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銀色の来訪者(5)

 唯は慎重に手足を動かす。どこにも痛みはない。装備にも致命的な損傷はなく、侵食症の心配もせずに済みそうだ。


 安堵しかけたとき、落盤の寸前に目に焼き付いた光景がフラッシュバックした。


「――和泉っ!?」


 弾かれたように左右を見回す。夕方の日陰くらいの明るさに満たされた空間。そこで初めて、崩れた岩の隙間に閉じ込められているのだとわかった。


 和泉はいない。


「そんな……」


 唯の顔から表情が抜け落ちてゆく。


 状況を把握すると同時に、冷徹な現実認識がもたらされていた。


 自分が生きているのは、洞窟が崩れたとき、たまたま周囲よりほんの少し頑丈な場所にいたというだけに過ぎない。まさに紙一重だった。その紙一重を隔てたところに和泉はいたのだ。


 しかも、和泉は黄昏の爆圧を直接浴びてしまった。いかに耐NBC処理を施された装備といえど、あれほどの侵食元素を完全に遮断できたかは怪しい。


 どう楽観的に見ても、和泉が助かっているとは考えにくい。


「わたしを、庇ったのか……」


 虚無感に支配された。うつむき、額に手を当てようとしてヘルメットに阻まれ、途端に湧き上がった後悔に駆られて唇をきつく噛み締める。


 ――なんて軽率な! わたしが死なせたも同然だ!


 引き返すチャンスならあったはずだ。訓練生のやるべきことなどとっくにやり終えていたはずだ。和泉の優秀さと実直さを認めるなら尚更、SSSCの権限を振りかざしてでも彼を危険から遠ざけなければいけなかった。それができたのはわたしだけだったのに! すまない、和泉……!


 自分への怒りが燃料になった。


 いつまでもこうしてはいられない。一刻も早く異変を収束させなければ、和泉にも、和泉が見たという少女にも申し訳が立たない。


 ECOPADを取り出してみると、位置情報の表示が復活していた。スピーカーが壊れたのか通信機能は沈黙したままだったが、電波を拾えているということは、今いるのはそう深いところではない。洞窟を崩れさせた何者かは下から移動してきたようだから、巻き込まれたときに周囲の岩盤ごと引っ張り上げられたのかもしれない。


 内側から掘り返せそうな柔らかい場所は、


 あった。


 岩と岩に挟まれた土をどけてみると、唯ならばぎりぎり通り抜けられそうな亀裂が生じていた。


 強引に身体を突っ込み、外界へと転がり出る。


 相変わらずの真昼の夕焼け。


 しかし、大地が歪んでいた。唯が転がり出たそこは、巨大なクレーターの外縁部であった。地の底から這いだしてきた何者かの大きさのぶん地盤が陥没しているのだ。


 目線を動かした先に、そいつがいた。


 竜だった。


 むかし恐竜図鑑でこんな奴見たな――唯はそんなことをまず思い、すぐに打ち消す。


 長い首を伸ばし、四足を地につけた体型は確かに竜脚目の恐竜に似る。だが、貌の前側に両眼が並び、上下の顎から剣のような牙を生やした面構えは、どう見ても草食動物のそれではない。昏い金色の鱗で全身を鎧い、妖光を振り撒いて山を不毛の地へと変えてゆく様は、竜が自然界の生物でないことを如実に物語っていた。


 ――あいつが異変の元凶か!


 竜は、麓に向かって移動しているようだった。麓には町がある。とうに避難勧告は出ているはずだが、すべての住民が怪獣の足から逃げ切れるとも思えない。


 戦闘機が一機、高空から竜にアプローチをかけるのが見えた。主翼下に懸架していた短射程ミサイル四発を順番に解き放つ。ミサイルは赤外線ホーミングで竜めがけて殺到、二発が首に、一発が前肢に、一発が胴に命中した。幾つもの炎の花が咲く。


 ばらばらに吹き飛んでもおかしくない衝撃だったはずだ。しかし、黒煙を割って現れた竜はまったくの無傷。何事もなかったかのように平然と行進を再開する。


「和泉の言った通りになったか……」


 竜の動きは緩慢なように見えるが、何しろ歩幅が広い。十数分もあれば町に進入するだろう。その先を想像して唯の背筋は凍った。立川を経由し、吉祥寺を横断、新宿のビル群を倒壊させながら移動し、市ヶ谷を通過……皇居へ至る。


 このまま竜の進撃を許せば、東京に侵食汚染が蔓延することになる。そうなれば何百万人もの人間が死ぬのだ。


「くそっ! 化物め!」


 唯は銃を抜き、斜面を滑り降りて竜を追った。



     ◇ ◇ ◇



 和泉は、青い光に満たされた空間を漂っていた。


 ――俺は、死んだのか?


 不思議と苦痛はない。だが、きっとそうなのだろう。半端な防護で大量の侵食元素を浴びれば侵食症に罹るまでもなく人は死ぬ。岩塊に押し潰されても死ぬ。自分が生きていられる道理は万に一つもない。


 ――それなら、それで構わない。


 後悔もなく、未練もない。


 そんなことよりも、桐島隊員の身の方がずっと気がかりだった。侵食元素の方はともかく、落盤から救えたかどうかは疑わしい。なにしろ咄嗟のことだったし、地下深くに潜んでいたであろう怪獣の大きさを考えれば数メートルのズレなど微々たるものだったはずだ。


 しかし、巻き添えにするのは嫌だった。


 脳ミソが蒸発し、機械のように体が動いた。


 十五年前の七月一七日から、そうするようにと自分に強いてきたのだ。結局のところやり遂げられたかどうかは分からず、やり遂げたところで犠牲になった村人たちが生き返るというわけでもない。死後の寝床が皆と一緒であるとは到底考えられず、それが和泉はほんの少しだけ悲しい。


 そのとき、声がした。


(――眞)


 声は、心に直接響いてきていた。


(言ったはずだわ。あなたは死なない)


 あの女の子の声だった。


 ふと、温かい――優しく撫でられているかのような、心地よい感触を覚えた。抱きすくめられている、と感じた。背中から小さな手が回されている。


 それは懐かしい感覚だった。身体とも精神とも違う、魂が女の子のことを憶えているかのようだった。


 ――君は、誰なんだ?


 声は、和泉の疑問には答えなかった。


(あなたの中には、私がいるもの)


 意識が蒼い輝きに包まれ、無限に拡大してゆく。



     ◇ ◇ ◇



「――何だ!?」


 突然、凄まじい光が天に向かって迸った。


 視界を蒼く塗り潰さんばかりの眩しさに目を眇め、唯はその方角を仰ぎ見る。


「あれは……洞窟のあったあたりか……?」


 唯の胸の奥底から畏怖めいた念が湧き上がる。満ちゆく黄昏を切り裂き、渦を巻いて聳え立つ光の柱。それは照らすもの全てを浄化するかのごとく清澄でありながら、人なる身では近寄ることもかなわぬほどの、暴力的なまでの神聖さを秘めているようにも感じられた。


 ただならぬものを察知したのは唯だけではなかった。竜が前進を止め、木々を薙ぎ倒しながら洞窟跡を振り返る。


 竜の喉から唸り声が漏れ、次の瞬間、まるで光の中にいる何者かを威嚇するかのように、明確な敵意のこもった咆哮が放たれた。


 そして、その咆哮に応えるように、それが起こった。


 光の柱から輝く球体が飛び出した。


 光球は蔓延する侵食元素にも全く怯まず、竜と対峙する恰好で宙に静止した。その姿が変わり始める。まず球形が崩れ、次いで四肢が伸長し、ほとんど時を同じくして頭部と思しき部位が形成される。人間の形だ――唯はそう直感したが、しかし人間であるはずはなかった。竜と同等の大きさだ。ゆうに身長四〇メートルはあろう。


 光が、爆ぜた。


 唯は眼前の光景に魂を奪われ、銃をリロードするのも忘れて立ち尽くした。


 巨人が、空中から竜を睥睨していた。


 青の紋様に彩られた、少しの無駄もない白銀の体躯。胸の中心で煌めく結晶体。複雑な形状の頭部は羽飾りのついた兜を被っているふうにも見え、紡錘を描く大きな眼は理性の光を宿している。


 巨人の厳かな佇まいから、唯は欧州の伝承に語られる戦乙女を連想した。「七・一七」のアーカイブを閲覧したことはあるが、こうして実際に目にする巨人は、映像や写真で見るよりも遥かに凛々しく、美しい。


 あのとき、巨人は怪獣を斃すためだけに力をふるい、人間に危害を加えようとはしなかったという。


「味方……なのか?」


 蔓延する侵食元素に怯みもせず、銀色の足がつま先から大地に触れた。体重という概念に縛られないかのような穏やかな着地――だが一瞬の後、そのオーラに耐えかねて山が震撼し、穢れた地面が轟音とともに捲れ上がった!


「うわっ!」


 衝撃波とともに雪が舞い、土塊や木片が押し寄せる。思わず顔を庇った腕の隙間から、竜が巨人に挑みかかっていくのが見えた。


 勢いの乗った体当たりを、巨人は真っ向から受けて立った。巨躯どうしがぶつかり合い、空気がびりびりと鳴動する。両者が足を踏み下ろすたびに粉塵が高く噴き上がる。


「セェェヤァッ!」


 裂帛! 巨人が気勢をあげた。


 竜の長い首を抱えるようにして掴み、全力を込めて投げ飛ばす。三〇〇〇〇トンは下らないであろう重量が白い山肌に叩きつけられる。耳を聾する地響きと、眩暈すら覚えるほどの揺れが生じ、唯の全感覚を塗り潰した。


 竜が雪を振り落としながら身をよじる。ぎらつく鱗に守られたその背をめがけ、巨人は追撃の手刀を振りかぶる。


 ――ダメだ、それは効かない!


 奴の鱗はミサイルの直撃にも耐えたのだ。いくら巨人の力が強くても、単純な打撃が通じるわけがない。


 と、巨人の胸の結晶体がひときわ明るく輝いた。光は体の蒼い紋様に沿って腕へ、籠手のごとく発達した器官へと流れ込む。よく見れば、籠手にも小さな結晶体があり、光はそこに集束したように見えた。


 手刀が竜を打ち据えた――刹那、フラッシュを焚いたような閃光が瞬き、壮絶な衝撃となって炸裂した!


 唯は信じがたい思いで、竜の苦痛の叫びを聞いた。


 巨人がさらに攻め立てる。今度は蹴りだ。銀色の脚はしなやかだが、膝から下はまるで堅牢なブーツを履いているかのようで、足首のあたりにやはり小さな結晶体が埋め込まれている。その小さな結晶体に向かって、またしても胸の結晶体から光が送り込まれた。


 夕暮れの彩りの濃霧を切り裂き、蒼穹の色を纏った拳が、蹴りが繰り出される。舞踏のようだった。


 ふと頭上を仰ぐと、黒い戦闘機が所在なさげに旋回していた。攻撃中止の命令が下ったのかもしれない。無理もない、と唯は思った。戦いは人類の手を離れた。介入する余地など存在しないに決まっていた。 


「ハアァァァッ――」


 巨人が腰を落とし、籠手のような器官に青白い稲妻を走らせた。その両腕を十字に組む。臨界に達したエネルギーが激しくスパークし、直後、必殺の光線となって解き放たれた。


 ミサイルを受け付けない強靭な鱗も、滅びの妖光も無力だった。あらゆる防御を貫いて荒れ狂った光線に、竜は堪らず爆発四散した。


 ほんの三分にも満たない戦いだった。


 唯はしばらく動けず、やがて夕暮れ色の光が霧散していることと、炎の勢いがいつの間にか弱まっていることに気付いた。


 風が雪原を浚う。木立ちの間を渡って抜ける。


 視界の中で、巨人が空に溶けるようにして消えてゆく。



     ◇ ◇ ◇



 意識が戻ったとき、和泉は林の焼け跡に立っていた。


 荒々しく呼吸を繰り返す。


 夢を見ていたような気がした。生きていることも、怪獣を叩き伏せた感触が手に残っていることも、何もかもが現実の出来事とは思えない。


 ふと、自分の右手が見覚えのない物体を握り締めていることに気付いた。短剣を象っているようにも見えるが、刃はなく、材質は陶器とも金属ともつかない。ほとんど無感動に懐にしまい込む、思考がまとまらない、


「俺に、何が起こってるんだ……?」


 そこでついに限界がきた。糸が切れたかのように全身から力が抜け、つんのめるように両膝が落ち、


「――和泉っ!」


 走ってきた誰かに抱きとめられた。


 ところが、その誰かもひどく憔悴しているらしかった。和泉の体重を支えきれない。折り重なるようにして二人で雪の中に倒れ込む。


 素顔であれば息がかかるほどの至近距離。


 フルフェイスのヘルメットの、スモークのかかったバイザーの奥を覗き込んで、和泉はその人物の名を呟いた。


「……桐島隊員……?」


 死なせずに済んだ――。


 和泉の息が一瞬詰まった。その口元に、ゆっくりと、堪えきれないといった感じの笑みが広がっていく。


「よかった、生きててくれて」


「馬鹿か、君はっ!」


 叱りつけるように叫んで、唯が身を起こした。怒気をはらんだ声音と裏腹に、切れ長の目が笑っていた。


「それはわたしの言うことだ! 君が生きていてくれて、本当に良かった……!」


 しかし、和泉は頬の緩みを抑えられない。命を拾ったことよりも、目の前の人を助けられたことの方がやっぱり嬉しくて仕方なく、生きていて良かったという言葉と自分自身とを結びつけることがどうしてもできない。


 唯の腕に抱かれたまま、いつしか和泉は眠りに落ちていた。


 その懐で、蒼い光が鼓動のように瞬いた。

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