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城の最奥にあるというコンスタンツェ姫用の客間へ向かいながら、フィオレンツィオとドナテーノは小声で会話を交わす。
「いったい何をお考えなのでしょう? あの腹黒王子の考えていることだけは、私には昔からさっぱりわかりません」
「言葉が過ぎるぞ、ドナテーノ! アルは俺たちの主君だ、ちゃんと敬え! とは言え、俺にもわからない……なぜ急にあんなことを言い出したのか……」
「あの……」
アルノルト王子の言動のどの部分について二人は語っているのだろうかと、リリーアが呼びかけてみると、フィオレンツィオが困った顔で説明してくれる。
「婚約者といっても、国同士の結びつきを強くするための結婚で、アルはコンスタンツェ様に無関心だった。お相手は俺に任せきりだったし、二人だけになることもない。ましてや部屋を訪問したことなど、これまでに一度もない」
「そうだったんですか?」
「だからきみに、簡単に身代わりなんて頼んだんだが……」
困ったように腕を組みながら歩くフィオレンツィオを、リリーアは追いかける。
「普通に考えたら、どうして突然いなくなったのか、理由をお尋ねになるんでしょうね……それはまあ、当然でしょうから、明日お茶の時間にでも、ちゃんと説明できるような言い訳を作っていましたが……夜に婚約者の部屋を訪れるような意味深な状況には、どう対応するかなんて考えていませんでした」
ドナテーノも顎に指を当てて、考え込むようなポーズをしながら、ぶつぶつ言っている。
「俺もだ……あいつ……何のつもりだ?」
「まさか……」
「いやいやいや……冗談じゃない、やめてくれ」
話しながら何度か階段を上り、長い廊下を抜けて中庭を通り、三人は城のかなり奥まった場所へ到達する。
東に面した、いかにも高級そうな装飾の施された扉の前で、フィオレンツィオとドナテーノが足を止めたので、リリーアも彼らに並んだ。
「とにかく……まずは第一の関門だ……頼んだぞ、ドナテーノ」
「お任せください」
ドナテーノが胸に手を当てて、恭しく頭を下げてみせると、フィオレンツィオは分厚いその扉を叩いた。
中からすぐに、若い女性の声が返ってくる。
「どなたですか?」
「俺だ。フィオレンツィオ・ウィルフィールド・エッシェンバッハだ」
「エッシェンバッハ卿!? じゃあ、姫様が見つかったのですか????」
すさまじい叫びと共に、扉が何の前触れもなくばーんと全開に開かれた。
フィオレンツィオがとっさにリリーアの手を引いて後ろに下がらせてくれたが、そうされる前にリリーアはすでに後退っていた。
なぜだかそうしなければならない気がしたからだ。
「あああ! 姫様あああああ!」
リリーアの姿を一目見るなり、部屋から全力で駆け出してきたのは、リリーアよりは背の高い、黒髪の奇麗な若い女性だ。
飛びつくように抱き着くと、有無を言わさずに胸に抱きこみ、大きな声で泣き叫び始める。
「心配しましたあああ! こんな、みすぼらしい格好になってええええ! デモネイラの妖精と呼ばれる美貌がああああ!」
耳元で叫ばれるのはうるさいが、リリーアは不思議とそれほど苦痛ではない。
ぎゅうぎゅうと自分を抱きしめてくる女性の背を、宥めるようにとんとんと叩く。
「マルグリット嬢……あまり力を入れると、自慢の怪力で、大切な姫様をへし折ってしまいますよ?」
ドナテーノが呼びかけたので、女性の名前はマルグリットというのだと、胸に刻んだ。
「うるさい! この無能騎士!」
マルグリットと呼ばれた女性は、涙に濡れた翠色の瞳で、ドナテーノをきりっと睨みつける。
「何が、『最高のおもてなしをいたします』よ……この城にいれば絶対に安全だからって、デモネイラからついて来た侍女たちを、私以外全員追い返したくせに、まさか、姫様が行方知れずになるなんて……! この詐欺師! 訴えてやる!」
叫び続けるマルグリットに、ドナテーノはうるさそうに眉をしかめながら、まあまあと手でいなしているが、隣にいたフィオレンツィオがさっと前に進み出て、深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ない、俺の責任だ」
「ひいいい」
マルグリットはおかしな声を上げて、フィオレンツィオに向かってぶんぶん手を振る。
「エッシェンバッハ卿のせいではありません! 絶対に違います! 卿は、姫様に本当によくしてくださいます! 慣れない土地で戸惑う姫様に、親身になって……」
言いながら、ぎゅうぎゅうとリリーアを抱きしめる。
「悪いのは、その男です! 口ばっかりで、適当な!」
「はいはい」
ドナテーノは適当に相槌を打つと、自分の悪口を言い続けるマルグリットを、しれっと手招いた。
「私のことはなんでもいいですから、まずはお湯を沸かしましょう……姫君に湯浴みをさせてさしあげたいでしょう? いつものように、水は私が運んで来ますから……」
「あ……」
自分の腕の中にいるリリーアの白い頬が、うっすらと汚れていることを改めて見直し、マルグリットはようやく拘束の腕を解いてくれた。
「あ、あなたが運ぶのは当然です! それをするはずの小間使いも、国へ帰るように命じたのですから!」
「それを言ったのは、私ではなくアルノルト殿下ですけれどね」
「主君のしたことは、部下のしたことと同じです!」
「はいはい」
二人が連れ立って、扉の傍から部屋の奥へ移動し、更に続き間へと姿を消すと、フィオレンツィオがリリーアに近づいた。
「時間がない。大切なことだけ確認しておく」
「はい」
いつになく真剣な顔の彼に、リリーアも神妙な面持ちで頷く。
「アルが後でここへ来るのに、俺も護衛の名目でついてくる。アルが部屋へ入ったら、マルグリットは隣の部屋へ引っ込むだろうが……心配するな。扉の向こうには俺がいる」
「あ……はい!」
いったいどうしたらいいのだろうかと、迷うばかりの緊急事態だが、フィオレンツィオも控えてくれているのなら心強い。
リリーアは歯切れよく返事する。
「アルとコンスタンツェ姫は、個人的な会話をしたことがほぼないから、聞かれたことに常識の範囲内で答えてくれれば、それでいい。姫らしくということさえ忘れなければ、返答によってニセモノじゃないかと怪しまれることはないと思う。それから……」
そこで何か言い難そうに、フィオレンツィオはいったん口を閉じる。
迷っているふうだが、ドナテーノとマルグリットが賑やかに何かを言いあいながら、お湯の準備をしているらしい隣の部屋へちらりと視線を向け、観念したように目を閉じた。
「もし何かされそうになったら、遠慮なくアルを殴っていい。結婚前に不埒です!とかなんとか、大きな声で騒いでくれたら、護衛にかこつけて俺が踏み入ってくる。絶対に助けるから……」
(何かされそうに!?)
リリーアは驚きのあまり手で口を覆ったが、フィオレンツィオが本当に困ったようにあちらこちらと視線をさまよわせるので、気の毒になる。
「わかりました。もしそういうことがあったら……迷わず殴ります!」
「――――!」
そのきっぱりとした宣言に、フィオレンツィオの頬が綻ぶ。
「ああ、構わずそうしてくれ」
リリーアの顔を覗き込むように膝を屈めて、目線を合わせて笑みを深くし、軽く頭を叩いて、隣の部屋へと向かった。
「――――!」
その表情と仕草に、リリーアの心臓はどきどきと大きく脈打った。