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鳥が来た(2)

 朝が来た。


 仮眠室の扉が一度開き、また閉まったのを音だけで察した。和泉は意識を覚醒させてベッドから下りると、すぐさま身だしなみを整えて一階へ向かった。


 カフェテリア式の食堂で軽めのセットメニューを盆に取り、精算機にECOPADで触れる。ECOPADに内蔵された決済用チップの情報が読み取られ、トークンのウォレットから食事代が自動で引き落とされる仕組みだ。


 隅のテーブルに陣取る。


『――大型で強い台風十六号が週明け、日本列島を直撃する見込みです。勢力を保ったまま速度を上げながら北上し、七日の朝には上陸するのではないかと……』


 テレビから流れてくるお天気ニュースをBGMに窓の外を見やれば、まさにアナウンサーが口にしたことを連想させる空模様が広がっている。


 台風が近いのだ。


 和泉はそのまま視線を移し、左斜め前、少し離れたテーブルを一瞥した。


 そこに山吹が座っている。


 向かい合うような格好だが、間に長テーブルを一列挟んでいることもあってか、山吹がこちらに注意を払う様子はない。黙々と焼き鮭をほぐし、白米とともに口の中へとかき込んでいる。


 けっこうな大盛りだったように見えたが、どうやら山吹は起き抜けだろうと構わず食えるタイプであるらしい。五分と経たないうちに平らげて席を立ち、盆と食器を返却コーナーへと運んでゆく。


 和泉は慌てて残りのパンを頬張り、山吹の後を追った。




 制服とECOPADをロッカーに戻し、私服に着替えて基地を出た。


 長い橋を通って臨海副都心に渡り、電車を乗り継いでおよそ一時間。立川駅で降りた山吹は、ターミナルの案内板に目もくれず列に並び、バスに乗り込んでいった。


 色とりどりの看板が無節操に並ぶ繁華街を抜けて、バスは集合住宅の目立つ区画へと入ってゆく。その間、和泉はタクシーを使ってバスのケツにつけていた。「前の車を追ってください」なんて台詞を吐く機会がよもや現実に訪れるとは思わなかったが、どうやら運転手もそれは同じだったらしい。ドラマか何かの撮影なのか、カメラマンはどこにいるのか。興味津々といった体のドライバーの詮索を、和泉は狭い空間の中で受け流し続けねばならなかった。


 やがて、山吹がバスから降りた。


 和泉もタクシーでの移動を切り上げる。やたらと気安い運転手が車とともに去って行くのを見送りながら、和泉は傘を片手に歩き出す。


 ――まあ、俺も人のこと言えないよな。


 野次馬根性で他人の事情を覗き見ようとしている。その点では、自分とてあのドライバーと大して変わるものではない。


 たしかに山吹はコルドラーと何らかの因縁を抱えているのかもしれない。しかし、彼はそれを誰かに語りたがっているわけではないのだ。


「なーにやってんだろ俺……」


 山吹とは決して仲が良いわけではない。


 唯からは以前、自分と山吹について「根っこのところでは似たものどうしかもしれない」と言われている。彼女の目を疑いたくはないが、あればかりは見込み違いであったというのが和泉の偽らざる本音だ。


 ――湖の魚が大量に死んだとき、山吹は侵食元素(レキウム)の関与を頭から疑ってかかり、自分はその態度に噛みついた。


 ――円盤が妨害電波を発しながら飛来したとき、自分が「まず対話を試みる」と言い残して出撃したことを知った山吹は、渋面で「即座に撃墜すべきだ」とこぼしたという。


 ――宇宙人の友達を名乗る少年が接触を図ってきたときは、自分が詳しいことを話すより早く、山吹は「どうせイタズラだろう」と主張した。


 自分が正しかったこともあれば山吹が正しかったこともある。しかし、結果がどうであれ、何かにつけて意見が対立したことは事実だった。合わない人間というのはいるものだが、自分にとってはそれが山吹であり、向こうも自分のことをそのように感じているはずだと思う。


 それなのに自分は今、山吹の足跡を追いかけて、ろくに知らない町の来たこともない一角を歩いている。


「バカなことしてるよなぁ」


 傘で顔を隠しつつ山吹の様子を窺うと、彼はアパートの前で足を止めていた。


 おそらくは鉄筋造りであろう、三階建ての新しい建物だ。部屋として貸し出されているのは二階と三階だけのようで、一階部分にはテナントが入居している。軒先には緑の布が張られていて、ガラス張りの正面から色とりどりの商品が並んでいるのが見える。


 何かの間違いかと思った。


 何の間違いでもなかった。


「は、花屋?」


 口が塞がらない。自分の見ている光景が現実であると信じられない。


 こう言ってはなんだが、ECOの実働部隊に籍を置く男ほど無骨な人種も他にあるまいと和泉は思う。中でも山吹は典型例、空に取り憑かれたかのような生粋の戦闘機乗りだ。


 その彼の立ち寄った先が、よりによって花屋。


 唖然とするばかりの和泉をよそに、当の山吹はバスケット入りのアレンジメントを購入し、年若い店員と親しげに言葉を交わしている。


 よく来るんだろうか。


 山吹が店から出てくるのを、横断歩道の向かい側から見守った。


 呆気にとられすぎていて、傘を下げるのを忘れていた。


「あ」


 思いっきり目が合った。


 山吹が顔面を引きつらせるのが分かった。


 信号が青に変わる。片手でアレンジメントを抱え、もう片方の手で傘を持った山吹がすっ飛んでくる。


 和泉は腹をくくった。こうなってはこの場を離れる意味などなく、当たって砕ける以外の道が残されていようはずもない。


「おいコラ。てめーがなんでここにいやがる」


 ストーキングとはいい趣味してやがるな――心の声が聞こえてきそうな山吹の口調。


「こうでもしないと何も教えてくれそうになかったので」


「話すことはねえと言ったはずだぞ」


「あれで納得できるわけないでしょう?」


 自分が悪い。冷静に考えるまでもなくそんなことは和泉にも分かっていた。にもかかわらず謝罪の台詞が一ミリも頭に浮かばなかった理由を問われれば、もはや意地と答えるよりほかにない。


 互いの眼光がぶつかって一触即発の火花が散り、



 ――サイレンの音。



 二人で同時に車道を見やる。交差点の赤信号を突っ切って救急車が顔を出し、目の前を走り去っていった。


 音が遠ざかる。


 救急車の消えた曲がり角をむっつりと見つめ、山吹は「ちっ」と舌打ち、


「……つまんねえ小競り合いしてても仕方ねえか」


 呆れたように呟いて大きな背中を翻す。


「物好きな野郎め。そんなに知りたいならついて来りゃいい」


「どこに行くんです?」


「花持って行くような場所なんて幾つもねえだろ。――病院だよ」




 十分ほど歩いたところに、目的の総合病院がそびえ立っていた。


 エレベーターに乗って八階まで上がり、通路を行く。その途中、山吹はすれ違った看護師と会釈を交わした。挨拶から滲む気安さは、顔見知りに会ったときのそれと一緒だ。花屋でのことといい、彼はもう何度もこうして面会に訪れているのかもしれなかった。


 病室の前で、和泉は扉の脇に目をやった。ネームプレートには「萩原(はぎわら)沙耶佳(さやか)」と印字されている。


 ――女の人?


 もしや山吹の恋人だろうか。


 しかし、和泉が何事かを問うより先に、山吹は遠慮なく扉を開けてしまった。無言のままベッドへと近づいていく。


 和泉はやむなく続いた。足を踏み入れる前に口を開き、


「失礼します……」


 せめて一声かけようと思ったのだ。


 が、返ってきたのは山吹の温度の低い声だけだった。


「いらねえよ。誰も聞いてやしねえ」


「え? でも――」


「入って来てみりゃわかる」


 買ったばかりのアレンジメントをベッド横の窓際に飾った山吹が、首だけでこちらを向いて顎をしゃくる。


 和泉は戸惑いながらも彼の言葉に従って、


「あ……」


 ――そういうことか。


 まず、清潔なシーツの敷かれた長方形のベッドがある。


 そこに、女性が横たわっている。


 傍らのスタンドに吊り下げられた点滴ボトルからチューブが伸びて、腕へと栄養を送り込んでいる。医療機器が心拍を記録していて、波が規則正しく跳ねるたびに「ピッ」という電子音を鳴らし続けている。


 その音がなければ、時間が止まっていると錯覚していたかもしれない。


 女性は柔らかく目を閉じて動かず、和泉はもちろん、山吹の来訪にすら反応することはなかった。


「この方は?」


「萩原沙耶佳。俺の……いわゆる幼馴染ってやつだな」


 幼馴染という単語を捻り出すまでに、山吹は一瞬の間を要した。


「こいつは四年前、コルドラーの立川襲撃に巻き込まれた。体の傷は治ったが、未だに意識が戻らねえままだ」


 言いつつ、山吹は壁に立てかけられていた折りたたみ式のパイプ椅子の群れへと歩み寄った。二人分を取って広げ、その片方にどかりと腰を下ろす。


「座れよ。どっから説明したもんかイマイチ自信がねえから、最初から話すぜ」


 和泉は黙って従った。


 ひと呼吸の後、山吹の口から記憶が語られはじめた。

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