偽りの魔法使いⅢ
姫乃との決闘の数時間後ーーー
俺は再び命の危機に瀕していた。
「うわっ! お前やめろ! シャレになんねぇ!」
「はぁ、はぁ、はぁ。殺す! 絶対殺す!」
本日三度目の火球が俺を襲う。
もっとも、それは例に漏れず俺の右手の魔法封じの手袋によって俺に吸収されたのだが。
「また、無効っ! ……もう、なんでアンタはそんな面倒くさい魔道具を持ってんのよ!」
火球を放つのは、既にお馴染みの桜花姫乃である。
バスタオルを一枚巻いただけのあられもない姿で俺を攻撃していた。
顔はもちろん殺意に満ちている。今度こそ俺を殺すつもりだった。
「……なんでって言われてもなぁ」
言えるはずがない、俺が経歴を詐称していることを。
そして、それを偽装するための魔道具なのだと。
残念ながら、既に彼女の火球を三度も吸収してしまった。
これが意味するのは、魔道具が既に使用限界を超えしまったという事だ。
理事長の話が本当であれば、俺はもう防御手段を持たないことになる。
今週中どころか今日の内の魔道具を使い切るとは……魔法学園、かくに怖ろしい学園である。
俺は座して死を待とうとしたが、
「はぁ……これじゃイタチごっこね。 これじゃあ私の魔力が枯れるのが先っぽいから、今日は許してあげるわ。 罰として夕食はあなたが作りなさい!」
奇跡的にも姫乃の方が折れてくれた。彼女にもまだ理性という部分が残っていたのだ。
おそらく、今回の件について言えば俺のほうが明らかに悪いのに。
ある意味、その程度の代償で済むのならば儲けものである。
……いいもの見せてもらったしな。
「……わかった。 とりあえず、今から買い物行ってくるから、大人しく待ってろよ」
ステイ、ステイとまるで落ち着かない飼い犬に指示を出すように俺は自室へと向かう。
「ふん! あなたにそんなこと言われる筋合いは無いわ!」
「あーはいはい、もうツンデレはいいから」
「何がツンデレよ! アンタにデレることはありえないから!」
「……はいはい、じゃあ買い物に行ってきまーす。 あっ、生活費は半分出せよな」
特待生になって寮費は無料になったものの、ベット食事代は自腹になったのだ。
それに俺は学園に入学したての高校生、何かと入用だ。出来る限り手元に現金は残しておきたかった。
「きぃぃぃぃ!何よ、許嫁だからと言って!殺す、絶対に殺す!帰ってきたら絶対に殺す!」
俺は財布を急いで自分の部屋に取りに戻るとそそくさと新たに自宅となったマンションから逃げるように出ていった。
何故、俺がこんな事に巻き込まれているのかというとーーー
ーーーーーーーーーー
「えっ!? ここじゃない!?」
姫乃との戦闘の後、俺は自分が三年間お世話になる学園の男子寮を訪れた。
部屋割り等の詳細は学園側から寮の管理人に聞くようにと言われていたので、管理人事務室を訪れていたのだが……。
「えぇ、学園側の手違いで三雲さんは特待生だったらしく一般生徒と同じこの学生寮ではなく、宿舎は駅前の特待生用の寮……といますかマンションになります。 地図は、はいこれ。荷物は既にマンションの方に運び込んでますから、あとカードキーですね」
急遽昼間に特待生となった影響が出始めていた。
まさかの部屋移動である。
学園側のミスで、本来であれば特待生だった俺が一般学生扱いされていたって事にしているみたいだ。
確かにそのほうが納得がいく。突然、特待生になりました、じゃなんだか不正の匂いがしそうである。
「マンションですか……」
「ええ、あっ一応特待生用のパンフレットも渡しておきますね。 部屋は単身用なので気兼ねなく使ってください」
俺は管理人に手渡された地図に従って、特待生用のマンションに向かったのだが……。
「……これが特待生用のマンション」
ええっと、ここでいいんだよな。
二十五階建ての高級マンションがそこにあった。
一介の高校生が寮として使うレベルを遥かに超えている。
なんだかIT関係で成功した人が住んでそうである。
恐る恐る、渡されたカードキーを中に入ると、入り口のロビーはまるで高級ホテルのようだった。
こ……コンシェルジュまでいるし。
あまりの場違い感に心臓が飛び出そうになる。
きっちりと正装したコンシェルジュの彼に軽く会釈をすると俺はそそくさとエレベーターに向かって自分の部屋のある二十階を目指した。
目的の部屋に到着し、ドアを開けるためにカードキーを通そうとすると鍵のランプは緑、既に解錠されていた。
さ……流石、コンシェルジュ。俺が部屋に入ると見越して遠隔操作で鍵を開けてくれたりしたのだろうか。
出来る人は違う。
扉の前の監視カメラにぐっと親指を立てると俺は室内へと入っていった。
パンフレットによると、室内は3LDKの部屋だそうだ。
魔法学園であるとはいえ、高校生にこんな高級な部屋をポンと与える学園は何を考えているんだろうか。
学園のデカさといい、このマンションといい資金力には驚かされる。
この学園の運営母体である全日本魔法協会はどれだけ稼いでいるんだか。
つくづく、とんでもないところに来たなという感想である。
「ふぅ、これでやっとくつろげるな」
単身用の部屋を割り当てられるのは今の俺にとって救いだった。
本来入る予定の学生寮は二人一組、色々と偽っている俺は学校でも寮でも嘘をつき続けなければならなかったのだ。
案外、嘘をつくというのは疲れるものである。
いつバレるかも分からない恐怖と戦いながら常に緊張感を保っていなければならない。
自分の一挙手一投足が命取りになるのだ。
だから、一人で過ごせる部屋というものはありがたい。
唯一、自分が自分でいられる場所なのだから。
「ふんふふーん」
陽気な鼻歌も出てしまうものである。もう、緊張は解いていいのだから。
その時、俺はとある事を見逃していたのだった。
玄関にーーー
靴がもう一足あった事に。
「ではではー御開帳ー!」
玄関から続く廊下を抜け、リビングのドアを開ける。
確かパンフレットではリビングを中心に吹き抜けの二階建ての部屋があるという事になっている。
ガチャリとドアが開かれた先の光景はパンフレットとほとんど変わらぬ光景だった。
ただ一つ、変わった光景と言えば、
「なっ! ……姫乃……お前……」
自分と同じ魔法学園の制服を着た少女がそれはもう見事にソファーに突っ伏していた。
その流れるように美しい銀髪は間違えようもない。
何故彼女がここにいるんだ?
ムクリと顔を上げた彼女が不機嫌そうに呟く。
「何がふんふふーんよ。 それにごかいちょーとかどこのお上りさんよアンタ」
はい、どうもお上りさんです。
だって和歌山のど田舎出身の俺は、こんなマンションに来た事一度も無いんですもの。
なんて言えるはずもなく、
「いや、そのなんだ。 ……やっぱこういう高級マンションに慣れていなくてだな……っていうかなんでお前がいるんだよ!」
あんな事を言った手前、顔を合わせるのが恥ずかしい。
……まさか、嘘だってことがバレて、再度襲撃に来たんじゃないだろうな。
「……っだからよ」
ボソリと呟く姫乃。声が小さくて聞こえない。
「えっ、なんだって?」
別に俺は難聴系主人公では無い。
単に姫乃の声が小さいだけだ。
「……何度も言わせないでよ……。 私があなたの許嫁だからじゃない!」
「は?」
何をトチ狂ったんだこの少女は。
俺のハッタリを本気で信じてしまったのか……。
親か何かに確認すれば一瞬でわかるような嘘なのに?
「はぁ、私も不本意だけどしょうがなのよ。 ……お父様もお母様も乗り気みたいだし、逆らえないわ」
「……お、そそそうか」
多少声は上擦ってしまったが、なんとか誤魔化せただろうか。
……マジか、マジなのか。何が起こって俺と姫乃が許嫁に?
とりあえずは、先の決闘で、お前は俺の許嫁だからなんて言ってしまった手前、この場では俺は許嫁である事を知っている事になっている。
だから、動揺してはならない。落ち着け俺。
「……なによ、不満なの?」
「べ、別に、さっきも言った通りだけど、俺に不満はないさ。 ただーーー」
「ただ?」
私の方には不満がありますが、というジト目で俺を見てくる姫乃。
色々と冷や汗が止まらない。落ち着くんだ、落ち着け俺。
ここは先ず、
「ーーー俺の出自は知っているんだろうな?」
もしかしたら、三年前に殺された三雲家次期当主の三雲零一と勘違いしている可能性もある。
いや、むしろその勘違いしている方が説明がつく。
そのため、彼女に確認する必要があったのだ。
仮に、許嫁の相手が俺であったとしても三雲本家が皆殺しにされたという事実や俺が三雲家の遺児だったという裏設定は、同じく名門魔法使いの家柄である桜花家ならば容易に調べられることが出来るだろう。
桜花家は魔法協会でも要職に就いている、と聞いているしな。
だから、この場で裏設定を明らかにしても問題はないはずだ。
肝心の俺が一般人であの三雲家と名字が一緒なだけのただの三雲だということさえバレなければ。
「三雲本家はみんな死んだ。 今ここにいるあなたは三雲家の遺児、次期当主だった零一の弟、雪人。 ……それぐらいは知ってるわよ。 まぁ、知ったのはついさっきなんだけど」
「そうか……」
だとすると、姫乃が俺と零一を取り違えているという事は無さそうだ。
許嫁は雪人に対するもの。……まさかヒルデガルトの奴が仕組んだのか?
三雲分家がぽっと出の本物かもよくわからない俺を、いきなり政略結婚の道具に使うってことはあり得るのか?いや、無い。
だとすると俺の素性を知っており、裏設定の情報を流せるのはやはり学園の理事長であるヒルデガルトだけだ。
……くっ、あのロリババアよくもやりやがったな。
マズいな、この状況は。俺はこのまま行くと常に経歴を詐称してなければならなくなる。
姫乃と許嫁ってことは、将来、彼女と結婚するという事だ。それはマズい、マズすぎる。
俺は高校生活の間だけ、エリート魔法使いを演じれればいいと思っていたのだ。
確かに俺があの三雲家だと偽っていれば、三雲家再建に名門桜花家を引き込むことが出来る。
だがそれは、俺が一生、魔法界からは抜け出すことは出来ず、あの三雲家を死ぬまで名乗らなければならないのだ。
ふっざけんな、あのロリババア!話が全く違うじゃねぇか。
「辛いことを思い出させてしまったかもしれないわね。 ……ただ、あなたには絶対に次期三雲家当主なってもらう事になるわ。 それが桜花の為、私が人身御供になったからにはね」
「はぁ!? 次期当主? 何を……」
そんな話は理事長であるヒルデガルトからは聞いていないが、おそらくこの状況を考えるとそうなのだろう。
三雲家の分家筋を疑っているヒルデガルトは、俺を使ってヒルデガルト主導で三雲家を再建するプランなのだ。
……それじゃまるで乗っ取りだ。もっとも、姫乃の話しぶりから桜花家も三雲家を乗っ取るつもりなのだろうが。
……くそっ、面倒なことに巻き込まれてしまった。
今更、俺は一般人です、あの三雲家とは関係ありませんと言うか?
……いや、それは無理だ。この三雲家再建の足がかりを作るスピードを考えると既に俺は退路を絶たれている。
名門と言われる桜花家にも縁を持ち、おそらく、学園の運営母体である魔法協会にもヒルデガルトの魔法界への影響力というものをひしひしと感じる。
なんて茨の道なんだ。
俺はどこで人生の選択を誤った……あっ、魔法学園に入学したところでか。
くっ……華の高校生活の代償がこんなにも重いとは、人生って何があるか本当に分からないものである。
「……あぁ、それは知らされてないみたいね。 じゃあ、あなたも被害者って事かしら。 あなたの後見人であるこの学園の理事長と私の両親はあなたを次期当主として三雲家を再建することを決めたのよ」
後見人だって、あのヒルデガルトが。
だとすると、この場で俺が何を喚いても姫乃に頭のおかしい人扱いされるだけか。
ヒルデガルトと俺、現状でどちらが信用性が大きいかは一目瞭然。
どうあがいても俺は三雲本家の人間に仕立て上げられるらしい。
「……マジかよ」
「マジよ。 私もいきなりの事で驚いてるわ。 理事長からすると不穏な分家筋に主導権を握らせない事が出来るし、私を嫁に出す桜花家としてはあの名門三雲家を傘下に収めることが出来る。 どちらにもメリットがある話でよくある話。 ……お陰で私は桜花家の次期当主の座から引き落とされ、三雲家に身売りされることになったけどね」
どこか忌々しげに皮肉たっぷりに語る姫乃。
彼女が学園で人より上に立って、常に一番を狙うストイックさを見せていたのも、おそらく桜花家の次期当主としての行いだろう。
だとすると、この許嫁の取り決め、俺だけでなく彼女の人生も破壊するものであるらしい。
「はぁぁぁぁ! あのロリババア何してくれてんの!?」
つい、頭を抱えて絶叫してしまった。
もう我慢の限界だった。
「それは同感。 ……しかも今日の午後にいきなり決まった話と言うじゃない。 正直、私も両親の事を恨みたくなるわ。 娘を手放す決断が軽すぎなのよ」
ため息混じりに再びソファーに頭から飛び込む姫乃。
ん?待てよ、俺と姫乃が正式に許嫁になったというのはわかるが……。
「……でもなんで俺と姫乃が同室なんだ? 許嫁と寮の部屋が同室ってのは別に関連性はないだろ?」
「はぁ、それよね。 一歩下がって許嫁の件は良しとしても、こればかりは許せないわ」
「姫乃は理由を知っているのか?」
「えぇ……散々学校側に問い合わせてやったわ。 どうやらこれもあのいけ好かない理事長の指示らしいのよ」
「マジか……」
あのロリ、一体どこまで俺達を翻弄すれば気が済むんだ。
……もう、俺に安息の地は無いのかもしれない。
「どうやら、雪人、あなた学園側のミスで特待生だったのに一般生徒扱いされていたみたいじゃない?」
「……あぁ」
面と向かって聞かれると気まずいものである。
……あのロリっ子の一存で決めちゃったからなぁ。
「特待生であれば必ず入れるこのマンションは学園側がミスに気づいた時にはどうやら既に満室。 いくら名門三雲家の次期当主が入るからって誰かを追い出すような真似は出来ないでしょ? だから、学園側は部屋は唯でさえ広いんだから相部屋でも大丈夫よね、って事であなたを相部屋に入れることを決定したわけ」
「ちょっと待ってくれ! 相部屋だったら普通男は男同士だろ、一般寮も男女別れてるんだし。 もしかしてこのマンションには女の子しかいないのか?」
「ここには男もいるわよ。 まぁ、そもそもここは個人の部屋が広くて明確に男女で区別されていないってのがあるけど……。 特待生になるような優秀な生徒は自室で魔法の研究をする者も多く、あまり相部屋は推奨されていないのよ。 他人の研究成果を同居人に取られたら最悪でしょ」
確か特待生用のパンフレットには何故特待生の寮が広いのか書かれていた。
それは部屋で独自の魔法を研究することが出来るようにとの配慮だ。
魔法というものは、代々家ごとに受け継がれてきたものも多く、秘匿性が高いのだ。
もっとも、それは同じ家の中では隠す必要もない。
「まさか……俺と姫乃が将来結婚することになるから……」
「情報は互いに漏れても大丈夫でしょって事よ。 夫婦なら研究成果の取り合いは無いだろうし、むしろ互いに積極的に協力し合うことが出来て便利でしょってね。 要は言い方の問題よね」
「おいおい、もし男女の間違いとかあったらどうするんだよ……」
男女、同じ屋根の下でこれから三年間。しかも許嫁だ。
間違いが無いはずがない。……個人的には性格はあれだけど姫乃は超絶美少女だしな。
胸は薄いけど……俺の理性が保つかはわからない。
「うわぁ、間違いって、アンタねぇ。 ……考えるだけでも身の毛がよだつわ。 アンタみたいな万年発情期みたいな猿に襲われるなんて…………最悪よ! 舌を噛み切って死にたいぐらいだわ!」
うわぁ、そこまで言わなくても。
地味にショックである。
まじまじとそんな事言われると思春期男子には辛いものである。
「ま、まぁ、仮にそんなことがあるとしても許嫁だからって理由で片付けられるわ……きっとね。 ……かっ、仮に、これは本当に仮だからねっ! こっ……子供が出来てしまったとしても……学園側、いやあの理事長はむしろ喜ぶでしょうね。 ……これで三雲家は安泰だ、と。 はぁ、色々最悪だわ」
「こっ……子供とか、先走り……すぎだろっ!」
「何よその間……キモいんですけど」
思春期の男子が女子から言われたくないワードベスト3に入る言葉だ。
雪人は100000のダメージを受けた。
めのまえがまっくらになった。
「ちょ……アンタ落ち込みすぎでしょ!」
「思春期の男子高校生のメンタルは豆腐以下なんだよっ!」
「はぁ、馬鹿らしい。 まぁいいわ、どうせ私がアンタと暮らすのは確定事項みたいだし……将来も決められてしまったみたいだし……はぁ、とりあえずお互いのルールは決めときましょ。 ここは門限もないし、消灯時間も無い、自由なところよ。 その分、家事や料理は自分でやらなければならないわ」
「……マジか。 食堂が無いってのはキツイなぁ」
自炊かー、家では料理は殆ど妹がやってたしな。
出来るのはカレーとかハンバーグとか典型的な料理に限られる。
魔法や高校の勉強だけでなく、料理の勉強もしなきゃ不味いな。
新生活はやることがいっぱいだ。
正直、もう食傷気味なのだが。
「アンタ、料理は出来ないの?」
「あー、平均的な男子高校生程度には出来るかな。 レパートリーは典型的なものに限られるが」
「……なんか不安ね。 まぁ、いいわ。一応出来るのだったら、今日から交代交代でやりましょ、個人でバラバラに作って時間を無駄にしたくないわ」
話しぶりから、姫乃はそれなりに料理が出来るようだ。
確かに一人で毎日ってのは大変だ。そういえば、実家では妹が毎日、家族四人分の料理を用意してたんだよなぁ……。
今更ながら感謝したくなってきた。
あとで東京土産でも送ってやるか。
「じゃあ朝の料理はアンタね。 ……レパートリーが少ないなら朝のほうが楽でしょ? とりあえず、昼食と夕食は私が作るわ。 一応、手伝えるだけは手伝ってよねっ!」
「んーそうだな。 いきなり三食分はキツイからなぁ、助かる。 頑張って料理のレパートリーを増やせるように頑張るよ」
「ふん、口ではどうとでも言えるわ。 行動で示しなさい行動で」
「……へいへい」
「じゃあ次はゴミ出しの当番なんだけどーーー」
こうして俺と姫乃は同居生活に渋々納得しながら、家での役割を細々と決めていったのだ。
ただ一点、決めなければトラブルが起こる重要な事項に気づかずに。
ーーーーーーーーーー
ふと思い出していた。
俺がマンションから逃げるように出てきた事の顛末を。
「……ふっ、まぁそうなるわな。 ……あぁいいぜ。俺をなぐ、ぶへらっ!」
姫乃に顔面を殴られて錐揉み回転でリビングにふっ飛ばされる俺。
ああ、いいパンチだ。流石、桜花家元次期当主。そして、俺の嫁。
「まだよ! このゴミムシが! 初日からやったわね!」
そう言って、姫乃は夕方に俺を襲ったのと同じ魔術を展開する。
彼女の頭上に浮かぶ火球。
夕方のより小さく感じるのは、杖が無いことや無詠唱が影響しているのだろうか。
もちろん、火球はなんの躊躇いもなく俺を襲ってくる。
「ちょ!魔法はヤバイって!しかも火球は!火事になる!」
もちろん、俺の取れる行動は一つ、火球を右手の手袋で吸収するだけだ。
夕方に襲撃された際と同じ要領で火球を消す。
何故、俺が再び姫乃に襲われているのかというと、俺はやらかしたのだ。
お約束を。
マンションの住人の共用施設があるというので、俺は姫乃と家事の役割分担を終えた後、一人で色々と見回っていた。
このマンションには大浴場にサウナ、スポーツジム、プールまであり、要はただの高級マンションであった。
なんというか、分不相応とはこの事だろうか。一般家庭出身の俺には衝撃が大きく、胃が痛くなりそうな施設群である。
部屋に戻ってくると、姫乃に頼まれていた食材を買いにスーパーマーケットに行こうとしたのだが、ふと、不足した日用品も買い足しておこうと思ったのだ。
ちょっと気を利かせたつもりだったが、裏目に出てしまった。
必要な日用品がないかチェックしようと思い風呂場へつながる脱衣所を開けたその時。
そこにいたのは姫乃。もちろん、服は着ていない。彼女の絹のように細やかで白い肌が目の前にはあった。
あぁ、ついにやってしまった。
何となく共同生活をしていれば一度はやるかもと思っていたが、それは今日だった。
もちろん、故意は無い。……無いはずだ。
まぁ、この光景は悪いものではない。ごちそうさまです。
さぁ、殺せ!
「うわっ! お前やめろ! シャレになんねぇ!」
そして俺は虎の子の魔道具をダメにしてしまったのだった。
とりあえず、明日の朝一であの腹黒幼女の元に魔道具をせびりにいこう。
俺には魔道具以外、戦う術はないのだから。
今日一日体験してわかったことは、魔法学園は想像以上に危険な場所だった。
一日通えば、二度と元の平穏な生活に戻れないほどに。
現在、俺は何をしているのかというと。
缶コーヒーを片手にマンションの近くの公園でブランコをゆっくりと漕いでいた。
思いの外早く、スーパーマーケットでの買い物が終わってしまい、帰るのが気まずいのである。
「はぁ、怒ってるんだろうな」
意外と姫乃の怒った顔も可愛かったと思いながら俺は夜空を見上げていた。
もしかしたら、この時間が唯一、自分が自分でいられる場所なのかもしれない。
この公園が行きつけになりそうな予感がする。
自分の安易な決断が自らの精神も肉体も傷つける。
嘘とは本当に怖いものである。
おそらく、俺に死に方はろくなもんじゃないだろうな。
ヒルデガルドほどでは無いだろうが。
いつか積み重ねた偽りの重圧によって押しつぶされる日が来るのだろうか。
このまま行くと、自分の妻にも子供にも嘘をつき続ける人生になる。
なんか、それはーーーー
少し悲しいかもしれない。
春の夜風はまだ冷たかった。