、美しい少女はおかしそうに笑う。
「私にはこれが自然なのですよ」
人それぞれ話し方がある。それが会話に支障が出るもので無ければ気にするだけ無駄だろう。
そう考えると、黙って飲食店の中へと足を踏み入れる。
「さぁ、奥に座るといい」
「よろしいのですか?」
別にどこに座ってもいいと考えるカルアにとって……否、何があってもすぐに対応出来るように身構える身としては、彼女にソファー側に腰掛けて貰った方が都合がよかった。
「ああ。もちろん、そっちで構わなければだが?」
「ええ。それではお言葉に甘えまして」
一応は断りを入れておくが、どうやら黄金の少女は気分を害した様子もなく奥の席に腰掛けた。遅れて席を引き、椅子に座ると同時に少女が机に備え付けられている端末に手を伸ばし……しかしその直前で、何か思い当たったかのようにその手を戻す。
「そう言えば、自己紹介がまだでしたね」
そう言って黄金の瞳を持つ少女が白金の長髪を払い、柔らかく微笑む。
「私はロマネスク・ロマンシアです。ロマとでも呼んでいただければ」
少女、ロマの名乗りを聞いて一瞬固まる。人の名前にとやかく言うのは礼儀に反すると分かっているが、彼女の名前は変わっていると言うレベルではない。
「……カルアだ……。しかしそれにしても──」
「変わった名前……よく、言われますよ」
さして気にした様子もなくフワフワと笑う彼女に、寧ろそんなことを一瞬でも考えたことに罪悪感を覚える。
「これは私が敬愛し、最も尊敬する恩師から頂いた名前なのです」
彼女の言葉には色々と引っかかるところがある。
「もし、気分を返すような悪いが……アンタの名前は、親がつけたものじゃないのか?」
「ええ。私はとある事情で、生まれから暫くは名無しでしたから」
まるで何のこともないように、少女はあっさりと答えた。しかしいくら裏社会の人間だったとは言え、それが常識からかけ離れたことであることはカルアひも十二分に理解出来る。
「…………なるほど、な。それはまた、大変だっただろう」
彼もまた普通の人間とは逸脱した生活を送っていきた身だ。当たり前を当たり前として得られないことの苦労と、苦悩はよく知っていると思っている。
──だからこそ本心からそれを口にすれば、黄金の少女はどこか困ったようにはにかむ。
「当時、私はそう思いませんでしたが……確かに生まれた環境に恵まれた人から見れば、そう見えてしまうかも知れませんね」
「ああ、そうか。当時はそれが普通だと、そう思ってしまうか……」
カルアもまた数年越しに周りを知る機会を得て、そして人を殺さない普通があると学んだ。
彼女の置かれた環境も同じで、人は生まれた直後に名前を持つことが当たり前だと遅れて知ったのだろう。
「アンタが、武に精通しているのもそれが理由か?」
少女の佇まい、重心置き方、視線の捉え方。そのどれをとっも……否、逆だ。ただそれだけでカルアは彼女が超一流の戦闘者だと直感した。
「おや? 気づいてしまうんですね。まぁ、私の場合は気が付いたら身に付いていた感じですが」
穏やかじゃない話しをその少女は朗らかな笑顔で流す。当然、彼から言わせてみればそんな簡単な話じゃない。
「まさか。それこそ血の滲むような努力をしてきたんじゃないのか?」
「別に私には必要なかった。ただそれだけですよ」
それはどっちの意味で必要無かったと言ったのか。──努力が必要なかったと言うのか、それとも身につけた技術を使うことがなかったという意味か。
少なくとも、カルアにはその真意は読み取れなかった。
ただ分かるのは、彼女の持つ技術は一朝一夕で身につくものではないこと。──他でもないカルア自身、身をもって知っていることなのだから。
「さぁ、探り合いもここまでにして食事にしましょう。お腹が減ってしまいました」
そう言うと彼女は備え付けの端末を手に取ると、それを机にに置く。数度操作すれば、間もなく彼等の間に空中投影されたメニューが開かれた。
「そうだな」
彼女の提案に乗って、カルアもこれ以上の言及は止めて大人しくメニューへと目を通した。間もなく食事の選択を終えると、今度はカルアが端末を元あった場所に戻す。
「なぁ、聞いていいか?」
「ええ、ぞうぞ」
快く頷く少女の好意に甘えて、カルアは続けて質問した。
「どうして、俺と食事を一緒しようと思ったんだ?」
「う~ん……強いて言うなら、直感ですか?」
何が直感だと言うのか。分からないと言う顔をする彼を前に、少女は困ったようにはにかんで一つ一つ言葉を選ぶよう再度に口を開く。
「一目見た時から、他に人とは違うと思ったんです。気配と言うのか、あるいは立ち振る舞いか……ただ、私じゃなくても貴方は不自然に見えていたと思います」
こちらの世界に来てから間もない。身の振り方、視線の運び方、歩き方一つを取っても彼はこちらの自然な動いと僅かながら異なっていたのだろう。
そこに加えて周囲に向ける好奇と興味の視線。真新しいものを数々目にして、些か感情が高揚していたとも思った。
「…………確かに、些か不自然だったか」
幾つもの要因が合わさることで生まれる疑念だが、逆に言えば異世界と言う非現実的を目の当たりにした人間なら当然の反応だ。
──こればかりは仕方ないか……
寧ろその違和感を見落とさず、疑念を持ち、声をかけてきた彼女の方が例外的だろう。
それから他愛のない話しをしながら食事を終える。まだ聞きたいことは山ほどあるが、事情を知らぬ彼女が根掘り葉掘り質問漬けにされれば不信感を生むだけだろう。
他愛のない会話に混ぜていくつかの情報を聞き出せたものの、やはり先日の魔女のように彼の事情を知る者から直接話しをする方が効果的だ。
「さて……」
そろそろ解散するかと、席を立ち会計を行う機械の前に立つ。奥の席を譲られていた少女は当然のように出遅れ、彼女が追いつく前にがルアは素早く端末を操作すると機械に当てがった。
間もなく会計済みの画面が表示されて、カルアはそのまま端末を仕舞う。
「あ……」
自分の分まで払われていると知った少女の口から間の抜けた声が溢れて、慌てて手にした端末を仕舞い、恐らくは現金を出そうと財布を取り出す。
「ここは奢らせてくれ。有意義な時間を貰った対価だ」
気にするなと言うと、やはり少女はどこか申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「いえ、そう言うわけにはいきません。何よりも食事を誘ったの私しの方ですから、こちらがお金を出すのが──」
そこまで言う彼女を手で制して、カルアが首を横に振る。彼女がどんな仕事をしているか分からないが、何もせずとも金の手に入るカルアが日々汗水垂らして働く彼女に払わせるわけにはいかない。
──それこそ彼女に奢られでもすれば、有り余った金が行き場を失うだけだろう。
「俺がやりたくしてしたことだ。受け取ってはくれないか?」
少しばかり卑怯なやり方だが、ここまで言われれば大人しく温情を受ける他ないだろう。
諦めたように財布を仕舞う少女を確認して、改めて店を出るように足を踏み出す。
「さて、と……確かに短い時間だったが、楽しく有意義な時間を過ごせた」
改めて振り返ってみれば、やはりその容姿は異様と言ってもいい。黄金比にまで整った顔立ち、非の打ち所がないほどに洗練な一投手一投足。
彼女が名前を貰ったと言う恩師のお陰か、歩き方一つを取っても完成されていて、気品と練磨を垣間見た。──身体の使い方に関して、究極と言ってもいいほどに追い求めてきたカルアでも彼女にはまだ及ばない。
生まれ持った才能と、それを余すことなく磨き上げた天賦。これだけの美少女、普通ならいくら金を積んでも食事の誘いすら叶わない。
「本来なら金を追加で払ってもいいんだが、アンタはそれを受け取らないだろう」
「当たり前です! それではまるで、私が男を騙して金をむしり取る魔性の女みたいじゃないですか!」
分かっていた答えだったが、想像以上に彼女にとってその提案は嫌悪するものだったのだろう。──いや、よく考えれば分かることだ。
「なるほど……確かにその美貌じゃ、望んでもないのに男と金の面倒事が舞い込んでくるか」
常軌を大きく逸脱した美貌は、本人が望まずとも厄介事を呼び寄せるのだろう。頼んでもいないのに金を払うと言う者も多くいたとて不思議じゃない。
──断るにしても過剰な反応だと思ったが、そんな背景があるなら納得だな……
寧ろ無理を言って奢ったことで彼女を不安にさせてしまった可能性もあるだろう。──とは言え、この点に関しては彼女の方から食事を誘ったのだから、ここまで無策だった彼女にも問題がある。
金を出されたくなければメニューを選んでいる時、自分が金を出すから好きに選んでいい、とでも言えばよかったのだ。
──まぁ……
その場合でも断固、カルアが金を出していたことはまた別の話し。
「ええ、まぁ……そんなところです」
「それじゃ、尚更俺を食事に誘ったのは悪手じゃないか?」
「言わないでください……。それに、何も考え無しに貴方を誘った訳じゃないんですよ」
「何か、目的があって近づいたのか?」
ここにきてカルアの警戒が一段上がる。もし彼女がカルアの正体に気が付いていると言うのなら、カルアもまた黙ってはいられなかった。
「そう身構えないでください。何かしようだなんて思ってませんから」
獲物がすぐに取れる位置に構えた手をそのままに、美しい正体を油断なく見据える。この数瞬の間に必要とあれば彼女の命を奪う覚悟は出来た。
あとは看過できない現象が起きるだけ。ただそれだけで、カルアは迷いなくその首を切り落とすだろう。
「それともやっぱり……いくら弁明しても、一度疑われてしまったからダメですか?」
「…………」
カルアは答えない。ただ油断なく黄金の太陽を内蔵した瞳を見つめて、瞬き一つに至るまで彼女の全てを注視する。
「本心を言えばただの興味本位です。先も言った通り、明らかに他と違う貴方を見て少しお話しがしたいと思いました」
「……最初は、そうだったのかもな」
最初から……いや、今も彼女から敵意は感じられない。しかし何も敵意や害意がないからと言って、危険がないのか問われれば断固として首を横に振るだろう。
「今もそうです」
「分かっている」
必死に訴えてかける少女。当然そんなことカルアも分かっていて……しかし、彼女は一度彼の引いた一線を超えてしまったのだ。
「アンタ、俺の正体に気がついてるだろう?」
「…………」
彼女は答えない……否定も肯定もしないが、それだけで十分だった。先の会話で感じた違和感、偶然だと思っていた……否、今も偶然だと思っている。
偶然としかいいようのない出来事で、カルアがそれを偶然として考えることをやめただけだ。
「アンタに敵意がないのも知っている。このままここで別れるのなら、今までの出来事は数ある偶然の一つだったことになる」
「ええ。どうやらそれが、お互いの為みたいですね」
この出会いを偶然の巡り合わせとして終わらせる為、黄金の少女はゆるりと踵を返す。
「ですが、最後に一つ。貴方に要らぬ不安を抱かせてしまったお詫びをしようと思います」
そう言って、彼女は白金の髪を靡かせて半身にてカルアを振り返る。
「この世界には異物が多い……だから、これはおまじないです。もし得も言えぬ違和感を感じた時は、私の名前を口にするといいでしょう」
顔を近づけ、それと同時に甘い香りが鼻腔をくすぐる。ふんわりと耳打ちするように少女が囁くと彼女は徐に距離を取った。
「もしこの名に反応する者がいれば、要注意です」
──前言撤回だ。先程までは彼女がどこか勘のいい少女と思っていた。
「……覚えておこう……」
しかし、違った。彼の正体に気がついて近づいてきた……あるいは、もっと前から目を付けられていたのかも知れない。