「向日葵」作者不明 油彩 2020年作 [2000×3000]
私は大学三年生の一年間、チェーンのパチンコ屋でアルバイトをしていた。
アブナイ客が多い。何かと危険が多いし力仕事も多く大変だが、その代わり私はたった週三回の勤務で月に十二万円を稼いでいた。そのあたりでは「ぼったくり」と呼ばれ、祝日でもどこか閑散とした白い二階建ての建物の中で、山積みに盛られたドル箱に内心舌打ちをしながら客と社員に頭を下げたり、馴染みのやせ細った爺と世間話をしているだけで、月十五万の仕送りと別に多額のバイト代をもらうことができる。
十分すぎるほどの対価にほくほくとしていた当時だが、給料の高さに惹かれてこのアルバイトを選んだことを、社会人になった今酷く後悔している。
自分の耳が聞こえにくいことに気づいたのは、社会人になって、忙しい店内で早口で指示をする店長の言葉を三度聞き返した後に諦めた時だ。
耳は消耗品だ。
使い続ければ磨耗する。常人より酷使すれば劣化するのは早い。
劣化したなら取り替えればいいのだろうが、そんな技術はこの二十一世紀には存在しない。
いや、医学には詳しくないから、取り替える技術があっても知らないだけかもしれない。
だけれど、社会人になって仕送りがなくなり、少ない給料で細々と生きている私に手が届く技術ではないのだろう。
耳が聞こえにくいと言っても、聴覚障がいではない。もちろん会話はできる。
だが、早口で喋る男性の言葉を聞き取ることがとにかく苦手だ。そしてそれは自分の思った以上に社会を立ち回ることにおいて不利になる。
指示を一回で聞き取れない部下。さっき言ったのに、という言葉に全く聞き覚えがないことも多い。「時間が押しているので少し駆け足で進めますね」という新人研修で聞き慣れた言葉の絶望感がより重みを増す。
「うfhがpイW<JヲPgっておいてね。」
まるで言葉が圧縮されたように、意味のない羅列に成り果ててしまう指示。
忙しい店内では、私が三ヶ月前に伝えた「耳が聞こえにくいんです」という告白も、「なるべくゆっくり話すよう心がけるよ」も、「勇気を出して話してくれてありがとう」も、全て汗と熱気と疲労と苛立ちの前には溶けて消えてしまう。
大学時代、人生の夏休みと呼ばれる時間を満喫しきった結果得た代償がそれだった。
絶望とはこれほど些細なものなのか、と私は一人、夜九時の京王線で影山ヒロノブの声を聞きながら眉を顰め、思った。
正義というのは巨悪を倒すことはあれど、些細な絶望をその耳で聞き取ることは少ない。
私は所謂「正しい」人間を好きになったことがなかった。
例えばクラスの中心にいる女たちだとか。
体育の先生だとか。母親だとか。
会社の一際真面目な先輩だとか。正義感の強い大学の友人だとか。
正義側に属する人間が私を救った試しなど、人生で一度もない。
正しい人間はいつも私に「正しい」という概念を振りかざすばかりで、「正しい」を私を傷つける人間に向けたことなど、ない。
自分を悪い人間だとは思わないけれど、こうも「正しい」が私に反抗的であると、もしかして自分は悪なのではないかと錯覚してしまいそうになる。
煙草はきっと正義ではないけれど、禁煙推奨の会社に所属しながら夜にこっそり吸う煙草は美味しい。給料が足りなくなって親に頭を下げて貰った三万円で買った、季節限定の爽やかな缶チューハイは美味い。
悪いものというのは不思議と甘い味がする。
例えば今、京王線の優先席で寄り添って眠っている二人の男女。
二人とも小太りの体型であった。太っている人間というのは年齢がわかりにくいもので、その男女も例に違わず、親子なのか夫婦なのかいまいちわかりにくい見目をしていた。
かろうじて男の方が年下なのだろうとは察せられた。エスニックな小花柄の、色違いの上着を羽織った2人は心底疲れ果てたように満員の車内で眠り呆けていた。
私がどうしてその二人に目を奪われたかというと、時折隣の小柄な女性にぺたり、ぺたりとくっつく汗ばんだ女の腕に、大輪の向日葵が抱えられていたからだ。
太った女は水を入れたペットボトルに数輪の向日葵を差し込んで抱えていた。咲ききった向日葵は既に花びらを数枚落としてしまっている。その欠落さえ向日葵が全力で咲ききった証であるように思えた。
まるで西洋絵画だ、と思った。肥満は裕福の象徴。満開の向日葵は生命力の証。
それが花束ではなくペットボトルであるのも人間社会の文明を暗喩している。
真っ黒なスーツを着たくたびれたサラリーマンの集団の中、小花柄の服を着た二人が優しく頭を寄せ合う様はひときわ画面を華やかに彩る。女の色あせた金髪すら、光を放つヴィーナスの金糸のように思えた。
それは窮屈な現代社会に確かに存在する生命の豊かな解放を表現した絵画であった。私は薄眼を開けた男が、気恥ずかしそうに俯くのも気に留めず、二人の男女と大輪の向日葵をじっと見つめてしまった。
その感動とは裏腹に、太った女の隣の小柄な女性はやはり迷惑そうであった。
太った女の汗ばんだ腕がぺたぺたと、電車が揺れるたびに肌に触れる。
大輪の向日葵が女性の鞄の方を向いたのを、女性はこっそりと左腕で避けた。
「次は・・・・。・・・・。」
最寄駅のアナウンスが聞こえる。電車がゆっくりと停止し、その衝撃で太った女の頭が隣の小柄な女性の方に傾いた。そして太った女の抱えた向日葵が、とうとう女性のスマートフォンの画面を遮った。
そこで遂に羞恥に耐えきれなくなった男が隣の太った女を揺すり起こす。
「やめろよあであzsxdcfv8gyb9うにません、あゔgんKHK」
そこが夢遊の終着駅であった。
私はその崩壊から目を背けるべく、開いたドアのまだ細い隙間をくぐり抜けた。