とある芸能人の日常
≪ 一年前 ≫
「おっ。蓮。このX見ろよ? この近くで西園寺陽菜が撮影をしているらしいぞ。」
「マジかよっ! 蒼。陽菜様だとっ!! ナイス情報。見に行こうぜ。」
***
「分かれるなんて嫌よ。私の事を愛してるって言ったじゃない。あなたがそんな嘘を言うわけない。」
「いや。嘘だよ。頼むから俺の前から消えてくれ。その顔を見る事も苦痛なんだよ。お前の事は一ミリだって好きじゃないんだ。」
「……分かったわ。でも目の前からなんて、言わずにこの世から消えていなくなるわ。生きていても意味がないもの。」
私は歩道橋から身を乗り出した。下を見るとたくさんの車が走っていた。貴志が私にしがみついてそれを止めようとしている。
「やめろっ。愛しているに決まっているだろっ。でも、このままじゃいけないんだ。俺が社長の娘と結婚しなければ、実家の稼業が潰されてしまう。」
「ほらね。やっぱり。あなたを信じてたもの。……でも……別れましょう。お互いに愛しあったまま、私はあなたを諦める。茂一。幸せになってね。」
「カッーット。」
監督の合図で現実に戻った。同時に私は小池貴志を睨む。私はこの軽薄で小物な俳優が嫌いなのだ。こうして現実に戻ると触られる事に少し苛立っていた。
私は青木棘。小さな芸能事務所に所属している新進気鋭の女優だ。世間では次に来る若手のホープとして期待されている。
「何が信じてたなのよ。なら自殺すんなっ。」
「なんでコッチを睨むんだよ。それはお前の役だろうがっ。そんな事よりいい加減、陽菜ちゃんの連絡先を教えてくれよ。」
その言葉に更に苛つく。少し前に流行った落ち目の芸能人の分際で調子に乗るなよ。
「だからその件は諦めろって言ったろ。殺すぞ? 陽菜様をお前なんかに渡すわけないだろ。」
だが小池は、子役時代からこの業界で生き抜いてきただけあってさすがに面の皮が厚いようだ。まったく怯まずにむしろ勢いを増した。
「トップ俳優のこの俺様が、わざわざこんなドラマを引き受けたのは、お前を通して陽菜ちゃんと繋がりたいと思ったからだ。それに、このドラマがヒットしたら、お前は俺様に借りが出来るんだぞ。今から降板したって良いんだぞ?」
誰がトップ俳優だ。たまたま人気作品に出演出来ただけの凡人だろ。それにしても勘違いがやばいな。
「棘ちゃーん。応援してまーす。大ファンです。」
「ありがとうっ。これからも応援してね。」
私の言葉でファンが悶絶している。やはり今の話題性や人気は私の方がだいぶ上位にある。いつもこんな感じなのだが、貴志はなんでファンの温度差に気付かないかな。お前を応援しているファンを見た事がないぞ。
「勝手にしろ。私にとってお前の代役はいくらでもいるけど、陽菜様の代役はいない。」
「くそっ。せめて共演が出来れば。なんで陽菜ちゃんはCMやドラマには一切出ないんだよ。あれだけメディアにも取り上げられて、テレビではどこの局も争奪戦になってるんだぞ。それなのに、たかが雑誌のモデルだけを引き受ける美少女格闘家。謎過ぎるだろ。」
こいつの言う事は分かる。私も陽菜様には、もっともっと活躍して欲しい。陽菜様の器ならきっと日本のトップ女優にもなれるはずなんだ。それなのに......あいつのせいで。
「その事を私に聞かれても困る。……認めたくないんだ。」
「何を認めたくないんだ?」
「知るかっ!? しばくぞっ!!」
「おーこわ。」
ドラマを撮影していた監督がVTRのチェックを終え、私に声を掛けた。
「お疲れ様。今日の撮影は終わりだよ。ところで、棘ちゃん。そろそろ、西園寺陽菜ちゃんの事を俺に紹介してくれないかな? 次のドラマは必ずヒットする予定なんだけど、陽菜ちゃんがヒロインにぴった――」
「お前もかっ!」
「良いじゃないか。陽菜ちゃんは棘ちゃんの事務所の後輩なんでしょ?」
「後輩だけど後輩じゃない。私にとっては世界で一番大切なお姉様なんだ。……仕方ないな。監督に陽菜様の言葉を伝えてやる。『テレビとか無理ー。』だそうだ。以上っ。私は大切な用事があるから、終わったのなら、もう帰るからな。」
本当は女優業より、何よりも優先してやりたい事がある。
「どこに行くの?」
「……秘密だ。」
私の生活には、常に私至上最重要の特別任務がある。




