1
どこまでも続く黄金色の麦畑。
その間を抜けるでこぼこ道は、緩やかに登っており、丘の上に建つ大きな風車へと続く。
収穫した麦を挽くための風車の隣には、作業中の休憩所と道具置きを兼ねて、小さな小屋が建っているが、農閑期には使われることのない、簡素な造りだ。
石を積んで漆喰で固めた小さな小屋に、しかし先日から、実に多くの人が出入りしていた。
「リリーアちゃーん! 卵持ってきたよー」
「あ! ありがとうございます」
「俺は、牛乳ー」
「毎日ありがとうございます」
いかにも楽しげな男たちの声と、可愛らしい女性の声が交互に響く。
男たちは順番に建物の中へ入っては、しばらくして出てくるのだが、誰もがしまりなく頬を緩め、少年のように瞳を輝かせている。
「おい、見たか?」
「見た見た! 今日も可愛かったなー」
「なー」
肩を叩きあいながら帰っていく男たちと入れ替わりに、また別の男たちが坂道を登ってくるので、麦畑の間のでこぼこ道には、人影のなくなることがない。
ひっきりなしに男たちが出入りしている風車小屋の中には、窓から光が入る位置に背もたれの高い揺り椅子が置かれており、小柄な娘が座っていた。
銀色の長い髪を器用に編み込んで、肩から垂らした絶世の美少女は、忙しく編み物をしているのだが、小屋に誰かが入ってくると長い睫毛を上げて、にっこりと愛くるしく笑う。
「あ、ドルマンさん! 今日もありがとうございます!」
「ど、ど、どうもっ!」
ほほえみかけられた男の声が裏返ってしまい、後ろに並んでいる男たちに笑われるのも無理はない。
美の女神が持てる力を最大限に発揮して作ったかのような美貌の娘の笑顔は、破壊力が凄まじく、それを向けられた男たちは、一瞬にして理性が吹き飛ぶ。
「こ、これ! うちの母ちゃんの形見なんだけど……リリーアちゃんにどうかと思って!」
「まあ……」
男が差し出す首飾りを見つめ、リリーアと呼ばれた娘は細い眉をひそめた。
「でも、そんな大切なもの、いただくわけには……」
「いいんだっ! 俺なんかが持っててもしょうがないし! リリーアちゃんが着けてくれたほうが、母ちゃんもきっと喜ぶ!」
「でも……」
困った表情の娘から視線を逸らし、男は床に敷かれた毛足の長い絨毯の上に、首飾りを投げ捨てるように置いて、小屋から出ていく。
「じゃっ! また、明日来る!」
「ドルマンさん!?」
リリーアが椅子から立ち上がった時には、男は上着の裾を翻らせて、すでに小屋から出て行った後だった。
(困ったな……)
リリーアは首飾りを拾い上げて、テーブルの上に乗せる。
そこには、他にも、指輪や腕輪などの装飾品が小さな山を作っている。
風車に隣接する単なる小屋とは思えないほど、その室内はしっかりとした調度品に溢れていた。
彫刻の美しいテーブルに、猫脚の肘掛け椅子。ガラス扉の戸棚に、豪華な絨毯。
そのどこかしこに、色とりどりのドレスが積まれ、農作物やパンや果物が籠いっぱいに詰められている。
もちろん、元から小屋にあったのではない。
リリーアがここで暮らすようになった10日の間に、村の男たちが競って持ち寄り、彼女にプレゼントした物だ。
今となってはカルンの町の目ぼしい物品は、全てこの風車小屋に集まっていると言っても過言ではない
(みんなの気持ちはありがたいけれど……でも、そろそろ……)
リリーアが何かの法則に従って、テーブルの上の装飾品を仕分けし始めた時、小屋の入口から甲高い声が響いた。
「ちょっと! あんた!」
途切れることなくくり返されてきた、男たちのでれでれとした声とは全く違う、咎めるような声。
どきりと心臓を跳ねさせながらも、リリーアは気持ちを落ち着かせて、声のしたほうをゆっくりと振り返る。
「はい、なんでしょう?」
(やっぱり……こうなるわよね……)
心の中でだけ、ため息をついた。
小屋の入口から剣呑な目を向けてくるのは、下は二十代から上は七十代までほどの、様々な年齢の女性だった。
十人以上もいるその人たちが、一斉に口を開く。
「あんたでしょ? うちの旦那をたぶらかしてるのは……」
「毎日毎日、私が一生懸命畑で育てた野菜をタダで貢がせて……」
「私のスカーフ! なんでこんなとこにあんのよ?」
今にも掴みかからんばかりの形相で、口々にまくしたてる女性たちに向かい、リリーアは潔く頭を下げた。
「みなさん、いつもありがとうございます! 記憶を失って行き場のない私にとっても親切にしてくださって……本当に感謝しています!」
「―――――!」
突然感謝の言葉を叫ばれた女性たちは、みな虚を突かれて押し黙った。
その隙に、リリーアは言わなければならないと思うことをすべて言葉にする。
口を挟む時間を与えてはいけない。
「この小屋に住まわせていただいて、とても助かっています。食べ物や飲み物も……ですが、今着ている服と、少しの着替えがあればじゅうぶんなので、余分にいただいた物はお返ししますね」
言いながら、絶妙に仕分けていた服や装飾品の類を、次々と女性たちに手渡していく。
「これはマーキンズさん。これはクロノスさん……」
連日小屋に通い、リリーアに様々な物品を届けてくれる男たちの伴侶が、それぞれどの女性なのかはわからないが、名前を挙げると前に進み出てくれるので助かる。
女性たちに服や装飾品を返しながら、日がな一日窓際の椅子に座って、編み続けている小さなレース飾りを手渡す。
「これは、ほんの少しなんですけど、食べ物のお礼です。いつもおいしいパンをありがとうございます」
リリーアがにっこり笑って差し出せば、それまで険しい表情だった女性たちの頬も緩む。
天使のような笑顔は、何も男性に限ってだけ威力を発揮するものではない。
「あら……まあ……」
レース飾りは、リリーアが倒れていた時に羽織っていたショールの糸を解いて、自ら編み直したものだ。
指だけで器用に編んだ模様はなかなか複雑で、元の素材の良さも相まって、とても品のある良い品に見える。
目的の物をあっさり取り戻せたばかりか、おもわぬ土産までもらって、女性たちは小屋へ入って来た時とは別人のような上機嫌で、リリーアに声をかけて帰っていく。
「まあ……何か困ったことがあったら、遠慮なくうちの人を使っていいから……」
「うちも……必要な物があったら、旦那に届けさせるから……じゃあね」
「ありがとうございます!」
とびきりの笑顔で女性たちを見送りながら、リリーアはほっと胸を撫でおろした。