日課練習002.
「初羽くん、好きだよ」
彼女はボクの机に座り、真正面から見下ろしながらいつものように、恥ずかしげもなくボクに言葉をかける。
「あ……ありがとう……姫路さん」
それにボクはいつものように、慣れることなく顔を赤くし返事をする。
そんなボクを満足気に見つめながらいつものように、彼女は話を振ってきた。
「ねえ初羽くん、一緒に旅に出てみない?」
◇ ◇ ◇
「旅……?」
「そう、旅」
「そ、それは急だね……あっ、もしかして……何か悩みがあるとか……? 何もかも投げ出したくなるような、辛い出来事に巻き込まれてるとか……?」
「そんな深刻そうな顔しないでよ。大丈夫だから」
嬉しそうな申し訳無さそうな、そんな顔。
でもそれも、その言葉の間だけで、すぐまた楽しそうな表情へと戻る。
「ほら、いつもの話題提供みたいなものだから。まあ確かに、悩みはあるけどね」
「じゃあその……話してみる? 相談に乗れるかもしれないし」
「あら初羽くん、それでわたしの弱みを握ろうって魂胆?」
「そ、そんなんじゃないよ……! ボクは純粋に心配して――」
「そうして握った弱みでわたしを脅して、胸を揉むつもりねっ!」
「そんなつもり少しも無かった!」
胸、と言われた瞬間、ついチラりと彼女のその部位を見てしまう。カッターシャツとその上のベストを押し上げている、大きすぎないけれど確かにある、その膨らみを。……ついでに半袖から伸びるほっそりとしながらも柔らかそうな二の腕も。
「――の割には、しっかりと見るのが初羽くんよね」
「うあ……!」
しっかりと指摘されたことが恥ずかしくて、つい俯いてしまう。ここで開き直るか如く「男の性だから仕方がない」とでも言えれば良いのだろうけど、ボクにはとてもじゃないが……。
「ま、いくら見てくれても良いけど、それよりも旅の話よ」
「ど、どうせいつもの三題噺の話題じゃないの……?」
「上目遣い可愛いし確かにそれも多少はあるけど、実は今朝に見た日の出が理由なのよ」
「日の出が……?」
さり気なく出た「上目遣い可愛い」に反応し、もう一度同じことでからかわれぬよう、しっかりと見上げて彼女を見つめる。
「なんとな~く四時頃に目が覚めて、ちょっと薄暗いな~って思いながらカーテンを開けて、冴えてきちゃったからボーッと外を見てたらさ……本当にキレイな日の出を見れたの」
「……今日雨降ってるのに?」
そう。登校する前から今もまだずっと、パラパラとした雨が降り続いている。当然空も雨雲で暗い。
それなのにそんなキレイなものが見れたのだろうか……?
「ふっふっふっ……さすが初羽くん、わたしが気付いて欲しいことをサラッと気付いてくれるよね」
「? どういうこと?」
「そう。今は雨が降ってて雨雲で空が暗くなってるでしょ? でもその数時間前には、わたしが心底感動した太陽の輝きが地平線から顔を覗かせたの」
「へ~……」
「わたしはね、そういう感動を初羽くんと味わいたいな~、って思って。その見逃したら中々見れない景色とか、さ」
「そ、そう……それはその、純粋に嬉しいな……ありがとうございます」
本当、照れさせるためなら手段を選ばない。今日は下ネタじゃない方で照れさせるスタンスの日か。
「見知らぬ土地での草花の香り、日の出とは逆の日夕日の朱い景色」
「あ~……確かに、そういうのはキレイだね」
「火薬と煤の匂い。漏れた油が気化した不快な香り。銃撃戦が繰り広げられる戦場……」
「ん……?」
「そう、ここは戦場だったのだ」
「なんでいきなりっ!?」
「あははっ、初羽くんってホント面白いね」
「…………」
この時のボクの表情は、なんとも言えないものだったと思う。
「そういえば初羽くんは、旅って言えばどんな景色を思い浮かべる? さっきのわたしみたいな感じ?」
「戦場はさすがに……」
「じゃなくて、草花の香りと草原の景色。そして沈む夕日?」
「う~ん……ボクもやっぱりそんな感じかな。見たこともない幻想的な景色、っていうの?」
「ほ~……初羽くんって読む本、漫画とかが多いでしょ?」
「え? なんで?」
「こういう旅の話をした時、具体的な国の景色を話す人っていうのは、漫画とかアニメとかゲームとか、そういう二次元的なオタク趣味に寄っていない人なのよ」
「へ~……心理テストみたいなもの? なるほどな~……言われてみたら確かにそうかも」
「知らないけど」
「えっ、知らないのっ!?」
「だってわたしの周りの人から取った統計だし~。データとしては不足してるっしょ~?」
「そう言われたらそうだけど……だったら言わないで欲しいよ……」
「ごめんごめん。でもまあとりあえず、わたしとしては初羽くんがわたしとの旅を嫌がってないってことが分かっただけ良かったかな」
「ん……まあ、悪くはないけど……」
こういうことを言われると、男は皆勘違いするから止めて欲しい。友達としての会話だとしても、相手が女性ってだけで男は自分に気があると思い込んでしまうのだ。
……でも、それを巧く伝える術を、生憎とボクは持ちあわせていなかった。
いつものようにオドオドと返事をするのが関の山だ。
「意図的な時の流れを感じるよね、旅って」
「? どういうこと?」
「好きな人と行くと早く感じるし、そうでもない人と行くと遅く感じるってこと」
「はあ……」
「初羽くんと行くとさ、多分あっという間に時間が過ぎると思うんだ」
「あ……! う、うん……」
「キレイな草原がある場所に行ったらちょっと話してるだけで日が沈み始めると思うの。だから、夕陽が見たい時は、初羽くんと出かけたいな、って」
「……あ、ありがとう……」
そこまで褒めてもらえると……ボクも、それは悪くないかも、なんて考えてしまったりする。
こんなのはボクのテレ顔を見るための嘘で、からかいで、本心じゃないと言い聞かせているのに。
それでも、勘違いしてしまう。
顔を赤くしてしまう。
……この男の性から逃げられるのなら、ボクだっていくらでも旅をしたい。
「で、夜はホテルでズッコンバッコンだねっ!」
「親指立てて碌でもないこと言わないで!」
「これもまた、意図的な時の流れを感じさせる行為だと、わたしは思うんだ……」
「しみじみと! 超しみじみとしてるけどっ!」
話してる内容が下衆いことに代わりはない!
せっかく……せっかくいい感じにボクの心の中がまとまってたのに!
……やっぱり、姫路さんとは旅なんて出来ないな……。絶対に余計な疲労が溜まるよ、ホント……。
お題は
「草」
「地平線」
「意図的な時の流れ」
でした。