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冬の終わる日(3)

 ナエの奇襲は、SSSCの隊員たちには突然ブリーフィングスペースの床が爆ぜたようにしか見えなかったはずだ。


 心臓をめがけて飛んだ光弾がなぜ床を穿ったのかといえば、それは周防がナエの動きを見切って素手で攻撃を叩き落としたからだった。


「やあ、君が和泉くんの守り神か。お目にかかれて光栄だよ」


「私を観測できるということは、あなたもキリエスと同じく、高次元領域から来た者というわけね……!」


「キリエスと同じは言い過ぎかなぁ。僕はこの姿に戻らなければ君のことを知覚できないようだから」


 全員の目の前で、周防の体がみるみる変質してゆく。


 紅に光る眼は裂けるように見開かれ、肌は鈍色に染まってゆく。燃え落ちるかのごとく消失するECO制服の下から現れた体は石を磨いて創られたかのようで、その至るところに血管に似る赤い線が浮き出している。


 まるでキリエスと対を成すかのような姿。


 嗤っているかのように大きく横に広がった口腔が、この場の誰もがよく知っている周防昌毅の声で、しかしこの場の誰もが聞いたことのない名を告げる。


「僕の名はロプター。風と共に歩む者なり!」


 そして周防は――ロプターは、左手を前方に翳した。


 暗灰色の掌から膨れ上がった光球が、先刻のお返しとばかりにナエへと飛ぶ。


「く……」


 ナエに避ける選択肢はない。かわせば和泉に当たるか、和泉が反応できたとしてもSSSCの誰かを巻き込んでしまうかもしれないからだ。


 そんなナエの心の動きが、一瞬の視線の動きから読み取れた。


 後者を考える程度にはナエの中にも人間への情が芽生えていたという事実を、和泉はさほど驚きもなく受け止める。


 ――あるいは、


 あるいは、最初からそうだったのかもしれないとすら思う。


 もしかしたらナエは、キリエスに課せられた使命を第一とするためにずっと己を律して、人間への情を押し殺していただけだったのかもしれなかった。


 ナエが両掌を突き出してバリアを張った。


 着弾。


 蒼い光の障壁に波紋がたつ。エネルギーの揺らぎの激しさが、ロプターの光球の威力を物語っている。


「く……!」


「ナエっ!」


 小さな唇から苦悶の声が漏れるのを耳にしたとき、和泉の脳内から後顧の憂いが消え去った。


「キリエス――――ッ!」


 バイフレスターから光を解放する。


 藤代が、


 山吹が、


 唯が、


 佐倉ほのかが、


 それぞれ烈光から目を庇って顔を背けた。


 どこまでも蒼い光に支配された部屋で、和泉とナエの心身が融け合う。


 光の嵐が静まったとき、SSSCの面々にはもとより見えぬナエはもちろん、和泉の体までもが幻のように消え去っていた。


 代わりに立っているのは、銀と蒼に彩られた戦士。いつもはビルのように巨大なその姿が、今、人間と変わらぬ大きさでブリーフィングスペースに収まっている。


「現れたね、キリエス」


「――オオォォォッ!」


 ロプターとの対話には一切応じない。


 キリエスは瞬間移動じみた速さで怪人に掴みかかると、そのまま真上へ向かって弾丸のように飛翔した。頑強きわまるはずの基地の天井をものともせずに突き破って、幾つものフロアを貫通しながら空の彼方へと飛んでゆく。


 警報が鳴り響きはじめた。ブリーフィングスペースに設えられたライトが、狂ったように回転しながら不快な色の光を四方八方に振りまいてゆく。


「隊長!」


 残された四人のうち、最も早く反応したのは山吹だった。


「レーベンでキリエスを……いや、和泉を追います!」


「……そう、だな」


 頼んだぞ――そのように促しかけて、藤代はふと口を噤む。


「いや、待て山吹隊員。これはおまえだけに任せていい話ではない」


 すでにブリーフィングルームを飛び出そうとしていた山吹が立ち止まり、振り返った。


 苛立ちと当惑がない交ぜになった視線を真っ向から受け止めて、藤代は改めて口を開いた。


「私も行こう」


「――隊長、だったらあたしも!」


 佐倉ほのかが声をあげた。


 藤代は頷く。電子戦を得意とする佐倉が現場に出たところで頭数が増える以上の意味はなかろうが、かといって自分も周防もいないまま彼女だけ基地に残してもさしたる働きは期待できまい。


 それに、何よりも――


「山吹隊員と桐島隊員がレーベン一号機。私と佐倉隊員がレーベン二号機で出るぞ。和泉を援護し、周防から目的を聞き出す!」


 何よりも、これはSSSC全員で当たらねばならない仕事だ。



     ◇ ◇ ◇



 絡み合いながら錐揉む二つの影は、どちらからともなく空中でサイズを増した。地球の人間とそう違わない大きさだったキリエスとロプターが、五秒とかからぬうちに身長四〇メートルまで巨大化する。


 次の攻防で先手を取ったのはロプターだった。


 キリエスとしては、人家のない山奥――それこそ奥多摩の特別環境管理区域にでも運んでやるつもりだったのだ。しかしロプターはそれを嫌った。銀の腕を振り払った魔人が急降下し、コンクリートを跳ね散らしながら地に降り立つ。


 やむなく追ったキリエスは、あたりを見回すが早いか心の裡で舌を打った。


(天王洲で戦うのは避けられなかったか)


(仕方ないわ。勝てばいいのよ)


 即座に己の内面から答えが返る。人間ならばまず経験することのない感覚なのだろうが、今の自分はもう、これにも違和感を覚えることがなくなってしまった。


「ゼェェアッ」


 踏み込む。


 キリエスが勢いを乗せて放った拳を、ロプターは体重移動とステップでいなした。腕を取って組みついてくる。


 普段の訓練で周防がこれほどの体のキレを見せたことはなかった。鈍色の魔人ロプターとなった彼は、敵対者を嘲笑うかのような華麗な術理でキリエスを押さえ込もうとする。


「邪魔をしないでもらいたいな、キリエス」


 飾り羽根のようなキリエスの耳に、至近距離から粘性を帯びた声が届いた。


「もっとも――」


 ロプターの手に力がこもる。


「出てきてくれたのはありがたかった。僕の目的を達するためには、君とこうして見えることが不可欠なのだからね!」


「ムウッ――」


 キリエスは後方に突き飛ばされてたたらを踏んだ。そこに追撃が飛んでくる。ロプターの左手が赤く燃え、光球が連続して撃ち込まれた。


 刹那の判断で、キリエスは目の前に障壁を発生させた。


 銀色の巨人をめがけて次々と破壊光弾が殺到し、その寸前で光の盾に阻まれて爆ぜる。


(あの光球は強力よ。キリエスのバリアといえども、いつまでも防ぎ続けることはできない)


(大丈夫だ)


 意識にこだまする少女の思考に答えるように、和泉は――キリエスは両腕へとエナジーを送る。


(伊達に今まで変身してきたわけじゃない。俺にどんなことができるのかくらい、体でわかってる!)


 爆音が途切れたタイミングで、障壁を消した。


「ハアッ!」


 左手から矢継ぎ早に光弾を発射する。赤と青の光が空中でぶつかり合い、相殺。ひときわ大きな爆発が起こって、黒煙が運河沿いの街を覆い隠した。


 半呼吸の間の後にロプターが見たのは、熱波を切り裂いて飛び込んでくる、右腕から光刃を伸ばしたキリエスの巨影。


「セェヤァァ――ッ!」


「くおっ!」


 ロプターは自らも抜剣して応戦した。


 キリエスが手甲状の器官から出現させた蒼光の剣に対して、ロプターのそれは凶兆を告げる月のような朱だ。


 二人の巨人がまったく同時に刃を振るう。


 技量もエナジーの強さもほぼ互角――であれば体勢の有利なほうが勝つ。勢いの乗ったキリエスの突進を受けきれず、ロプターの赤い光剣が半ばからへし折れて宙に溶ける。


「く……ふふ、さすがにやるね。人類の守り手として怪獣や宇宙人を退けてきた君が相手では、どうやら今の僕ではブランクが大きすぎるみたいだ」


 二の太刀を振るわれるより先に後退したロプターが嘯く。言葉の内容とは裏腹に、その口ぶりから焦りの感情を読み取ることはできない。


 そのとき、空の彼方から漆黒の機影が追いかけてきた。


 レーベンだ。


 機銃の弾をばらまきながら、二機が立て続けに横切っていく。


 視線を向けたキリエスは、レーベンの垂直尾翼にSSSCの隊章がペイントされていることを見て取った。さらに目を凝らしてみると、二機とも操縦席と後席が埋まっていることもわかった。


(皆……全員で援護に来てくれたのか)


 空中で鋭くターンを切ったレーベン一号機が、主翼の下に懸架していたミサイルを射出する。


 ロケットの煙が白い尾となって弧を描き、一散に魔人を目指して伸びてゆく。


 ロプターはしっかりと反応した。


 飛び来るミサイルに左手を翳し、赤い光を撃ち放つ。灼熱を宿すエネルギーの塊が光の速さでミサイルへと迫り、直撃。天王洲の空が炎の色に染まった。


 ふ、とロプターの口元から吐息が漏れる。


「惜しかったねえ」


 そのときキリエスは、「あんたがな」という山吹の声を聞いた気がした。レーベン一号機のコックピットの操縦席で、山吹は今まさに、野の獣が牙を剥くかのごとき獰猛な笑みを浮かべているはずだった。


 爆発の炎を割って、無傷のミサイルが飛び出した。


 シールドミサイルだ。


 惑星ネリヤの技術を流用して製造された、ミサイルに防性力場を纏わせて発射する超兵器。かつての強敵を難攻不落たらしめたシールドの堅牢さは、ロプターの光球の破壊力さえ上回ってみせたのだ。


 ミサイルがロプターの懐に飛び込み、直後に爆音があたり一面に響き渡った。


 衝撃に煽られたロプターの巨体がたたらを踏んで、しかし堪えきれずにもんどりを打つ。倒れ込んだ先にあるのは、無人となった天王洲アイル駅の連絡通路だ。


 人間のために建てられた構造物が、三万トンを超える魔人の体重を支えきれるはずもない。連絡通路はほとんど何の抵抗もなく崩落し、瓦礫と粉塵が空高く噴き上がる。


(今よ!)


(ああ!)


 キリエスの胸裏に、寒原村で最後の一撃を放ったときの感情が蘇る。


 コードネーム・ノスタルガ――小柳恭哉がレキウム汚染によって変異してしまった異形の姿。誰よりも村を愛した男は、頽廃の光に身を焼かれながら、一匹の怪物として死んでいかねばならなかった。


 彼の無念を、晴らす。


(副長……いや、ロプター。あんたが何を考えて侵食元素の真実を追い求めていたのかは知らない)


 ふらつきながら立ち上がるロプターを正面に捉えて、キリエスは両腕の間に激しくスパークを迸らせる。


(けど、目的が何であれ――)


 こちらの動きを察したのだろう、ロプターも両腕にパワーを溜めはじめる。


 キリエスの光は、己が魂を源泉としたものだ。


 ならば同じく高次元からの来訪者であるロプターのそれも、魂を削って絞り出す輝きなのだろうか。


 蒼と緋。ふたつの光輝が極限に達して――


(俺は、あんたを赦さない!)


 両者が腕を交差させるとともに、奔流となって宙を駆けた。


 光線と光線が激突し、干渉しあった力が渦を巻いて天へと昇る。あまりにも莫大なエネルギーに、戦場となった東京の大気のみならず、空間が、三次元の世界そのものが激しく震え鳴動した。


 威力はまったくの互角。


 だが、キリエスはすでに確かな手応えを得ていた。


(俺は、ひとりで戦っているんじゃない!)


 思いに応えるかのように、二機のレーベンが残りのミサイルをすべて解き放つ。


 光線のぶつかり合いに全ての力を振り向けているロプターには、この瞬間、いかなる対処も不可能だ。


 ロプターの体が爆風に打たれ、紅の光線が途切れた。


「ゼェヤアアァァァァッ!!」


 キリエスが咆哮する。胸の中心で清く煌めく結晶体から、銀の肌を彩る紋様を通って、さらなる力が左右の手へと流れ込む。


 蒼い光線が、勢いを増した。


 瀑布となったエネルギーがロプターへと殺到する。断末魔の声すら呑み込んでゆく。


 空を焦がすような大爆発。


 周囲の酸素が一斉に消費し尽くされたのだろう、火勢は長くは続かなかった。


 鎮まりゆく炎の向こうに見えるのは灰燼と化した天王洲のビル群の跡だけで、ロプターの肉体は残骸すらも見て取ることはできなかった。



     ◇ ◇ ◇



 みるみるうちに目線の高さが低くなってゆき、心身に満ちていた全能感が失せる。意識が階梯を下って、自分が戻ってくるかのような感覚を得る。


 焼け野原となった街の真ん中で、変身を解いた和泉は立ち尽くす。


「終わった……のか?」


「まだよ。ロプターが滅びたからといって、黄昏が訪れなくなるわけではないもの」


 独白のつもりだったが、答えはすぐ隣から返ってきた。白いワンピース姿のナエが寄り添うように佇んでいる。


 だったな、と和泉は嘆息する。


 ナエの言うことは正しい。小柳恭哉にレキウム入りの液肥を渡したのはロプターだったが、そもそもレキウムが湧くこと自体はあくまでも自然現象――という表現が正しいかはともかく、少なくともロプターが引き起こしていることではなかったのだ。奴が消えたからといって世界の破滅が回避されるわけではあるまい。


 これでよかったのだろうか、と自問する。


 ロプターが何のためにレキウムを研究していたのかは結局わからずじまいだし、戦っている最中に口走っていたことの真意も今となっては闇の中である。


「……浮かない顔ね」


「しっくりこないんだよ」


 ロプターを倒したことに後悔はない一方で、腑に落ちないものが残るのも確かだ。


 ところが、ナエは首を横に振った。


「私は、あなたは正しい選択をしたと思う」


「そう……なのかな」


「手加減のできる相手ではなかった。そして、奴がどういう画を描いていたにせよ、実ることはもうない。あなたは友の仇を討ったのよ」


 彼女の声音にはこれまでにない情感が滲んでいる。和泉はそう感じて、しかしすぐに自分の感覚を否定した。


 これまでにない、というのは嘘だ。


 冬山で初めて言葉を交わしたときも、地底怪獣との戦いで変身しようとする自分を止めたときも、先日の寒原村でも、ナエは明らかに感情を発露させていたではないか。


 自分がキリエスに選ばれた者だからだと考えていた。


 けれど、違うのかもしれない。


 寒原村は大切な場所だ、とナエは叫んだ。もしも彼女がキリエスの意思を代弁するだけの存在ならば、あんな反応はありえないはずだ。


「なあ」


 訊かねばならない。


「君は、誰なんだ?」


 最初にナエを見たとき、他人のように思えなかった。


 それは、十五年前から彼女が自分の中に宿っていたせいだと思っていた。


 だが、理由は別にあったのではないだろうか。


「――そうね」


 ナエは静かに頷き、和泉へとまっすぐに向き直る。


「私の役目も終わりつつある。もうあなたには教えておくべきね」


 キリエスとロプターの激突が天候をも狂わせたか、空はにわかに曇り、稲妻が轟きだしていた。少女の瞳が稲光の閃きを反射して、誘い込むような深い彩りを投げかけてくる。


「私は、キリエスの光の欠片を核にして、地球のスピリウムを繋ぎ合わせることで創造された霊的構造体」


 小さな唇が、真実を紡ぎはじめた。


「スピリウム……?」


「この宇宙のありとあらゆる生命には、多かれ少なかれ魂が宿っている。その魂の源となる高次元粒子がスピリウムよ」


 高次元粒子。


 和泉は噛み締めるようにその響きを確かめる。


「じゃあ、キリエスに変身したとき、死者の声が聞こえるのは……」


「キリエスにはスピリウムを捉える超感覚があるから。スピリウムを操ることこそが、キリエスの力の本質だからよ」


「……なるほどね。ようやくわかった」


 和泉は悟った。ここまで聞いてしまえば、もはや答えを手にしたようなものだった。


 魂の構成元素たるスピリウム。


 そのスピリウムを操るキリエスの能力。


 キリエスが初めて三次元宇宙に現れたのも、和泉と邂逅を果たしたのも、すべて七・一七でのことだ。キリエスが己の意思を和泉に伝えるためにナエを遣わしたのであるならば、ナエが生み出されたのもそのときであったはずだ。


 ナエは地球上のスピリウムを繋ぎ合わせて創られたという。だとしたら、彼女の「材料」となった魂の出所は一つしかない。


「ナエ、君は――七・一七で犠牲になった人たちの集合体なんだな?」


 確信とともに放った問いに、ナエは首肯をもって応じた。


「あなたは立派になった」


 固く結ばれていたものがほどけるように、新たな命の芽吹きを祝う春風のように、ナエは目を細めて笑う。



「――やはり、僕の考えていたとおりだったね」



 次の瞬間、ナエの体を紅色の刃が貫いた。

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