1話 『さよなら日常、新たな日常始めました』〇
5月。GW後半。
暖かな春の陽気の中、オレはすし詰め状態の電車に揺られながら死にかけていた。
長期休暇の後半なら、世の人達もさすがに疲れて家でゴロゴロしてるかな、なんて考えたオレが馬鹿だった。
同じようなことを考える人はごまんといただろうし、レジャーのためなら無尽蔵の体力を持つ超人たちもいるのだろう。完全に推測を誤った。
だが、既に起こったことを嘆いても仕方がない。オレはせめて、少しでも気を高めるために、乗り合わせたスーツ姿のサラリーマンを見る。
こんな昼間にスーツで行かなければいけない催し物もなかなかない。十中八九彼らは今日も職場へと向かうのだろう。
それに比べれば幾らかマシか--
オレは、そう思うのだった。
人とは醜悪な生き物だ。もちろん、オレも含めて。
その理由は色々あるが、例えばこうやって自分より辛そうな他人を見ると安心したり、ときに幸せを感じたりする。
はたまた自分より幸せそうな他人を見ると、嫉妬やらなんやらの感情が生まれる。
一般的に考えて、これはお世辞にも美しいとは言えない行動なんじゃないだろうか。
人それぞれ、家族や友達、憧れの人だったり、例外である特別な人というのは少なからず存在するにしても、こういった経験が全くないなんて奴はいないとオレは思っている。
そんなシケたことを考えながら、押し合い圧し合い、自分の空間をなんとか死守していると、車内アナウンスが目的地へと到着したことを知らせてきた。
終点ということもあり、両サイドのドアから新鮮な空気が吹き込んでくる--よりも早く、詰め込まれた乗客たちは我先にと車外へ。
「おいおい……」
ちょうどドアとドアのど真ん中にいたオレは、右へ左へ流れを作りながら出ていく人達にぶつかられ、踏まれ、よろけた所を濁流に呑まれた流木のように運ばれてしまう。
「やっぱ、休日だし外に出てみようなんて思ったのが運の尽きか」
波に流され、本来出る予定だった改札とは逆の改札へと出てしまったことに頭を抱える。
人混みを掻き分けながら反対側へと周り、これまた人が多いであろうショッピング施設の方へと行くには、今日の目的はあまりにも矮小過ぎた。
今日の目的、それは女の子とデートでもなければ、友達と遊びに行くでもなく、単にちょっといつもと違うことをしてみようかな、と思っただけ。
要するに日常に嫌気がさして、非日常を得ようかと思ったのだ。
結果それは自らの誤算によって悉く塵となったわけだが……。
『--特別なタイケンがしたいってこと?』
そう。毎日毎週、全てが同じ訳では無いが、今の世の中は基本的に同じことの繰り返し。出来の悪いループものよりタチが悪い。
学校や仕事に行って、同じ時間割に沿って生活したり、決まった作業をやり続けたり。現代社会とはそういうものと言われれば、それまでだが。
中には特殊な仕事をしていたりする人間もいるんだろうが、外から見れば目新しいそれも、当人からすればどうかは分からない。
結局のところ、遅かれ早かれ慣れや飽きが来る。毎日が刺激に満ち溢れていることなんてほぼ無いのだ。
『--ヒニチジョウテキな生活する?』
いやだから、日常があってこその非日常なのだ。
いくら他人と違ったことが毎日起こっても、結局はそれにも慣れてしまう。
残念なことに人として生まれたからなのか、この日々の退屈からは逃れられない。言わば呪縛だ。誠に遺憾である。
って、オレはどこの汚職議員だ。
でもそうすると、オレはさっきまで何を求めていたのか。もはやよく分からなくなっていた。
要するに今の生活が嫌なんだろう。多分。
『--ニンゲンやめる?』
人をやめたからって何になるんだ? 悪魔や魔王にでもなって、魔法やら伝説の剣やらファンタジーな異世界に飛ばしてくれるのか?
そこまで望んでないし、そんな世界があるならもっと行きたいやつに行かせてやれ。
『--じゃあ……シヌ?』
それもありなのかもしれない。
街を行き交う人達は、寸分も違わず作られた量産品のように同じものを求め、同じことをしようとする。
会ったこともないような芸能人の色恋沙汰に一喜一憂し、テレビで紹介されたものを買い、食べ、流行の服に身を包む。
そうして日々、何も疑問に思わず生きている。オレだってそうだ。オレたちは特に死人と変わらない。
こんな世界から解き放たれるなら、寧ろ死人の方がいいまである。特に罪を犯していない善良なオレなら極楽浄土まっしぐらだろうし。
『--ほんとに、ホントに死ぬ?』
ああ、どうせ生きててもいいことがあるかは分からないんだ。
誰だって楽に死ねるなら今すぐにでもって思ったことはある。これは、そういうあれだ。
『--ツナガッタネ』
「は?」
ちょっと待て、今オレは誰と話してた?
異常はそこから始まった--
気づけば周りにあれだけあった人影が見当たらない。
考え事をしている間に、人通りの少ない裏路地に来たとかそんなことならまだ笑える。
だがオレは駅の前を通る大通りにいる。それなのに、そこには人っ子一人いなかった。
ぐにゃり。
突然、道路やビルが歪み始める。どうにかしてこの場から離れないととは思うが、どうしてか身体は全く動かない。
空間に見えない糸で縫い付けられたように、ぴくりとも動かせない。
そんな不可視の力はどんどん強さを増し、ズブズブとオレを道路の中へと押し込んでいく。
遂に顔まで道路へと浸かり、オレの身体は下水管の中でも、地面の中でもなく、どこかただ暗い闇の中へと引きずり込まれる。
身体を襲う謎の降下感に、気持ち抗いながら、思考を働かせるも--その些細な抵抗では何も変わることなどなく。
やがて、オレの意識は闇の中へと溶けるように途絶えた。
『--いらっしゃい』
どこかでそんな少女の楽しそうな声が聞こえた気がした。
オレは後に、この人生最大の転機に感謝することになるなんて、知る由もなかった。




