クムホエサハホ
舞台には、桜並木の背景に合わせての大きな幹の舞台セット。
そこに、舞台正面左側から、主人公のハナブサが登場する。
軽い荷物を片方の肩にかけていて、軽快に歩いてくる。
そしてある程度速度をゆめると、立ち止まり、感慨深げに桜木の幹を見つめる。
愛おしそうな目で桜の木を見つめるハナブサは、桜の木に近づいて幹を撫でた。
「桜の木よ、あの時は、ありがとう・・・」
ハナブサは少しして、踵を返す。
来た道を戻ろうとしている時に、足元のわらじの締め具合がゆるんで、しゃがみこむ。
セットの大きな桜の幹の扉から、女人が現れる。
桜色の髪に、桜色の濃淡の十二単のような着物。
ちらちらと桜の花弁が舞い散る中、ゆっくりと伏目がちな目を上げながら移動。
ハナブサの背後に現れた桜色づくしの女人は、美しい声で言った。
「もし。もし、ハナブサ殿ではありませんか」
「・・・え?」
ハナブサは立ち上がり振り向いた。
そして女人をその目に認めると、はっと息を飲んだ。
「美しきそちらの姫は、もしやわたくしめを呼ばれたのか」
「いかにも」
「なぜに姫は、わたくしめの名をご存じであられるのか」
「前に、お会いしたことはありませんか?」
「ない・・・あるはずがないっ。あなたを、忘れるはずがないっ」
「いくらか、お話でもしていかれませんか」
「なんと・・・ぜひに」
セットの幹のベンチ部分にふたりは隣り合って座る。
ななめになっていて、ふたりともが魅力的に見える配置だ。
「わたくしは、ハナブサ。近々、そちらの茶屋の隣に、紅茶屋を開く者です」
「貴方様は、なぜに、この地を選ばれたのでしょうか」
「小さき頃、この桜の木の側に親に捨てられ、寂しさと怖さに泣いてしまって・・・
そして眠ってしまったのか、
朝に見つかった時には
なぜだか綺麗な桜色の毛布がかかっていたのだとか・・・
茶屋を開くにあたり、様子を見ておくか、と」
「うわさの紅茶屋ですね」
「はい。して、姫の名をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「クムホエサハホ」
「くむほえ・・・?」
「紅茶、って意味ですわ」
「ほ~・・・ああ、なるほど、アナグラムですなぁ」
そこに、意地の悪い、中年顔の男が突如、舞台に現れている。
「さっきから盗み聞きしていたが、隣に紅茶屋たてるやつ、女はべらせてやがる・・・」
それに気づかずに、ハナブサはクムホエサハホに言う。
「まだ店の名前を考えておらんのですよ」
「ほぉう」
意地の悪い隣の茶屋の中年息子が叫ぶ。
「おやじーーーーーーーーーーっ、隣のやつ、売れるかもーーーーーーっ」
ふたりが大声に気づき、きょとんとしていたハナブサがほほを指でかく。
「大変だ・・・お隣さんだ・・・めんどくさいな・・・」
ハナブサは立ち上がり、少し歩む。
その間に、クムホエサハホは幹の中に戻ってしまう。
「お隣さんっ・・・聞いてやしない・・・あれ、姫も・・・いない?」
あたりを見渡して、桜の木に近づくハナブサ。
ハナブサは困ったまま、幹をなでた。
「また、来ます・・・」
舞台正面のあたりまで歩むまでに、舞台が薄暗くなっていく。
「おやじが死んだだって?隣に茶屋ができるからだぁーーーーーーーーっ」
「なんだって」
「なんだって」
ハナブサは叫び声を聞いて、唖然とする。
「なんだって・・・?」
「殺そうっ」
「なんでなんだいっ?」
「どうしてなんだいっ?」
「いいから、殺そうっ。そっちの方がいいからっ」
「「そうなのかっ」」
ハナブサは再び、桜の木のところまで走って行く。
舞台は薄暗くなっている。
「嗚呼・・・桜の木よ・・・いろいろなことが、今までありました・・・
もう、疲れた・・・
なぜ、わたしばかりがと・・・かんたんには、言えない世界・・・
どうせ死ぬのならば、わたしはあなたに抱かれていると思いながら・・・
静かに安寧の永の眠りへと、つきたいの、です・・・
わたしの到着点は、あなた、でした・・・」
幹の扉から、桜の木の精霊が現れる。
それは、クムホエサハホ。
「わたしは、クムホエサハホ・・・精霊です」
「ひどいひとより、優しいあやかしのほうが、わたしは好きだ・・・」
クムホエサハホはハナブサを抱きしめ、そしてゆっくりとベンチにもたれさせる。
桜色の羽衣をかけてやると、ハナブサの前に立ちはだかった。
「護る・・・」
クワやカマや刀を持った人々が、クムホエサハホの元へとぞろぞろとやって来る。
「わたしは、この桜木の精霊、クムホエサハホ・・・」
たじろぐ人々。
「危害を、加えないでください」
さらにたじろぐ人々達の中から、葬式もそうそうにの茶屋の中年息子。
「きっと、桜の木の精霊とやらが、民をかどわかしておるのだーーーーーーーーっ」
「あの時のだなーーーっ」
「そうだ、あの時、ああなったのは・・・」
「殺せっ」
「そうだっ、殺してみたいっ」
「怖いな、怖いな、怖いなっ」
「この桜の木を斬ってやろうよっ」
「危害を、加えないでください」
「しねーーーーーーーーーーーーっ」
刀を持って、クムホエサハホに斬り込む少年。
その少年が、手ごたえあり、と「へへ」と笑う。
そのままの態勢のクムホエサハホ。
「ハナブサ・・・貴方の言う、星空のような蛍の光を見てみたかった・・・」
眠りながら、ハナブサが言う。
「なぜ捨てられた日にわたしがぼやいた言葉を・・・」
「わたしは桜の木の精霊・・・貴方に、毛布を想いで編んで、かけた者。
ヒトノカタチをとったのも、
どうしてか、貴方に会いたかったから・・・」
「なんと・・・・・・」
「きっと、これは、夢・・・」
「夢ならば、叶うはず・・・クムホエサハホ・・・」
「ハナブサ、貴方に会えてよかった・・・」
「ああ、見守りたもう者よ・・・ともしたまえ・・・」
客席の客人全員に配られるペンライトが、薄暗い場内に灯り始める。
すべてだと思われたその時、クムホエサハホが言う。
「ハナブサ・・・ありが、とう・・・」
時をとめたかのようだった乱心した人々が、バタバタと苦しみ倒れていく。
全員が倒れ、最後に残ったのは茶屋の中年息子。
「え、なんで?」
ううっ、とくぐもった悲鳴をあげると、男はその場に倒れる。
クムホエサハホは、降りていく奈落に乗っている。
そして、両手を広げて、背中をそらせた。
その瞬間、桜の紙吹雪が大量に舞い散る。
そしてクムホエサハホが退場して奈落が元に戻ると、舞台はだんだんと明るくなる。
そして、朝の気配を感じたハナブサが目を覚ます。
「ん・・・んん~・・・」
羽衣に気づくハナブサ。
そして、やってくる善良な民たち。
「なんだね、なんだね、若衆名乗るあいつらが山から降りて来ないが」
「なんだい、この、はなむしろっ」
「なんてこった、あいたたたっ、いったい、どなたが、あやめたのか」
「そこ、そこの、青年っ・・・いったい、どういうことなのか」
ハナブサが善良な民たちに気づき、不思議そうにする。
「もしや、紅茶屋さんかいっ?」
「はい・・・そうなる予定がある者で」
「早く、一緒に山を降りようよ」
「へい?」
「いいから、早くっ」
「ああ・・・え、あ、はい・・・」
立ち上がるハナブサ。
そして、羽衣を置いて、桜の木に手を合わせる。
「ありがとう・・・」
立ち去ろうとした時、幹から、クムホエサハホが現れる。
その気配に、立ち止まるハナブサ。
桜色の羽衣を、優しく優しく、ハナブサにはおらせるクムホエサハホ。
彼の背中を抱きしめる。
そして、離れる。
「おいきなさい・・・」
うつむいたハナブサは、羽衣を直した。
「ありがとうっっっ」
走って行くハナブサ。
――
――――――――
そして、熟女が少し驚いたように、桜の木のあたりを見ている。
「なんてこった・・・桜の木の精霊の涙で、泉ができているよう」
「きっと、あいつらを払いなさってくださったんだっ」
「ご神木にしようっ」
「精霊よ、ありがとうっ」
ひざをついて、桜の木にお礼を言う者たち。
それを見て、小さく何度か、クムホエサハホはうなずいた。
その姿を、幹の中に隠す。
そして、しめ縄を桜の幹につるす民たち。
お祈りをしていた青年は、もう退場したハナブサに叫ぶ。
「お兄さんん、もう、隣の茶屋はないからねぇっっ」
幹のあたりから吹く風に、はなむしろが空中を舞う。
「絨毯が、空を飛んでいるじゃあぁないかっ」
舞台の端に戻ってきた、ハナブサ。
「そうだっ。店の名前、『クムホエサハホ』にしようっ」
お祈りをしていた青年が言う。
「そうだねぇっっっ」
「桜の木のクムホエサハホのことは、秘密にしておくれよう」
戻るハナブサに、背中を向けたままのお祈りをしていた青年が言う。
「そうだそうだ。秘密だぁっ。きっと、秘密だようっっ」
幕が、引かれていく。