偽りの魔法使いⅣ
「……ぐっっ! ……あっ!」
体が熱い。まるで燃え上がるようだ。
気づけば上半身は裸。下はトランクス姿で台所の水道で頭から水を浴びていた。
今日、いや昨日か。
リビングに備え付けられた時計の太い針は十二時を僅かに超えていた。
姫乃が許嫁となり、年頃の男女がひとつ屋根の下、ドキドキワクワクの共同生活を始めた夜。
俺の体に異変が起きていた。
本来であれば何か羽織るモノを着てなければ、同居人の姫乃に失礼であろう。
それは分かっている。
だからここまでは服を着てきた。
途中で暑さから脱ぎ散らかしてしまったが。
けれど、今は緊急事態だ。四の五の言っている暇は無い。
確か、よく分からないが、脳内の温度は四十度以上になったら死滅するのだろう。
映画で見た聞きかじりの知識ではあるが、それは言い得ているかもしれないと思った。
体が熱を帯びる毎に考えがまとまらない。
もう既に自分が何を考えていたのかも怪しかった。
「はぁ……はぁ……」
呼吸も苦しい。
肺に溜まった熱気を帯びた空気をなるべくゆっくりと吐き出す。
一気に吐くと喉が焼けるようで苦しいのだ。
しかし、息を吐かねば肺に留まっている空気の温度はどんどんと上がっていく。
苦しい。もう、何をやっても苦しいのだ。
まるで煉獄の地獄で焼かれているようだ。
「……ぐっ! ……はぁ」
こんな事あり得るだろうか。
濡れた上半身から水蒸気が上がっている。
比喩では無い、文字通りだ。明らかに異常な光景だ。
別に運動をしたわけでもないし、今は気温の低い冬でもない。
しだいに蒸気を吹き出す範囲が広がっていき、今では水を浴びている頭からも絶え間無く吹き上がっていた。
なにが、俺の体になにが起こっているんだ!
誰でもいい、この苦しみから救ってくれ!
今なら悪魔とだって契約できる。
それ程辛いのだ。
「雪人……アンタ……」
救いの天使が現れたのだろうか。
冷んやりとした手が俺の頬に触れる。
もう視界はぼやけているし、頭も回らない。
ただ、その手は冷たいのに何故か暖かかった。
「……天使か……」
俺の意識はそこで途切れた。
……天使って金髪じゃなくて銀髪なんだな、と。
ーーーーーーーーーー
私、桜花姫乃はふと目が覚めてしまった。
普段ならば早寝早起きの健康的な生活を行なっている私だが、今日は新居ということや許嫁がすぐ近くにいるという事で緊張して熟睡できてなかったせいかもしれない。
これでも思春期の乙女、いくら家のためと言えど、同じ年頃の男性と同じ屋根の下で生活するのは緊張する。
許嫁の相手である雪人は、どうやら三枚目タイプの性格だが、顔はそれなりに整っていて身長も高く外見上はイケメンだったのが緊張に更に拍車をかける。
黙っていれば、年頃の女子は直ぐに食いつきそうよね……。
雪人の将来の女性関係に多少の不安があったというのも影響しているのかもしれない。
物音に気づきベッドから出ると、物音のした台所へと向かった。
犯人はおそらく私の許嫁となってしまった、雪人であろう。
最初は夜食でも作っているのだろうか、美味しそうだったら少しもらおうかな、私も一応成長期なのだ。
いや、しかし、この時間の食事は太ると聞くし……なんて軽い気持ちだった。
しかし、私が目にした光景は予想とは違い切迫したものだった。
呻き声を上げて台所で頭から水を被っている雪人。
その体からは絶え間無く蒸気が吹き出していた。
異常な光景。
彼の姿が上半身裸でトランクス姿なんてのはどうでもよかった。
体調が悪い?まさか、そんなレベルではない。
離れていても微かに感じるのは魔力。
これはおそらく魔法の影響?
慌てて雪人に近づき、頬に手をやると通常では考えられない熱さだった。
人が発していい温度ではない。
「……天使か……」
おそらく、私の手が冷えていで気持ちよかったのだろう。
私を天使と見間違え、苦しみながらも安らかな顔で意識を失った。
状況は最悪だ。彼はまともに頭が回ってなかったのだ。
「このままじゃ……」
正直、対策法はわからない。
こんな状態になる人を私は見たことが無い。
ただ、一つ気になることがあった。
「これは魔力……よね。それも……私の!?」
彼の体から発せられている蒸気はおそらく魔力が変質したもの。
……だとすると魔力暴走?
本来、自分自身が発する魔力では、幼少期をある期間を除いて魔力暴走なんてしないのだ。
大人がなる魔力暴走の典型例は魔力の供給過多。
他者や霊薬によって外部から魔力を取り入れた場合だ。
もしかして、私の魔法を無効化したあの右手の魔道具は、打ち消すのではなく、吸収するタイプのものだったということだろうか。
だとすると、あの魔道具は相当に優秀な一品である。
本来、自分の魔力以外は魔法回路の抵抗機能によって取り入れることが出来ない。
もっとも、その機能を遥かに上回る魔力は流し込むのならば話は別だが。
魔力供給とは中々、効率の悪いものなのである。
……先の戦闘での私の魔法に込められた魔力と雪人が持つであろう魔法回路の抵抗機能を考えると、いくら彼の抵抗を低く見積もっても魔力暴走するほどの魔力を吸収できるとは思えない。
そこまでの大規模な魔法は使ってはいない。
可能性があるとすれば、あの魔道具が装着者の抵抗機能を限定的に無効化する機能がある場合。
それでも、名門と言われる一族の者があの程度の魔力量を吸収したぐらいで魔力を暴走させるだろうか。
もしかして彼は魔力容量が著しく低い?
または、考えられない事であるがーーー
雪人の肌に触れ、試しに純粋な魔力を流し込んでみる。
彼は現在、魔道具を付けていないので、魔法回路の抵抗機能があれば弾かれてしまうほんの微量だ。
「……通った!?」
これが意味するところは彼には……そもそも抵抗機能が無い、つまり魔法回路が存在しないということだ。
それか抵抗機能を排除した魔法回路を持っているか。
いや、そんな魔法使い聞いたことも無い。
魔法使いには、肉体、精神体とは別に魔法回路という第三の身体とも呼ばれる器官がある。
それは体内を流れる魔力の制御機構であり、魔法を使う際、外部に効率よく魔力を放出させるための機能を持つ。
ようはコンピューターのOSと考えていい。
特定の魔法という、ソフトウェアを起動するために必要な細かい作業をやってくれる存在だ。
魔法使いであれば誰しもが持っているものだ。
それは、私や魔法学園の生徒も例外ではない。
魔法回路というものは、先天的に持って生まれるような者もいるが、ほとんどの場合は親から子へと受け継がれる。
そのため、代を経るごとに魔法使い達の経験から無駄の無い洗練したものとなっていく。
だから、魔法使い達にとって家の歴史は重要なのだ。
歴史が深い家ほど魔力の変換効率がいいと言われている。
では、それがどうやって受け継がれるのかと言うと、幼少期、魔力の高まりを自ら感じるようになった頃に魔法使いである親が子の魔力を弄るのだ。
弄るという表現は語弊があるかもしれない。
どちらかと言うと、整えると言うべきか。
通常、魔力の高まりを感じるくらい年齢になるとよく熱を出す。
その原因は体内で増え続ける己の魔力の行き場がなくなり、暴走するからである。
人は本来の容量を超える魔力は保持出来ない。
収める場所が無いので当たり前と言えば当たり前であるが。
しかし、残念な事に人は魔力を常に作り続ける。
この点については、魔力の源が精神であるからだとか、人の何処かに外界のマナを自己の魔力に変換する器官があるだとか、様々な言われ方をしており、いまだ魔法界では解決していない問題である。
そうだとすると、魔力を使わない限り、常に自己の容量を超える魔力が体内に留まることになりかねないが、通常であれば超過分は自然と体外に放出される。
もっとも、これは魔力が体外に放出される仕組みがしっかりと整っている場合である。
魔法回路のようなものを持たなくても、魔力を放出できるが、効率が悪い。
例えるとするのなら、蓋をしない鍋で湯を沸かすのか、やかんで湯を沸かすのかの違いだ。
水蒸気を放出する面積の小さいやかんの方が熱を中々逃がさない。
これは魔力も水蒸気も同じであり、中々放出されない魔力は体内で熱となって留まり続ける。
これが魔法の才能を持つ子供が幼少期に熱を出す原因である。
ようは、自己の生み出す魔力と放出量が釣り合いが取れなくなった時魔力は暴走するのだ、熱を出すという形で。
まさに、雪人がその状態であった。
何故それが分かったのかというと、単に彼が身体から異常な熱を放出しているからではない。
本来であれば他人の魔力なんて吸収することは出来ない、それは魔法回路のもう一つの効果、抵抗があるからである。
この魔法回路の抵抗機能があることによって、相手の魔力が体内に作用する系統、主に精神系魔法などから身を守ることが出来るのだ。
ただし、この魔法回路の抵抗があっても体内に魔力が流れる例外がいくつかある。
一つは、抵抗機能を超える魔力を身体に流し込むこと、一般に回復魔法や魔力供給はこの方法で行われている。
自己治癒は別として、回復魔法を使う者が大量に魔力を持っていなければならないと言われるのはこのためである。
二つ目は、まだ魔法回路が形成されていない者に魔力を流す場合である。
この場合、対象者が本来有する魔力に比例した抵抗があるのみで、人為的に抵抗効果を高められた魔法回路の場合とは比べ物にならない。
今私が雪人に流したのはほんの微量の魔力、とすると後者であることがわかる。
そして、私が流した魔力量から考えるに彼の持つ本来的な魔力量は圧倒的に少ない。
それも、低魔力で済む初級魔法すら使えないレベルである。
……そんな人が何故、この魔法学園に?
何となく、彼が三雲家から切り離された理由がわかる気がする。
魔法の名家にとって、魔法が使えない者が生まれるということは恥にほかならない。
特に長い歴史を持つ三雲家なら尚更であろう。
……殺されなかっただけマシなのかも知れない。
そのような子供が生まれた場合、生まれてすぐに殺す、という事がままある世界である。
もしかしたら、彼を居なかった事にする、ってのが唯一の親の愛情だったのかもしれない。
でも、そんな彼が何故またこの世界に戻って来たのだろうか。
……まさか、家族の復讐のため?
未だに三雲本家の人間を皆殺しにした者の所在はわかっていないという。
……でも、ほとんど交流が無かったという家族のために?それもおそらく、彼を捨てた家族のために?
それは……それはあまりに情が深すぎるだろう。
しかも彼は魔法の才能が無いのだ。おそらく、彼は私に使った魔道具のような物を使って復讐を果たすつもりなのだろう。
しかし、それは茨の道だ。
あの三雲家の人間を殺せるほどの相手が敵なのだ。どれほど彼は代償を払えば勝てるのだろうか。
万が一、勝てたとしても最後には何が残るのだろうか。
それは…………とても残酷な結末だった。
「本当……馬鹿ね」
つい言葉に出てしまった感情を倒れ込んでいる雪人に向ける。
でも、今は彼を救うことが先決である。
彼の身体の状態を考えると、自然に魔力が放出され切る前に彼の身体が持たなくなる。
だとすれば、取れる手段は一つだった。
「……今から、あなたに魔法回路を作るわ。 ……いいわね?」
返答は無いことを分かってはいるが、一言言っておきたかった。
魔法回路は一度形成されると、多少の修正は効くが作り直すことは不可能だ。
それに、もう魔法を知らない一般人の世界に戻れない事を意味している。
まぁ、私と許嫁になった時点でそうなのだけどね。
加えて、今私が形成しようとしているのは桜花家の魔法回路だ。
残念ながら三雲家の魔法回路は知らないのだからしょうがない。
もっとも、この決断は彼に残酷な結果をもたらすかもしれない。
桜花家の魔法回路は火系統魔法に特化したもの、火系統の魔法は容易に行使出来るようになる反面、三雲家が得意とする神道系魔法は行使し難くなる。
彼自身の魔力ではそもそも魔法を使えないと思うが、三雲、と名乗るのが辛くなるのかもしれない。それは脈々と続いてきた祖先たちの魔法を否定することになるから。
加えて、その身に宿す魔法回路がどこのものかわかれば三雲家は桜花家の傀儡と呼ばれるかもしれない。
……まぁ、私の両親は三雲家を傀儡にするつもりで私を人身御供にしたのだけど。
「それと……ミスしたらごめんなさい」
私は人に対して魔法回路を作るのは初めてなのだ。
自分自身のは把握しているし、多少いじったりもしているが私は経産婦ではない。
本来、作るとしても、通常は自分の子供に対してのみ、それ以外の人に作ることはない。
それは魔法回路は一族秘伝、先祖代々の叡智の結晶であるからだ。
特に、幼少期と比べて大人になってしまうと魔法回路は作りにくいと聞く。
「ん? あっ……んーやりにくい」
いざ彼の身体に手を当てて魔力を操作しようとしても中々、上手くコントロールできない。
子供相手に行うのではなく、身長が高校一年生にして百八十センチ近くある男の身体だ。
もっと精密なコントロールをするためにはもっと互いに素肌を接する必要がある。
「はぁ、なんで私がこんな事を……とりあえず、ソファーに移動して」
私はこの場では色々とやりにくいので彼をリビングのソファーへ引きずっていく。
そして着ていた寝間着を脱ぎ捨て、身体を彼の身体へ重ねる。
もちろん、下着もだった。残念ながらこの魔力操作は失敗は出来ない、覚悟を決めた。
……許嫁になった以上、いつかはやることだしね。
それが少し早まったぐらいで……。
「あー! もう! ……責任とりなさいよ!」
もうがむしゃらだった。
私もまだ十五のうら若き乙女だ。一昔前の法律でもまだ結婚できない年齢なのだ。
恥ずかしいに決まってる。
でも、やらなければいないのだ。これは人命救助、何も恥ずかしい行為では無い、と自分に言い聞かせて彼の魔力を操り続けたのだった。
魔法回路がある程度、形になってきたところから彼の表情が苦悶から、安らかな表情になってきた。
その表情にホッとするも、既に窓の外は明るくなりつつあった。
このツケはいつか払わせなければならない、そう決意を固めたのだった。
……眠い。
ーーーーーーーーーー
朝起きるとそこには見慣れない光景が広がっていた。
「っあ…………」
喉の渇きのせいか、その光景の衝撃のせいかはわからないが、声がまともに出なかった。
俺が今いる場所は昨日、学園側から住むように言われたマンションの自室のリビング。
それもソファーの上だった。
隣いや半分以上、俺の上に乗っかり寝ているのが姫乃。
オーケー、よくわかった。一歩引いてこの状況までは良しとしよう。
だが、彼女の服装、というか服装と言うもなにも全裸だった。
重要なので繰り返す、全裸だったのだ。
朝起きたらツンデレ同級生の許嫁が全裸で俺の上に寝ている。
この状況、なんてエロゲ?
これは夢なのか。男子高校生が抱く妄想なのか。
確かに、彼女と許嫁ってなったと聞いた時に、一瞬チラリとエロいことを考えてしまいましたよ。
だって、男子高校生ですもの。当たり前だ。
しかもだ、何故かソファーがびちゃびちゃに濡れているのだ。
これなんて液体?えっ、何、致したの?
記憶ないけど致したの?
よし、落ち着け俺。寝るまでの昨日の夜の事を思い出すんだ。
……確か、妙な発熱があって眠れず……しまいには半裸で台所の水道の水を浴びていて……そこから先の記憶がない。
なんか物凄く辛かった、って事しか覚えていない。
ん?てことは姫乃が俺をここまで運んでくれたのか。
あーはいはい、だからソファーが水浸しなんですね、やっと意味がわかりました。
「ふう、脅かせんな……よ?」
でもなんで、全裸なんだ。
……全く全裸であることの説明がつかないんだが。
まぁ、また一歩引いて俺が全裸なのはわかる。
確か記憶を失うまではトランクス一枚だったしな。
いやいや、俺のトランクスどこよ。そもそも現在、履いてないのだ。
あーこれ、奪われましたわ。色々と。
俺の脳内がそう結論付ける。
いやだって、あれでしょ。姫乃さん何だかんだ言って、俺との許嫁って関係も認めちゃったみたいだし。
なんかあの子、家のため、とか使命感に燃えるタイプだから早く三雲家の跡継ぎを作らなきゃとかって早まったんだろ、どうせ。
もしそうだったら……。
マジかよ。
「なにニヤニヤしてんのよ、馬鹿!」
いやー、色々やってしまった後のツンデレ発言はなんというか、乙ですな。
なんか味があるっていうか、愛があるっていうか。
うん、ツンデレって悪くないかもしれない。
「……まっ、まさか何か勘違いしてるんじゃないでしょうね!?」
キッと睨みつけるその視線も考えを改めてみれば、わーかわいーかわいー。
そして、全裸でその発言はエロいっす。
もう、僕の淫らでヤラシイ獣が再びあなたの大事なところを狙ってますよ。
「ひゃ! なにっ! なんか大きくなった!」
それは僕の息子です。
いや、ね。
俺も完全な男子高校生だしね、それに朝だしね。
もう、色々限界ですよ。
さっきからソファーから動けなかったのは朝の生理現象プラス彼女の全裸に興奮したからであった。
……しょうがないよね。男だもん。
「ひぃぃぃぃ! なっなっ、何突きつけてんのよ!」
慌てて飛び起きた彼女が羽織っていた毛布で自らの姿を隠しながら飛び起き、ソファーから離脱する。
いや、こちらからすると、何当ててんのよ、ですよ。
ホンマに。
「……エクスカリバー?」
「いやっ! なんか更に大きくなったっ! はっ! 早くしまいなさいよそれっ!」
本来ならば毛布で隠れているはずのそれは、ソファーから離れた姫乃のせいで完全に露わになっていた。
正直言えば恥ずかしい。
でも、昨日の夜に散々見られたのだとしたら、今更だ。
既に開き直って堂々としている俺がそこにいた。
ハッハッハ、ハニー何を言ってるんだい?
完全にアメリカンコメディーのノリだった。
「しまえって言われてもなぁ。 こうなったからには落ち着くまで時間がかかるんだよ。 なんか冷や水浴びせられるような事がないと」
「ひっ……冷や水を浴びせればいいのね?」
「ん? あぁ……」
姫乃が俺に向かって手をかざす。
あれ?なんか嫌な予感がする。
その先から出てきたのはーーー
「ぶへぇほ! がはっ! ……うぇっ! なっ、なんだよこれ!」
水だった。
それも文字通り、冷や水である。
「……治った?」
「治ったって……ってうわっ! マイサァァァァン! やめっ! ……こっちを見ないでぇー!」
ものすごい勢いで縮んでいくそれ。
同時に男の尊厳もガリガリと削られていく。
とりあえず、近場にあったもので大事なところを隠すがーーー
「ちょっ! アンタ、それ私のパジャマじゃない! やめて、それでそんな汚いもの隠さないでっ!」
「はぁっ! 汚いって! ちゃ……ちゃんと洗ってるし」
「そうじゃないっ! はぁ……怒鳴ってたら、ぐっ頭が……。 折角助けてやったんだから、感謝しなさいよ!」
「……助けて?」
「そうよ、アンタはすぐに気絶しちゃったみたいで覚えていないみたいだけど、魔力暴走してたのよ」
「魔力暴走?」
「おそらくだけど、私との戦いで使った魔道具は私の魔法を魔力としてあなたに吸収するものでしょ?」
「……あぁ、そうらしい」
といっても、ざっくりとした説明しか受けていないからなんとも。
魔法の素人には、敵に男女平等パンチを食らわす事の出来る魔道具という認識しかない。
「らしいって、自分のなんだからしっかり把握しなさいよ。 まぁ、ざっくりだけど、そのアンタが吸収した魔力が昨日の夜、暴走してたのよ」
「暴走って事は……あの熱か!」
あの苦しみから救ってくれたのか。
自分がどういう状態だったかの記憶は朧げだが、感謝しなければ。
「そう、それよ。 アンタ、魔法回路持ってなかったみたいだから吸収した魔力を放出できなかったのよ」
「魔法回路?」
「魔法使いが魔法を使うために必要なものよ。 それに自分で扱いきれない魔力を外部に放出する機能も持つは。 信じられないけど……あなた魔法の才能無いわね」
ここにきて知られてはならない事実を知られてしまった。
だが、まだ最低限のラインだ。
一番知られてはならない事ではない。
……この事は理事長に要相談だな。
というか、後で奴には一発ぶち込まないと気がすまない。
とんでもない魔道具を渡してくれたな。
「なっ……何故それを!」
ここは一番知られたくない事を悟られないため、オーバーリアクションをしとく必要があった。
おそらく、あの事実だけは、こんな状況になってしまった今、知られる訳にはいかないのだ。
「あの熱から解放させるために、私があなたに魔法回路を作ったわ。 その時知った、いえ知ってしまったのよ。 回路を作るのに一晩かかったんだから感謝しなさいっ!」
「はぁ……それはどうも」
魔法回路、それがどういったモノかはよくわからないけど、何か身体を弄られたのは確かだ。
なんとなく、知覚や触覚、嗅覚とは異なる妙な感覚がある。
……これはまさか魔力……というものだろうか。
「はぁ、もっと感謝しなさいよ! それにしても……アンタ、なんで魔法もロクに使えないくせに、この学園に入ったのよ?」
確信に迫る一言。
さぁ、どうしたものか。
真実を語る訳にはいかないし、自身でシナリオを考えなければ。
この点は理事長は考えているのだろうか。
いや、もう奴の事はいい。
どうせロクでもない事を考えているだろう。
俺が今考えなきゃいけないのは、魔力も無い魔法の名家出身の俺が何故この学園に入ったのか。
それを説得力ある理由を付けなければならない。
はぁ……本来であれば三雲家を継ぐはずの男が殺され、その弟が突如と現れて、三雲家を再建しようとする。
こんなストーリー、考えられるとしたら一手だろう。
「それは……その……今は言えない、色々あるんだ」
出来る限り、重々しい雰囲気で言う。
まるで自分には暗い過去があるかのように。
そして破滅の未来に向かうかのように。
そう、俺は魔王になるのだ、と自己暗示して最大限の演技力を発揮する。
実は理事長のミスで色々とでっち上げられた、ただの性欲が強いだけの全裸の男子高校生だと悟られないために。
「そっ……そうなのね。 まぁ、その……あなたの家の事情もあるし、いっ今すぐにって事じゃないのよ。 ほら……なに、あのー私達、えーと許嫁じゃない。 言えるタイミングでいいのよ。 ……ほらっ、何か私にも手伝える事あるかもしれないし」
「……いつか……いつか、君に話せる……時が来ると思う……」
瞳にじんわりと涙を浮かべる。
そして、親の敵を見るような眼差しで虚空を見つめ、俯く。
……よし、完璧だ。
「えーっと、なっ何か暗い話になっちゃったわね。 とっとりあえず、今日のことは私に感謝すること。 いい?」
「ああ……ありがとう。 君には……迷惑をかける」
「うぐっ……分かればいいのよ。 分かれば。 ええっと……あぁもうこんな時間じゃない! 私着替えてくるから、アンタも早く着替えなさいよ。 このままだと私達遅刻しちゃうかもしれないしっ!」
そう言って、姫乃は毛布に身体を包ませながら部屋へ戻った。
彼女の何か触れてはならないものを触れてしまったという、気不味さを感じる言動、これはーーー
ふふふ、計画どおり。
にやりと笑みが漏れる。
あぁ、ダメだ、今ここで笑ってはいけない。
笑うとしたら一人になってからだ。
もしかしたら俺は稀代の天才役者、いや詐欺師になれるかもしれない。
そんな風に思うも、今の自分の姿を思い出し、
「これじゃ、道化師だよなぁ……」
少しばかりの後悔を抱くのだった。
とりあえず、このパジャマ…………もらっておこう。
何に使うかは言わないが。
「……すうっ」