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ハロー異世界グッバイ四畳半  作者: 不立雷葉
39/50

39話 街を歩く(1)

 準備をしなければならないということで、テオドラスを食堂に待たせハリスと共に自室へと戻ることになった。部屋の中ではアネットが一人で椅子に座り、熱心に読書に勤しんでいる。


 彼女は二人が来たことに気づくと即座に本を閉じ、この時に題名が目に入る。シオ一〇〇年の歴史と書かれていた。


「あら、ハリス様にゴドー様。おかえりなさいませ、お二人とも表情が宜しくありませんね。少しの時間を頂けましたら紅茶を淹れますが、どうなさいましょう?」


 アネットは立ち上がるとスカートの裾を軽く摘んで頭を垂れた。彼女の出した提案は嬉しい者だった、淑女である彼女が淹れる紅茶は美味しいに違いない。


 しかし今はそんな時間がない。ハリスはアネットに声をかけることも、視線を向けようともせずにベッドへと向かった。ベッドの上には長方形のトランクケースと、角張った革製のベルトポーチが置かれている。


 伍堂が持ってきたものでは無い、アネットに尋ねてみたが彼女のものでもないらしい。


 この長方形のトランクケース、銃を入れるにはちょうど良さそうな大きさをしている。これはまさか、と伍堂が思ったことを口にするより前にハリスがトランクを開けた。


 そこには予想通り、銃が入っていた。ダダリオ村やエプスタイン邸で見たマスケット銃ではない、グレコ工房で製作されたボルトアクション式の新型銃である。ということは、革のポーチの中には銃弾が入っているのではなかろうか。


「本当はもう少し儀礼的にやるべきなのだろうが、止むを得まい。ゴドー、貴様に新型銃ゼマイティスを与える。試射の時間はやれんが使い方ぐらいは分かるだろう?」


 ハリスから手渡された銃はグレコ工房で一度手にしたものと同じはずだが、ずしりとした重さを感じる。ここで何か気の利いたことを例えば、ありがたく頂戴いたします、といった言葉を言えれば良いのだがそれは言えない伍堂である。


 伍堂もハリスも不安を感じてはいるが、それを共有していないアネットは小さく拍手をして伍堂を祝福していた。


「あの、僕は何をすれば良いんですか? 下でのやり取りでは、よくわかりませんでした」


 薬室を開き、空っぽのそこを覗き込む。失礼だと分かっていても、ハリスの顔を見ながら尋ねることが出来なかった。


「難しいことではない、テオドラス代表と共に街を見回るだけだ。とはいえ有事が起きた際、彼に手出しはさせるな。実力は確かな方だが万が一にも怪我をされては大問題だからな、あくまで目を提供してもらうだけに留めろ。あぁそうだ、馬車を手配させるからそれを使えアネット嬢にも同行してもらおうか」


「えっ!? あ、あの……テオドラス代表と言われましたのは、ネアトリアのテオドラス・ウォルミス様でありますよね。そのような方の前に私が出て行って良いのでしょうか?」


 伍堂よりも年上で大きな包容力を持つアネットがうろたえていた。両手で口元を覆い隠し、右へ左と視線を動かし、落ち着かないのか部屋を歩き回る。


「アネットさんを同行させるのはまずくないですか? もしかしたら戦いが起きるかもしれないんでしょう?」


「それは無い、というより今日ではない」


 自信ありげに言い切るハリスに伍堂はつい首を傾げた。


「鳥観の術を看破されたことに向こうは気づいている。仕掛けてくるなら既に仕掛けているはずだ、それがなかったという事は向こうもまだ準備段階と見て良いだろう。用意ができていないのにこのタイミングで仕掛けては来ないさ、万全でないとはいえこちらは迎撃体制を整えている。特に今は誰もが警戒している時だ。私が術者なら仕掛けない、負けるのが分かりきっている。仕掛けるのであれば、数日後だろうな。督戦しようが現場の兵士の気が緩んでくる、そこを狙う」


 なるほどな、と感嘆の息を漏らす。FPSゲームで勝つために戦術について調べたこともある伍堂だったが、ハリスのように考えることはできない。


 そしてこのハリスの言葉に部屋を歩き回っていたアネットは足を止め、顔を青ざめさせる。


「戦い、とはどういうことですか? ネアトリアの方と問題が起きたわけではないことは分かりますけれども、どうしてそのような言葉が出てくるのです。スタイン市にも、このシオの近辺には盗賊の類はほとんどいないと聞いておりますが」


「魔王が復活したかもしれないというだけのことだ。我々は事前に魔王が現れることを想定し、準備を進めてきた。今、伍堂が持っている銃もその一つ。如何な強敵が現れようとも打ち倒すべく用意している」


 いもしない魔王の話をしたところでアネットが信じるわけがないだろう、何を言っているのだ。と伍堂は思っていたのだが、アネットはハリスの言葉を毛ほども疑わずに納得し、そして落ち着きを取り戻す。


 どういうことだと驚きそうになったが、考えてみればおかしなところはなにもない。魔王がいないと知っているのは一部だけ。


「一つだけお尋ねしたいのですが、街の皆様はそのことを知っておられるのでしょうか? ハリス様はまるで魔王の軍勢がここに来ると言っているように思えます」


「知らんよ。彼奴等が来るという確証はない、このような状況で魔王が来るなどと流布すれば余計な混乱を招くだけだ。アネット嬢にもこの事を念頭に置いて欲しい、つまり……普段どおりにしてくれ」


「畏まりました。それではゴドー様の奥方としての務めを果たさせていただきます」


「では頼んだ。ボネット一人では限りがあるだろうから私も警備体制の見直しへと向かう。指名されてしまったとはいえ貴様一人に重責を負わす結果となった、失敗しても背負い込むなよ。これらの件に置いての総責任者は私だ、貴様の失敗は私の責任も同義。よって気負う必要はない、後は頼んだぞ」


 気楽にやれと言ってくれているのはわかる、わかるが余計にプレッシャーがかかる。


 テオドラスは隣国ネアトリアの重要人物であり彼との間に問題が起きれば、伍堂はその責任を取りきれない。なのでハリスがこう言ってくれるのもわかりはするが、言って欲しくはなかった。


 伍堂は唇を固く結びながら身を強張らせ、アネットは恭しく一礼を行う。その二人の様子を見たハリスは部屋を出て行った。


 あまりテオドラスを待たせるわけにはいかない、銃を手にしたままベッドに腰をかけてベルトポーチの中を見た。予想通り、中にあるのは専用の銃弾である。ざっと見たところ数は二〇、どれもが白銀色をしていたが一発だけ赤い弾が混じっていた。


 赤と銀、二つの銃弾を見比べる。


 刻まれている呪文が違うことにすぐ気づいたが、魔術知識を持たない伍堂にはわかるはずもない。アネットも分からないだろう。説明書に相当する物が無いかポーチの中を漁ってみたが、銃弾以外の物はない。


 不親切さに嘆息を吐きながら、赤い銃弾を仔細に眺めると底部に単語が刻まれていることに気づく。燃焼を意味する言葉である、パウエルから渡された絵本や辞書に載っていた単語だ。となればこれは呪文ではなく銀の、おそらくは通常弾との違いを明らかにするためのものではないかと思われた。


 フジゲンはこの弾なら普通の弾では出来ない事が出来ると言っていた。それを踏まえて考えると、この赤い弾は特殊な効果が付与されているのだろう。単語の意味から連想すると、着弾した対象を燃やすのではないかという想像ができる。


 しかしあくまで伍堂の想像だ。実際は違うのかもしれない、試し撃ちを出来なかった事が悔やまれる。出来ることといえば、せいぜい銃を使用する機会が訪れないことを祈るだけだ。


 もう一つ、これも確認しておかねばと銃口を覗き込んだ。銃身にライフリングは刻まれていない、ボルトアクション方式を実現させているのだからライフリングがあるかもと思ったのだが、まだ誰も発案していないものと思われる。


 準備するものといえばこの程度だろう。腰に佩いた剣の位置を調整して伍堂の準備が終わる。さて、アネットの準備が終わるのを待つかと顔を向けてみれば意外なことに既に身支度を整えていた。


「あら、驚いておられるようですがどうされました?」


「身支度にもっと時間がかかると思っていたので……少し驚いてしまいまして」


「普段はもう少し要りようになりますけれども、今は人を待たせておりますので。美しくあるのは大事な事ではありますが、大切な時間を頂いておりますからね。それに、私は着飾らずとも美しくありますので」


 くすりと笑って見せた仕草は控えめなものではあるが、言っている事は大きな自信に満ちている。


 アネットが実際に美人かどうか、この世界の基準ではどうかわからない。所変われば美の基準も大きく変わるが、少なくとも伍堂の目には美しく見え、その彼女が隣を歩いてくれると想像するだけで恐縮するほどだ。


「ゴドー様も仕度が出来ておられるなら、テオドラス様を迎えに参りましょう。使用人のトーレスに馬車を手配するよう命じておきますから、先に降りて下さいな」


「あっ、はい。すぐだとはお客さんを歓待しておきます」


 アネットに頼もしさを感じると共に自身の至らなさを思い知らされるようだ。こういった感情を表情に出してしまうクセが自分にはあるらしいので、顔を背け表情を隠しつつ銃を担いで食堂へと戻る。


 そこそこ長く待たせてしまっている。テオドラスの性格を考えると怒りはしていないだろうが、苛立つぐらいはしていてもおかしくはない。


 気の利いた冗句の一つでも言った方が良いだろうかと、無い知恵を振り絞っていたのだが一人待っていたテオドラスにその素振りはない。ほとんど人のいない食堂で、一番大きなテーブルを独占し優雅に茶を啜っていた。


「おかえり、もっと時間が掛かると思ったから茶を注文してしまったよ。どうせ奥方役は時間が掛かるだろうし、一緒に茶でも飲もうじゃないか」


 伍堂が断りを入れる間も無く、テオドラスは宿の人間を呼びつけて追加の茶と菓子、そして地図を注文していた。


 宿もテオドラスが追加注文することを見越していたのか、あっという間にカップとティーポット。そして焼き菓子が運ばれてきた。テオドラスは到底、貴族とは思えぬ粗雑さで焼き菓子を頬張りながら地図を広げる。


 伍堂も広げられた地図に目を落とすが、想像していたものとは違っていたために肩を落とす。詳細な街路図がやってくると思っていたのだが、やって来たのはリゾート地にあるようなイラスト豊富な観光用のもの。道を調べるというよりも、観光名所の位置関係を知ることが出来れば良いといったものだった。


「あの、こんな地図で良いんですか? ハリスさんに言えばもっと詳細な地図が見れると思いますけど」


「あー良いの良いの。こっちの方が良いよ、街は歩き回ったから頭の中に地図作ってるし。俺が知りたいのはそういうのじゃなくってね、こういうものがあるか、だからね」


 地図に視線を落としたままテオドラスが地図を指差す、そこには灯台の絵が書かれており、展望台から絶景を楽しめるという注釈が付いていた。


「灯台? そんなところに行ってどうするんですか?」


「正確に言えば灯台に行きたいわけじゃない。高いところから街を見渡したいのさ。魔術が使えるなら鳥観の術を使うんだけれど、ここじゃ使えないからな。高いところに登って街を俯瞰する。地道に歩き回って全体像を頭の中に描いちゃいるが、想像したものと実際とでは差異があることがほとんどだ。実際に見れるならその方が良い」


 なるほど、と思うと共にまたも至らなさ実力の無さを思い知らされる。けれど、それは当然のことなのだ。日本で暮らしていればそんなことを考える機会などない。


 今の自分に力は無い、無いのならばこれから身に着ければ良いのだ。それができるのだろうか、不安はあるがきっと出来る筈。完璧、とはまだ程遠いものではあるがこの世界に来てから異世界言語の読み書きができる様になっているではないか。


 前向きに考え、テオドラスから吸収できるものは全て身に着けてやろう。こう考えると自然と居住まいも正され、目つきも真摯なものへと変わっていく。


「そういえば本当に敵が来た時、テオドラスさんは具体的にどうするんですか? 部下の人、多くはないでしょうけど引き連れて動くんですか?」


「そんなことはしない、というより出来ないという方が正しいか。この街のことを考えるのならそれが得策だろうが、禍根を残すことになりかねない。あくまでも、腕っ節に自信のある観光客が出来る事以上のことはやらない。せいぜいが住民の盾になって、街の衛兵が到着するまで時間稼ぎってところか」


「ということは僕もそうなるということですよね」


 頭の中に浮かぶのはダダリオ村での出来事。


 日が経つに連れて現実味を失いつつあった記憶だが、またあのような戦いをすることになるのかと思うと、昨日の事のように鮮明に思い出すことができた。


 手にゴブリンを両断したときの感触が蘇る、返り血の温かくぬるりとした感触。こぼれた臓物の嫌悪を催す悪臭までもが甦ってくる。


「どうした? 顔色が悪いぞ、まさかこれが初陣になるとかじゃないだろうな?」


 言われて汗を掻き、手が震えていたことに気づく。


 これが初陣ではないので否定するが、似たようなものかもしれない。実戦を経験しているとはいえ、無我夢中のあまりに自分が何をしたのかはほとんど覚えていないのだ。覚えているのは不快感と恐怖。


 急に緊張し始めた伍堂を気遣っているのか、テオドラスは焼き菓子の皿を近づけてくれたが口に入れる気は起きない。


「戦場に出た回数は?」


「一回だけです」


 投げかけられた問いに素直に答えると、テオドラスは「そうか」と呟いてティーカップを傾けた。


「一番怖い時だな、初回はただただ必死になもんでなんてことなかったりする。二回目、人によっては三回目もか。これが怖い、一度経験しているだけに余裕がある。周りのことが見える、恐ろしさに気づく。震えて実力を出せずに死んでいく奴も多いかな」


 死ぬと言われた気がして背筋が震えたが、そんなことは言われていない。


「みんなも、テオドラスさんもそうだったんですか?」


 否定されたらどうしようか、面と向かって尋ねる事は出来なかった。


「他の連中はどうだったか知らんけど、俺はそうだったかな。二回目から、しばらくの間は怖かったよ」


「そうですか……」


 これ以上の言葉は出てこない。


 多分、テオドラスもそうなのだろう。彼は意識的に伍堂と視線を合わせないようにしながら焼き菓子を手に取ると、それを一口に頬張った。


 互いにどうしたものかと思案を巡らせていると、仄かに柑橘類の香りが漂ってくる。


「お待たせして申し訳ありません、馬車の手配が出来ましたの。あら? 随分と空気が重い、そんな顔をなさらずにシオの観光を楽しもうではありませんか」


 アネットが現れたタイミングはベストであった。彼女が身に着けた香水の香りは気分を明るくさせる匂いであったし、蝶である彼女が浮かべる笑みは暖かなものを想起させる。


 しかし伍堂の気を晴らすまでは行かない。ハリスもテオドラスも襲われないだろうという意見で一致しているが、それは今日だけのこと。明日以降は分からない、形も見えない襲撃者は虎視眈々と街を狙っているのかもしれない。


 それでもアネットの声と仕草は、僅かながらでも気分を軽くさせてくれた。


「では行きましょうか、確か灯台の展望台に行くんでしたよね?」


「あぁそうだな。景色はもちろんのこと、良い風を感じられそうだしな」


 伍堂に続いて立ち上がるテオドラスの動きには微塵の隙もない。気楽そうな口調の彼だが、その瞳は猛禽となっていた。

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