偽りの魔法使いⅦ
平穏な日々というのは長くは続かないものである。
それは、人類史を見れば明らかであった。歴史はどうも俺に対しても例外ではないらしい。
俺、三雲雪人はデジャブじゃないかと疑いたくなるような状況に追い込まれていた。
「この紛い物めがっ! 三雲の名を語るとは万死に値する!」
アレッレーおかしいな。俺、もしかしてタイムリープしてる?
うんとか戻りとかしちゃってる?
別に魔女に愛されているわけでもないし、エイリアンの血を浴びたわけでもない。
茜色に染まる夕暮れ。
昨日、姫乃との関係が公になってしまった事で朝から色々な人々から様々な追求を受けていたが、異端審問官の襲撃や初日の姫乃みたいに決闘を申し込んでくる者もおらず、騒がしいが平和な日常を享受していた。
だが、一つ。非日常的に出来事が起きていたのだ。
俺の下駄箱にラブレターが入っていたのだ。
その内容は、
『あなたに伝えたい事があります。放課後、化学実験棟の裏で待っています』
と明らかに告白を期待させる文面だった。
それに便箋も女の子らしい、可愛らしいものだった。
これはもしや人生に三回あるモテ期の第一回目なのではないか、なんて興奮しながら俺は化学実験棟の裏へ向かった。
もちろん、この事を知っている者は俺しかいない。
まぁ、姫乃という許嫁がいる以上、サクッと断らねばならないし、誰かに言って昨日みたいに波風は立てたくは無かったのだ。
べっ……別にい、色気を見せたわけではない。
だから、姫乃は一緒ではないのだ。
彼女は今頃、実家に向かっている事だろう。
今日は金曜日、姫乃は休日を利用して、突然許嫁を決められた事について文句を言う為に熊本の実家に帰省していた。
姫乃のいない間、その子とどうこうするという魂胆は無い。
無いったら、無いのだ。
一つ至言がある。知られなければ、それは無かった事と同じ。
以上だ。
久々の一人。
これで少しは色々と落ち着けるかと思ったりもした。
だが、現実とはかくに厳しいものか。
ここは化学実験棟の裏。 傑に聞いたところ、ここはどうやら告白スポットの一つらしい。
化学実験棟は人の出入りが少なく、その裏は木々に囲まれている事で人気がないのだ。
時刻は夕暮れ。
目の前には長い黒髪を一つに束ねた少女。
紫水晶のような吸い込まれそうな程美しい瞳に、整った目鼻顔立ち。
そして女の子にしては長身で百七十センチ近くあるスラリとしたモデル体型の少女だ。
そんな少女が告白の為にドギマギしているわけではなく、まるで、親の仇を見るかのように俺を睨みつけていた。
彼女の名前は、三雲静流。
あの三雲家の分家筋の人間だった。
今、俺が一番出会ってはいけない人間だ。
俺が受け取ったのはラブレターではなく、果たし状だったのだ。
彼女が突きつけてきたのは、お遊びの決闘ではなく、マジもんの決闘。
命と命をやり取りするものだ。
決着はどちらかが死ぬまでつくことはない。
……マジかよ。
彼女は、俺と姫乃が許嫁という関係にあることを知り、俺が桜花家と共謀して三雲家を乗っ取ろうとしていると思っているらしい。
「なぁ、話合わないか。 ……生まれた時、すぐに離れ離れになったからよく覚えていないが、俺は零一の弟だ」
話し合い、これ大事。
物事はまずは相手の意見を聞いて、そこから互いに納得する結論をじっくりとーーー
「ふん! そんな戯言、誰が信じるか! 大方、桜花などの西洋かぶれとつるんで三雲を乗っ取ろうという魂胆だろう!」
静流は自身が持つ太刀の鞘を抜き、俺の首元に突きつける。
……交渉の余地はあまり無さそうである。
相手は殺る気満々である。
「はぁ……俺にはそんな野心なんて無いよ。 ただ、それなりの学生生活が送れればそれでいい。 野心があるのは……君の方じゃないのか?」
彼女を揺さぶる。
本当に殺さなければいけない相手には容赦してはならない。
それは魔法使い同士の戦いならば尚更だ。
とジル先生が授業で言っていた事を思い出す。
そもそも、魔法自体が卑怯なものなのだ。
相手が届かない場所から攻撃したり、姿を消して相手の背後に回ったり、相手の精神を操ったりと。
単なる嘘ですら、相手を欺く為の魔法の一種なのだ。
その性質上、正々堂々といった勝負はあり得ない。
チャンスはすぐにものにしなければ、今度は自分が痛い目をみる。
それが魔法使い同士の戦いだ。
現に俺は、ヒルデガルドから与えられた太刀を左手で持っているものの、静流に対抗しようとはしていない。
この状態ならば、静流は容易に俺の喉を搔き切る事が出来るであろう。
彼女は俺の何かしらの魔法を警戒して攻撃を仕掛けて来ないのか。
それは否だろう。彼女の震える瞳を見れば、明らかだった。
彼女は、律儀な性格で正々堂々と勝負を求めるタイプなのだ、わざわざ果たし状を作るくらいに。
どうせ殺すならば、不意打ちをすればいいのにも関わらず。
だから俺はそこに一筋の光明を見いだした。
彼女には心理戦で勝てるかもしれないと。
俺の一つしか無い詐術という魔法で。
「なっ、何を言うんだ! 私には野心は無いっ! 人を侮辱するのにも大概にしろ!」
「……三雲を殺せるのは三雲」
ヒルデガルドからの受け売りの言葉である。
彼女の律儀な性格を考えると、自分が本家殺しの汚名を背負ったまま決闘に臨む事はありえないだろう。
弁解の為に三雲について、なんらかの情報を引き出せる可能性がある。
……それにしても。
彼女の真っ直ぐな瞳を見た感じ、分家いや、彼女が三雲本家の殺害事件に関与しているとは思えない。
わざわざ果たし状なんてものを作る程なのだ。
単に決闘をしたければ、姫乃のように適当なイチャモンをつければいい。
そんな奴が、本家の人間を殺すか?
こんな美少女が人を殺しているなんて思いたく無いという、俺の希望的観測もあるが。
まぁ、現に俺は殺されかけてるんですけどね。
犯人の可能性があるとしたら、彼女の親か、またその親族か。
いずれにしても、彼女を通じて三雲家の内部事情を把握しない限り、判断がつかない事だった。
はぁ、……何やってんだ俺。
普通の人間がとんでもない世界に足を踏み入れたものである。
「……お前、まさか本家の殺害事件が私の手によるものじゃ無いかと疑っているんだな?」
「ああ、お前ではなくお前達だがな」
「そんな卑劣な真似をするはず無い。 私達は分家であろうとも三雲だ。 本家を殺すなんて不義理な真似、出来るはずがない」
「……だったら、何故、本家が皆殺しにされた事実を隠していたんだ? ……それも、三年もの間」
これが最大の謎だった。
三雲家の復讐に燃える遺児を演じる。
たじろぐ静流とは反対に、今度は俺が親の仇を見るような瞳で静流を睨みつけるのだった。
「そ、それは……」
おそらく、何かしらの理由がある事は明らかだ。
この事情を知ることが出来れば、場合によっては三雲分家が犯人の候補から外れる事になる。
逆の可能性もあるが。
「……答えられないのか? 場合によっては俺はお前を本気で殺さなければならない」
今度は俺の方から仕掛ける。
太刀の柄を握り、返答次第では容赦なく斬り殺す、といった雰囲気を醸し出す。
まぁ、剣術なんて知らないから逆に返り討ちにされそうであるが。
何かのハッタリに使えそうであると、一応、剣術の流派は考えてある。
「いっ……色々と事情はあるんだ。 ……今ここでお前に話すわけにはいかない!」
「そうか……確かお前は言ったよな? 俺が三雲家を乗っ取るつもりかと?」
「……あぁ」
「俺自身にはそのつもりは無い。 ……おそらく、桜花家の方が乗っ取りを画策している」
「なんだとっ! では、お前は……何が目的なんだ!」
「俺か、俺は……俺の両親と兄を殺した奴を殺せれば、三雲家なんてどうなっても構わない!」
涙ながらに静流を睨みつける。
奥歯を噛み締めながら、積もり積もった積年の恨みをぶつけるかのように。
まぁ、演技なんですけどね。
別に恨みなんてないし。
彼女の複雑そうな顔を見た感じ、演技しているとは見抜かれていないようだ。
もしかしたら、俺は相当な役者なのかもしれない。
「お前は……零一達を知っているのか?」
「いや、知らないさ。 会ったこともないのだから」
「ならば……何故?」
「それは……約束してたからだ」
「約束?」
「一度だけだ、一度だけ会えることになっていたんだ。 俺が十五になった年に本当の家族と」
うんうん。それっぽくていいよね。
今、即興で考えた理由だけど、説得力あるよね?
あぁ、駄目だ。中二病が再発するっ!
静まれ!俺の右手!
「それは、本当なのか?」
「あぁ、理事長のヒルデガルドに確認してくれても構わない。 俺は彼女からそう聞いていた。 まぁ、後見人だからな」
「確かに……理事長は三雲の縁のあるお方、無下には出来ないが……。 お前は知っているのか、彼女が三雲を桜花に売ったという事は?」
「あぁ、もちろんだ。 その上で協力している」
あの時はめちゃくちゃ焦りましたけど……。
三雲家再建と言いつつも、果たして桜花家を引き入れても大丈夫なのだろうか。
正直、俺もヒルデガルドが何を考えているのかわからないし、疑いたくなるところも多々ある。
いつか、彼女の真意を問いただす必要がありそうだ。
「それもお前の覚悟という事か。 ……わかった。今言えることは、私達はお前の敵ではない。 三年間も本家が殺された事実を隠していたのにも、ちゃんとした理由はある」
「その言葉だけで、はい、そうですか。と言えるとでも?」
「まぁ、そうなるだろうな。 仮にだ、仮に……お前が零一の弟だったとしても、三雲家を桜花家に乗っ取らせるわけにはいかないっ! もし、お前が桜花姫乃との許嫁関係をここで破棄するのならば、ここで見逃してやってもいいし、然るべき時に三雲として我が一族に加えてもいい」
「残念だが、それは出来ない相談だ」
おそらく、違う方面から俺が殺される。
「ならば、お前は私の敵だ!」
切っ先に殺気を込める静流、
これは不味いか。
そう思い、数歩後退する。
「……結局は戦うしかないのか?」
「三雲に落ちる火の粉は私が払う!」
これは完全に交渉決裂である。
後は戦闘だが、まともに戦える能力の無い俺は、少し怪しい雰囲気を醸し出してベルトに取り付けてある金属ケースから黄色の液体が入った試験管を二本取り出す。
もう後に退けない。まさか、これを使う日が来るとは。
俺は、もしかしたら戦いに愛されているのかもしれない。
「なっ! お前は錬金術師か!」
攻撃系の魔法と勘違いしたのか、静流は数歩後ずさる。
個人的には、互いの距離が離れるのはいいことだ。
その分、攻撃まで時間がかかる。
試験管を怪しく取り出す演技の狙いももちろん、相手を警戒させる事だったのだが……。
あぁ、何やってんの俺!
いざ戦おうとすると怖気づくものである。
情報を聞き出す為にカッコつけたせいで、戦闘になっちゃったじゃん!
ここはもう、土下座でもなんでもして見逃してもらうか?
例えば、姫乃との許嫁を解消するとか?
いや、その場合、桜花家やヒルデガルドから制裁を受けそうな気がしてならない。
結局、俺に逃げ場はないのか……。
「さぁな、とりあえず言えることはお薬の時間だって事だ」
ええい、ままよ!と思い、試験管のコルクを開けると一気に中身を飲み干した。
襲ってくるのは、強い苦味、そして舌が痺れるような辛味。
加えて、猛烈な薬品臭。
これは……完全に人が飲んじゃアカンやつだ。
心の中でエセ関西弁でツッコミを入れてしまう程の不味さ。
もっとも、静流の手前、えずく訳にはいかなかった。
「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。出来れば使いたくは無かったんだが……」
太刀の柄を握り、一気に引き抜く。
俺の持てる武器は詐術を除けば、これしかない。
使ったらなんか凄い事になると聞いていたのだが……。
「なっ!」
「きゃっ!」
引き抜いた瞬間、感じたのは物凄い圧力。
それはまるで突風だった。
息をするのも苦しくなる程だ。
そして、感じる恐怖や絶望などの負の感情。
あぁ、これは良くないやつだ。
「っ!なんて妖気だ! ……そんな物を使って、お前は……死ぬ気なのかっ!」
どうやらこの空気を妖気というらしい。
いやはや、まさにその通り。
頭の中で何かが殺せ、殺せと叫んでいる。
理事長の奴……とんでもない物を渡してくれたな。
これは呪いの武器じゃないか。
「おいっ! 聞いているのかっ! 今すぐでもいい! その武器を離せ! 死ぬぞ!」
俺を殺すつもりなのに、何故か俺を心配する静流。
まったく、矛盾している。
彼女声はどこか遠い。
何か耳に膜が張っているような。
視界もどこか覚束ない。
(……我と契約するか?)
その声は、脳内に響く怨嗟の声と異なりハッキリと聞こえた。
女性……だろうか?
もしかすると、この剣そのものなのかもしれない。
何故か、そう確信したのだ。
契約……そうか、契約しないと使えない形式か。
まぁ、まともな武器もないこの状況。
契約するしかなかろうに。
俺に選択肢は無かった。
それにーーー
「……あぁ、契約する」
「おい、お前! それは駄目だ! そいつと契約してはいけない!」
そんな声が聞こえるが、俺は騙されない。
彼女は怖いのだ、この武器が。
使う俺も怖いが、この武器さえあれば勝てるかもしれない。
そんな気がした。
ならば、答えは一つである。
(では、対価を)
「……対価?」
(……お前の血だ)
「血? ……これでいいのか?」
こういう呪いの武器にはお決まりの対価か。
とりあえず、太刀の刃部分に利き手ではない左手の親指を押し当てる。
そうするとタラリ、と血が数滴、刃に滴り落ちた。
不思議な事にその血は刃に当たると跡形もなく消える。
なんだこれは……血を吸っているのか?
(足りぬ……もっと、もっとだ!)
そう言われても……。
あっ、確か手首の動脈は、切ってもすぐには死なないんだよな。
死ぬまでに数時間かかるとか。
不思議と躊躇いはなかった。
本来であれば、ありえない決断を俺はしていたのだ。
脳内に響く怨嗟の声にやられたのだろうか。
左手首の動脈を俺は容赦なく、太刀の刃で切ったのだ。
先程とは比べ物にならない量の血が太刀に染み込んでいく。
何故か、痛みはあまり感じなかった。
代わりに感じたのは得も言えぬ高揚感。
今ならどんな奴であろうとも斬り捨てることが出来る。
「おい! 聞いているのか! 三雲雪人! なっ……なにをやっているんだ、お前は!」
(ふふっ……ははははっ! お前は中々豪快だな! 気に入った!契約……完了だ!)
「何って……そりゃ、見ればわかるだろ? お前を殺すための準備だよ!」
既に俺の意識は虚ろだった。
唯一残されたものは、目の前の敵を殺さなければいけないという事。
あぁ、なんてーーー
なんてーーー
楽しいのだろうか。
早く、彼女の悲鳴を聞いてみたい。
ーーーーーーーーーー
私、三雲静流は、とんでもない奴を敵に回してしまったようだった。
何故、こうなった。後悔の念が押し寄せる。
全ての原因は私だ。
相手の素性もよく調べずに決闘を申し込んだのだ。
それも、命と命のやり取りを。
私も随分と頭に血が上っていたらしい。
どうやら、相手の三雲雪人という男の信念は本物らしい。
目的の為ならば手段を選ばない。
しかし、その目的が会ったことも無い親兄弟の仇打ちとは……情が深いにも程があるのではないか。
まさに、あの零一の弟だ。
いや、まだ彼が零一の弟である確証は無い。
ただ、後見人にあの理事長、ヒルデガルドがなっている事や桜花家が取り込もうとしている点から、彼が弟である事はほぼ間違いないだろう。
三雲本家の事はよく知っているが、まさか零一が双子だったとは……。
顔つきはどうだろう。似ていると言えば似ている。似ていないと言えば似ていない。
おそらく、一卵性双生児で無いことは明らかだ。
それに、この事を私の父母は知っていたのだろうか。
……三雲本家の事を公表する事にしたのは、まさか彼の存在を、いや、私の考えすぎか。
もし、零一が生きていたら、どんな顔をするだろうか。
彼の性格上、弟がいた事を喜ぶかもしれない。
ただ、この現状を見たら悲しむだろう。
私も目の前の雪人に対しても。
……私は本当に何をやっているんだろうか。
だが、私にも譲れないものがある。
三雲零一は優しい男だったのだ。
三雲本家の長男として生まれた彼は、従兄弟である私と一緒に幼少期を過ごした。
田舎の山の中を駆け回るようなお転婆な私とは異なり、内向的でほっとけばいつも家で読書などをしている少年だった。
家が隣同士で、従兄弟だった事から私はよく彼を外に連れ回したものだ。
彼はいわゆる、博愛主義者、誰にでも笑顔を振りまく少年だった。
ただ、魔法使いの名家に生まれるには、残酷過ぎた。
魔法使いの世界は、闘争の世界。
場合によっては人を殺す事も間々ある。
だが、なんの皮肉だろうか。
彼には魔法の才能があった。
それも、戦闘に関する魔法に特に秀でで、いや、愛されていたのかもしれない。
特に三雲は、戦闘に特化した魔法使いの一族だ。
そのため、幼少期より、魔法以外の武術など人を殺す術も教わってきた。
おそらく、零一にとってはそれは辛い事だったのだろう。
彼は蚊も殺せないような男だったのだ。
もしかしたら……目の前の弟の方が三雲家次期当主に相応しかったのかもしれないな。
「ふふふっ……はははっ! さぁ! さぁ! 殺し合おうぜぇぇぇぇ!」
妖刀の狂気に飲まれる雪人を見ながら、私はつくづくそう思ったのだ。
悪魔と契約するような事は、零一には出来なかっただろう。
しかし、魔法の名家の魔法使いであれば、力を得るために悪魔に魂を売り渡すような覚悟は必須だった。
零一の父母が恨めしく思う。
何故、弟の方を残さなかったのかと。
殺されたあの晩、零一はおそらく躊躇ったはずだ。
それが命取りになった。
その場に、目の前の彼がいれば、状況は異なっただろう。
残念ながら、彼の方が魔法使いなのだ。
まぁ、それは今では後の祭りではあるが。
「……狂気に飲まれたか……。 本当にお前は業が深い奴だ」
彼の弟であっても容赦はしない。
もしかしたら、桜花家と手を組む前に彼に出会ってれば何か変わったのかもしれない。
だが、今の彼は三雲の敵であった。
零一が、その両親が、私の父母が守ろうとした三雲を穢されるわけにはいかない。
まだ、まだ、三雲は終わってはいない!
「……流派は三雲が秘術、三雲一刀流。とくとその身に刻めっ!」
目の前の雪人は既に壊れている。
おそらく、あの禍々しい太刀に憑くものに操られているのだろう。
単なる付喪神ならまだしも、あれは八百万の神々に近しい存在が狂ったもの。
まだおぞましい力は顕現していない今なら彼を斬れば大事には至らない。
元々、三雲を穢そうとしていた雪人を斬ろうとしていたのだ。
やる事に変わりは無い。
むしろ、これで……斬り捨てる大義名分が出来た。
だが……何故、同じ三雲が争わなければ……。
どうやら私の進む道も修羅らしい。
……すまない、零一。
三雲の剣は魔を断つ刀。
魔法により、神性を帯びた太刀で、雪人を斬りつける。
狙うは首元、一瞬で終わらせる。
「ふひっ! 中々、いい太刀筋だ。こちらは、天然理心流。 せめて、流派ぐらい名乗らせてくれよなっ!」
それは一瞬だった。
太刀を持っている事から、なんらかの流派の剣術を修めている可能性はあった。
それが、まさか新撰組の多くが会得していた天然理心流だとは。
もっとも、驚きはそこではなかった。
私の太刀が視界から消えていた。
それも腕ごとである。
「……は?」
意味が分からなかった。
雪人は太刀を動かしてはいないはずだった。
なのに何故?
「遅いなぁ。 それで三雲なのか?」
「っあああああああああっ!」
頭が割れるような痛みが全身を駆け回る。
雪人を斬りつけた私の両腕が肘から先が無くなっていたのだ。
痛みでやっと理解した。
彼は見えない速さで私の腕を斬り捨てたのだと。
「なぁ、おたくは俺を殺すつもりだろ? なら、殺されても文句は無いよな」
先程とは雪人の口調が少し異なる事をこの時の私は気づく事が出来なかった。
生まれて初めての激痛に耐えるのでいっぱいだった。
しかし、相手は容赦してくれなかった。
「あがっ! ああぁ! あぁ……はぁ、はぁ、はぁ、えっ?」
今度は高さが違った。
地面に打ち付けられる頭。
視界が揺らぐ。
「はっはは! これで抵抗できないだろ?」
そんな事を言いながら雪人が左手で抱えていたのは足。
それも私の左足だった。
そこで再び理解した。
足を切断されたのだと。
「それじゃ、バランス悪いよなぁ?」
容赦なく、雪人は倒れている私の右足も太刀で切断した。
何が、何が起きているの。
痛みと恐怖で頭が現実の理解を拒んでいる。
嫌だ、嫌だ、死にたく無い。
既にまともな魔法の行使なんて出来るはずもなかった。
初めて感じた死への恐怖。
それはいくら厳しい修行したとしても抗えないものなのだ。
私は甘く考えていた。
命と命のやり取りというものを。
「あぁん? もう魔法を使えないのか? どーすっかなー」
今度は腹部だ。
四肢を切断され抵抗できない私の腹部に雪人は何の躊躇いもなく太刀を突き刺したのだ。
「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
今までとは比べ物にならない痛み。
先程の痛みで意識を失いかけていた私の意識を覚醒させる。
辛い、痛い、誰かーーー
「……助け……て」
「ははっ! 随分しおらしくなったじゃねぇか! あぁ、壊しがいがあるなぁ。 そんなそそる顔で助けを求めるんじゃねぇよ。 あぁ、我慢出来ねぇ!」
現実はかくに残酷である。
私は初めて、この世界の残酷さを知ったのだ。
私の命乞いは、逆効果だった。むしろ、彼を興奮させてしまったのだ。
飢えた獣のような眼差しで彼は私を組み伏せた。
と言っても私に組み伏せるような四肢はもう無い。
あるはずのない四肢が痛むのだ。
「……やめて……おね……がい」
私の全てが蹂躙される。
人としての尊厳も、女としての尊厳も全て彼に奪われるのだった。
常に振るわれる暴力に絶対的な強者、そして絶対的な敗者を実感する。
既に命乞いをする余力なんて無い。
頭の中で何かがぷつんと切れる寸前だった。
「……お……母さん」
呟いたのは母の名だった。
何故か、そんなもの分からない。
ただ、そう呟いたのだった。
最後に私の瞳に映ったのは、下卑た笑いを浮かべる雪人ではなくーーー