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舞踏会会場へはエスコート役の人物と一緒に行く習わしで、夕刻、支度の整ったリリーアとマルグリットを、舞踏会が催される大広間近くに準備された控室まで迎えに来たのは、アルノルト王子とドナテーノだった。
「わあっ……とっても綺麗だ!」
長い髪を編み上げて銀のティアラを載せ、濃紺の生地を白い羽根で縁取ったドレスに身を固めたリリーアを、アルノルト王子は感嘆の息を吐きながら眺める。
しかしその王子自身も、ため息が出るほどに麗しい装いをしている。
金糸の刺繍が美しい深い藍色の上着は、あらかじめ相談してリリーアのドレスと色味を揃えたものだ。
襞がたっぷりと寄せられた真っ白なクラヴァットの結び目で輝く宝石は、今宵はアメジスト。
婚約者であるコンスタンツェ姫――リリーアの瞳と同じ色。
金色の髪をこめかみから耳の辺りまで編み込んで、耳に掛けた髪型の王子は、普段よりも大人っぽく見える。
一歳年上のフィオレンツィオと並ぶと、いつも以上に年齢が逆転して感じられるだろう。
ついそう考えてしまい、思考がすぐにフィオレンツィオに行きついてしまうことを、リリーアは反省する。
ふるふると首を振るリリーアへ、アルノルト王子は笑いながら腕を差し出した。
「行こうか?」
その腕につかまり、静々と歩きながら、同じようにドナテーノにエスコートされたマルグリットが、顔を真っ赤にしている姿を、リリーアは微笑ましく見る。
(よかったわね、マルグリット)
恥ずかしいだろうが、幸せそうな彼女の少し前を歩きながら、少なくともアルノルト王子と腕を組んで、自分にそういう感情は湧かないことを、リリーアは再確認した。
(コンスタンツェ姫は、殿下と婚約までしていたのだから、やっぱり私ではないと思う……)
国同士の結びつきを強くするための結婚とはいえ、将来を約束した類まれなる美貌の王子と腕を組んで、これほど無感動なわけがないだろう。
(違うと……思うのよね……)
控室のすぐ隣の巨大な扉の前へ到着すると、華やかな音楽が奏でられると同時に、その扉が大きく左右に開かれた。
「――――!」
考えに没頭していたリリーアは、アルノルト王子の隣で、慌てて顔を上げる。
目に飛び込んできたのは、色とりどりの衣装に身を包んだ人々の群れと、大広間の高い天井から釣り下がるいくつものシャンデリア。
その下で談笑していた人々が、一斉に扉のほうへ注目した。
百人を超える人々の視線を一身に浴びて、リリーアは緊張で息が止まりそうになる。
とても、王女らしく堂々とふるまうことなど出来ないと思うのに、王子が胸に手を当てて恭しくお辞儀をするのにあわせ、自然と膝を屈め、ドレスの裾を大きく広げて、優雅にお辞儀をしている。
(私……!?)
自分が何者なのか、本当にわからない。
リリーアとアルノルト王子の絵に描いたような美しいカップルに、招待客たちはみんな賛辞を述べて、広間の奥へと進む道を自然に作り出していく。
祝福の言葉にも、絶え間ない賞賛にも、誰もが感嘆する控えめな笑顔で応えながら、リリーアはアルノルト王子と共に大広間の真ん中へと到着する。
宮廷楽団の演奏がいったん終わり、曲調の異なる曲が流れだすと、王子と共にそれに合わせ、滑るようにダンスを始めた。
一つの旋律が終わるまで、ため息を吐きながらそれを見守っていた他の人々も、しばらくすると後を追うように、同じ動きでダンスを始める。
時々ちらちらと、視界の端に映るドナテーノとマルグリットも、どうやら一緒に踊っているようだ。
リリーアのダンスになんの問題もないとばかり、ドナテーノに力強く頷かれ、ほっとする思いだったが、踊ることに慣れてくると、我知らずいつの間にかフィオレンツィオの姿を探していた。
大広間の中のどこかにはいるはずだが、それらしき人影はまだ見えない。
「どうしたの? 誰か探し人?」
大きく円を描いて踊りながら、悪戯めいた声で王子に問いかけられたので、慌てて彼へ視線を移した。
「い、いいえ」
「そう」
何かを含んだような笑い方をする王子には、おそらく誰を探していたのか、バレているのかもしれない。
それでもリリーアは、懸命に自分を律し、そ知らぬフリをする。
(コンスタンツェ姫らしくふるまうことに、今は集中しなくちゃ……これが終わったら、姫を演じるのも終わり……これが最後なんだもの……)
本物のコンスタンツェ姫はまだ見つかっていないのに、本当にそれでいいのかという迷いは大きいが、今は目の前の事柄を、一つ一つやり遂げていくことが大切だ。
なるべく王女らしく見えるように、堂々と優雅に、アルノルト王子と一曲を踊り終わり、二人のために準備されていた大広間の奥の特別な席へ移動した。
そこは広間の床から三段ほど階段を上った先にある、間仕切りもできる王族専用の座席で、公式の式典などでは玉座が置かれ、国王の座席にもなるらしい。
王族とはかけ離れている身分かもしれない自分が座ってもいいのかと、葛藤する思いもあったが、リリーアは自分に言い聞かせ、王子の隣の椅子に腰かけた。
(今の私はコンスタンツェ姫……姫の代わりにここに居るんだもの……)
そのコンスタンツェ姫としての婚約宣言は、もう少し時間が経ってからにしようと、アルノルト王子に持ちかけられる。
「今はまだ、みんなダンスに興じているから、休憩に入ってから……楽団の演奏がひと段落ついてからにしよう……」
王子の囁き声がよく聞こえる位置まで椅子から身を乗り出しながら、リリーアは頷く。
「はい」
その時、広間の右端に明るい金色の髪が見えた。
(あ……)
リリーアの銀髪ほどではないが、その明るい金髪も、人ごみの中ではかなり目立つので、とても見つけやすい。
それなのに今まで目に入らなかったのは、かなりの人数に取り囲まれていたからだ。
同じタイミングで、アルノルト王子も彼を見つけたらしく、隣でくすくす笑っている。
「あー……やっぱり令嬢たちに包囲されている……あれは逃げられないな……いつも適当に追い払ってくれるドナテーノも、今日は自分のことで忙しいしな……」
「…………」
いかにもよくあることだと言わんばかりの口調が気になり、リリーアがじっと王子を見つめると、十人を超える数のドレス姿の令嬢たちに囲まれ、どんどん部屋の隅に追い詰められていく彼の従兄――フィオレンツィオを視線で示された。
「だから、騎士服じゃなくて貴族の盛装なんてしたくないんだって、無理強いした僕が後で責められるな……」
言葉の内容のわりにとても愉快そうな王子は、今度はじっとフィオレンツィオを見つめ始めたリリーアに、そっと囁く。
「フィオが気になる? あの女性たちを蹴散らしてしまいたい?」
「え?」
慌てて視線を戻した先にある王子の顔は、面白がっているふうにも見えるが、リリーアの真意を量ろうと、表情のかすかな変化さえ見逃さないように注視しているようにも見える。
自分の感情はともかく、コンスタンツェ姫として、ここはきっぱりと否定しておかなければと、リリーアははっきり首を横に振った。
「いいえ、そんなことはありません」
その姿を見て、アルノルト王子は「ははは」と笑いながら席を立つ。
「その役は僕が引き受けるよ……」
「え?」
すっとリリーアの隣に立つと、耳元で囁いた。
「僕の代わりにフィオを呼んであげる……だから……今度は逃げないでね」
(今度は?)
心の中で首を傾げるリリーアを置き去りに、王子はさっさと階段を降りて行ってしまった。