カット1
彼女に会いに行く。そう決心した僕の作戦は単純すぎて、作戦と呼ぶに相応しくないものだった。作戦は、まず彼女の存在を確認するところから始まる。彼女が登校したら給食を通常より一つ多くつくらなければならない。給食が一つ多く作られたなら彼女はいるということだ。彼女がいると確認できたら、昼休みに保健室に勝手に入る。たった、それだけだ。
一昨日、給食は通常通りつくられた。昨日、通常通りつくられた。僕は彼女がそろそろ来てもいい頃だと踏んだ。そして今日の給食。一つ多くつくられた。僕の予想は的中した。だが僕は正直に嬉しい気持ちになれなかった。給食が一つ余分につくられたとき、僕は心のどこかで給食が通常通りにつくられることを願っていた。いつかいつかと遠回しにして、思い出にしがみついたままの自分。そんな自分が、いざとなったとき現れてしまった。だが、僕は決心を曲げる気はなかった。元々、ダメ元なんだと自分に言い聞かせて、保健室に向かった。
僕は保健室の前に三分は立っている。扉は手を伸ばせば届く範囲にある。その、ほんの三十センチの距離が物凄く遠くに感じられた。さっきから僕の頭の中は議論中だ。また機会はあると誰か言う。心の準備ができてないと誰か言う。シュミレーションをし直すべきという意見もある。段々と昼休みは過ぎていく。もう十分くらいしか時間はない。引き返すべきだろうか。僕の頭の中の議会に鶴の一声が聞こえた。「間違って入ってしまった演技をしよう。」タイムリミット、決心。もう心の中はメチャクチャだ。もう、知らない。どうなってもいい。自分自身のことなのに、どこか他人事のように思えた。正確に言えば、自暴自棄だった。扉に手をかけ、自然に、流動体のような動作で開けた。
保健室の窓は開いていた。カーテンがなびき、扉を開けた瞬間、僕は風を受けた。彼女は僕に背を向ける形で椅子に座っている。彼女の髪は肩にかかるくらいだ。彼女はゆっくり振り向く。目が合う。何秒見つめあっていただろうか。彼女の口が僅かに動く。
「翔さん・・・・・・・」
僕は何を言っていいのか分からないので
「やぁ・・・・・」とだけ言う。
沈黙。
彼女に僕に対する拒否感が窺えないことを確認する。それから保健室に足を踏み入れる。そして、彼女の向かい側の椅子に座る。
「あの・・・・久しぶり。」
「うん。」
僕はとにかく何でもいいから話しかけてみるが、気まずさは拭えない。彼女は下を向いたままで目を合わせてくれない。彼女の目は右下、左下を行ったり来たりしている。
「あの、」
彼女の声は細く、少し震えている。目線が更に下を向く。
「どうして、来たんですか・・・・」
彼女の声は、耳をよく立てないと聞こえないくらい小さかった。僕はその質問に二年の時が隔てた、彼女との距離を感じた。彼女の性格はもっと明るかったし、僕に対してタメ口だった。彼女は、もう昔の彼女ではない。それは分かりきっていることなのに、受け入れがたい。
「僕は・・・・・」
そこまで言って、敬語で話すか迷う。僕は彼女と昔の関係に戻りたい訳ではない。
二年も合っていないのだから、敬語の方が自然に思えた。いや、彼女が敬語だから僕も合わせた方が良い。
「僕は君に会いに来ました。ほら、もう卒業だから、もう一度合った方が良いと思って・・・・・・」
彼女はそれを聞いて、初めて顔を上げた。唇は結ばれ、目は見開いている。その顔が二年前より大人びていることに今気づいた。
「ありがとう・・・・・」
彼女は絞り出すように言った。そして、泣き出した。その声は次第に大きくなっていき、号泣になった。僕は困った。彼女が泣き止むようにどうにかしようと思ったが、どうすればよいか分からない。「大丈夫?」と声をかけても泣き止まないので、僕はただただ彼女を見ることしか出来なかった。彼女の泣き声は弱まることはなかった。そのとき、扉が勢いよく開けられた。
「どうしたの!美羽さん!」
保健室の先生が飛び込んで来た。
「そうだったの。」
保健室の先生、通称、葉子先生は四十歳くらい(本人は非公開)の少し丸っとした女性である。生徒に定評があり、人気の先生だ。
「てっきり、武田君が美羽さんを泣かしたと思ったわ。」
さっきとは真逆だ。飛び込んで来た直後は鬼の形相で僕を問いただしてきた。彼女が誤解を解いてくれたので良かった。ついでに彼女も泣き止んだので、まぁ何だかんだ良くなった。にしても、あの形相には驚いた。普段との落差があまりにも大きいので、怖さが倍以上になる。今はにこやかな葉子先生だが、笑顔隠された般若を見てしまった以上、僕は身構えてしまう。
「葉子先生、翔さんはそんな人じゃないですよ。」
彼女は、葉子先生と話すときは楽しそうだ。自然と図書室の彼女が浮かんでくる。
「私、嬉しいです。翔さんが来てくれて。」
彼女は目線を下げ、独り言のように続ける。
「もう忘れていると思ってました。だって、勉強とか部活で疎遠になるじゃないですか。解っていても。」
葉子先生も僕も真面目な顔で聞いている。
「だから、こうして会えて嬉しいです。」
彼女は満面の笑みを浮かべている。僕は来て良かった思う。心から。今までの悩んでいたのが今の言葉で報われた気がした。
「もう授業始まるんじゃないの?」
葉子先生が僕の帰りを促してくれる。
「そうですね。ありがとうございました。」
僕は席を立って、扉を開ける。背後から彼女の声がした。
「あの・・・・・・また来てくれますか?迷惑だったら来なくて結構だけど・・・・。もっと話したいです。」
背中で彼女が僕の答えを待っていると感じる。
僕は振り向いて
「はい、また。」と言うと、彼女は顔を綻ばせお辞儀した。
教室に向かう途中、来て良かったと繰り返し思った。そして、胸のつかえがスッと消える感じがした。幾分か体が楽になって、スキップしたりした。




