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まぼろしの故郷(3)

 やはり有志が町で買い出してきた米と卵と豚肉、それから小柳のプランター菜園で採れたタマネギを使って、ごくシンプルなチャーハンを作って食べた。


 調理したのは和泉だ。


 荷物の中のカセットコンロを使おうかと思ったのだが、小柳の部屋にはキッチンが備わっていたのでそちらを利用した。バラック小屋といえども長期の居住を前提に建てられているということか、最低限のインフラはとりあえず整っているらしい。


「ぱっと見は貧相だけどな。男ひとりなら居心地は案外悪くない」


 とは小柳の弁である。


 そこから互いに缶ビールを三本空け、小柳がどこぞの土建屋の社長からもらったバーボンの大瓶を持ち出して、積もる話を肴に二人揃ってひどい飲み方をした。


 慰霊式典は明日の十四時から行われる。


 和泉と小柳が酒盛りを切り上げた理由はしかし、これ以上は式典への出席に差し障ると判断したからではなく、単に酒の蓄えがなくなったためであったように思われる。


「ちょっと羽目外しすぎたかな……」


 和泉が宛がわれた部屋に移動したとき、時計は二十三時を指していた。


 ――まあ、抜けるだろ。十五時間もあれば。


 バッグから歯磨きセットと洗顔剤を取り出して風呂場を兼ねた洗面所に向かう。チューブから絞ったペーストを歯ブラシに塗り、口に突っ込んだところで顔を上げた。目の前には当然ながら鏡がある。左右の反転した自分がこちらを見つめ返してくる。


 次の瞬間、和泉は心臓が縮むかのような驚きに駆られて激しくむせた。


 白いワンピース姿の少女が背後に立っているのが見えたのだ。


「どうしたの」


 少女――ナエの問いかけは蛇口から流れる水音に紛れて和泉の耳には届かない。和泉は舌を刺すミント味を洗い落とし、最後にもう一度口を濯いで、半分くらい青ざめた顔色を隠さず振り返る。


「……あのさ、このシチュエーションでいきなり後ろに出るのは勘弁してくれ。さすがにびっくりするから」


「そう? 気をつけるわ」


 答えるナエの声は実に涼やかで、反省の念が含まれているようには思えない。出会ってから十ヶ月が過ぎようとしているが、人間と幽霊とでは感覚が違うのか、こっちの言いたいことを汲み取ってもらえない場合が未だにある。


 ――まあ、いいけどね。


 すっかり元気になったみたいだし。和泉はナエの細い手足を眺めながら、内心でほっと息をつく。


 先月の戦いで負った傷は完治している様子だ。


 重い怪我のように見えたから長引くのではないかと心配していたのだが、これもキリエスの加護のうち、ということかもしれない。


 もっとも――


「……で、君こそどうしたんだ?」


 嫌な予感がしていた。


 怪獣や宇宙人が出る。和泉の命が危険に晒される。これまでナエが和泉の前に現れたのはそんなときばかりで、こう言っては悪いけれども彼女の姿が見えるというのは縁起が悪い。


「ここを襲った怪獣ならキリエスが倒したじゃないか」


「だと、いいのだけれど」


 和泉は眉をひそめる。ナエにしては珍しく歯切れが悪い。


「らしくないな。意味もなく現れる君じゃないだろ? 俺に伝えたいことがあるんじゃないのか?」


「ええ……そうね」


 ナエは頷き、しかしなおも逡巡を捨てきれないような態度を見せた。長い睫毛に縁取られた双眸が伏せられる。


 何かを確かめるような間があって、


「やはり、同じね」


 ふたたび開眼したとき、整った幼貌には憂いが滲んでいた。


「どうやら覚悟を決めなくてはならないようだわ」


「なんだよ、それ?」


「キリエスの眼が未来を視た。――この村の未来に、人間の影はない」


「――馬鹿な!」


 和泉は反射的に叫んでいた。


「侵食係数は基準値を割ってるんだぞ。だから現にこうやって復興作業が進んでるんじゃないか。たちの悪い冗談はよしてくれ」


「私は冗談なんて口にしないわ」


 和泉は言葉に詰まった。


 たしかに、ナエの言うとおりだった。これまで彼女が余計な冗句を叩いたことなどなかったし、キリエスが人智の及ばぬ超感覚を備えていることは一体化している自分が一番よく知っている。


 それでも、はいそうですかと受け入れる気にはなれなかった。


 キリエスの瞳はあまりにも巨視的だ。たかが下界の村ひとつの行く末を細かく見通しているとは思えなかったし、当のナエにしたところで、巨人の意思を受けて行動しているわりには未来をぴたりと言い当てたことなどないではないか。


「何が起こる?」


「それは……まだわからない」


 ほらみろ。


「けれど、思い出して。キリエスが十五年前にこの世界に介入したのは、その時機を逸すればあなたを失うことになっていたからよ」


「村が滅びるのは避けようがなかった、とかいうやつだろ? そのことと今の状況とどんな関係が――」


「関係はある。おそらく、だけれど」


 ナエの声音がこころなしか揺れている気がした。これまで和泉を導いてくれた確信的な語調は鳴りを潜め、彼女自身も戸惑いを感じているかのごとく頼りなげな響きを孕んでいる。


 詰問(きつもん)するのが気の毒になってきた。


 和泉は憤りを嚥下(えんか)して、熱を吐息に変えて排出した。


 酔いなどとっくに醒めていた。


「滅びることが運命なら……俺がひっくり返す」


「できる限り協力はするわ。ここは私にとっても大切な場所だから」


 大切な場所。


 後から考えれば、このときナエの言葉の意味を(ただ)しておくべきだったのだろう。だが和泉にそんな余裕はなかったし、ナエの瞳を彩る切実な色は有無を言わせぬ力を持っていた。


「――だけど、心構えだけはしておいて」


 硬い声が空気に溶ける。


 悄然として立ちすくむ和泉を置き去りに、ナエの姿はかき消えた。



     ◇ ◇ ◇



 小柳が眠りについたのは和泉が去ってから五分も経たないうちのことだった。半ば潰れるように机に突っ伏した小柳は、そのままの体勢で死んだように四時間ほど過ごし、特別何がきっかけになったわけでもなく意識をふっと取り戻して熊のように身を起こした。


 時計の針が三時を指していた。


「まいったな」


 頭痛がする。飲み過ぎたのかもしれない。


「ゴホッ……まいったな」


 咳と独り言が繰り返し口をついて出た。


 式典まで十一時間。


 アルコールは抜けるだろうが、こんな時間に目が覚めてしまったこと自体がよくない。明日――いや、とっくに今日だが――は、生まれ変わった寒原村にとって大事な日なのだ。しくじるわけにはいかない。


 せっかくあいつが戻ってきたのだ。


 少し前まで一緒に飲んでいた青年の顔が瞼の裏をよぎった。


 ふへへ、と笑いが漏れた。


 連絡の手もなく死んだとばかり思っていた奴と再び出会えた、ということもある。だがそれ以前に、村で馴染みだった人間と顔を突き合わせること自体、もう随分とご無沙汰だった。


 コンタクトをとろうとしなかったわけではない。


 しかし、小柳がNPOを立ち上げた時点で、災害が起こった日からは長い年月が経過していた。


 もともと若者の少ない村だったのだ。


 その生き残りともなれば、管理区域指定の解除を待たずに棺桶に入ってしまっていたり、そこまでいかずとも肉体労働のできない歳になっていたり、すでに故郷への思いを断ち切って新生活を営んでいたりといった者が大半であるに決まっていた。


 今の団体のメンバーは、個人的な伝手を頼ってかき集めた、村とは縁のない人間が中心だ。だからこそ協力に感謝してもいるのだが、ふとしたときに意識や熱量の差を感じることがあったのも否定はできない。


 もっとも――ビジョンを伝えきれない原因はきっと、リーダーとしての自分の至らなさ、ということになってしまうのだろうけど。


「ゴホッ」


 喉がひりつく。やはり飲み過ぎたかと思う。ビールはともかくバーボンをストレートでいったのは拙かったな、と今更ながらの後悔がよぎった。


 とにかく、水だ。


 小柳は洗面所へと足を向けた。


 建て付けの悪い扉を押し開けて洗面所に踏み入ったとき、不意に足元がふらついて視界が泳いだ。


「うおぁっ!」


 洗面所とはいっても面積の半分を占めるのはバスタブである。とっさに縁に手をついて堪えた。


「危ない、危ない……」


 滑ったわけではなかった。自覚しているよりも酔いがひどいのかもしれない。急におかしさがこみ上げてきて、小柳は口角を上げようとした。


 笑みが凍った。


 バスタブについた手の袖が捲れて、痣が露わになっている。


 露わになったその痣が、黄昏色の輝きを放っている。


「な、」


 絶句しかけた小柳の目に、真横から光が飛び込んできた。


 その位置には壁に貼られた鏡がある。


 小柳は、視線を鏡へと向けた。


 自らの頬に、痣と同じ色をした斑点が浮かんでいた。



     ◇ ◇ ◇



 小柳が起きてこない。


 和泉がそんな話を耳にしたのは午前十時を少し回った頃のことだ。


 窓の外から容赦なく飛び込んでくる激しい雨音と、それにも負けないほど大きな、ドアの向こうで鳴り続けるノックの音。隣の部屋だということはすぐにわかった。満足に眠れずぼうっとしかけていた頭が一瞬で冷め、和泉は軒先へと飛び出して小柳の部屋のほうを見た。


 作業着に身を包んだ男と鉢合わせた。


 聞けば、男は復興活動を行っているNPOの人間らしい。


 九時半からの打ち合わせに顔を出すと思われていた小柳代表が姿を見せない。代表が時間に遅れたことは今までなかったから、もしや何かあったのではないかと思って様子を見に来たのだ――男はそう語って、困り切ったふうに眉尻を下げた。


「まあ、ちょっとした現場のミーティングだから代表がいなきゃいけないってわけではないし、実際出てもらう予定だったわけでもないんですけどね。ただあの人、いつも来てくれてたから気になって」


「……すみません、ゆうべは俺と飲んでたからそのせいかも」


「代表のお知り合いですか?」


「ええ、昔馴染みです」


「すると、寒原村の……いえ、あなたのせいというわけではないと思いますよ。代表も同郷の方と会うのは久しぶりでしょうしね、嬉しかったんでしょう」


 男はほっとしたように相好を崩す。


 一方、和泉の心にはすでに黒々とした雲が兆していた。ゆうべのナエとの話が想起される。よくない胸騒ぎがする。


 和泉はドアに向き直ると、強く叩きながら声を張った。


「恭哉! 起きろ!」


 いっこうに返事がない。


 男が怪訝そうな表情を作る。


「……さすがにおかしいですね。これほどうるさくしてるのに中から物音ひとつ聞こえてきません」


 和泉は即座に答えた。


「ドア破ります」


 なにもそこまでしなくても、と男が止める前に和泉は行動に移った。


 施錠されているとはいっても、所詮はバラック小屋の薄っぺらい建具だ。和泉が勢いをつけて体当たりすると、ベキッという嫌な悲鳴とともにドアはあっけなく倒れた。


「恭哉、いるんだろ!?」


 玄関へと踏み込んで部屋を見渡す。


 電気がついている。


 洗面所の扉が開けっぱなしになっている。


「恭哉――」


 そして和泉は、自分の顔から血の気が引く音を聞いた。


 扉の隙間から人間の足が突き出ていて、奥では絶対に見たくなかった色の光芒が不規則な明滅を繰り返していた。


 末期侵食汚染の光だった。

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