鳥が来た(3)
――俺と沙耶佳は、北陸じゃ有数の工業都市で育った。町自体はそんなにデカくもなかったが、かなり名の知れた重機メーカーのお膝元だからなんだろうな、ちょっとぶらつくとどこかしらの工場にぶち当たるようなとこだった。
ただ、町にはもう一つ、別な顔もあってな。
空自の基地があったんだ。
俺がいた頃は毎年のように航空祭が開かれてたし、今でもイベントのたびに日本じゅうからマニアが押し寄せてる。俺が戦闘機パイロットを目指したのだって展示飛行を見たのがきっかけだ。何歳のときだったかはもう憶えてねえけどな。
今のガキはどうか知らねえが、少なくとも俺の頃は、パイロットに憧れる子供はあの町じゃ珍しくなかった。――ああ、もちろん男ならだぞ。なんだかんだ言ったって圧倒的に男の趣味で男の世界だしな。そういう意味じゃ桐島とかよくついてくるよな。おまえが来るまではあいつが二号機に乗ってたんだぜ、感心するよ。
……っと、話が逸れたか。
まあとにかく、俺を含めて、空に憧れるガキが仰山いたのは確かだ。
――あ? じゃあ町出身のパイロットが多いのかって?
んなわけねえだろ。皆が皆、憧れを持ち続けていられるわけじゃねえ。中学に上がるくらいの歳にもなりゃそれなりにいろんなことが見えてくるしな、だいたいの奴はパイロットになろうなんざ真剣には考えなくなる。そこを乗り越えたとしても今度は大人たちの反対さ。なまじ基地が身近なぶん、危険な仕事だってことがリアルに想像できちまうんだろうよ。
けど、俺にとってパイロットは夢じゃなく、現実の目標だった。
命がかかると知っても、それまで一緒になって飛行機の図鑑を読んでたような同い年の奴らにドン引きされても、親父やおふくろや先公がスクラム組んで止めてきても、俺は最後まで諦めずにいられた。
それだけ意志が固かったから?
……どうだかな。
周りに合わせたほうが楽だってことには俺も気付いてた。「やっぱ俺がバカだったわ」とか笑って言えばクラスの男子連中の輪にも戻れたろうし、自分で体験したわけでもねえ現実とやらを訳知り顔で聞かせてくる大人もいなくなったはずだ。意地張るのをやめるだけでいい。簡単なもんさ。
でも、俺にはできなかった。
そういうのはみっともないことだと思ってた。
みっともないところを他の誰かに見せるくらいなら死んだほうがマシだ、くらいの気持ちでいたな。おまえも男だし何となくわかるだろ?
俺の隣にはいつも沙耶佳がいた。
俺も沙耶佳も何かを示し合わせたり、ましてや俺が将来パイロットになることを約束したりはしなかった。なりてえとは言ったけどな。沙耶佳の反応は「そっか」ってなもんで、俺たちが普段一緒にいたことには、昔からそうしてたからっていう単純な理由しかなかったと思う。
そして、繰り返しになっちまうが、俺はみっともないところを絶対見せたくなかった。誰にもだ。
◇ ◇ ◇
「――実家が隣同士でな。俺たちが同い年ってこともあって、ガキの頃は家でも学校でも顔を突き合わせてた。さすがに中学とか高校にもなるとお互い別々の友達とつるむことが多くなったんだが、それでも何だかんだ、他の奴よりも距離近かったんじゃねえかな」
「家族ぐるみの付き合いだったんですか?」
おう、と山吹。
「しょっちゅう一緒に旅行したり遊びに行ったりしてたぞ。進路相談のときまで二家族総出だったのは何かのギャグかと思った。ぜんぜん笑えなかったが」
「よくパイロットになりましたね。大丈夫だったんですか、その……ご両親とか、ご近所との色々とか」
今までの話からすると、山吹の親は息子が空自に進むことを快く思っていなかったはずである。隣家をも巻き込むほど強硬な反対を押し切ったとなれば、事と次第によっては敷居を跨げなくなってもおかしくないのではなかろうか。
しかし、山吹は首を振った。
「そりゃ当時はギクシャクしたさ。でも今は全然だ。沙耶佳の親はもともと『本人たちが納得してるならそれで』ってスタンスだったしな」
「あ、そうなんですか。よかった」
「うちの親のほうが面倒臭かったな。俺に店を継がせたいって考えてたせいもあって後を引いちまってよ、結局は妹が婿を連れてきてようやく解決した。以来、親父もおふくろもすっかり丸くなって親子仲も元通りさ。現金なもんだよ」
山吹の口角が吊り上がる。言葉こそ憎たらしげだが、その表情はどう見ても、確執を抱える相手について語る顔ではない。
「――ま、そんないざこざがありつつも、俺は晴れて航空学生になったわけだ。防府での生活は……」
そこで山吹はこちらに視線を投げ、
「おまえにも想像つくよな?」
「……だいたいは」
ECOアカデミーを半年前に出たばかりの和泉にとって、養成課程での日々を想像することは決して難しい試みではなかった。
生易しいものではない、と言うに留めておく。
自分の場合はまさしくそういう環境を望んでいたわけだが、憧れからパイロットを志した山吹にしてみれば、監獄に繋がれているのと大差なかったかもしれない。
「防府にいた頃は、ほとんど沙耶佳とも連絡を取らなかった。たまにケータイに飛んできたメールには随分と助けられてたから、悪い気もしちゃいたんだが……」
「私物のスマホ触れる時間なんて日に十五分あるかどうかでしょう。仕方ないんじゃないですか?」
「そうなんだが、それが分かるのは俺らだからだろ。沙耶佳は普通の大学生だった。今思えばよく縁を切らずにいてくれたよ」
こんこんと眠り続ける萩原沙耶佳の面差しを見つめながら、その細い手を山吹はそっと握る。
和泉は当惑を隠せない。眼前の男が人に対してこうも穏やかな目を向けることがあるなどとは、想像さえしたことがなかった。
再び、山吹が口を開いた。
◇ ◇ ◇
沙耶佳と再会したのは、俺が正式に部隊へ配属されてからだ。
候補生のときより自由度が上がったとはいっても、現実問題として俺がいたのは百里で、沙耶佳のいる東京との間を行き来すんのは骨が折れた。自衛隊ってところはECOと比べて休みに関しちゃ制約が多くて、スケジュール的にも外泊できねえことがしょっちゅうだったしな。
というわけで、会おうってときは沙耶佳のほうが茨城まで来るのがパターンだった。
あまり楽しくはなかったはずだ。
だってそうだろ? あのへんで観光スポットなんて霞ヶ浦くらいのもんだし、他に見るもんっつったら俺たちの航空祭しかなかったんだから。
でも、沙耶佳は文句ひとつ言わなかった。
俺に何かを要求することもなかった。わざわざ遠出して彼氏でもねえ男と休日を過ごすってんだから、見返りを求めたって罰は当たらなかっただろうによ。
――って、なんだそのツラ。
「それはもう事実上お付き合いしてるようなものでは」だと?
…………。
よくわからん。そういうもんなのか? 俺は完全に昔のまま変わってねえつもりだったし、沙耶佳も同じだと思ってんだが……。
まあ、いい。今は置いとこう。
どうであれ話の先は長くねえんだ。
なにしろ、俺と沙耶佳がそうやって会っていられた期間は、たった一年すら続かなかったんだからな。
沙耶佳は大学を卒業した後、立川駅前のアパレルショップで働いてた。
コルドラーがやって来るまでは。
列島に接近するコルドラーを最初にキャッチしたのは空自のレーダーだった。今回と同じだな。だが、一つだけ、どうしようもなく違っていたこともあった。
空自がそのままコルドラーを迎撃したことだ。
当時はECOとの連携について今ほど法整備が進んでなかったし、そもそもあのときECOは初動をしくじって、見当違いな場所に防衛線を敷いてた。俺たちがやるしかなかった。
……戦闘の結果は、データベースにある通りだ。
俺たちが武器を使い果たして撤退したあと、奴は悠々と立川を襲った。
避難誘導もクソもなかった。
空を飛んでたコルドラーがどこに降りるかなんざ誰にも分からなかったしな。鳥の気まぐれを予想できた奴がいたなら、そいつは予知能力者か何かだろ。
街を瓦礫の山に変えた後、コルドラーは低気圧に乗るように飛び立って、そのまま海の向こうへと消えて戻らなかった。
天気が崩れてたのは不幸中の幸いだったのかもしれねえ。繁華街のど真ん中で怪獣が暴れたにしちゃあ、死人や怪我人の数は少なかった。出歩いてる人間がそもそも普段より少なかったんだな。
残念ながら、沙耶佳はその少数派の一人だった。
吹っ飛んできた看板が頭に当たったらしい。
俺が知らせを聞いて病院に駆け込んだときには、手術はもう終わってて、沙耶佳は一命を取り留めた後だった。
ほっとしたが……ぬか喜びだったな。
今でもときどき、俺の機体がイーグルじゃなくてレーベンだったらと思うことがある。
もう少しましな想像なら、レーベンを動かせた奴らが誤報に惑わされていなかったら、とかな。
けれど所詮、そんなのは想像でしかねえ。
イーグルの機銃もスパローもサイドワインダーも怪獣には通じなかったし、ECO側のお偉いさんは責任を追及されて首を切られた。沙耶佳の意識が回復するかどうかは医者にもわからん。
現実に起こったことは、それで全部だ。
◇ ◇ ◇
「しばらくして報道が落ち着いた頃、ECOの人間が会いに来た。それが藤代さんだった。新部隊の創設にあたって組織内外から優秀な人材を集めている、ってあの人は言ったよ。――要はスカウトだな」
断るつもりだった、と山吹は述懐する。
「俺に声がかかった時点で、宇宙探査局の研究員を副長として招聘することが既に決まっててな」
「周防副長ですよね?」
「そうだ。で、藤代さんがエイリアン相手の防衛戦で活躍した人だって噂は自衛隊まで届いてた。宇宙のエキスパート二人をトップに据えようって部隊が、怪獣と戦う役に立つとは思えなかった」
無理もないと和泉は思う。
もともと侵食元素の調査機関として発足したECOにとって、怪獣災害への対処は紛れもなく本業の一環である。
一方、エイリアンとの戦いは事情が違う。こちらは諸々の争点――それはたとえば「侵略者が生物兵器として怪獣を使役した場合」という境界線の議論であったり、異星のオーバーテクノロジーと渡り合うに足る組織がECO以外に存在しないという現実であったり、他国に主導権を握られたくないという各国の思惑であったりする――が複雑怪奇に絡み合い、玉虫色の決着を見た結果に過ぎない。
藤代や周防の実績がどんなに華々しくても、ECOの成り立ちを考えれば彼らの専門分野は傍系だ。
そういった人物が新設部隊の指揮を執ると聞いたら、自分が山吹の立場でもECOの本気度を疑っていたに違いない。
「頭に血が上って、つい怒鳴っちまった」
遠い記憶を探るような口調、
「空の向こうよりも街を見やがれ、そんなことだから何も守れなかったんだ――ちゃんとは覚えてねえが、たしかそういう感じのことを言った気がする」
「それは……でも、」
「ああ。作戦に参加してなかった藤代さんに言ったところで仕方ねえ話さ」
和泉が問いたかったのは怒りの本当の矛先についてだ。しかし、改めて指摘するのは憚られた。
山吹は続けた。
「ところがあの人、だからこそ一緒に来てほしいって言うんだ。レーベンの仕様書を俺の前に広げて、こいつを誰よりも上手く飛ばせるパイロットが自分にはどうしても必要なんだってな」
和泉は面食らって、
「仕様書ですか? レーベンの?」
「機密情報だよな。流石に俺もぶったまげてよ、あんた俺が断ったらどうする気だ、って訊いたんだ」
「隊長、何て答えたんです?」
「断られるとは考えていない、だとさ」
おかしそうな山吹の含み笑い、
「俺の経歴を洗いざらい調べ上げてたんだろうよ。俺が戦闘機バカだってことも、コルドラーのせいで植物状態になった幼馴染がいることも、たぶんあの人は知ってた。レーベンを見せれば絶対に首を縦に振るって確信があったんだな」
「なんか……意外です。藤代隊長って規則とかには厳しい人だと思ってました」
「普段はな。でもあの人、いざってときは横紙破りけっこうやるぜ。でなきゃ佐倉を隊に置くかよ」
それを言われると和泉はぐうの音も出ない。藤代が佐倉ほのかに対して「違法な捜査を控えろ」と指導するところは見たことがあっても、「違法な捜査を止めろ」と命じるところは思えば目にした記憶がなかった。
「『私と周防は宇宙に目を光らせることができる。君は地球の空を飛ぶことができる。少数精鋭をもってあらゆる脅威に即応できる部隊を編成するには、君の力が必要だ』――藤代さんがそう言ったとき、俺の心はもう決まってた」
降り続く雨がしとどに窓ガラスを濡らしていた。
山吹がベッドから視線を剥がした。
「――俺がコルドラーにこだわる理由はこんなところだ。ゆうべのヤツは首のまわりに白い毛が生えてた。間違いなく、四年前に現れたのと同じ、『首輪付き』と呼ばれてた個体だ」
まっすぐこちらを射貫く眼の奥で、意志が黒々と燃えている。
「沙耶佳は俺が戦うことを望んじゃいねえだろうが――」
それでも、と彼は迷いなく口にする。
「首輪付きを仕留めることは、俺がパイロットとしてやり残してる最大の仕事なんだよ」