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鳥が来た(5)

 コルドラーの首の付け根――「首輪付き」の異名の由来となったリング状の斑紋が、稲光に照らされて真っ白に光る。まるで怪鳥の意思に操られているかのごとく雷鳴が轟き、山吹の放ったミサイルを貫いた。


 誘爆の炎が幕となって空域を染める。その紅蓮の幕を切り裂いて、コルドラーがレーベンめがけて一散に上昇してくる。


 強い敵意を宿してぎらつく瞳。


 山吹はキャノピーを通して、巨大な生き物が自分をはっきりと見据えているのを感じる。だが怯みはしない。


 ――狩る側は俺だ。てめえじゃねえ。


 操縦桿を傾ける。ペダルを踏む。機体が左に逸れて巨鳥の突進をかわした。


 そしてコルドラーの向かう先には、和泉が待ち構えていた。


『シールドミサイル、発射!』


 和泉の声がECOPADを通して聞こえ、直後にレーベン二号機がミサイルを切り離した。


 プリズムのようなエネルギーフィールドに包まれて駆けるミサイルを、コルドラーは得意の雷で迎え撃った。首の白い毛が光ると同時、巨鳥を取り巻く黒雲から幾重もの稲妻が生じて、ミサイルに向かって殺到した。


 一波目。難なく弾いた。


 二波目。これも弾いた。


 三波目が放たれる寸前、シールドが掠れはじめた。


 ――エネルギー不足か。


 山吹はマニュアルの内容を思い出し、忌々しげに舌打ちする。


 そもそもあの新兵器は、ティマリウスが用いた光波シールドの技術を流用して作られたものだ。


 本家本元であるティマリウスがシールドを維持できたのは、莫大なエネルギーゲインを生む動力源があったからだ。そのティマリウスですら、大気圏内でシールドの強度を保つためには、防壁を一カ所に集中することを必要とした。


 仕組みを再現できたとしても、レーベンがミサイルに注ぎ込めるエネルギー量では、ごく短時間シールドを形成するのが精一杯なのだろう。


 シールドを失ったミサイルに稲妻が四方八方から群がり、ミサイルは怪鳥に届くことなく空の塵となった。


『くそっ……失敗か!』


 残るシールドミサイルは山吹の一発だけだ。


 しかし、山吹は狼狽えなかった。


「いや、でかした。今ので使い方はだいたい分かった」


 ――仮に量産が間に合ってたとしても、考えなしにぶっ放せる武装じゃなかったな。


 シールドが持続するのはせいぜい五秒。距離さえ選べば雷雲圏を突破することは充分できるが、複雑な回避機動をとらせるほどの余裕はあるまい。


 ――最短距離でぶち込むためのシールドだから、当たり前っちゃ当たり前ではあるんだろうが……。


 ――ドッグファイトの距離とまでは言わないにしても、もっと近づいてから撃たなきゃ効果は見込めねえか。


 すると当然、一撃離脱の難易度は上がる。


「ふん……」


 つくづく楽をさせてもらえない戦いだ。


 ――まあ、やりようはある。


 山吹の戦闘機乗りとしての脳ミソが、暴風の支配者を高みから引きずり下ろすべく、無慈悲に算盤を弾きはじめる。


 ――首輪付きの体格は、今まで出現してきた他の怪獣と比べても見劣りしないように思える。


 ――正確な重さの記録はないが、どんなに少なく見積もっても二万トン以下ということはないだろう。


 ――だとすれば、コルドラーの身体構造は、空を飛ぶために相当な無理を重ねていなければおかしい。


「力に任せてビルや高架線をぶっ壊すくらいはできても、ミサイルの直撃に耐えるほど頑強な体はしてねえはずだ。俺はシールドミサイルで狙う。おまえは残りの短射程ミサイルで攻めろ。赤外線誘導ならチャンスがないわけじゃねえ」


 ECOPADへと一気に捲し立てた。


 言うだけのことを言い終えるなり、山吹はさらなる加速を得ようとスロットルを開く。


「……ん?」


 が、その表情はすぐに曇った。


 了解――そう返してきたばかりの和泉の機体の挙動がおかしい。


 和泉は急旋回を切るや否や、オーグメンタに点火していた。トップスピードでコルドラーに急迫する。山吹が再び敵を射程圏内に捉えるよりも、和泉が追いすがるほうが早いだろう。


 それ自体はいい。


 問題は、向かう先が積乱雲の只中であることだ。


「戻れバカ! そこは奴の狩り場だぞ!」


『でも、このままじゃ見失うかもしれません。山吹隊員だって、こいつを逃がすわけにはいかないんでしょう?』


 一理はある。電装系の防護が強化された今、システムをダウンさせられることはないだろう。しかし、磁場そのものを打ち消せるわけではない。発したレーダー波を攪乱される可能性は、たしかに否定できない。


「……だとしても、撃墜されるリスクのほうが高い! 目や耳ならコマンドルームにもある。いらんところで危険を冒すなと言ったろう!」


 山吹はふと、自分が思いのほか冷静に戦況を見渡せていることに気づく。


 ――あいつのおかげか?


 和泉が無茶を繰り返すせいで、無意識のうちにセーブでもしているのか。自分より泡を食っている奴がいると頭が冷える、それと同じ理屈かもしれない。


「ったく、慣れないことさせやがって」


 だが、こちらが指示を飛ばすことと、和泉がそれを遂行できる状態にあるかどうかは話が別だ。


 レーベン二号機は既に、その半身を雲の塊へと埋もれさせつつある。今から和泉がどんな操作をしたところで、一度雲に突っ込むことは避けようがない。


「命知らずめ……」


 視界からレーベンが消えた。こうなっては和泉自身の判断と腕で何とか切り抜けてもらうしかない。


 山吹は操縦桿を手前に引き、機体を上昇させた。積乱雲の上方へ抜ける。


 飛び立ったばかりのコルドラーが高度を下げるとは考えにくい。ならば、高空に占位すれば睨みを利かせられるかもしれない。


 眼下で雷光が瞬き、耳をつんざく轟音が響く。


「あの野郎、やられてねえだろうな?」


 眉をひそめたとき、暗灰色の雷雲から、二つの影が揉み合いながら飛び出した。


 一つはコルドラーだ。翼と鉤爪を激しくばたつかせ、自らに掴みかかる敵を振り払おうとしている。


 そして、もう一つは――


「キリエス!?」


 見紛うはずもない。幾度か戦線を共にしてきた銀色の巨人。キリエスというコードネームで呼称される戦乙女――唯と和泉の報告から、ひとまず女性であろうということになっている――が、踵から生えた光の羽をはためかせながら、怪鳥と互角の攻防を繰り広げている。


 ――また俺たちに味方してくれるのか。


 ――いや待て、和泉はどうした?


 山吹は嫌な予感を覚えた。普段の天候であれば、仮に被弾してもベイルアウトさえ可能なら助かる目はある。しかし今、灰色の雲は雷の巣である。生身を晒せば消し炭と化すこと請け合いだったし、たとえ運良く焼かれなかったとしても、雲の下では台風が荒れ狂っているのだ。パラシュート降下などできるわけがない。


 幸いなことに、嫌な予感は外れた。


 巨人と巨鳥からやや遅れて、レーベン二号機が雲海から姿を現したのだ。


 山吹は安堵の息をつく。


 ――あいつめ、よっぽどキリエスに気に入られてやがるな。


 巨人がどういうつもりで和泉を気にかけているのかは知らない。どうであれ喜ぶべき話には違いなかった。和泉は小生意気な奴だが、いくらなんでも殉職されては寝覚めが悪い。


「ハアッ!」


 キリエスの放った光弾を、コルドラーが翼を上下させてやり過ごす。流れるような羽ばたきで高度を稼いだ怪鳥は、せわしく翼を動かして停止。くるりと身を翻した。


 ――そこだ。


 敵が静止した瞬間を逃さず、山吹は短射程ミサイルを放った。


 当たるとは思っていない。ミサイルが機体から離れたときには既に、山吹は操縦桿とラダーペダルの操作を終えている。レーベンが横滑りしながら逃げようとし、山吹は流れゆく視界の隅でミサイルの行方を見守る。


 コルドラーの首輪が光る。


 下方の雷雲から伸びてきた幾本もの稲妻がミサイルを叩いた。轟音。雲でできた海原が三度、炎に炙られて赤々と燃える。


 予想通りだ。やはり単調な攻めでは攻略できない。キリエスか和泉と連携して、あちらの隙を作らねばならない。


 ひとまず話が通じるのは和泉のほうだ。


 通信を入れようとしたとき、コクピットに警報が鳴り響いた。


「――なに!?」


 熱源が機体を呑み込もうとしていた。山吹はキャノピーの外に視線を戻す。凄まじい速さで迫りくる炎の壁が、視界いっぱいに映し出された。


 コルドラーの攻撃だ。


 巨大な翼を羽ばたかせることで突風を巻き起こし、ミサイルが生んだ爆炎ごとこちらに向かって吹きつけてきている。


「チィィッ!」


 山吹は反射的に、スロットルレバーを最大出力の位置まで押し込んだ。その手が同時にグリップ部分のボタンにかかる。ボタンを押すことでロックが解除され、最大出力のさらに上、オーグメンタの点火位置へとレバーを合わせることができる仕組みだ。


 コクピットの内と外とを素早く行き来する視線が一瞬、操縦桿を握る自らの右手と、指を伸ばせば届くミサイルの発射ボタンを捉えた。


 天啓のような閃き、あるいは悪魔の囁きのような思考。


 今なら、首輪付きからもレーベンが見えない。


「――シールドミサイル、発射!」


 プリズム状の光波シールドを纏い、ミサイルが炎の一点を突き破ってまっすぐに疾駆した。


「南無三ッ!」


 山吹は間髪入れずにオーグメンタを作動させる。


 厳しいタイミングであることは分かっていた。もはや無傷とはいくまい。エンジン一つで済めば御の字。だがそれ以上の損傷なら――暴風豪雨の荒天だ、脱出しても生き残れる確率はゼロだろう。


 オーグメンタに火が灯る。しかし、その熱が運動エネルギーに変わるよりも早く、燃料タンクに焔の津波が押し寄せる。


 炎のむこうで爆音が響いた気がした。


 山吹はほとんど覚悟を決めながら、最後のつもりでレーダーへと目を落とす。


 四つあったはずの光点が、三つに減っている。


 自機。


 和泉機。


 キリエス。


 それで全部だ。


 ――上出来じゃねえか。


 命の瀬戸際であることを忘れた。山吹の口元が滑らかに、ほどけるように緩む。


 空でやり残したことは、もうない。


 そして山吹は、清澄な叫びが天を裂くのを聴いた。


「ゼアッ!」


 レーベンが火の玉と化すことはなかった。


 漆黒の機体が炎に包まれる直前、割り込んできたキリエスがバリアで熱波を防いだのだ。


 銀色の貌がこちらを振り返る。あたたかな光を湛える大きな眼が、レーベンの中の山吹を確かに見据える。


「協力ありがとうよ、キリエス」


 山吹が敬礼を送ると、キリエスは静かに頷きを返してきた。その均整のとれた巨体がたちまち、溶けるかのようにかき消える。


 あとに残されたのは二機のレーベンと、渦潮のごとき台風の目と、雲上を往く者のみに見える青い空だ。



     ◇ ◇ ◇



 台風十六号が列島を去った。地上の窓から眺める空も、今は雲ひとつない一面の青に染まっている。


 四年前は、この空模様もただ皮肉なだけだった。


 今は、まるで違って見える。


 山吹はふっと息をついて、室内へと目を戻す。


「終わったぜ、沙耶佳」


 パイプ椅子に腰を下ろして、ベッドに横たわる幼馴染の手をそっと握った。


 もちろん、答えが返るはずもない。


 山吹は御伽話になど興味がない。呪いや魔法といった非科学的なものも信じない。コルドラーを討ち果たせば沙耶佳が意識を取り戻す――最初から、そんなことを思って戦っていたのではなかった。


「すまねえな、ついていてやれなくて。やっぱり俺は骨の髄まで『戦闘機乗り』が染みついてるみたいだ」


 頭に浮かぶのは、首輪付きとの最後の攻防だ。


 いち早くオーグメンタを起動させて逃げるより、差し違えてでも宿敵を仕留めるほうを選んだ。


 ――いつか沙耶佳の時間が再び動き出したとき、俺がもうこの世にいないと知ったら。


 戦いの最中、そういう想像が働かなかったわけではなかった。


 それでも、自分はパイロットとしての心残りを優先した。


「まったく薄情な奴だよな。さんざん世話を焼いてもらったってのに、ろくに返せやしねえ。意識が戻ったら怒ってくれ」


 我ながら勝手な話だと呆れがくる。


 だが、思えば、自分と沙耶佳は昔からこうだったのだ。


 自分はずっとパイロットを目指してきた。


 沙耶佳が自分を支えてくれたのは、自分が目標のために他の――沙耶佳も含めて――すべてを顧みない男であったからではないのか。


 もし自分がすぐにでもパイロットを引退して、沙耶佳の側にいることを選んだとしたら、沙耶佳は目覚めたときに嬉しそうな顔を浮かべるかもしれない。


 しかし、その笑顔はきっと、心からの喜びを映したものではないだろうと思うのだ。


「……ま、本当のところは分からねえけどな。俺がレーベンに乗っていられるのもあと十年が限度だ。十年経ったら答え合わせしようぜ」


 最後に軽く頭を撫でて、病室を後にする。




 病院のエントランスを出たところで、和泉と鉢合わせた。


「ご報告、終わったんですね」


「おう」


 来るだろうと思っていたので、山吹は特に驚かなかった。この後輩がとんでもないお節介焼きであることは、ここ数日の間によく理解できたつもりだ。


「――やれやれ、おまえの特攻癖を笑えなくなっちまったな」


 正門に向かって歩く。


 山吹がちらりと後ろを一瞥すると、和泉はばつの悪そうな顔を浮かべていた。


 ――こいつ、やっぱりか……。


 その表情を見て、山吹の脳裏にひとつの確信が生まれる。


「なあ、一つ正直に答えろよ。おまえシールドミサイルの特性に気づいてたな?」


「……わかりますか」


「俺にトドメを任せようとしてワザと失敗したんだろ? 雲に入ってまで追いかけようとしたくせに、キリエスがコルドラーを食い止め出したら、まるで自動操縦にでも切り替えたみたいに攻めっ気がなくなった。あんだけチグハグな飛び方してたらバレバレだ。一丁前に気を遣いやがって」


「気を遣うでしょう、あんな事情聞いたら」


「もともと首を突っ込んできたのはおまえだろ」


 言葉を重ねていくごとに、眉間のしわがどんどん険しくなってゆく様子が自分でも分かった。


 ――つくづく、こいつとは相性が悪い。


 意を決した。


 足を止める。一八〇度振り返る。


「いいか、一度しか言わん」


「な……なんです?」


 山吹は派手に咳払いをして、当惑する和泉を真正面から見据えて告げた。


「サポート助かった。感謝する」


 その瞬間、和泉が晒した呆け面は、山吹の溜飲を大いに下げるものだった。

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