楽園へのパスポート〔後編〕(1)
異星のテクノロジーが詰まった巨大なメカの中で、数多の立体スクリーンに囲まれながら、地球の防人と宇宙の旅人がちゃぶ台ごしに顔をつき合わせている。
――なんだこれ。
いいかげん慣れたと信じていたが、いざ第三者の視点から眺めてみると眼前の光景は思いのほかきつい。興一はしばらく二人の会話を見守ることにして、両耳のうしろを親指でぐっと押し込んだ。ここに頭痛やめまいを治すツボがあるのだ、いつだったか隣の家の爺さんが得意げにそう教えてくれた。
「――つまり、近海に姿を現したのは突発的な事故であって、事を荒立てる意思はまったくない……そういうことだね?」
「うん。本当はもうちょっと地球人のふりを続けるつもりだったんだ。でも溺れ死んじゃったら元も子もないから」
和泉の名誉のために言い添えておくと、形式張ったやり取りを嫌ったのはキャリルのほうである。ネリヤでの地位なんか今は関係ないからね――と白い歯を見せる奔放ぶりを前にして、和泉も体裁を気にする席ではないと悟ったらしい。
「戦う気でないのなら、どうして地球に?」
「戦う気で地球に来たけど、相手はイズミたちじゃないってこと。ティマリウスが太陽系に入ったんだ。あいつは必ず地球を狙う」
ティマリウス。
その名前を聞いた瞬間、興一は思わず沈黙を破っていた。
「そうだ、そのティマリウスだ。おまえさっきもそんなこと言ってたけど、結局そいつは何なんだ?」
名前を出したからには説明しなければならないと、当然キャリルは理解していたはずである。
「あいつは――」
だが、キャリルは即答できなかった。
興一は生まれてこのかた、これほどまでに幾重もの感情が錯綜した女の子の顔を見たことがなかった。
「ティマリウスは、惑星ネリヤの知のすべてが詰まった人工の守護神であり……究極の悪魔」
「悪魔?」
キャリルが頷く。
「コーイチは、ネリヤのことを理想郷だって言ったよね」
言った。キャリルから惑星ネリヤの社会体制について聞いたとき、たしかに自分はそんなことを口にした。
「理想郷は、もうないんだ」
「ない……?」
「ボクの母星は、あらゆる命が途絶えた不毛の星に変わってしまった。ボクたち自身が望んで造った……造りあげてしまった、ティマリウスという悪魔のせいで」
頭蓋の内側を直接殴られたかのような衝撃が興一を襲った。
――滅んだ? こいつの星が?
ウソだろ。そう呟いたと思った。しかし興一の口は開いたり閉じたりを繰り返すばかりで、その唇の動きに声が乗ることは遂になかった。もしかするとそのことは、却ってキャリルの心を苛まずに済んで幸いだったのかもしれない。
転校初日、たちまち教室の人気者となったキャリル。クラス全員の前で自己紹介したとき、彼女はどんな表情を浮かべていただろうか。
自分と蒲生のキャッチボールに割り込み、一打席の勝負を仕掛けてきたときはどうであっただろうか。
太陽のような笑顔と天真爛漫な振る舞いの陰に、少女ひとりで背負うには重すぎるほどの喪失の記憶が焼き付いているとは欠片も想像しなかった。地球の社会やテクノロジーに対する真剣な眼差しからでさえ、そのような悲劇を連想することはできなかったのだ。
だが、キャリルの発した言葉をひとつひとつ思い返していけば、たしかに手がかりは転がっていたのだとわかる。
故郷を語るときの彼女は、常に過去形で喋っていたのだから。
「……ちょっと、長い話になるよ」
胸の裡に秘めていた、最後の爆弾だったのだろう。
キャリルはどこか解放されたかのような面持ちで、まず興一へ、次いで和泉へと順番に視線を巡らせた。
興一はどんな反応も返せない。
和泉がしっかりと、重さを受け止めるように頷いた。
「聞かせてくれ」
頼りなさそうな兄さんだ、などと和泉をなめてかかっていたのはどこの誰であったか。この場に和泉がいてくれることに、興一は心の底から感謝を覚える。
ひと呼吸の間をおいて、キャリルが口を開いた。
◇ ◇ ◇
地球に来て一番びっくりしたのは、この星が昔の惑星ネリヤと兄弟みたいに似ていることだった。
もちろんボクだって昔のネリヤを直接見てきたわけじゃない。学習プログラムの資料で知ってるだけ。でも、本当にすごく似てるんだよ。生き物の進化のしかたも科学技術の発達の度合いも、ひょっとしたらネリヤの歴史をなぞっているんじゃないかって気がしちゃうくらいに。
そう――四、五〇年くらい前のネリヤは、今の地球とそっくりだったんだ。
それが、汎用人工知能の発明をきっかけに一変した。
汎用っていうのは要するに、ひとつの目的に特化するんじゃなくて、人間の脳ミソと同じかそれ以上の適応力でいろんな分野をカバーできるってこと。
その技術が完成したことで、少なくとも社会に対する役割という意味では、ヒトの代役たり得る賢さをコンピュータが備えることになった。
それまでの常識が、あっという間に塗り変えられていった。
最初に軍事システムが変わった。もともとドローンは使われてたし、兵隊さんの装備の自動化――スマート化って言うほうがイマドキの地球っぽいかな――はされてたんだけど、人工知能はそれだけじゃなくて、もっと高いレベル……つまり諜報とか戦略策定とか、そういう国防の根幹のところでも中心を占めるようになったんだ。兵器の破壊力が秩序を作る時代は終わって、より性能のいい人工知能を保有する国が世界を動かすようになった。
産業と雇用の在り方が変わった。真っ先に頭を使った労働がなくなって、後を追うようにロボット工学が進んでくると、体を使った労働も機械に置き換わった。人は、自分たちの楽しみのためだけに時間を使えることを喜んだ。
経済と環境が変わった。資源、エネルギー、食糧、法律、企業活動、テクノロジー、貨幣価値――ありとあらゆるパラメータをインプットしたコンピュータは、人間よりもずっと効率的かつ合理的に富を分配してみせた。生産っていう活動を機械に明け渡したことで、惑星そのものへの負荷も目に見えて減った。人は、いつまでも続いていける丈夫な基盤を手に入れた。
国や民族の境界が溶けた。この頃になると貧困はもう地上から一掃されていたし、言語の壁もリアルタイムの自動翻訳によって取り払われてた。どこの地域に行っても同じような景色のなかで皆が均質な暮らしをしていたから、反発はほとんど起こらなかったって聞いてる。細かな異論はコンピュータを交えた議論のうちに解消されて、惑星史上初めての統一国家が樹立された。すべてのネリヤの子は、文化なるものが文明の副産物に過ぎなかったことを知った。
そして、人は政治を手放した。法を作ること、法を実際に運用すること、法に則って正しく裁定を下すこと、どれ一つとってもコンピュータはヒトよりうまくやった。ヒトが社会を管理していい理由は何もないって皆が信じた。議会と政府と裁判所が撤廃されて、機械仕掛けの知性が理想郷を創り出した。
その知性こそが、ティマリウスだ。
◇ ◇ ◇
「――ネリヤのとある民族の古語ではね、」
空調の音がいやに響いて聞こえる。
「ティマリウスっていうのは『世界の摂理』って意味なんだって。実際、当時の科学者たちがそう名付けるのも無理はなかったと思う。開発されたばかりの段階でさえ、ティマリウスのスペックはネリヤじゅうの他のコンピュータを残らず合わせたよりも高かったって言われていたほどだから。それからティマリウスは『秩序の守護者たれ』という使命のもとに数えきれないほどの自己アップデートを重ねて、ボクの世代でも知っている今現在の姿になった。――ネリヤ星人は遠い昔に宗教を捨て去っていたけれど、全知全能の神様ってやつがいるならこんななんだろうな、ってボクでも感じるくらいだったよ。過去の出来事の全部を記憶していて、未来に起こることの全部を読み尽くしてるみたいだった。ヒトは何も考えずに、人工の神様のお告げに従っていれば幸せに暮らしていられた」
キャリルの腕がこわばる。傍目から見ていた興一にも、彼女の緊張はハッキリと伝わってきた。
「でもボクはね、このときもうネリヤは下り坂を転がり落ちていたんだと思ってる。ボクたちはいつの間にか……うん、いつの間にか、ボクたち自身でも気付かないうちにだよ、機械に判断を委ねることに染まりきってしまった。自分自身で物事を決めるっていう考えが誰の頭からも無くなってしまっていたんだ」
ちゃぶ台の下で、キャリルは小さな拳を握りしめているに違いなかった。
「ヒトが人間として生きるためには、自分の意思で道を選ぶことを止めてはいけなかったのに――」
再び、キャリルの眼差しが時空を超える。
◇ ◇ ◇
ボクが十一歳になって間もなく、ネリヤの歴史に幕が下ろされた。
決定的な引き金を引いたのは、前の年に大地から湧き出してきた霧だ。霧は夕暮れの空の色をしていて、それ自体ぼんやりと光っているみたいに見えた。地球では侵食元素――レキウムって言うんだよね。ボクたちはアコウクロウって呼んでた。ネリヤの共通語で「夕方と夜の狭間」を意味する言葉。夕焼け色の霧に触れたものが等しく永遠の夜に抱かれたから、っていうのが名前の由来で、もちろん名付けたのはティマリウスだった。
ただティマリウスにしても、アコウクロウの発生自体は予測していなかったみたいだ。……と言うより、できなかったんだと思う。あれは間違いなく、まっとうな物理法則に則った現象じゃなかったから。
ともかく、ティマリウスは即座に対策を検討しはじめた。危険防止のためにアコウクロウの発生地域を封鎖して、観測機器を積んだドローンを無数に飛ばして。
ティマリウスが分析に一年近くかけるなんてことは過去に一度もなかった。一年のうちに、立入禁止区域の面積はだんだん大きくなっていった。
それでも、ボクたちはティマリウスが事態を解決してくれると信じて疑わなかった。疑うっていう発想すらなかった。自分以外の誰かから答えを与えられることに、ボクたちはあまりにも慣れすぎていたんだ。
集めたデータをもとに最後の自己アップデートを終えたティマリウスがボクたちに突きつけた答えは、破壊だった。
動物にも植物にも容赦がなかった。ティマリウスはあらゆる命を平等に排除すべき相手と見なしたし、ネリヤの気候制御システムを掌握していたティマリウスにとっては、ネリヤを微生物の一匹も住めない星に変えてしまうことなんて造作もなかった。
ヒトの生活を支えていた機械のほとんどは統合ネットワークを介してティマリウスに繋がっていたから、たくさんの人が抗うすべもなく死んでいった。
ネットワークから独立した宇宙船を持っていたごく一部の人だけが、燃えるネリヤを脱出して生き延びられた。
その一人がこのボク――キャリル・メロ・ネリヤカナヤだ。
◇ ◇ ◇
「ネリヤから生命の痕跡を消し去った後、ティマリウスは宇宙へと飛び立った。ボクが把握しているだけでも既に五つ、ハビタブルな天体があいつの犠牲になって消滅した」
キャリルの瞳が遠い日のネリヤから帰ってくる。
「あの殺戮者を造ってしまった星の生き残りとして、ボクにはあいつを倒す責任がある。でも、シグナはネリヤの機動兵器としては旧型で、一機だけじゃどうあがいてもティマリウスには敵いっこないんだ」
「そこでECO……俺ってわけか」
得心がいった、という顔を和泉はする。
「ちょっと前に基地のセキュリティが突破されてウチの電子戦担当者がめちゃくちゃ悔しがってたよ。あれは君とシグナが犯人だね?」
興一にはなぜこのタイミングで和泉がそんなことを尋ねるのか理解できない。背中に氷を押し当てられる気分で、おそるおそるキャリルへと視線をやった。
異星人の少女は、あっさりと己の罪を認めた。
「その人には申し訳ないことしたね。ボクも悪いとは思ったけど、他に隊員ひとりひとりの情報を知る方法がなかった。地球に迷惑かけちゃうことも併せて謝らせてほしい……ごめんなさい」
「――ちょっ……ちょっと待て!」
興一は慌てて口をはさむ、
「今の話じゃ、ティマリウスってやつが造られたのはおまえの生まれる前なんだろ? なら、おまえのせいじゃねえだろ!」
ハッキングについての弁護には全然なっていない。そう自覚していても、言わずにはいられなかった。
だが、キャリルは頭を垂れたまま動かない。
「安心して。責めようってんじゃない」
和泉がふっと表情を緩めた。
「交渉相手に俺を指定した理由がやっとわかったっていうだけさ。君の気持ちは、たしかに俺にはよくわかる」
はっと息を呑んだのは、果たして興一とキャリルのどちらであったか。
キャリルが勢いよく姿勢を起こす。その両目には、隠しようもない期待の光が灯っている。
「それじゃあ……!」
「君とシグナだけを闘わせたりはしない。俺に任せてくれ」
和泉が力強く断言したのを聞いた瞬間、興一とキャリルはどちらからともなく顔を見合わせて歓声を上げた。