2話 『未知の世界と異物のオレと』〇
「ん…………」
深い眠りから覚めたような気だるさと不快感を得ながら、オレはゆっくりと目を開く。
ついさっき-と言っても本当にさっきなのかは定かではないが-までいた場所に、五体満足、至極健康な状態でオレは突っ立っていた。
時間帯が何故か夜になった以外、これといって変化が無いというのはいいことだった。何せ、あんな超常現象じみたものに巻き込まれたのだ。
ただ、それ以外に変化が無さすぎたのがいけなかった。
今はGW後半。どこぞの誰かさんは、そんなに人もいないだろうなんて推測を誤ったらしいが、街には人が溢れているはずなのだ。
「しっかし、誰もいないか……」
いつもは億劫な人混みも、いざ無くなってみると案外寂しかったりするわけで。
絵画の中に1人迷い込んだような、不思議な感じ。この世界にとって、自分だけが異物のような感覚。
辺りの暗さも相まってか、はっきり言って不快だった。
何が起こったのか全くもって、皆目見当もつかないが、これがよく出来た夢だとか、テレビのドッキリ企画だとは思えなかった。
その理由は色々ある。主にこの街全体が何10年も放置されたかのように荒廃していること。始めは閑散とした街の雰囲気がそう思わせるのかと思ったが、そうではなかった。
鉄は錆びて赤黒くなってるわ、電柱やら信号機はところどころへし折れてるわで、さながら捨てられた星、地球という感じ。
もしかしたら捨てられたロボット達とかと出会えるかもしれない。
そんなおふざけは置いといて、どんな金持ちでも、都会の街を丸々ひとつこんなに風化させるなんてことは不可能だろう。
じゃあ夢なんじゃないか? ってなるわけだが、それにしては感覚がリアルだった。
頬をつねってみて痛みを感じるのはもちろんのこと、妙に頭が冴えている気がするし、普段は感じないような嫌な気みたいなのを強く感じる。
それがなんだと言われればそれまでだが、気を抜けば自分が自分でいられなくなるような、夢にはない不思議な緊張感と、身体の内からふつふつと力が湧き上がることで生まれる、高揚感があった。
とは言え、これが夢の可能性も何らかの世紀の大実験の可能性も完全には否定出来ないのが現状だ。
辛抱強さや冷静さは知能指数よりも重要かもしれない、そんな言葉をどこかで読んだ気がする。
いざ未知の状況へと放り込まれるとその言葉は的確で--
そんなこんなでオレは、世紀末よろしく寂れた街を散策することに決めたのだった。
さて、結論だけ言おう。
10分ほど歩いて、色々見て回って分かったことは
・建物の配置から、文字や表記まであらゆるものが逆さになっていること。
・そんな鏡の世界でも変わらない○クドナルドのMマークが、思いの外癒しになること。
・どうやら自分の他にも生物がいること。
の3点だった。
ここで重要なのは2番目の○クドナルド万歳! ではなく、どう考えても3つ目。
建物に比べ、食料品の腐敗が緩やかなことが気になり、色々と探し回って器用に開けられた缶詰と、しっかり調理された即席麺のゴミを見つけたのだった。
見たところ数日前のものだったが、同じような人間がいる、ということが何よりもオレを安心させてくれた。
「となると、目下の目標はオレ以外の人間とエンカウントすることなんだが……」
ゆっくりとつい数分前、散策中に見てしまったものをもう一度しっかりと確認するため、オレは抜き足差し足、気づかれないようにそっとビルの壁から顔を出す。
目の前に広がるのはそれなりに広い道路と、その真ん中でじゃれあうひと組の男女。
それがただイチャついているカップルとかならまだ幾らかマシなのだが、信じられないことに、男は頭蓋の中身を外へと曝し、そこに女が顔を突っ込んでいるという惨状。
何をしているのかなんて、あまり考えたくはないが端的に今オレの目の前で起こっていることを説明すると--
--女が男を喰っている。
最初はオレも見間違いかと思った。この闇に紛れてちょっと発情しちゃった残念カップルがキスでもしてるんだと、そう思った。
だが見てしまったものは信じるしかない。
離れていながらも聴こえてくる、生まれて聴いたことのないような咀嚼音が不快だった。それがまるで、「私は今、人を食べているのよ」と現実を突きつけてくるようで。
この時オレは、逃げなければと思った。なにかに食べられるなんて、およそ考え得る中で一二を争うくらい壮絶な死に方だ。
百歩譲って死ぬのはいいとして、せめて死に方くらい選ばせてくれ、というのが現代人ゆとり世代たるオレの意見だ。
だが、そんな小さなパニックがどこか嘲笑うようにオレの身体から冷静さを奪い、行動を鈍らせる。
逃げようという意志だけが先行し、身体が全く付いてこない。
文字通り地に足がついていない状態。そうなれば、身体が倒れるのは必然で……。
ズシャッ。そんな鈍い音を暗闇に響かせながらオレは受け身も取れずに、無様に地面に転がるのだった。
ゆっくりと腰を上げ、前を向けばオレの前にさっきまであった壁はなく、ちょうど食事を終えた女-と言っていいのかは分からないが-と目が合ってしまう。
そこからボーイミーツガール。ラブでコメディな話が始まる訳もなく。
「アァァァァァァァァァァッ!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
獲物を見つけた者と、死を覚悟する者の似て非なる叫びが闇へと谺響する。
そして、オレの生死を賭けたリアル鬼ごっこがスタート--という訳にはいかない。
得てして現実とは非情なもので、恐怖の前では体力も知力も無意味なもので、開幕スタートダッシュを決めれたのは鬼の方だけ。
始まったのは一方的な狩りだった。
情けなく座り込むオレに、よく見るとところどころ朽ちた異形というか、ゾンビというか、そんな人ならざる者が肉薄してくる。
--ああ、死んだ。
オレはそう思った。
走馬灯を見る間もなく死ぬ。心の整理をしたり、遺言を遺す暇も与えられない。いっそ清々しいかもしれない。
そんなことを考え、オレは目前へと迫った死を受け入れようとした。
だが、人間とは往生際が悪く、しぶとい生き物らしい。
「せめて、少しくらいの抵抗はしたくなるもんらしい」
気づけば異形が首へと向けてくる顎に、自らの左腕を噛ませていた。
バキバキと左手から何かが砕かれるような音が鳴り、紙細工のように噛みちぎられた腕がだらりと垂れ下がる。
--どのみち死ぬのかよ。
焼け石に水。オレの力ではどうにも出来ないらしい。
酷く腹が立った。それはこの運命に? それともオレの無力さに? どちらだろうか。
恐怖のせいで狂ってしまったのか、痛みすら感じない脳でそんな今更どうでもいいことを考える。
「どうせ殺すなら、せめて優しくひと思いにやってくれ」
言葉が通じるのかすら分からない異形に、オレはそう殺しの注文を付け、頭部へと衝撃が走り、絶命するのを待つ。
ゆっくりと、愛しい者の身体を抱くように近づいてくる異形の口。
何故かそこに優しさを感じた刹那、頭蓋へ、そして胸元へと凄まじい衝撃が走る。
--19年と少しの人生が今、終わった。
「--じょうぶ?」
どこか心地よい疲労感へ、意識を譲り渡す。音も痛みも分からなくなった中で、どこか誰かに祝福されているような気がする。
「おーい、君ってもしかして頭の取れた人外の死体が趣味だったりする? さすがに私もそれは引いちゃうかも……」
は? カッコよく死のうと思ってたのになんだ? 最近の閻魔様はこんな鈴の音みたいに麗しい声で話しかけてくるのか? てか、そもそも閻魔様って女なの? 男女平等参画社会的なあれ?
「えいっ」
そんな可愛らしい閻魔様の声と共に、頬になにやら細くて柔らかい棒が突きつけられる感覚。
その心地良さに思わず目を開くと--そこには首の無くなった異形と、あと数ミリも前にあればオレを肉塊へと変えていたであろう、ギラリと光る巨大な刃。
それはオレを気絶させるには十分すぎるくらいにショッキングな光景で。
「--っと! 大丈夫!?」
そんな閻魔様の素敵な声を最後に、今度こそオレの意識はどこか遠い所へぶっ飛んでいくのだった。




