2話
「さて……格好つけて出てきたのはいいが、どこを探すか……」
──『東の森』。
その名の通り『多種族混合超巨大国家 ヘヴァーナ』の東側にある森である。
「……ゴブリン退治に向かったとか言ってたな……」
そう──リーナが言うには、リーナの父親はゴブリン退治に向かった後、行方不明になったとか。
ジンはその言葉に、違和感を感じていた。
リーナの父親は冒険者。冒険者階級は『白銀級』。
冒険者階級は下から鉱石級、青銅級、赤銅級、白銀級、黄金級、漆黒級となっており、鉱石級と青銅級は下級冒険者、赤銅級と白銀級は中級冒険者、黄金級と漆黒級は上級冒険者に分類される。
リーナの父親は中級冒険者……それが、ゴブリン程度に負ける事なんてあり得るだろうか?
ゴブリンは、下級冒険者でも討伐できるような雑魚モンスターだ。
一般人であっても多少の武器の心得があれば負ける事はなく、武器を使った事のない者でも一対一ならば苦戦はしても負けはしない。
「……何か良からぬ事でも起きたか……?」
言いながら、ジンは森の中をフラフラと歩き──ふと、歩みを止めた。
──地面に、ぽっかりと大きな穴が空いている。
「……マジか……こんな所に『地界の迷宮』だと……?」
──『地界の迷宮』。
それは、魔力濃度の高い場所に発生する大きな穴の事。
『地界の迷宮』の中では、濃密な魔力の影響を受け、ただの石が魔石に、普通の剣が魔剣に、どこにでもある道具が『魔道具』へと変化する。
それを売って金にしようと考える者も多く、一攫千金を狙って『地界の迷宮』に訪れる冒険者も少なくはない。
しかし──忘れてはならない事がある。
魔力の影響を受けるのは、人間やモンスターも同じ。
生身の人間が長時間『地界の迷宮』にいると、魔力酔いに襲われる。
症状としては目眩と吐き気がする程度のため、自分が魔力酔いになっていると気づかない者も多い。
だが──魔力酔いの恐ろしい所は、そのまま放置していると自分がモンスターになってしまう所だろう。
魔力酔いを感じてすぐに地上に出れば問題ないが──症状を無視していると、少しずつ自我が無くなり、やがてモンスターとなるのだ。
そして──濃い魔力の影響を受けたモンスターは、凶悪な魔獣へと変化し、地上のモンスターとは一線を画する力を得るのだ。
『地界の迷宮』の入口となる大きな穴は、魔獣が地上に出た際にできたと言われている。
「……まさか、この中に行ったとかじゃないよな……?」
最悪の事態を想定し、ジンが引き笑いを浮かべる。
……いや、それはないだろう。
『地界の迷宮』を訪れる冒険者は、自分の力を過信しているバカな下級冒険者か、必ず生きて帰る事ができると確信がある上級冒険者だけだ。
自分の力を理解しており、『地界の迷宮』に挑むには力不足だとわかっている中級冒険者は、無防備に『地界の迷宮』に入ったりしない。
「……ここに『地界の迷宮』があるんなら、近くに魔獣がいてもおかしくないな……」
警戒心を深め、ジンは『地界の迷宮』の入口に背を向けて歩き始めた。
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──森の中を歩く事、数時間。
時刻はすっかり昼を過ぎており、そろそろ腹が減ってきた。
朝食を取っていないのも、空腹の原因と考えられる。
「……ん……」
何かを感じ取ったのか、ジンが歩みを止めた。
紅の瞳を細めて辺りを見回し──地面に血痕を見つけ、その場に膝を付いて血痕に触れる。
……乾いているが、まだ新しい。
血痕は森の奥へと続いており──膝に付着した砂を払い、血痕を追い掛ける。
「おっ──見つけたぜ」
血痕は、木の前で終わっていた。
視線を上げると──そこには、木の上で気を失っている男がいた。
「ったく、手間取らせやがって……」
グッと足に力を入れ──ジンが勢いよく跳躍。
音もなく木の上へ着地し、男の体を観察する。
……体の至る所から出血が見られる。
だが、応急手当が良かったのだろう。出血箇所は多いが、命に関わるような大出血は見られない。
さすが『白銀級』の冒険者だな──そんな事を思いながら、ジンはペシペシと男の頬を叩いた。
「──ふ、ぐ……ぅ……?」
「起きたか。いきなりで悪いが質問だ、正直に答えろ。アンタ、リーナって子の父親か?」
「あ、ああ、そうだ」
「そうか。リーナからの依頼で、アンタを連れて帰るよう頼まれてんだ。歩けるか?」
「……歩くのは大丈夫そうだが、ここから降りるのは……」
「ならオレの背中に乗れ。早く」
「……すまない」
男を背負い、木から飛び降りる。
難なく地面に着地し、男を背中から降ろした。
「それで、ゴブリンの討伐に向かったと聞いてたんだが、なんでこんなに傷だらけなんだ?」
「……魔獣に遭遇したんだ。咄嗟に逃げ出したんだが、間に合わなくて……たまたま近くにモンスターがいて、モンスターと魔獣が喧嘩を始めたから、その隙に木の上に隠れたんだ」
「なるほどな……」
さて、ここからどう帰るか──と。
何かを感じ取ったのか──バッと、ジンが森の奥へ視線を向けた。
「……あークソ……どうやら、見つかったみたいだな」
「な、なんだ? どうした?」
ジンが心底面倒臭そうにため息を吐き──ゾクッと、男の背中に寒気が走った。
──ジンの体から、刃物のように鋭く冷たい殺気が放たれている。
その直後──森の奥から、大地を震わせる獣の雄叫びが聞こえた。
「なっ……い、今のは、まさか……?!」
「はぁ……魔獣にもなると、殺気だけじゃビビってくれねぇか」
──バキバキッ……メキメキメキッ……!
ソイツは、木々をへし折りながら現れた。
黒色の肌に、三メートルを超す巨体。体は分厚い筋肉の鎧に覆われており、外見は二足歩行の牛のように見える。
似たようなモンスターに、ミノタウノスというモンスターが存在する。
だが──普通のミノタウノスの肌は、黒色ではなく白色。それに、目の前のソイツほどゴツくもない。
となると、コイツは──
「ミノタウノスが『地界の迷宮』で魔獣化したのか……こりゃまた、面倒な奴が魔獣化しやがったな、クソが」
そう──『地界の迷宮』の魔力の影響を受け、魔獣へと変化したモンスターだ。
「ブモッ──ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンッッ!!」
手に持っていた鉄塊を振り回し、魔獣化ミノタウノスが雄叫びを上げる。
空気を震わせる咆哮に、ジンは乱暴に頭を掻いて舌打ちした。
「チッ……! おいアンタ! そこから動くなよ──」
一瞬、魔獣化ミノタウノスから視線を逸らし、ジンが男に目を向けた。
──その直後だった。
魔獣化ミノタウノスが膝を曲げ、前に飛んだ。
たったそれだけの動作で──ジンの背後に、魔獣化ミノタウノスが現れる。
ジンの身長ほどもある鉄塊を振り上げ──勢いよく振り下ろした。
瞬間──衝撃で地面が爆発し、風圧で木々が根元から吹き飛ばされる。
もうもうと立ち込める砂煙を睨み付け──魔獣化ミノタウノスは不服そうな唸り声を上げた。
「──危ねぇな……おい、大丈夫か?」
背後から、青年の声が聞こえた。
魔獣化ミノタウノスが振り返ると──そこには、男を抱え上げているジンの姿が。
「いいな、ここから動くな。下手に動かれると守れなくなる。つっても、痛みでまともに動けないだろうけどな」
男を下ろし──ジンが魔獣と向かい合う。
──ジンの左腰には、一本の刀がぶら下がってる。だが、ジンは抜こうとしない。
それを挑発と受け取ったのか、魔獣化ミノタウノスが大きく吼え──ジンに飛び掛かる。
対するジンは──腰を落とし、拳を握った。
「ブモォォォォオオオオオオオオオオンンンッッ!!」
瞬く間に距離を詰めた魔獣化ミノタウノスが、大きく鉄塊を振り上げた。
目の前で無防備に立っているジンに、絶殺の一撃が迫り──
ズッッ──ゥウウウンンンッッ!! と、鈍く重々しい打撃音。
鉄塊の音ではない。この音は──
「ブモッ、ォォォ……!」
「……やっぱり、魔獣の相手は素手じゃキツいか」
吹き飛ばされた魔獣化ミノタウノスを正面から見据え、ジンが手首を回して挑発的に笑う。
──鉄塊が振り下ろされる直前に、ジンの拳撃が魔獣化ミノタウノスの腹部を襲った。
その一撃にどれだけの力が込められていたのか──魔獣化ミノタウノスが吹き飛ばされ、痛みに顔を歪めている。
「ブモッ──ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
──魔獣化ミノタウノスの腹部は、まるで鉄板のように固かった。
皮膚はゴムのような弾力があり、正直ダメージが入っているかわからない。
ならば──
「抜くか──『雷切』」
そう言うとジンは、腰に下げていた刀──『雷切』に手を添えた。
黄色の柄を力強く握り、ゆっくりと刀身を引き抜く。
「さて……やるか」
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオガァアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
横薙ぎに迫る鉄塊に対し、ジンは『雷切』を斜めに振り下ろした。
──ゴオッ! と、男の真横を何かが通り抜けていく。
それが斬られた鉄塊の先端部と気づくのに、そう多くの時間は掛からなかった。
「ははっ──おらあッ!」
「ブモッ──?!」
魔獣化ミノタウノスの懐に飛び込み──真上に飛び上がるジンが、ミノタウノスの体を大きく斬り裂いた。
上空で素早く刃を返し、魔獣化ミノタウノスの首を深々と抉り斬る。
重力に従って落ちていく体に回転を加え──魔獣化ミノタウノスの体をズタズタに斬り刻んだ。
この間──僅か二秒未満。
瞬く間に体を斬り刻まれた魔獣化ミノタウノスが、全身から血を噴き出しながら地面に沈み──刀を振って付着した血を払い飛ばし、ジンが『雷切』を鞘に収めた。
「こんなもんか……これ以上魔獣に見つかると面倒だし、早く店に戻るか」
呆然と固まっている男を連れて、ジンは『何でも屋 オルヴェルグ』へと向かった。