涼家の鎖術
「――ご無事ですか、殿下!」
私が文書殿に戻る頃には、私の落下事件がもう伝わっていたらしい。
使用人たちが心配そうに駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫。えっと、母上は……」
彼女らに伝わっているということは、勿論母上にも伝わっているのだ。恐る恐る尋ねると、みんなが黙って視線を交わす。
「その……湖側妃は、飛び出していこうとなされたので……今はお眠りになっております」
「ご迷惑おかけしました」
代表して檀子女が教えてくれた内容に、思わず謝った。
飛び出していこうとして誰かが強制的に眠らせたんだね? 母上予想以上にアグレッシブだね? 最初の儚げ美女などいなかったのだ。
起きた時に母上がパニックにならないよう、私は彼女の傍についていることにした。
眠らせたのは龍術が得意な守衛らしい。流石に側妃に手刀は出来ないので龍術を使ったとか。
龍術って眠らせることも出来るのか……万能すぎて逆に出来ない事が気になる。
女官たちはバタバタと忙しく動き回っており、傍にいるのは私の御付きの雷だけである。
……言うなら今か。
「えっと、雷に伝言があるんだけど」
「伝言? どなたからです?」
「伝言でわかるはずだから言わなくていい、ということなんですが、その」
「『感覚で覚えられるのは雷と三宮ぐらいだから、今後誰かに教えようとするな』、だそうです」
「………」
雷が固まった。
****
「某の妻には連れ子がいましてな。いや、それほどややこしい話ではなく。最初の妻が病弱で子も無いまま儚くなり、後妻は健康な女性をと思っていた時に、夫が戦死し出戻った彼女を紹介されたのです。一緒に出戻った男子ごと受け入れました。
我が涼家の鎖術は細かな龍力の操作が必要でして、それを教えるのも覚えるのも一苦労のため、一子相伝の術でした。故に某も、後に生まれた実子のほうにのみ教えるつもりでおりました。
ところが、殿下くらいの歳になった頃ですかな、養子が某の鍛錬を見て、キラキラした目で言うのですよ。
『蛇みたいでカッコいいですね、父上!』
――まあ、某も養子を可愛がっておりました故、そこまで純粋な目を向けられると、触り位は教えてやろうと思った訳です。多少の龍術の訓練くらいにはなるだろうと。
そうしましたらば、翌日には鎖を伸ばしておったのです。
養子は天才でした。理論をすっ飛ばして感覚で覚える子供でした。
一か月後には、常に鎖を周囲にユラユラさせている子になりました。……さすがに妻から苦情が来ましたが……しかし、そのおかげで養子は涼家の一員として歓迎されました。
ただ、覚えるのは得意でも、教えるのが不得手とわかったので、結局予定通り家督は弟のほうが継ぐと早々に決まりました。
鎖術が使えるのです、軍に入れば間違いなく出世しますので、そこは心配もしておらんかったのです。
――まあ、数年前に突然辞表を出し、以来行方不明となりましたがな。
息子は涼玄冥。……今もこの名を使っているとは思えませんが。
ああ、妻は未だに『小雷』と呼んでますがね」
****
「………」
「………」
「………」
沈黙が続いた後、雷は頭を抱えた。
私は思わずその背中をポンと叩いた。
後宮勤めの侍官は、後宮に入る前に外との縁を切るのだという。今までの姓も字も捨てるのだとか。もっともそれは形だけで、実際のところ実家と連絡を取り合っている人は珍しくないらしいが。
雷としては、完全に実家から姿をくらましたつもりだったのだろう。
「……もしかして、鎖術が一子相伝だってこと忘れてた……?」
「……はい」
そんなのを私が使ってたら遅かれ早かれバレてたな。
前から思っていたけど、雷はちょっと抜けているところがある。なんだかんだ育ちの良さが見え隠れしているというか。
「ところで、何で侍官やってるの? 左軍所属でしかも隊長格だったんでしょ?」
「……殿下が」
「うん?」
「殿下が、もう少し大人になられましたら、お教えいたします……」
これはあれか、体よくはぐらかそうとしているな?
……よし、聞かれたくないと言うならやめておこう。
慈山は特に何も言っていなかったが、実は弟との間で骨肉の争いしてたとか言われたら今後どんな顔すればいいのかわからないので。
初めから知らなければそんな心配しなくていいからね!
なおこの後、目が覚めた母上に泣かれた。本当にすみません。今後は崖付近には近寄らないと誓った。
玄冥:
玄武の別名。蛇が巻き付いた亀の姿で知られる。この世界では霊獣。玄が使われているが霊獣の名前なので字としてオッケー。




