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楽園へのパスポート〔後編〕(2)

 和泉がシグナのコントロールブロックを去ってから、島の時間がめまぐるしい速さで流れはじめた。


 キャリルとシグナは、ECOとの正式な協力関係を結ぶことに成功した。ハッキングのお咎めがシグナのドローン一機の供与で済んだことから察するに、協定の陰には和泉の相当な尽力があったものと窺えた。彼は約束を果たしてくれたのだ。これ以上は望めないほどキャリルにとって有利な形で。


 興一は浜辺の岩に腰かけ、スマホの画面へと視線を落とす。


 二十時四十四分。


 ネリヤの末路を知ってから丸一日が過ぎていた。


 夜気の只中にほうっと息を放ったとき、目の前で亜空間ゲートが開いた。現れたキャリルは興一の姿を認めると、ひどく意外そうに大きく目を瞠った。


「コーイチ、帰ったんじゃなかったの?」


「作戦会議お疲れさん。――ほら、やるよ」


 ダッフルバッグからラムネを出して投げ渡す。


 くるくると回転して宙を滑った透明な瓶を、キャリルは戸惑いながらも器用にキャッチした。封を切ってビー玉を落とす。ガラスどうしの触れあう高い音が一度鳴り、さざ波の響きのなかに溶けてゆく。


「ボクこれ好き。面白いし綺麗だよね」


 ぐっとラムネを呷る。一度、二度と喉を鳴らした後に瓶から口を離したキャリルは、きまりが悪いといった表情で鼻先を掻く。


「ありがと。ECOの人たちとずっと真面目な話ばかりしてたから、喉渇いてたんだ」


「んなこったろうと思った」


「……コーイチは、こんなところにいていいの? もうすっかり夜だよ。家の人が心配するんじゃない?」


「しねえよ。オレいつも野球の練習やってるからな、普段から帰るの遅いんだ」


「それは普段ならの話でしょ? 明日は避難しなきゃいけないんだから、帰ったほうがいいよ。ほら、荷物纏めるとかさ、やることはいろいろ――」


 キャリルの言うとおりだった。


 先週の時点で木星を通過していたティマリウスは、一昨日の昼に火星付近まで到達したらしい。地球に襲来するのは明日の十四時頃であろう、というのがシグナとECOの共通見解だ。


 緊迫をきわめた議論のなかで、ECO側が提案した高高度ミサイル爆撃をキャリルは即座に却下していた。たとえ核を用いてもティマリウスのシールドを突破することはできない、シールドが減衰する大気圏内で戦わなければ万に一つも勝ち目はない――それが彼女の言い分である。結局はこの主張が認められ、天体観測所のアンテナからSETI用のシグナルを宇宙に向かって発信、ティマリウスを誘き寄せて地上決戦に持ち込む運びとなった。


 つまり、ティマリウスは島をめがけて降りてくるのだ。


「……怒ってる? 島を巻き込んじゃうこと」


 何を言うかと思えば。


 さっきからキャリルの顔が浮かないことに、興一はもちろん気付いていた。


 てっきり戦いを明日に控えて硬くなっているのだと思っていたが、まさか今更そんなことに負い目を感じていたとは。


「あのなあ」


 興一はぼりぼりと後ろ髪を掻いて、


「ホールムームで棗田が話してたの、おまえも聞いたろ。あの天体観測所はもともと電波を飛ばす予定だったんだ。どっちみち島は巻き込まれてたし、おまえとシグナがいなかったら何の準備もできずに逃げるはめになってたんだぜ。むしろ礼を言いたいくらいだ。大体だな、」


 星をいくつも滅ぼしてきたような奴が相手なら、地球のどこが戦場になったって大した違いはないだろう。


 そう言いかけて咄嗟に口をつぐみ、


「――気に病むくらいだったら、しっかり島を守ってくれよ。決まっちまったもんをウダウダ悩んでもしょうがねえだろ」


「うん……そうだね。そうするよ」


 暖かな夏の宵闇に紛れて、キャリルは口元を綻ばせる。後ろめたさによって凝り固まっていた気分がほぐれたのだと、すぐ横で見ている興一には察しがついた。


 これでいいのだと思う。


 驚かされることが多すぎて忘れそうになってしまうが、キャリルと出会ってからはまだ半月も経っていない。故郷の星の繁栄から滅亡に至るまでを聞かされた今でも、彼女については自分が知っていることよりも知らないことのほうが遥かに多いに違いない。


 だとしても――


 だとしても、その半月足らずの間に見せてくれた表情が偽りであるとは思えなかった。こいつが太陽のように眩しく、南風のように爽やかなヤツであるということを、興一は今もまったく疑っていない。


 神妙な面持ちなどキャリルには似合わない。


 少なくとも自分の中では、そういうことになっている。


「――コーイチが正しいや。決まっちゃったことは変えられない。だから、ボクは変えられるもののために戦うんだ」


「変えられるもの?」


 キャリルは調子を取り戻したようだった。澄んだ瞳を輝かせ、見えないものを見つめるような目つきで彼女は屈託なく笑う。


「未来だよ」


 ふたりを照らす、満天の星空。



     ◇ ◇ ◇



 夜が明けて、嵐のような午前が過ぎて、作戦開始時刻は誰の都合も待ってくれずに訪れた。


 すでにシグナは亜空間を脱し、天体観測所の施設の前で仁王立ちの体勢をとっている。


 そのシグナ内部のコントロールブロックの最奥、人型戦闘形態用の操縦ブースにキャリルの姿はある。


 頭には上半分を覆うヘッドセット。胴や腕、脚にはシグナの兵装管制と連動したセンサー付きのプロテクター。


 キャリルが町の方角へと首を動かすと、連動してシグナの首が回転し、メインカメラが捉えた町の映像が立体スクリーンに投影された。


 静かなものだった。


 避難が終わっているのだから、当然と言えば当然だ。島民はシェルターに入っているか、さもなければ島を離れたかのどちらかで、町に残っている人間は一人もいないはずである。


 ふと脳裏に浮かぶのは、ここ数日で仲良くなった少年の顔。


 ――コーイチ、どうしてるかな?


 離島のシェルターなど数も規模もたかが知れている。彼の家がシェルターから近い位置にあれば島内に留まっているだろうし、遠ければ島外に逃げることを余儀なくされただろう。彼の家の場所を自分は知らない。


 葦原興一。学校のクラスメイト。野球が得意。面倒見がよくて勇気があって、でもちょっと口が悪くて、たぶん己の頭で考えたり決めたりすることを面倒くさいと思っている男の子。


 ――ボクの、大切なともだち。


 今まで友人がいなかったわけではない。しかし、ネリヤにいた頃は交友関係もすべてコンピュータによって定められていた。キャリルが自分の意思で友達になることを選んだのは、葦原興一が初めてだ。


 だからだろうか、


 ――キミのことをもっと知りたい。


 ――ボクのことをもっと知ってほしい。


 並んで教科書をひらいて勉強したり、机をつき合わせて給食を食べたり、きのう見たドラマについて語り合ったり、一緒に島のあちこちを見て回ったり、彼の得意な野球でまた勝負したり――そんな日々を想像すると、どうしようもなくワクワクする。胸が躍る。


 故郷をなくす気持ちだけは、彼に味わわせてはいけないと思う。


 そのためにも、


「勝とうね、シグナ。ネリヤの過ちを終わらせるんだ」


『無論です、キャリル』


 決意を固めたとき、天体観測所のアンテナが電波を放った。


 シグナのシステムが警報を発した直後、白い巻雲を貫いて、青々とした空の彼方から黒き威容が飛来した。


「来たな、ティマリウス……!」


 激震を起こしながら、鋼の怪物が島の地面を踏みしめる。


 何物にも染まらぬ意志を知らしめるかのような黒塗りのボディに、高貴さを表すような金縁。押し寄せる津波のような巨体は四本の長い脚に支えられ、地球で言うところの人馬一体のシルエットを形作っている。


 機械仕掛けの支配者、ティマリウス。その風貌は、キャリルの記憶に焼き付いているのと寸分たりとも違わない。


『本惑星のあらゆる者に告ぐ』


 スピーカーから気品のある男声が喋りかけてきた。


 ティマリウスが直接話しているわけではない。ティマリウスの発する電波を拾ったシグナが、そのパターンを解析して人語に翻訳しているのだ。


『当機の名はティマリウス。創造者より与えられた「秩序の守護者たれ」という存在理由に基づき、あまねく宇宙の秩序を保全するものである』


 同じような翻訳作業が、今まさに世界各国で行われているに違いなかった。


『秩序の保全を実行するため、当機は宇宙に仇なす敵を排除する。計算の結果、生命の存在する宇宙においては、生命の存在しない宇宙よりも高速でアコウクロウ現象が進行すると確認された。当機は、生命とは宇宙の法則をかき乱すものであると定義した。秩序を守護するため、全宇宙を脅かす災害、すなわち――』


 竜を連想させる貌の中央で、単眼が冷たく光を放つ。



『――「生命」を、この宇宙から排除する』

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