悲劇に産み落とされた才能
「椎名監督。はじめまして。西園寺陽菜です。青木棘の紹介で参りました。」
「陽菜ちゃーん。はじめまして。しかし、驚いたよ。まさか本当に引き受けてくれるとはね。これだけテレビの仕事を断っているのに、今回出演してくれるのは何か理由があるのかい? 青木君の頼みだからかな?」
「おっしゃる通り、今までテレビの仕事は断っていましたが……この作品が好きなので、是非出演したいと思いました。」
「そうか。本当にありがたいよ。……でも……実は返事を貰ってから、原作者やスポンサーにこの事を話したんだ。そしたら、いくら名前が売れていて、話題性や集客が見込めたとしても、この作品を演技をした事のない素人に任せる訳にはいかないと言われてしまってね。それだけ、この作品は愛されているんだ。しかし、俺もどうしても陽菜ちゃんを使いたいから食い下がったんだよ。」
「……はい。」
「条件として上がったのが、劇団ツキカゼの舞台で一度演じてみる事。泣く子も黙る演技の鬼爺、を納得させる演技であったら合格という。無理だよな? 新人女優があの爺さんを納得させられるわけがない。」
「やります。やらせて下さい。」
「え? 寺本次郎だよ? めちゃくちゃ乱暴で、理不尽とも取れる演技指導をする。」
「ですが、彼の指導は全てが本物の演技に繋がる。人を感動させる鬼ですよね。……望む所です。」
「分かった。そう言ってくれるならこの話を進めよう。」
――私は西園寺陽菜。
『転生した悪役令嬢は、大魔王を蹂躙する。』これは彼がとても大好きなアニメ化もされたラノベ小説である。私は彼の前でだけは素直になれない。プライドの高いとても嫌な自分が憑依する。
棘からこのドラマのヒロインに誘われていたという事実を聞かされた時、私は胸が高鳴った。こじらせすぎて今や伝えられないこの想い。ヒロインの役として、間接的に彼に伝えれば良いのではないかという事だ。普段はテレビも見ないであろう彼も、このドラマだけは絶対に見る。
あとは彼に対する本心はドラマの中にあるのと伝えれば良い。ストーリーと役柄を知っている人からすれば、その時点で告白をしているようなものけど、それでバレても別に問題はない。それに私の真剣さを演技にのせれば、彼の心にちゃんと届くかもしれない。
しかし、ヒロインの座をゲットする為、私には試練が与えられた。演技を知らない私でも知っている天才。鬼の演出家、寺本次郎さんを納得させなければならないというのだ。私の一世一代の告白は、これを逃せば一生出来ないかもしれない。
私は彼の前では性格が悪くなる。好き過ぎて、好きだと思われるような態度は全てが真逆になる。彼は私を不愛想で怖い女だとでも思っているだろう。私がこのまま本心を伝えられないまま、王子様は他のかわいい女の子と結ばれてしまうかもしれない。それだけは死んでも嫌だ。振られるにしてもこの気持ちは絶対に伝えたい。
だからこそ私は寺本次郎さんを納得させる演技をしなければならない。――
***
「帰りなっ。ワシから断っておいてやる。新人がワシに指導してもらうなんて百年はぇーわ。」
「帰りません。やらせて下さい。」
「うるせー。帰れって言っているだろうがっ!」
「帰りません。チャンスを下さい。私は次郎さんに認めて貰う為だけにここにいます。」
「ふんっ。だったら、あいつらのいる場所にとっとと並べ。言っておくが、舞台に上がるなら新人だの逃げの文句は一切言わせてやらねーぞ。今からお前はプロだ。プロらしく気合入れろ。おい、マリはどうしたんだ? この時間になっても来ないのは初めてだぞ。」
「すみません。連絡が取れなくて。」
舞台の名前は『天女と少年』。私の役はエキストラにも等しい端役だった。しかも、今回限りの新たに追加された村人Aの役。
「ふざけんなっ。おままごとじゃねーんだよっ! しっかりやれっ!!」
「はいっ。すみません。」
私はその役が演じられなかった。村人Aはシーンの変わり目に村人Bと世間話をするだけの小さい役。そこには感情もなく、どんな演技をすれば正解なのかも私には分からなかった。
「貴様っ! なめてんのかっ!」
「すみませんっ!」
「全然違うっ! 役者なめんなよっ!」
演技が次のシーンに移ると村人Bの役者である小池貴志さんが、自分が罵倒された事も気にせずに私をフォローしてくれた。彼もまたスポンサーに指摘され試練を盛り超える為に来たらしい。
「陽菜ちゃん。あんなパワハラジジイの言う事なんか気にするなよ。それより、帰りに一緒に……。」
「バカモノ! ここは演技をする為の神聖な場所だぞ。くっちゃべってるんじゃな――」
その時、舞台のスタッフが大慌てで現場に入って来る。
「――大変です。主演の小冷マリさんが、事故で入院しました。」
これは大事だ。監督がしかめっ面をして考え込んでいる。
「……まずいな。公演は明日だぞ。…………誰かヒロインの役が出来るものはいるか? 仕方ない。徹夜で演技指導をして――」
この舞台の主演女優が交通事故にあう。しかし、舞台の公演は明日に控えている。次郎さんは急遽、代役を立てる方向に思案をしていた。
「「やらせて下さい」」
ヒロインに名乗り出たのは二人だった。一人は五年間で脇役をやり続けた舞台女優。
そして、もう一人は私だ。
私は予習を兼ねて映像で一度この舞台を見て来た。急遽出来た端役とは違って、ヒロインの言葉や気持ちは全てを覚えている。
「はっ? 美奈は分かるが、お前はこの舞台を見た事があるのか?」
「監督の家で、昨日一度だけ映像になっているものを拝見しました。」
「ふんっ。この複雑な演技を求められる作品をたった一度だけで理解出来るものか。まして、お前は村人Aさえまともに……まあいい。一人ずつ演技をしてみろ。美奈。お前は五年目だったな。ここで学んだもの全てを出しきって演じてみろ。間違っても演技も出来ない新人に負けるなよ。冒頭のセリフからだ。」
美奈さんの演技はとても素晴らしいものだった。さすがに五年間、次郎さんの下で演技を学んだというだけの事はあった。昨日の映像にあったヒロインには負けるが、美奈さんの天女には少し違った良さがある。
次は私の番。
実は昨日の映像には少しだけ違和感があった。それは主演女優の演技の方向と役柄の間に些細な気持ちのズレがあるのではないかという疑問だった。月に帰る天女は、常にお爺さんやお婆さんだけを想っていた。それがこの舞台の共通認識だと思う。
しかし、家族の為に無下にあしらう少年の事を本当は天女も愛していたのではないかという疑問。その気持ちがあるのとないのでは、全ての言葉の意味が180度変わってくる。そして、真に意味があると思えるセリフになるのは、そこに私の仮説を当てはめた時だけになる。
月に行かねばならぬ自分を今後の人生で少年が想わぬよう、天女は遠ざけていた事になる。
その愛する気持ちは、深く悲しい。
――私が他人の気持ちを深く考えるようになったのは、生まれ育った環境にある。
政治家の娘として生まれ、すぐに母親を亡くし、私は継母に育てられた。父親は家族よりも選挙を大切にしていて、子育ては継母に任せきりだった。継母は父との間に出来た実の娘だけを可愛がり、私は召使のように厳しい環境で育てられた。自然と他人の顔色を窺うような子供に育った。毎日辛い生活の中で、私は妹のように愛されて育だったらどんなに幸せなのかと妄想をしていた。それから妹の考える事を事細かに分析するようになる。
そんなある日、妹からの学びを終えた私は継母に妹の役を演じてみた。それで少しだけ辛い日々が緩和された気がした。私に関心のない父親に対しては継母のような演技をすると、そこから小遣いが貰えるようになった。それで味をしめた私は学校ではテレビで見た面白いタレントの演技をしたり、誰かの演技をする事が習慣になっていった。
だが、成績も優秀で人気もあるという事で女子のリーダーに嫉妬をされてしまった。それからは、自然と虐められるようになり、周りからは孤立していった。そこからの私は、誰にも見て貰えない演技を封印したが、ひたすらに他人の事を観察したり分析をするようになった。
それらの感情を元に、私を救ってくれたあの人にだけ、気持ちのない冷たい態度の演技をしている。――
私は映像で見た天女とは少しだけ異なる演技を披露した。
演技は物語のクライマックスに差し掛かった。
「しつこいです。どうか諦めて下さい。私は月に帰らなくてはならないのです。私が心配なのは家族の事だけ、この先あなたがどうなろうと私には一切関係ありません。」
「それでもおらはあんたが好きだ。あんたの為ならおら死んでも良い。」
「勝手に……死になさい。でも、ここにはもう二度と来ないで。まぬけな少年。あんたなんか大嫌いよ。」
――寺本次郎は泣いていた。
「良いか次郎。大切なのはこの二つだ。本当の意味で役柄の想いを理解した時、そして、その想いを本物の役者が表現した時、その感情は客に伝染するまでの迫力となる。俺の客はストーリーを見に来るんじゃない。キャラクターの感情を体験する為に、俺の舞台に足を運ぶんだ。」
師から学び、自分がどれだけ悪戦苦闘しても届かなかった場所。その頂きに西園寺陽菜がいた。手振り身振りは見せ方として粗削りの部分は多いが、体感やリズム運動神経の良さがそれを補っている。驚くべきは儂の心に天女の感情が突き刺さった事の方だ。悲しい愛の言葉が伝染し、儂は自然と涙が溢れていた。――
本郷美奈は、身震いしていた。それは、今まで見て来た劇団ツキカゼのどの時代の『天女と少年』とも違う。だが、確実にこれが正解なのだと感じていた。お爺さんとお婆さんの事を想い、少年や貴族を騙す悪女。美奈はその痛快なシンデレラストーリーと血の繋がらない家族の絆がテーマの作品だと思っていた。しかしこの作者が伝えようとしていた事はまったく違うのかも知れない。何も持たない少年のただただ純粋な愛を切り捨てたのではなく、その裏には少年を想う気持ちがあった。そう考えるといくつかの言葉に急激に別の意味が生まれる。そして、とても悲しく儚い叶わぬ恋のストーリーに変わるのだ。何よりも少年はタイトルにもある重要キャラだ。ただのまぬけで面白い事をするだけのポジションではない。
小池貴志は、過去の人気作に自惚れていた。周りからチヤホヤされ天下でも取ったかのような気持ちになっていた。だが陽菜の演技を見て、はたして、自分の言葉にはこれだけの迫力があるのかと疑問に思う。自分は演じていたのではない。セリフをいうだけの人形のようだったと悟ってしまった。小池貴志はこれから、過去栄光を捨てる事になる。陽菜と演じるはずだったドラマも辞退し、寺本次郎の下で一から演技の勉強をし直そうと決心した。小池貴志はその後日本を代表する本物の俳優になる。過去の作品を自身の黒歴史だと酷評する程に大躍進を遂げる事になる。全てはこの西園寺陽菜の演技がその原点になった。
「西園寺陽菜。本当にこれは一度見ただけの演技なのか?」
「はい。監督の家で見せて貰っただけです。」
―― こいつ。一度見ただけでセリフや役者の動きを正確に記憶したというのか。
だが驚くべきはその記憶力だけではない。儂はこの作品の本質を見誤っていた。だからこそ、最初は型破りな演じ方に強烈なインパクトがあった。しかし、終わってみればそれが正解で本来あるべき姿だという事を思い知った。
儂よりも彼女の方が役柄の気持ちを細かく分析しそれを深く理解していた。そして、まるで憑依でもしたかのように、役柄を肉体に降ろし正しく表現出来る才能。天性のカリスマで注目を集めるのはまず間違いない。そこに、かすれた声が良いアクセントとなり、彼女の感情の機微は、見た者がそれを体験したかのような没入感で見入ってしまうだろう。まさしく、役者になる為に生まれてきた天賦の才ではないのか。 ――
「西園寺陽菜。お前が天女だ。覚悟しろ。徹夜になるぞ。」
「ありがとうございます。次郎さん。私、精一杯頑張らせて頂きます。」
この瞬間私は、舞台の主演だけでなく、ドラマのヒロインになる資格を手に入れた。




