18 「文豪ストレイドッグス(小説版)」
さて、久しぶりに本の感想など。
前の「ソードアート・オンライン」もそうだったけれども、これまた一部の生徒の間で絶大な人気があるのがこちらの作品。「文豪ストレイドッグス」だ。
もともとは漫画作品であり、アニメ化もすでに何期もされていて、非常にメジャーな作品ではあるのだけれど、実は私自身は最近まで内容をよく知らなかった。タイトルだけはあちこちで見聞きしていて知っていたという程度である。
というわけで、せっかく人気作なのだしということで、うちの図書館にもその小説版を入れてみることにした。
「文豪ストレイドッグス」(小説版)シリーズ
朝霧カフカ・著 / 春河35・イラスト / KADOKAWA
思った通り、新着本のコーナーに置いた途端に「あっ! 文スト……!」と目の色を変えて借りていく子が多い。
表紙や中の挿絵も、漫画のほうで作画を担当している春河35さんなので、小説になっても違和感が少なく、手にとりやすいのかなと思われる。
この本の場合、よくあるような、ノベライズ担当の小説家を別に選んで書いてもらうシステムではなく、本文も漫画の原作者である朝霧カフカさんが執筆されている。そのため、世界観やキャラクターのブレみたいなものがいっさいなく、爽快に読めるのだ。
ここはひとつの大きなポイントかなと思う。だれよりこの作品を理解し、愛している人が書くものには非常な説得力があるからだ。
お話も、これまでよくあった漫画の焼き直しなどではなく、その外伝的なものになっている。登場人物の過去であるとか、漫画にはなっていない別の事件だとかを扱って、個々の登場人物をより深く掘り下げていく形だ。
日常生活部分では基本的に軽妙なやりとりでくすっと笑わせつつも、時には人生のやるせなさや悲哀まで感じさせる。後半のスピード感あふれる展開などは特に魅力的。
とはいえ実は私も、読み始めてみて最初は少し戸惑った。
ラノベにはよくあるような、まったくのノンストレスで読める形式ではなかったからだ。
なにしろ、非常に往年の明治・大正文学っぽい表現が多い。
普通なら「言う」と書くところをわざわざ「云う」にしてみたり、「ビル」とルビを打つところを「ビルヂング」と表記してみたり。エレベーターもわざわざ「昇降機」と書いてあったりする。
世界観としては、携帯電話もコンピューターも存在する現代社会なわけなので、この表記のちょっとズレた感じがとても新鮮にうつる。
余談ながら、夏目漱石や太宰治にど嵌まりしていた学生時代、小説や友人に出す手紙の中で「云う」だの「然し」だの「矢鱈」だのをそれこそ矢鱈と使っていた……という個人的な黒歴史を思い出して、ちょっと眩暈がしてみたり(笑)。
これは多分、朝霧さんのこの作品における大きなこだわり部分なのだと思う。タイトルに堂々「文豪」と銘打っていて、作中も別人とはいえ様々な文豪と同じ名前のキャラクターが登場し、その「異能」と呼ばれる超能力の名をそれぞれの文豪の作品名や関連の深いキーワードとしている。
たとえば太宰治なら「人間失格」、田山花袋なら「布団」、森鴎外なら「ヰタ・セクスアリス」といった具合である。
ちなみにこの「ヰタ・セクスアリス」については、恐らくこの作品から興味を持ったらしい生徒さんが「読みたいんですけど、ありませんか」と図書館に訊きにきたことがある。
残念ながら開架のほうには存在せず、準備室のほうを探してみたのだったが、そこで非常に古い(昭和初期ぐらいの出版のもの)森鴎外文学全集の中にあるのを見つけて、それを貸したという経緯だった。箱入りの非常に古い本で活字の字体が古めかしく、紙もすっかり黄ばんでいたけれども、本人はとても嬉しそうに借りて帰った。
似たような感じで、ほかの生徒たちにも太宰治や中島敦の作品を手に取る機会が増えているという事実がある。
もとが漫画であれ何であれ、こうして昔の作品を手に取る機会につながっているなら、それは大いに結構だなと感じているところだ。
もちろんこの「文豪ストレイドッグス」(小説版)も、一部の生徒とはいえ奪いあうようにして、一生懸命に予約を入れ、自分の順番が来るのを待ち焦がれられて、日々読まれている。
この作品のエンターテインメントとしての力を感じているところである。