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第零話 我が心はいつまでも共に

 不吉な夢を見る。


 それはいつかの記憶、赤い月の日だった。

 いや、月が赤いのではない……空が赤いのだ。


 赤く巨大な天月の下で、その美しい悪魔は片膝を着いた姿勢で佇んでいた。赤黒い髪を靡かせて、そんな彼の姿形は人間のそれであれど……そこから感じられる異質な存在感は全くの別物だ。


「…………」


 あかかがやく邪眼は、いつも物憂いげで……そんな彼が抱き抱えているのは、闇十字を象った黒い刀にて胸を貫かれた白い少女。

 涙の跡が残る瞳を閉じ、力無く悪魔の腕に抱かれた彼女の背中……死してなお、無垢の輝きを放つのは三対六枚の巨翼だ。


「…………」


 いつまでも、彼はそんな彼女の顔を見つめていた。天使を殺した悪魔の顔には強い悔恨の念が滲んでいて、彼女を手にかけたことをどれほど後悔しているのか……静かな激情が、そのやるせない想いが纏う空気を澱ませる。


「……久しいな……」


 悪魔は徐ながらに顔を僅かばかり持ち上げ、ゆるりとその邪眼にて夢の主を捉える。人らしい感情の全てを投げ捨てたような無機質な瞳が、その眼差しに心中の全てを見透かされているよな錯覚を覚えた。


「二年振り、だったか?」


 最後に出会った頃の記憶をどうにか掘り起こし、そう答えれば悪魔は黙ったまま再び天使の顔を見下ろす。


「何故、また今になって俺の夢に現れたんだ?」


 些か怒気を込められた声を受けてなお、悪魔が反応を示すことはない。彼はただ白い天使の亡骸を物憂いげに見つめるだけだ。


「これは貴様の夢ではない。──俺の、悪夢だ」


 天使の亡骸を抱き抱えたまま、彼は淡々と答える。その顔にはやるせなげな陰が差していて、無機質な瞳を覗いたところで何の感情も見受けられない。


「……やっぱり、そうだったんだな……」


 何となしに彼の言葉に納得する自分がいた。今まで感じていた違和感、何を思えばこんな夢を見るのかと言う疑念が今解けたのだ。

 これは彼の夢ではなく、この悪魔の記憶であると言うのなら納得だ。──尤も、それが知れたことで何故彼の意識に入り込んでいるのかまでは説明がつかないが……


「…………」


 身じろぎ一つないまま、その悪魔はただただ白い天使を見つめている。大切な、大切な存在だったのだろう。

 それを己が手で奪い去る苦痛は筆舌し難いものだ。


 かける言葉もなく、致し方なく屍の山に腰を下ろす。夢の中とは言えど、生々しい感触に思わず顔を顰めた。


「…………」


 どれほどそうしていただろうか。悪魔は未だに身じろぎ一つもせずに天使を見下ろしていて、屍の山に腰掛ける彼もまた瞬き一つせずにその様子を見上げている。


「頼みがある」


 白い天使の頬を優しく撫でながら悪魔が徐に口を開いた。そんな彼の横顔は泣いているようにも見えて、酷く憂いげな姿があまりに痛々しくて……気がつけば喉を鳴らして固唾を飲み込んでいた。


「一時でよい。彼女の支えになってはくれぬか?」

「彼女はアンタの大切な人だろう。それをどこどの骨とも知らぬ奴に──」

「貴様は大切な者を失う辛さを知っていよう」


 断り文句を並べる彼の言葉を遮って悪魔が言い放つ。その言葉を受けてしまえば、同じ心境にある彼では何を言い返すことも出来ない。


「それに、貴様以外には頼めぬのだ」


 そうだ。よく考えれば、この悪魔はずっと悪夢に囚われている。

 そんな悪魔にとって、こうして夢に迷い込んだ彼はまさに一筋の希望なのだろう。だからこそ、自身の大切な者を託そうとしているかも知れない。


「……アンタが抱き抱える彼女とは違うのか?」

「これは俺の悪夢。もう一つの可能性だ……」


「どこにいるかも分からないのに?」

「間もなく、貴様には転機が訪れるだろう」


「…………それは、予言か?」

「啓示だ」


 ゆっくりとした動きで悪魔の瞳が持ち上がり、無機質な眼差しに物憂いげな陰が差す。身の毛もよだつ魔の視線を向けてなお、真っ向から睨み返した。


「二年前、アンタの予言通り"彼女"は失われた。これで満足か?」


 屍の山を踏み抜いて、数段低くなった声を震わせる。そんな彼を目にして、しかしの悪魔が何の反応を示すこともない。

 ただやるせなげな瞳を下げれば、腕の中で眠る天使を撫でるだけだ。


「…………」


 無言の時間が過ぎる。体感にすれば数時間と言ったところだが、夢の中ではそれもまた不確かだ。


「二年前、俺にアンタは言ったな」


 長い沈黙に苛立ち、抑えきれない激情がその声に滲む。


「…………何を対価とする、と…………」


 二年前……いや、もっと昔からだろう。初めて彼を目の当たりした時から、代償を支払う運命さだめだったのだ。

 ただ、違いがあるかと言えば……それが遅いか、早いからだけだろう。


「アンタに俺の望みが叶えられるなら、もし"彼女"を救えるのなら……何を犠牲にしても構わない」


 覚悟を示した言葉を受けて、しかし悪魔が彼を見る邪眼はひどく冷めたモノだった。それがまた屈辱的で……だが、手遅れになるまで気が付けなかった彼が言い返す言葉など持っている筈もない。

 ただ無言の圧力に耐え、次に続く悪魔の言葉を待った。それが、己が心臓を差し出す行為であると知りながら……呪いが災いを呼ぶと悟りながら何と愚かなことか──


「…………二言は無いな…………」


 長い沈黙のあと、悪魔が問う。白い天使を抱き抱え、徐に立ち上がれば黒いロングコートが死の風を受けて悪魔の羽の如く広がる。


「…………」


 あかかがやく邪眼が遥か高みから見下ろす。相対する者の魂すらをも磨り潰す圧力を受けて、ただ力強くその邪眼なまこを睨み返す。


「賽は投げられた。しかし、未だ贄は投じられず……──

 だが例え、それが悪魔のいざないとて代償は支払われる……」


 スッと悪魔が目を細めれば抱き抱えた天使の全身から白い羽毛が飛び交い……対照的でありながらも、矛盾を孕まない対立コントラストがまた神秘的にも見えて──


「故に、今一度問おう……。

 貴様は何を、対価とする?」


 再び男が問いかける。死の風に乗って純白の羽毛が気まぐれに舞い踊る中、鉛のように重くなった足を踏み出した。

 もう、後戻りないど出来ないと知るが故に愚直なほど真っ直ぐな想いで、ただ求めたのだ。


「……ーーー……」


 の者の在り様に畏敬の念すらをも覚えて、ただ何かを言わなくては……と、震える唇が無心に紡いだ言葉は自分でも聞き取れなかった。

 しかし、の悪魔にその意図は伝わったのだろう。小さく一つ頷くと、それに応えるようにして悪魔の瞳がかがやきを増す。


「……契約、成立だ……。対価は……我が眷属となり、二人の少女を救うこと──」


 悪魔がそう呟いたと思えば、夢の世界が歪み始める。


「間もなく訪れるは変革の刻……もし契約をたがえば、貴様の魂は悔恨の念を刻まれたまま未来永劫悪夢の中に囚われる」


 足元から失われる錯覚を覚え、視界が暗転し始める。そんな中でも、の悪魔から目が離せない。──何故か。それは知らず知らずのうちに魅了されていたからだ。


「……俺と、同じようにな──」


 大切な人の屍を抱き抱えたまま、悪夢に囚われる。それが契約をたがえた時、彼の身に降り掛かる代償だ。

 きっと、その姿勢に魅了されたのだろう。──いつか訪れるかも知れない己の姿に重なっていて、目が離せなかったのだ。


「……約束だ……」

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