乖離現象
「なんだっ!」「キャー。」「うぉー。」
突然ダンジョンに地響きが轟く。
鉱石が発していた明かりが消え、暗闇に包まれたダンジョンが突如として揺れ始めた。
僕は恐怖に震えた。
足元の地面が不安定になり、地響きから、壁が崩れ落ちるような音に切り替わる。だが僕が絶望したのは、これらの事が原因ではない。
ダンジョンに潜む何か恐ろしいものの気配に背筋が凍りつき、戦慄が走ったのだ。
何かの前触れなのか。
僕は一つだけ確信していた。このダンジョンは、何か邪悪なものによって支配されている。すぐに逃げないと取り返しのつかない事になる。
「すみません。……すぐに脱出した方が良い。何かいます。……僕には耐えきれません。」
「ジョイ君。大袈裟だな。明かりは消えたけど一時的なものだったみたいだ。ほら。照明がついただろう。大丈夫。ただの地震だよ。」
「……進むしかないな。あの気配は入口の方から来ている。」
「不死者君も何か感じているのか。ドンキー何かいるのか?」
「サイゼさん。俺のレベルだと違和感を感じるのは近くにある罠だけなのは知ってますよね?」
「不死者君は入口が危険だと言っている。それなら予定通り先に進もう。」
階段を降り僕達がダンジョンの地下2階に行くと、知らないソロらしき冒険者がこちらを見て不機嫌そうにしている。
「……? 今日、このダンジョンに挑戦しているのは、俺だけのはずだが。お前らギルドに登録をしていないのか?」
サイゼさんが答える。
「ギルドに報告はしていますが、そもそもランクの低いダンジョンにそういった規則はありませんよ。ニブルヘイムじゃあるまいし。」
「あ? あんた何を言っているんだ。ここはニブルヘイム国のダンジョンだ。それに中でバッティングする事が有り得ないのは、ここが昇格試験用のソロダンジョンだからだ。」
「……頭がおかしいのですか? ここはユートピア王国ですよ。」「なんだこの人?」「何を言っているの?」
僕達と知らないソロ冒険者の間で話が食い違う。もちろん僕もユートピア王国から来たので、この冒険者がおかしい事を言っているのは知っている。だが違和感が残る。サイゼさんが嘘を言っていないと同じように、相手からも本気が伝わってくる。
暫しの沈黙の後で別のパーティーがやってくる。ソロ冒険者が今度は少し安心したように、そのパーティーに言った。
「またか。念の為に聞くがお前らはニブルヘイム国の者だよな?」
どうやらソロ冒険者は自分だけおかしい事を言っているような空気感に耐えられなかったようだ。だが別のパーティーの人達はそれを聞いて驚いている。
「……え? 私達はデストピア王国のダンジョンに挑んでいます。」
それを聞くとソロ冒険者は深刻な顔で悩んでいる。
「……それぞれが別の国のダンジョンに挑み。ダンジョンの中で合流したという話か。……それに先程の揺れとダンジョンの変異……まずいぞ。これは乖離現象だ。」
「……っ!」
僕達の代表者であるサイゼさんが、ソロ冒険者の言葉に驚いている。僕はダンジョンの変異と聞いて、先程少し気になった点を呟いていた。
「……変化してます。ダンジョン内の明かり。鉱石から漏れる光で照らされていたのに、あの時から不気味な照明に変わっていた……。」
「……本当かジョイ君。たしかに、これは乖離現象の可能性がありますね。」
「……なんですかそれ?」
僕と同じようにその現象というのを知らない新しいパーティーの代表者が質問する。ソロ冒険者がその質問に答えた。
「元々ダンジョンは、突然出現したりするものだ。ガイアにはなかった別の空間から来たとも言われている。そして、強いダンジョンモンスターを求める魔竜は、ダンジョンと自分が隠れ住む別次元の迷宮とを繋ぐ事がある。次元の歪みや、その影響が蓄積するとイレギュラーにダンジョン同士が繋がったり、または、1つのダンジョンが2つに別れたりするんだ。それらを総じて乖離現象と呼ぶ。」
「……この状況を乖離とは言わない気がします。単にダンジョンがくっついただけではありませんか。ひとまず出口を探して脱出すれば解決しますよね。」
「いいや。だからまずいんだよ。少なくとも3つの国にあったダンジョンが結びついた。統合型の方の乖離現象は、統合した分だけダンジョンの格が上がるんだ。強化されたモンスターがいては出口を探すのも一苦労だぞ。」
そこにまた別の冒険者達が現れた。
「良かった。別の攻略班がいたのですね。さっきの揺れはなんなんですか? 僕達、ダンジョン攻略は初心者なので本当に焦りましたよ。」
「お前らはどこの国のダンジョンに入った?」
「どこっておかしな事を言いますね。ハインリッヒ王国に決まってるじゃないですか。」
これで少なくとも4つの統合。乖離現象の話とあの恐ろしい気配の事を考えれば、ただの地震より4つのダンジョンが統合しダンジョンが強化されたと言われた方が腑に落ちる。
「乖離現象というらしいわ。みんな別々の国からこのダンジョンに入ったのよ。」
ソロの冒険者が何かに気づいた。
「……おかしい。ダンジョンは何日もかけて挑むような広大なものがほとんどだ。乖離現象とはいえ、なぜ、ひとつの場所にこれだけの人が集まる。お前らがいたダンジョンは、複数のパーティーが挑むような人気の高いダンジョンなのか?」
「ギルドに報告した時点では、今日、このダンジョンを攻略しているのは私達だけです。」
「同じく。私達は戦闘職には人気のない鉱石の採掘がメインのダンジョンにいたの。」
「初心者が最初に挑むダンジョンなので、本来なら私達以外いないはずです。」
「……やはりそうか。ひとまずこれは乖離現象だと断定しよう。しかし、広大なダンジョンの中で、なぜ同じ階層の同じ場所にこうして集まるんだ。各ダンジョンには、それぞれ1組しか挑んでいないんだぞ。…………不自然ではないか?」
「……そうですね。たしかにおかしい。私も無意識のうちにこの場所を……っ!」
僕らは沈黙した。というより動けなかった。全身の毛穴から汗が吹き出し、身体が硬直する。
「……さて20人か、人数が足りないな。……おや? レアものが二人もいるじゃないか。それで足りるか。運が良い。おいゴミ共。余の言葉を聞け。」
見たこともない漆黒の人型モンスター。しかし、ダンジョンのモンスターなどとは次元が違う。僕にでも分かる。それが、絶対に対立してはいけない存在だという事を。
全員がその恐ろしい存在の前に立ち尽くし、絶望の淵に沈んだ。その存在は圧倒的な畏怖を感じさせた。鉢合わせた時に感じた、冒険者達の勇気と自信は消え去り、無力だけが身を覆った。
思い知らされた。
モンスターを狩る事を生業としている僕達冒険者でも
圧倒的な捕食者の前では、恐れに囚われた餌に過ぎないのだという事を。
そんな僕達の姿を見て空気の読めない不死者様が笑っている。
「クスクス。蛇に睨まれたカエルかよ。……なあモンスターが喋ってるぞ。」
あれだけ無視してたのに、こんな時に何故僕に話しかけるの。やめて下さい。ほらこっち見てる。注目されちゃったよ。
しかし、次の言葉でモンスターの注意が逸れる事になる。
「言語知識のあるモンスターは、それだけ上位の個体であるという事だ。念の為に聞くがお前等パーティーのランクは?」
不死者が口にした言葉で、ソロ冒険者がその場を仕切り始めたのだ。冒険者達の中でこの人とサイゼさんの力が、頭一つ抜けている事は僕も感じていた。
恐怖しながらも、それぞれのパーティーの代表者がそれに答えた。
「C」「D」「C」
「単独で行動をしていた俺が1番ランクが高いな。……それなら、やはり相手にもならないだろう。おそらく敵はSランクの領域にいる。……逃げるぞ。討伐は無理でも逃げる為の戦いならなんとかな――」
切断されたソロ冒険者の首が空中に舞う。
得体の知れないモンスターの存在は、もう深層心理で感じていた漠然とした恐怖ではない。僕達の心を支配した死の影が、より明確になって心に侵食した。
僕は無力感に囚われながら、次なる攻撃を恐れて立ち尽くした。
「――逃げる為の戦いがなんだって? ゴミが王の話に勝手に割り込むな。先程の疑問に答えてやる。ダンジョンの変異も、お前らをここに集めたのも余の意思だ。」
冒険者達の中でサイゼさんだけが冷静だった。
「言葉が理解出来るなら交渉しよう。どうか落ち着いてくれ。その前にあなたはこれ程の事を、作為的ににやったと言うのか? ……ただの魔物じゃないのか??」
「黙れ。話すのは余だ。よもやそのような下賎な魔物と一緒にされるとはな。余は王だ。あえてお前達人間の言葉を使うなら魔王であろう。当然、交渉の余地は無い。」
「……そんな。」
「絶望するが良い。これから、お前達にはこのダンジョンの中で死んでもらう。」
そう言うと魔王は笑った。
何かのスキル、または錯覚なのかもしない。僕はその狂気の笑顔を見て、たしかに美しいと感じていたんだ。




