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ハロー異世界グッバイ四畳半  作者: 不立雷葉
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35話 再会はシオの街

ハリスと共にシオへと向かうその日になっても伍堂に案内人が告げられることはなかった。ほとんど毎日のようにパウエルに尋ねはしたのだが、「交渉が難航している」と返されるばかりでそれ以上のことはない。おそらく蝶のアネットに頼むつもりだったのだろうが、何らかの事情で上手くいかないのだろう。


 彼女に着いて欲しいと願っていたわけではないのだが、社交場で熱烈なアプローチを受けた伍堂からすると癪だった。あれほど情熱的な言葉と態度で接したくせに、せっかくの機会を無碍にしているのだ。違うらしいと思っていたのだが、結局は蝶といえど商売女でしかなかったのか。


 港町へと向かう当日、ボネットが案内人として付くと馬車の前で知らされた時は落胆するしかなかった。パウエルは苦々しい表情を浮かべながらも謝罪をするだけで、ボネットも急な決定だったと見えて若干ながら戸惑っているような節がある。


 パウエルと比べればまだ歳の若いボネットと肩を並べ馬車に座り、がたりごとりと揺られたが会話はない。ネアトリアについて尋ねることはあったが、既に伍堂が知らされていることしか語られなかった。


 また隠し事でもされているのだろうか、そう考えてしまいそうになったが様子を見ているとそういうわけでもないらしい。


 のんびりとした馬車で揺らされること二日、寝るときは街道沿いの旅籠だったので横になって眠れたのだが屋敷や元の世界での寝床と比べれば粗末なもので、二日もすれば全身の筋肉が強張っている気がする。加えて会話もない道中、窓の外を眺めていても見えるのは代わり映えのしない麦畑。


 欠伸ばかりが出てしまう伍堂だったが、シオへと近づくと変わってきた。見える景色は代わりがなかったが、風に乗って潮の匂いがするようになってきた。海の近くに住んでいたわけではないし、海が好きというわけでもないのだが潮風の匂いは心を軽くする。


 もしかするとと窓から顔を出して前方を見ればスタイン市とほぼ同じかもしかするとそれより巨大かもしれない壁に覆われた城塞都市、そしてその向こうに広がる海原の姿が見えた。遠めに見ても海の色は綺麗な青で陽光に輝く水面に浮かぶ大型帆船の姿がある。


 ただそれだけだというのに、旅行に行った時のようなワクワクでつい声が漏れた。


「海、好きなんですか?」


「いえそういうわけでもないんですけど……けど何だか楽しくなりますね。後は何だか、泳ぎたくなります」


「えっ!? ゴドーさん泳げるんですか?」


「そりゃ泳げますよ、遠泳とかは無理ですけど平泳ぎぐらいはできますよ」


「平泳ぎまでできるんですか、凄いなぁ……それパウエル師父やハンゲイトさんに言った方が良いですよ。泳げると知ったら二人とも驚きますよ」


 ここまで言われると馬鹿にされている気さえしてくるが、それらしい雰囲気は微塵も感じない。伍堂からすると人は泳げて当たり前なのだが、ここでは違うというのか。


 確かめるべく聞いてみると、その通りだった。


 川や湖で水浴びをして楽しむことはあるけれども、決してそれ以上のことはしないらしい。それだけでも意外だったのだが、さらに聞いていくと船乗りですら泳げない者がいるというのだ。これには思わず面食らったが、珍しい話でもないらしい。


 泳ぎを教えることはしないのかとも尋ねたが、考えてもみなかったとの答えが返ってきた。ここにも文化の違いを感じつつ、シオの街で何が起こるのかが不思議と楽しみになってきたのだが、シオに中々入れない。


 同じ城塞都市であるスタイン市がそうであるように、シオにも門がありそこに番兵が通行を監視している。先行しているハリスの乗る馬車よりも先にシオへと入ろうとしている一行がいるのだが、どうもトラブルが起きているようで言い争う声が聞こえてきた。


 距離が離れているため騒いでいることはわかっても、その内容まではわからない。問題を起こしている一行により門が塞がれてしまっているため、馬車は遅々として進まなかった。


 早くシオの中に入り、町並みを目にしてみたい伍堂は苛立ちを感じていたが、隣のボネットは余裕を感じさせる。どうもこの手のことは良くある事らしい。それならすぐ動き出すだろうと考えたのだが、待てど暮らせど問題が解決される気配はなかった。


 前を行く馬車の扉が不意に開き、そこから降りたハリスが肩を怒らせながら門へと向かう。彼が行ったのならばすぐに終わるだろうと安心した伍堂そしてボネットは溜息を吐き、事態も収束へと向かったのか騒がしい声はすぐに聞こえなくなる。


 ハリスが戻ってくるのも早かったのだが、彼は自分の馬車には戻らず何故か伍堂の馬車へと来た。その表情はどこか呆れているように見えた。


「悪いがゴドー、貴様が行ってくれ。私よりも貴様の方が話を付けやすいはずだ、通行証を忘れないようにな」


「僕が行くんですか? その、ハリスさんが話してダメだったことを僕がやったところで解決するとは思えないのですけれど」


「そう言わずに行ってくれ、頼む。貴様が適任だと私が判断したんだ」


 ここまで言われても気は乗らない。一帯を治める公爵の息子である彼が出来なかった事を伍堂が出来るとは思えなかった。


 なのでもちろん渋ったのだが、ハリスは譲らないしボネットからも行くように促されてしまったので行かないわけにはいかなかった。余計に事態をこじらせてしまい、問題が大きなものになってしまうとしか思えなかったのだが通行証を片手に門へと向かう。


 シオの門はスタイン市のそれと比べると小さなものだったが、圧倒するには充分な大きさを備えていた。よく見れば小さな窓がいくつも取り付けられ、奥に武装した兵士の姿があった。物々しさを感じはするものの、外国との窓口であることを考えると当然のことだろう。


 門を塞ぐ騒ぎを起こした一行は豪奢な四頭立ての馬車に乗っていた。伍堂達が乗ってきたものよりかは質素ではあるのだが、知識のない伍堂の目から見ても富裕層であることが一目でわかる。


 槍を肩に担いだ番兵がその馬車の中の誰かと話し続けているのだが、上手くいかないらしい。ひどく困った様子を見せていた。


「お忙しいところすみません、何があったか知らないんですが早く通していただけませんか? シオで大事な仕事があるんです」


 番兵に声をかけると深い溜息を吐かれた。この門を塞ぐ馬車に相当疲れさせられているらしい。


「あぁ、あなたもしかしてゴドーさんですか?」


「えぇそうですけれど……どうして僕の名前を?」


「こちらの道を塞いでいる馬車のご婦人がですね、ゴドーさんの付き人だというのですよ。先ほどハリス殿下とも話をされていたのですが、殿下とは面識が無いようでしてゴドーさんに確認して欲しいというわけです」


 これは一体どういうことか。屋敷から出ることはほとんど無いし、限られた人間としか交流していない伍堂である。まず伍堂の名前自体が知られているわけはないだろうし、警戒するに越したことはないと気を引き締めながら馬車に近づく。


 馬車の窓にはカーテンが閉じられているため中が見えない、いきなり扉を叩くのは不躾かもしれないと考えたので、御者に声をかけた。途端、馬車の扉が開かれて一人の婦人が爽やかな香水の香りを漂わせながら降りてくる。


 嗅いだ覚えのある匂いだった。匂いだけでなく、婦人にも覚えがある。蝶の社交場で一晩を共に過ごしたアネットだった。差し向けられた理由を瞬時に理解したが、すべきことを見出すのはすぐではない。


 微笑む蝶に愛想笑いを返しながらも頭を巡らせる。彼女はシオに入るための通行証を持っていないのは確実だ、だが何故ここにいるのか。考えられるのはパウエルの仕業だが、それなら事前に知らせが来ていたはずだ。


「お久しぶりですね、私がこの場にいることを驚かれていると思いますので説明させていただきましょう。


私の属する社交状にパウエル様から幾度と無く便りが届き、また御本人が直に来られた事もありました。ですがその全ては私の所にまで届かなかったのです。しかし私専属の使用人であるトーレスが知らせてくださりまして、ツテを辿ってみた所パウエル様は私にゴドー様がシオを旅する間の付き人としたかったということが判明致しました。


以前の別れ際に言いましたように、私は待つだけの女では御座いません。ですので慌てて私も社交場を飛び出しシオに来たというわけです、急いだあまりゴドー様を追い越してしまうことになるとは思ってもおりませんでしたが」


「通行証……持ってないんですよね?」


「えぇ流石にその時間はありませんでした。ただゴドー様と行動を共にするのであればその必要は無くなりますので。ですのでそちらの番兵の方に、私もゴドー様の仲間であることをお伝えいただければと」


「もし帰って欲しいと言ったらどうするのです?」


 尋ねると彼女は広げた扇で口元を隠しながら表情を曇らせる、目に浮かんだ涙が輝いたのを見ると胸が痛みはするが、演技に違いないと心を強く持った。


 伍堂の想像だが、彼女はここに来てはいけなかったはずなのだ。パウエルの交渉が難航しているという言葉の中身を知ったが、伍堂の知らない社交場の掟があるのだろう。そして彼女はその掟を破った。


 だが帰すべきなのかどうかは判断できない。伍堂にとって彼女は遊女だ。掟を破った遊女が帰ればどんなことになるか、酷い想像しかできない。アネットのことは嫌いでなく、好きに傾いている。


 そんな彼女が辛い目に合うかもしれないと思うと、無下に帰れとは言えなかった。彼女のことを考えるのなら、パウエルが当初考えていた通り案内人になって貰うのが良いだろう。いずれ社交場に帰らねばならないことに変わりなくとも、手ぶらでなくなるのだから待遇も変わるかもしれない。


「わかりましたよ、ただ僕にその権利があるかはわかりません。尋ねてきます」


 自分で決めたことではあるが気の重いことである。ハリスが何というか想像ができないし、急遽案内人を務めてくれることになったボネットに対して申し訳なさがあった。


 しかし現実は想像と反対をゆく。


 ハリスはアネットが付くことに対し二つ返事で了承したし、ボネットは自分が付き人から解放されることを喜んでいた。ボネットの仕事が無くなってしまうことを危惧していたのだが、ハリスの仕事を手伝うことになるだけのことらしい。


 予想に反し簡単に事が進んでしまったことに肩を落としたが、気を抜くのはまだ早い。トラブルを起こしたアネットが今更、一行の一人なのだと言ったところで番兵が信用するのだろうか。しかしこれもまた杞憂に終わった。


 伍堂が自分の連れであると一言告げると「それなら何の問題もありません」という答えが返ってきた。この時の番兵は疲れた風もなく、背筋も伸びていた上に事務的な口調だったので本当に問題ないのだろう。それはそれでどうかと思ったが、伍堂の供ということは公爵の子息であるハリスの供ということでもあるのでそれが理由に違いない。


 アネットも行動を共にするのならば、伍堂は彼女と一緒のほうが良いだろうということでアネットの馬車に同乗することとなった。馬車の中にいたのはアネットだけでなく、彼女の従者であるトーレスという初老の男性がいた。


 年齢のため髪は白く、顔には深い皺が刻まれているものの背筋は真っ直ぐと伸びており席に座る彼の姿は彫刻を連想させる。彼と二言三言、軽い挨拶を交わしたのだが互いに笑みを浮かべることはない。トーレスの目は鋭く、馬車がシオへと入り宿へと向かうまでの間ずっと伍堂に注がれていた。


 窓から街並みを堪能したかったのだが、内面までも見透かそうとする彼に見られていては落ち着いて眺めてなどいられない。加え、隣に座るアネットが何かにつけて身を寄せてきたし話しかけてくるので努めて笑顔を浮かべながら相手をするのに精一杯だったということもある。


 しかしそれも宿に着くまでの事。伍堂はボネットと同じ部屋に寝泊りすることになっていたし、ボネットが相手ならアネットよりか気を使わなくて済む。そこで一息付けられる、そう思っていたのだがここでまた問題が起きた。


 発端はボネットである。


「ゴドーさんはアネット嬢と同室ですよね?」


 宿に着くやいなや彼は尋ねてきたのだ。当然、伍堂としては断りたい。この国この世界では当たり前のことかもしれないが、伍堂にとって恋仲でもない女性と同じ部屋で寝食を共にするのは当たり前ではない。


 だが伍堂が動くよりも、アネットが先に「もちろんです」と伍堂に腕を絡めながら答えてしまったせいで同じ部屋になってしまった。たまたま近くにいたハリスに目で助けを求め、彼もまた救いを求められていることに気づきながらも何もしてくれない。


「貴様が嫌がるのは分かるがそうしておく方が都合が良い。地位と権力のある人間に見えるからな、耐えろ」


 ハリスはそれとなく伍堂に近づくと小声で囁いた。これからの事を考えるとハリスが言うように、地位のある人間に見せかけるのが良いのだろう。それでも彼女と二人きりになるのは嫌なのだ。


 使用人のトーレスが一緒にいてくれるならまだしも、彼が同室することはありえない事はわかっていた。アネットは伍堂の基準からしても美女であるし、男を性的に惑わせる肉体も備えている。二人だけになり、誘惑などされてしまったら自身がどうなってしまうのか想像がつかない。


 もっとも伍堂が男の本性を剥き出しにしてしまったところで彼女は受け入れてしまうだろうし、それを悦ぶのだろう。だがこれは嫌な事だ、肉欲に任せてしまうのは獣と変わりないではないか。


 己に対する不安を胸のうちに溜め込みつつも、通された部屋を目にすると一時的にではあるが不安は霧消する。エプスタイン邸で伍堂に宛がわれた部屋と比べれば調度も清潔さも劣っていたが、部屋は広く何より大きな窓が目を引いた。


 窓外の青さに惹かれて足早に近づき、窓を開いた。部屋は高い位置にあるだけでなく海に面しており、潮風が流れ込みどこまでも広がる広大な海原、行き交う大小の帆船、翼を広げて舞う海鳥。


 目にした途端に圧倒され、嘆息を漏らす。仕事を与えられて来ているはずなのに、頭からそんなことは抜けてしまった。


「あら素晴らしい景色ですこと。潮の匂いは生臭いと聞いておりましたが、心地よいものですね。喉を通り抜けていく爽快感がありますわ」


 隣に来たアネットの言葉は堅苦しさを感じさせるもので、感動しているようには聞こえなかったのだが表情を伺ってみるとそうではなかった。伍堂と同じように、彼女もその瞳を輝かせて広がる窓外の景色に釘付けとなっている。


 社交場で初めて出会った時と、門の前で再開した時も、伍堂にとって彼女は淑女であり年上のおねえさんだった。しかし今のアネットは伍堂とさして年齢の変わらぬ少女のように見えるのだ。

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