第十話 魔女の行方とその影を
翌日、分かってはいたが酷い倦怠感に悩まされて起きてからも暫く寝具から出れずにいた。
頭も重く酷く眠い。どうにも埒外があかないと二度寝を試みたが生憎と全く良くなる気配がない。
──これは、酷いな……
流石にこれほどの倦怠感に悩まされるとは思っていなかった。殺し屋時代、酷い怪我を負って数日寝たきりだった時でも、ここまで酷い倦怠感はなかったと思う。
「悔しいが、今日は休むか」
もう今日は体が起こせないと判断して、カルアはもう一度目を閉じる。兎にも角にも食事をした方がいいようにも思ったが、生憎とそれどころではない。
──このまま、衰弱死はないだろうが……
流石に危機感を持たざるを得ない。人間としては規格外の力を持つとはいえ、人の身で神の力を力を行使すればこうなるのか。
改めてそのことを実感したと同時に、また頼る可能性があるだろうと思い至る。収納魔法の魔法陣を描き、そこから携帯食を取り出すとさっさと口に放り込む。
──取り敢えずはこんなもんか……
お世辞にも腹が膨れたとは言わないが、少しは楽になったような気がした。そうしたらあとは体力の回復に努めるためにも、睡眠を取るしかないだろう。
「さて……」
どれぐらい寝ていただろうか。いくらか倦怠感が抜けたことを確認して、身体を起こす。
そうして端末を手に取り確認してみれば、既に一日以上が過ぎていた。
──流石に寝過ぎたか……
つい先日、私生活には細心の注意を払うと決めたばかりでこの体たらく。不可抗力な部分はあったとは言え、今日明日にはいつも通りに戻す必要がある。
「だが、それよりも先に……だ」
未だ重たい体を起こして、身支度を整える。端末に表示される魔女が持つ携帯の位置情報。
不自然なほど離れているそれは一度おいて、先に確認するのは彼女から渡された住所に足を運ぶこと。
「よし」
身支度を終えて外を歩きながら考える。魔女のこと、そして女神から聞いたデスゲームの話し。──そして今現在、カルアが最も恐れるのは協力者の損失だ。
「ここ、だな……」
間もなく辿り着いた住所を確認して、間違いがないことを改めると備え付けのインターホンを鳴らした。
インターホン越しに会話を……しかし、そうはならず意外なことに扉が開けられて一人の少女が姿を現す。
「あ……」
一瞬、その隙が魔女と重なって見え……だが当然ながらそんなはずもなく、現れたのは髪の長い別の娘だった。
「どちら様?」
「ルル・ル=ティアナを訪ねて参りましたが、ご自宅が違いましでしょうか?」
不思議そうに首を傾げる少女、そんな彼女を前にカルアは一度端末を仕舞うと魔女の名を口にする。そうすれば彼女の表情は一変、酷く強張った顔でカルアを見下ろす。
──心当たりがある顔だな……
「申し訳ありませんが、今からお会いすることは出来ますでしょうか? 急ぎの用事で……もし不可能でしら、また後日の予定を取り付けたいと思っています」
流石にここまで露骨な反応では嫌でもわかる。逃げられる前にと立て続けに言葉を重ねた。
「…………彼女は、もうここにはいないわ」
固まる少女の背後、別の娘が姿を出すと強い拒絶感の籠る声が一蹴する。──初対面かどうかなど関係ない。彼女の見せる顔は酷く歪んだもので、心当たりのない憎悪を向けられて、さしものカルアとて一瞬言葉を詰まらせた。
「申し訳ありませんが、それなら今どこに──」
「知らないわ。これで、満足かしら? 分かったら帰ってくれる?」
些か乱暴に扉を閉められて、一方的に話を切られる。無理矢理こじ開け、叩き潰した上で無理矢理話しを聞くこともできるが今はそうする必要もないだろう。
あくまでカルアが求めているのはルルという少女であり、他の魔女などどうでもいい。ここにいないというのなら、それ以上構う必要すらない。
「それなら、携帯の方を追うか」
事情は直接、あの魔女に聞けばいい。端末を取り出し、位置情報を改めて確認……その直後、思わず手を止めた。
──いや、こっちは囮か……
女神曰くこの位置情報は一度リンクすればリアルタイムで情報が更新されていくという。昨日、体が重く動けない時点でもこれだけは確認していた。
それが昨日から全く動きがないのだ。別に一日ぐらい動いていないことで大袈裟とも言えるが──果たしてそれを考え過ぎと言うのだろうか。
「──っ!?」
直後、酷い耳鳴りと頭痛を感じて頭を抑える。疲労が引いているかとも思ったが、すぐにそれが違うと感じる。
もしそうだとすれば──その直感が彼の心に影を落とし、同時に暗い激情が腹の中で渦巻くのを感じた。
「……何だ……?」
耳元で鳴っているようにも、脳髄に響くようにも感じる何かの囁き。
深淵の底から響くように深く重い聲。どこまでも冷たく無機質なそれが云うのだ。
──怨敵を討て……
酷い破壊衝動に駆られて、フラフラと後ずさる。必要なら虐殺も凌辱も躊躇わないという、ドス黒い感情と酷い喪失感。
「クソッ!」
渦巻く激情を抑えるように悪態吐き、その場を離れるように身体の向きを変えた。──しかしそのあとも悪魔の囁きは止むことなく、言葉にならない聲がずっと脳髄を焼くように繰り返される。
──漸く、治ったか……
先程抱いた激情もなりを顰めた頃、漸く悪魔の囁きも聞こえなくなった。もしかすれば、あれはカルアの感情の起伏に同調して起こるものかも知れない。
「冷静に、ならないとな……」
激情が腹を渦巻き、僅かながらも殺気だったの事実。あの少女達が魔女に危害を加えて……ただ追い出したのではなく、あのまま監禁していた可能性が脳裏を過った。
──その直後だ。僅かな激情と殺意を抱いたと同時、悪魔の囁きが聞こえた。
「まだ、取り乱す時じゃない」
魔女の行方もわからないまま、どうなったかなどまるで分からないではないか。もしかすれば携帯の位置情報通りにそこにいるかも知れない。
それを確認するまでは、怒りに任せて動くのは早計過ぎる。せめてあの少女達が黒だと分かってからだろう。
「すぐに向かおう」
頭を切り替えて、嫌な感じを振り払うようにカルアは駆け出す。すぐに速度が乗り、瞬く間に風になったような感覚を覚えた。
翼もなく宙を飛び交う乗り物をも追い越して、建物から建物へと跳び移る。
「もう間もなくだが……」
数時間走り続けて、周囲の景色も変わってくる。発展した科学技術の目立つ町並みは移り変わり、今目の前に広がるのは退廃的な景色だった。
高い技術力は伺えるものの、どこか陰りのある町並みだった。
「…………」
道ゆく人は生気がなく、殆どの人間が背を丸めて顔隠し歩いている。その人間に合わせてカルアもまた外套のフードを深く被ると、端末の案内に従って高い建物を伝って降下していく。
──周囲に人の気配はない……
壁から壁へと飛び移り、漸く地面へと着地。素早く身を隠して人を警戒するが、幸いなことに人影はない。
そのまま身体強化の魔法を解くと、小走りで場所を微調整。間もなく端末に表示された地点にたどり着いた。
「……クソ……」
再び悪態吐き、端末と目の前の光景を再度確認する。ゴミ溜めを指し示す位置情報と照らし合わせて、嫌な予感が的中したことに顔を顰めた。
周囲に人がいないことを確認したのち、少し離れてからゴミ溜め手を翳す。間もなく空気が弾けるような音と衝撃が伝わり、ゴミが周囲へ散乱する。
足元に散らばった有象無象を足蹴りに、それを見つけた。
「やっぱり、か……」
画面の割れた端末を拾い上げ、電源がつくか確認するが反応はない。見たところ画面が割れていると言っても大きな損傷は見受けられず、再充電すれば使えそうにも見えた。
──とは言え、パスワードがな……
ロック画面を解除するパスワードが分からなければ結局のところ意味はない。兎にも角にも収納魔法から充電器を取り出すと、それを端末に差し込む。
しかし反応はなく、パスワード以前の問題が出てしまった。
──いや、女神に頼めば端末も直してパスワードも解除出来るか……
壊れた端末を追跡出来たのだから、それぐらいなんてこともないだろう。無論、探知できたのならその時に直してくれればよかったとも思わなくないが、もしかすればそれだけの力がカルアに残っていなかった可能性もある。
──どちらにせよ、一歩前進か……
手に入れた魔女の端末を懐に、その場を後にしようと……しかし、途中で足を止める。人の気配を感じて振り返り、懐から取り出した拳銃をそちらへと向けた。
「おや、バレてしまいますか?」
「何者だ?」
影から姿を現したのは黒服に身を包んだ中性的な人間。男とも女とも取れず、背丈も女にしては高いものの男とするのならやや小柄。
佇まいから格闘技に精通していることは分かるが、先日会った黄金の少女に比べればまるで児戯。気配の消し方も分かっているが、彼の知る最高レベルには到底及ばない。
「いやぁ、驚きましたよ。建物から建物へと跳び移る人間離れした動き」
「何が言いたい?」
「単純な話し、貴方は選ばれた人間だ。そんな選ばれた人間に、面白い話しを持ちかけたく思いましてね」
「選ばれた人間であることは否定しない。だが、俺にも選ぶ権利がある」
そう言えば中性の人間は喉を鳴らして笑う。
「ええ、そうですね。ですから、あくまで私から持ちかける話は提案です」
「気に入らない話しなら殺すぞ」
全身から殺気を放つも、その人間はまるで怯えた様子はない。殺し屋として長い間、血沼に浸かっていた彼に殺意を剥き出しにされて平然としていられる人間は少ない。
そう考えた場合、目の前の人間は数多くの本物を見てきたと言っていいだろう。多少は荒事にも慣れているだろうが、それ以上に本物の化け物と触れ合ってきた者だ。
「それは困ります。ですから、話しを聞いてもどうか穏便に済ませてはくれませんか?」
「…………話してみろ」
銃口を下ろしてそう促せば、それは一歩カルアへと近づく。
「私はとある組織のスカウトを担当しております。対象は容赦の整った少女と……ここ数日は貴方のような異界からの使者としています」
「悪趣味だな」
見てくれのいい少女を限定しているところにカルアが悪態を吐けば、スカウト役の人間は変わらず笑みを貼り付けてたまま話を進める。
「その感じだと恐らく話しは通らされていない様子ですが、貴方のエントリーは既にされているのですよ」
その言葉に仏頂面を崩さなかったカルアが、初めて驚愕に目を見開く。
「誰から?」
「ルルさんからです。貴方のエントリーと彼女自身のエントリーがされたあと音信不通でして、貴方の番号は伺っていたのでそこから位置情報を手繰りました」
カルアは反射的に反対の手に持った端末へ目を落とす。当然、相応の技術があれば電源も入っているそれから位置情報を取得することは容易だろう。
加えてカルアはまだこちらの世界に来たばかりで、その辺のことまで考えを巡らせていなかった。──否、厳密にはまだ警戒する必要がないと考えていたのだ。
──甘かったか……
いや、今回はそれのおかげで魔女と組織の足取りが掴めたと考えれば結果は上々。女神から組織への接触方法は教えられていたが、向こうから話しを持ちかけてくれるのならそれに越したことはない。
「そこで私は、改めてご本人へ参加の意思があるかどうかの確認に参上した次第です」
「参加して、俺になにか得はあるのか?」
「ゲームの勝利者には相応の報酬を払いましょう」
「形のないものでも可能か?」
「ええ。モノにもよりますが、ルルさんからはその辺のことも聞いております。──人探し、ですよね」
「ああ。そうだ」
そこでスカウト役は指を一つ立てて、片方の目を閉じる。
「ただ、我々もすべての人間を管理している訳ではありません。人探しに協力致しますが、絶対という保証もありません」
「…………」
言われてみればその通りだ。報酬として人探しに協力はしてくれると言うが、必ずしも結果が得られるとは限らない。
あるいはそれぐらいなら、また別件で聞きたいこともあった。
「参加する。連絡先は、必要ないよな?」
「ええ。それでは、行きましょう」
その時、思わず目を見開く。
「今、からか?」
「ええ。エントリーもギリギリでしたし、貴方を見つけるのに時間がかかってしまいましたから」
どうするべきか。魔女は未だ音信不通であり、他でもない組織の人間がそう言っているのであれば尚のこと難しい。
出来ることなら、もう少しだけ探索を続けたかったが、刻限は近づいていると言うではないか。
「…………分かった。連れて行ってくれ」
「承りました」
これ以上考えてもどうしようもないと腹を括った。目の前の餌に釣り針が仕込まれていると知りながら、それでも自ら喰らいつく。──昔の自分がみれば愚かだと断ずる言動だが、あの頃と今の彼は違う。
──報酬について、考えておかないとな……
必要ならどんな代償も厭わないだろう。
何故ならもう失うモノはないのだから。




