第四話 常闇の札
ネオンの淡い光が照らす夜道をカルアは外套のフードを深く被って進む。身体強化の魔法を解いた今、身につけた装備のズッシリとした重さがその存在感を主張している。
──使徒はどうして選ばれる、選別はなんだ……?
──その判断基準は……?
頭の中を駆け巡る疑問は先程の男が口にした言葉。
痛いほどに突きつけられたのはこの世界の過酷さ。女神自身も事前に伝えていたことで、そしてまたそんな世界に送り込まれる使徒達も実戦慣れしているものだと思い込んでいた。
──しかし、現実はどうだ……?
あの男の言葉が正しいと仮定すれば命のやりとりに不慣れな……否、真逆の平和に慣れているしているような者も送られていることになる。
──いや、色々と優遇されているとは言えど、今考えれば身一つで送り出されるのもおかしい……
こちらの世界としては破格の能力。様々な物質も支給されて、手持ち金は十分以上で生活にも困らない。だが、多少の知識を詰め込まれただけでいきなり実戦導入だ。
──では、何が選別の基準なのか……
いくら自問自答を繰り返そうとも答えに辿り着つける筈もなく、強いて言えばカルアの時と同様に断ることの出来ない条件を並べられたか。
──俺もまた"彼女"を人質に取られている、と言う訳だな……
こちらの世界に飛ばされたと言う幼馴染。不確か情報でも、永く未解決の神隠しを説明するのならそれしかなかった。
──突拍子もないことだと思うが……
藁にもすがる思いで、分かっていても断りきれなかった──否、信じたかったのだ。そうでなくては、とても──
──いや、もうやめよう……
──真意を知りだければ、この目で確かめればいい……
重く沈んだ気持ちのままガラス張りの自動ドアをくぐり、足を踏み入れのは彼の世界で言うコンビニのような店。
外を照らすネオンの怪しい光とは打って変わって、明るい白い電光が店内を照らしている。
棚に陳列される商品もまた文字やメーカーは違えど彼の記憶にあるそれと酷似していた。なんとなしに店の後ろへ足を運び、ガラス張りの扉を開けようとノブへ手を伸ばした時、同じように別の腕が横から伸びた。
「おっと!」
軽い声と共に腕の主がカルアに気がつき、反射的な動きで手を引っ込める。
「あっ、すみません」
「お構いなく~」
気を遣って退けてくれた相手に軽く頭を下げて中の飲み物を取ろうとして、その手が止まった。
彼のすぐ隣に立つのは小柄な少女。年の頃は十代半でこんな時間帯に外を出歩いているいい年齢ではない。
──そもそもこっちの世界ではそうじゃないのか……
──いや、俺の世界でも地域によっては違うか……
そして、それらの何よりも目を引くのはその外見だろう。綺羅星を散りばめたように煌めく白髪と、星空を映し出したような暗い瞳。
思わず目が釘付けになっている彼の様子を愉快そうに見やり、その少女が軽い口調で口を開く。
「おや、手が止まってどうかしたのかい?」
どこか面白がるように、揶揄うようにそう言う少女の言葉で我に帰ったカルア。
「い、いえ。ジロジロ見てすみません」
無遠慮な視線を向けていたことを謝罪する。そうしてすぐに目当ての飲み物を回収し、立ち去ろうとする彼の背中に再び声がかかった。
「おっと! そんな急いでどこに行くつもりだい救世主さん?」
呼び名は違えど、その言葉が何を意味するのかすぐに分かった。反射的に足が止まってしまったことを後になって後悔しなが、しかし今更取り繕っても仕方ないと諦めて振り返る。
瞳の中に映る星空が妖しく揺らめいていて、綺羅星を散りばめたような白髪は風もない室内で靡いていた。
そんな現実離れした姿にどこか恐怖を覚えながら、改めてその顔を目にしてふと違和感を覚える。
「いやいや、驚かせてしまって済まないね」
悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて……しかし彼等のような無垢のそれとは違い、その笑みにあるのは底知れない悪意だ。
「こんな形でも礼の一つも出来ないのは忍びないんだ」
大袈裟に肩をすくめてそう言う少女。そんな彼女に抱いた違和感が今、彼の中で形作る。
そう、どこか似ているのだ。悪夢に見たあの少女に、女神が敵視するあの娘に──
「……礼、とは何のことだ?」
しかしそのことを確かめる前に、彼女自身の目的を聞き出す必要があり、最大の警戒をもって外套の下に入れた左手が刀の柄を握る。──露骨に警戒する彼を余所に、そんなことを知る由もない様子の少女が続け様に口を開いた。
「おや、身に覚えないのかい?」
言わずとも知っている筈の少女が、不敵な笑みを浮かべてそう問う。直後、カルアの中で警報が鳴り響く。
──こいつは、危険だ……
逃げるのが理想だが、果たしてそれは可能なのか。いや、それ以前に彼の居場所をこうも容易く探り当てる相手に逃亡など不可能。
であれば──
「悲しいな」
「──っ!?」
刀を引き抜こうと腕に力を込めた瞬間、少女は既に彼の懐に立ち……その右手で刀の柄頭を押さえている。これでは刀は抜けない……
何よりも、見えなかった……
「そんなに僕からの礼は嫌かい?」
「っ……!」
悔しげに顔を歪めてその少女を睨め付ける。今のカルアであは到底太刀打ちできない相手で、いつでも殺せる状況で彼女は尚も痛ぶって楽しんでいるのだろう。
──屈辱だ……!
「そう睨まないでよ」
困っように眉をハの字して少女が悲しげな表情を見せる。何故そんな顔をするのか理解出来ず、ただただ相手の手の内で進む物事に苛立ちを覚えた。
「……随分と悪趣味だな……」
自分でもゾッとするほど低い声で皮肉を口にする。殺すならさっさとすればいいものをわざわざ痛ぶって楽しいのか、と怒気を込めて睨め付けた。
「悪趣味、とは心外だね。何も人道に外れたことはしていないのだけど?」
「…………」
悲しげな表情のままそう口にする彼女をただ睨むしか無く、その視線だけで相手が死ねばどれがいいかと思いながら──
「言った筈だよ。僕はお礼を持ってきただけだと」
「…………」
確認するように繰り返された言葉にも聞く耳を持たず、無言を返す。そんな彼の反応に少女はやはり悲しげな表情を見せるばかりで──
「こう言っても、まだ敵意を向けるのかい?」
当然ながら返ってくるのは無言の肯定で、それを確認した少女は少し考える素振りを見せた。
「多分、何か誤解があるんじゃないかな? 取り敢えず、場所を変えて話さそうか」
このまま話しても埒があかないと判断すると彼女はカルアを店の外に連れ出す。
「さてと、改めてお礼の話しをする前に……」
くるりと振り返り、少女は相も変わらず軽い口調で話し出す。
「君が僕を敵視する理由を聞かせて貰ってもいいかな?」
「…………あの男の、仲間か?」
既に刀を抜いたままそう問えば彼女は首を傾げる。
「いやいや、逆だよ。僕の仲間はあの男に追われていた方だからね。でも、なるほどねぇ……そう思っても無理ないか」
僕の説明が足りなかったね。とまるで何事でもないかのように言う彼女の様子にカルアが眉を顰めた。
彼女が礼をしたいと言う理由は分かったが、何故彼女がカルアの居場所を知るのか。
「おっ、ようやく理解してくれたかな」
刀を鞘に収めたカルアを見て彼女は顔を綻ばせる。
「まだ聞きたいことがある。何故俺の居場所知った」
「存外この世界は目が多いい。これじゃ納得しないかな?」
訝しげに目を細めるカルアの反応を面白がる少女。しかし考えれば考えるほど辻褄に差異が生じる。
そもそもとして先刻の出来事から数時間しか経っていたないのだ。なの何故彼女はこうも早く移動し続けている彼の居場所を突き止め、接触してきたのか。
「礼をしたいと言ったな」
徐に口を開いて飛び出したのその問いかけ。そんな問いかけに、ゆるりと動いた暗い瞳が尻目越しに彼を見やる。
「何でも言うといい。金でも女でも──」
「どっちも必要ない」
彼がそんなことを求めていないと分かっていながら、敢えて的外れないことを口走る少女の言葉を遮ってカルアが懐に手を入れる。
「彼女について知っていることがあれば全て話して貰う」
そう言い見せたのは電子端末の画面。幸いと言うべきか、あちらの世界で扱っていたソレがこうして手元にあったのは幸いだった。もしかすればそれもまた女神の配慮なのだろう。
当然ように表示される園外の文字には目を瞑り、画面に映し出したのは"彼女"の画像。二年も前になる画像で、それを目の前の少女に突きつける。
「二年も前になる画像だから分かりずらいが、面影のある人物に身に覚えはないか?」
目を細め画像に見入る少女が小さく唸る。
「う〜ん、残念だけど身に覚えはないね」
「そうか」
期待はしていなかった。いや、これが当然の結果なのだ。
「でもまぁ、何かあれば、ね」
そう言うと彼女はカルアから端末を受け取り、何かの操作しようとして眉を顰めた。
「おや、似ているけど僕の知るモノとは少し違うみたいだ」
ホーム画面に戻して何をしようとしたのか、しかし何も出来ないまま端末をカルアへ返す。
「それにそこに映し出されるのも見たこともない文字だね」
「…………」
黙ったままのカルアの顔を覗き込み、どこか思案するように目を細める。
「もしかしてそれは君が元いた世界から持ち出したモノかな?」
「ああ、そうだ。今更隠すこともないだろう」
カルアが別世界の住人であると知らなければこうして端末を見せることは躊躇っただろう。しかし既に彼女はそれを見抜いていて、それだけの人物であればカルアの事情もある程度察しているだろう。
「なるほど、君は彼女を探してこの世界に召喚されたんだね」
「知っていると話しが早いな。でも、アンタは知らないんだろう」
「そうだね。異世界の存在を認知しているとは言えど、人一人を探すのは流石に骨が折れる」
でも、でもね。と彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「何も力になれないと言っていない」
そう言うと彼女はカルアへ向けて手を伸ばす。
「お互い連絡を取れるようにしておこう。何か分かれば礼代わりに君に教えよう」
「…………」
訝しげに眉を顰めるカルアを見上げ、彼女は更に一押し言葉を並べる。
「他の世界を認知している人は滅多にいない。君の事情を察した上で、こうして協力しようとしてくれる人は今後そうそう現れないと思うよ」
カルアにその気はなくとも、彼女は彼に貸しがある。異世界を認知し、カルアの事情を察して、そして先ほど目にした破格の能力を持った少女がこうして協力すると言うのだ。
「……分かった……」
カルアに選択肢があるはずもなく、それ故に躊躇いも無くなったせいか後の行動は早かった。
懐から別の端末を取り出すとそれを少女へ手渡す。そう知れば彼女は軽くそれを操作し、一分もせずに彼に返した。
「僕の連絡先を入れておいたから、いつでも頼ってくれていい。もちろん、"彼女"に関係ないことでも、ね」
「アンタはどうやって俺に連絡を取るんだ?」
先程の一部始終を見た中では彼女は自身の連絡先を登録しただけで、カルアの連鎖先を自身の端末に入れていない。──いや、それどころか彼女は端末を取り出してすらいない。
「頭に記憶してあるから、なにも問題ない」
サラッとそう言ってのける少女。一瞬見ただけで彼の連絡先を記憶した、と……。
だが同時に、それが嘘だとは思えなかった。
「そう。それなら……」
問題ない。と、そう続くよりも早くに少女が動いた。
「それじゃぁ……また、ね」
徐に踵を返すと、軽く手を振って彼女は夜の闇に消えていった。暫くしてその背中が見えなくなると、再び端末へ視線を落として一つだけ入っている連絡先を確認する。
こちらの世界で言う番号と、その下に書かれた文字『ルルル』。それが、彼女の名前なのだろうか。