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BlueStone  作者: 空魚
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[1]

『記憶は空にある。音楽はその響きによって空気に溶け込んだ記憶を蘇らせるからこそ美しい。

空に触れる翼を心に持つ者は、それ故に全てを知る可能性を持っている』

   中世の詩人クライ・ハンギングの言葉



 プロローグ


 大地を覆う草は、つい今し方芽吹いたようなエメラルドグリーンに輝いていた。その1枚1枚の葉は重い露を湛え、1人の少年の姿を映し出している。転がるようにして駆けてくるその姿は真剣であるがゆえに滑稽にすら見えた。

 大地を覆う植物の初々しさとは裏腹に、少年のソバカスだらけの顔は恐怖に歪んでいる。

「待てっ」

 やわ草を踏み散らしながら、複数の荒々しい靴音。少年は胸に抱えた古ぼけた書物を一層きつく抱き締めた。

「待つもんかっ!」

 背の低い赤毛の少年は、そう吐き捨てつつも自分の体力の限界を悟って歯軋りをした。心臓があぶり、やけに近くから自分の心音が聞こえてくる。

「!」

 幾分もしないうちに、少年はドウッと大地に倒れ込んだ。数日間に及ぶ追いかけっこによるあまりの疲労のためだった。

「クソぉっ……ごめん、デボーテのおっちゃん……」

 土の匂いが草いきれがグッと肺に流れ込んできて、少年はこんなときだというのにひどく懐かしい心地がした。今更ながらに昔よく作った草の罠の事が思い出される。

「さあ、その書物を渡せ」

 乱暴に胸倉をつかまれた瞬間、少年は頭から血の気が引くのを感じた。精神が暗闇に吸い込まれる。緊張の解放は彼の意識までも飛ばしてしまったのだった。

「フン、気を失ったか」

 少年を捕らえた人物は独りごちると、小さな溜め息を1つ吐いてから普段のきびきびとした態度に戻った。

「デボーテという者を捜せ。発見した者には特別手当を出そう」

 仲間の鬨の声を背に受けながら、まだ年若い女は空を仰いだ。



一章 届け物


 パチンと懐中時計の蓋を開けて、栗毛の少女は時間を確認した。

「もう下牡羊の時間(午後4時)か」

 胸ポケットに時計を落とし込み、顔に飛んだ潤滑油を手でぬぐい取ると、少女は大きく背伸びした。朝から整備を続けていた、ハンググライダーのようにも見えるオルソニプター(羽ばたき飛行具)は、未だ様々な作業が残っている。

「ラピスぅぅぅ、全然終わってないじゃんか」

 機体の翼部分に張った布の緩みを調整する少女の足元に、1匹の黒猫が擦り寄る。鼻から額、額から耳にかけての曲線が優美な猫だった。ビロードのような短く生えそろった体毛は見るだけで触れたくなるほどに柔らかでしなやかそうな光沢を持ち、瞳は明るい満月を思い起こさせるほどに透き通るような金褐色で、それはちょうど飴色のトルマリンを両目にはめ込んだようだった。

 ラピスと呼ばれた少女は黒猫を足で追い払うと、今度は翼の蝶番のところにグリスを塗り付ける作業にかかった。彼女が動くたびに、高く結い上げた2掴み程の長さの髪がリスの尻尾のように勢いよく撥ねる。

「だったらトルマリン、あんた手伝ってくれる?」

 黒猫トルマリンはラピスの返事にピンと張った針金のような髭を垂らした。

「でも……」

「ほら、また邪魔してる」

 白銀の光沢を持つ骨組みの点検を始めたラピスに、トルマリンは黄色の艶やかな瞳をキョロンとさせて言った。

「お客さんが来てるんだけど……」

 猫は申し訳なさそうに眉を寄せた。ラピスはその言葉の意味を理解すると、黒く汚れた顔をパッと上げた。

「それを早く言ってよ!」

 深い青の瞳でトルマリンをちょっと睨みつけると、ラピスは手についたオイルを元は空色だった黒ずんだデニム地の作業服で拭い、作業場と住居の境目にある扉を開けた。

「ラピス=C=ラズリさんですね?」

 モモイロペリカンはクチバシについた袋を震わせながらそう言うと、肩にかけた荷物の中から小包を取り出して機械油の匂いを身にまとった少女に手渡した。

「サイン、お願いします」

「はい」

 ラピスは弁当箱ほどの大きさの包みを受け取り、郵便配達のペリカンが差し出した受領書に、一緒に貸してもらった万年筆で自分の名前を書き込んだ。

「それでは、私はこれで」

 ペリカンは来たときと同じように急ぎ翼を動かし始め、そして去って行った。

「誰かな、これ」

 差出人の名前は所定の位置になかった。ラピスはクラフト紙に包まれたその荷物を耳元までもってきて、上下に揺すってみた。

「?音がしないわねぇ」

 大股でダイニングルームを通り過ぎ、その先にある自分の部屋へと移動する。

「何だろう、それ」

 共に部屋に入ってきたトルマリンは堪え切れぬように問いかけた。ラピスはそれには応えず、幾何学模様の織り込んであるクロスのかけられたテーブルの椅子に無造作に腰掛けた。

 次いで、丁寧に包み紙を開けてゆく。

「オカリナ。見て、トルマリン。これ、母さんからだわ!」

 跳びはねんばかりの勢いで立ち上がるラピス。彼女は衝撃を吸収するために箱の内部に詰め込まれた紙屑を取り払うと、素焼きの笛を手に取った。

「綺麗。それにすごくいい手触り。どこの土で焼いたものなんだろう」

 杖の柄の部分の形によく似たそれは、ひんやりとして手に心地よかった。さらりとした触感、青と白の釉薬で模様の描かれたオカリナはすぐにラピスのお気に入りとなった。

「ラピス、これ落ちたぞ」

 ラピスが投げ出した紙製の箱の中には封筒が1通入っていたらしい。トルマリンは自分の頭の上に落ちてきたそれを口にくわえ、不服そうに差し出した。

「ごめん、トルマリン。だって、ちゃんと母さんが覚えていてくれたなんて」

 一旦オカリナをテーブルの上に置き、ラピスは猫の差し出した白い封筒を受け取った。

「モルチェ=B=ラズリ。やっぱり母さんからだわ。何々……前略――ラピス、元気にしてる?私は元気よ。約束どおり貴女の成人を祝い、下の大地の土を使ったオカリナを送ることにします、か」

「ラピス、俺のことは?」

 トルマリンは顔を上げて光彩を細くした。

「ん?書いてあるわよ。PS.トルマリン、あまりラピスの邪魔はしないように――」

 ラピスはベッドの縁に座るとしたり顔で続けたが、トルマリンは毛を逆立ててその言葉を遮った。

「ラピス、いくら温厚な俺でも怒るぞ!」

「ごめん、ごめん、ちゃんと読むから。えっと……『トルマリンも元気にしているかしら?下の世界では未だ汚染が広がっていて、貴方の好きなカワハギやアジも海にはいません……』」

「アジ、いないのか!?」

 トルマリンは悲愴な顔をして叫んだ。が、ラピスは取り合わなかった。

「続けるわよ。『……海にはいません。私もBクラス(学者。ラピスの母親の場合は植物学者)の力で大地に命を吹き返そうとしているけど、なかなか種が根を下ろしてくれないの。ラピス、そのオカリナは、私と仲間の試行錯誤の結果、初めて浄化に成功した土を素材としているものよ。植物による下の大地の浄化が終わった時、また手紙を出すわ。その時まで貴女が吹くそのオカリナの音色を楽しみにしてる……』」

 手紙の最後の行には1年前の日付と母のサインがあった。ラピスはそれをそっと自分の指でなぞった。

「母さん、頑張ってるんだ」

 ラピスは膝の上に肩肘をついて頭を固定し、2枚目の便せんを捲った。

「もう1枚あるけど――何も書かれてないわね?」

 不思議そうに便せんを裏返して確かめるラピス。その傍らで、

「アジ、いないのかぁ……」

 未練がましくトルマリンが呟く。ラピスはそんな猫の背を爪先で軽くこづき、手紙を畳み直して封筒に入れた。


 風車の立ち並ぶ丘は金剛石よりも強く輝く星々に照らされて、そこを渡る風の名所になっていた。風は風車の羽根に絡み付くようにして遊び、風車は吹く風の強さに応えて力強く回る。木製の歯車がギチギチと噛み合う音は風によって薄く引き伸ばされ、チェロの音のような素朴な音となって丘を越えて行く。

 けれど、人影はそれらの風景には全く目もくれずに丘を横切ろうとしていた。男は闇に溶け込んでしまいそうな黒いボロ布を被り、カモシカの仲間であるらしい乗り物用の動物を自らの体の一部のように操っていた。

「ラピス=C=ラズリ。デボーテの一人娘……モルチェもモルチェだ。荷を送るなど、見つけろと言っているようなものだ」

 ラピスの父、デボーテがやっていたことはジェーダイトの3人の長老達の意志に反していた。危険は常に背後にあり、それによって彼は自分自身の命を失った。残された妻モルチェの取った軽率な行動に、他人ではあるが彼女の知人でもある男はやるせない思いがした。

「間に合えばいいが」

 吐き捨てるように呟く。しかし、男の声は丘を渡る風の音によってかき消された。

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