旗の知らない物語~孫側妃~
久しぶりの投稿で他者視点になります。
ブックマークして下さっていた方、待っていたという方がいらしたら本当にありがとうございます……
一宮様がお戻りになられました、と女官が言う。それに間を置かず、希桂が部屋に入って来た。
「戻りましたぞ、母上」
朗らかに声をかけてくる息子、希桂。刃至が口を出して来なかった為うっかり実家と同じ方針で育ててしまったが、序列一位らしく堂々とした子にはなったので良しとしよう。
「随分と機嫌が良いようだ、一宮殿」
「母上、希桂と呼んでくださいとお願いしましたぞ!」
希桂はそう言いつつ、おもむろに上衣を脱ぎ始めた。
「……希桂、人前で脱ぐのはいかんとわかっているな?」
「勿論! 母上だからこそ気を抜くのです。いや、この色は重苦しくて仕方ない。緑や青のほうが涼やかなのになあ」
単純に色合いのことを言っているのか、それとも地位についての愚痴か。我が息子ながら判断しにくい。
「そうそう機嫌、機嫌ですね。母上には誰にも報告していないのですかな? 霜王妃のこと」
「……今更あの女の醜態が面白いとは思わぬよ」
先ほど終わった穀雨祭。
王と王妃、そして宮たちが揃って出席する席で、霜王妃が早々やらかしたとは聞いた。宮たちが入場した瞬間、見苦しく喚き始めた為すぐに退場させられたらしい。
彼女のそういう、直情的な言動は今に始まったことではない。私が後宮入りした時も、初めは良く突っかかって来たものだ。
まあ、あまりにも面倒くさくて「ならば決着をつけようぞ」と決闘を申し込んだら二度と来なくなったが。それでも醜聞というのは届く。
「次からは母上が代わりに出席するかもしれませんな」
「戦の状況によっては、お前も王の名代になるぞ」
「おっと……それがあったか」
希桂は一瞬嫌そうな表情を浮かべたが、すぐに笑みを戻した。
「しかしまあ、あれだけわかりやすいとむしろ心配になりますな? よほど小陽が嫌いなようで」
「お前の色のことでは無く、か」
「喚き声からすると小陽のことしか目に入らなかったようですが。オレの黒紅には興味が無いようですぞ」
「三宮様はご無事か?」
「ええ。むしろ華やかでしたぞ。見たことない意匠の刺繍がされた礼服を着ておりました。父上が湖側妃に贈ったのかな?」
「アレはそんな気遣いの出来る男ではない」
そんなことが出来るなら、三宮が死にかけるなんてことは起きなかった。
王妃に唆された妾数名が湖側妃を孤立させた一件はまだ記憶に新しい。その話が私に届いた時は、王をぶん殴ってやろうと遠征から帰ってくるのを待ちわびたものだ。
こういう時、後宮内に伝手がないのが悔やまれた。我が実家は四大家と呼ばれているにも関わらず、後宮入りしたのは建国以来私が初めてという筋金入りの武闘派一族である。私とて、最初は羽林軍に入隊していた。後宮での立ち回りなどわかるはずもない。
……孫家に喧嘩を売る愚か者はさすがに存在しなかったから、ただ遠巻きにされただけで実害は無い訳だが、情報収集すら出来なかったのは痛かった。
仕方ないので戻って来た刃至に槍をぶん投げて鬱憤を晴らすだけで終わった。無論避けられた。我が幼馴染殿は王となっても体が鈍らない。喜ばしいやら腹立たしいやら。
まあ、結局三宮が死にかけてしまい、官吏共は大わらわだったようだ。
「三宮様はどのような御子だ?」
「素直な弟ですな。オレが多少引きずっても何も言わなかったですし」
「待て、お前何をしたのだ」
「会場に呼ばれる前に、他の兄弟たちに挨拶をさせてやろうと思ったのですが、小柄でしたので歩幅が合わず、まあ、こう」
「それに何も言わなかったと?」
「周囲は良く観察しているようでしたが、オレには何も言いませんでしたな。そういうものだと思ったのでは?」
「……それは素直ではなく、押しに弱いと言うのではないか?」
「そうですかな? 母上が仰るならそうなのでしょうな」
ため息が出る。散々妾共にいじめられた後だ、もしかしたら図体の大きな希桂に怯えていたのかもしれない。実際の三宮を見ていないので何とも言えないが。
「二宮様も止めなかった、と」
「止めませんでしたな。あまりオレと喋りたくなかったようで。嫌われるようなことをした覚えはないのですがな」
「………」
「それより母上、これから手合わせをお願いできませぬか。体が凝って仕方ないのです」
「……良いでしょう」
「ありがとうございます! 着替えてまいります!」
……長くても二、三年しか共に過ごせないのだ。これだけは先に言っておくべきか。
「希桂、来年までには、その察しの悪いフリはやめよ。むしろ疑心を抱かせるぞ」
希桂はパチパチと瞬きをし――そして笑った。
その表情は、座学をサボっているところを白永に見つかった時の刃至によく似ていると思った。
黒紅:
赤みがかった紫黒色。




