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楽園へのパスポート〔前編〕(5)

 天体観測所の一般公開スペースは大きく二つの区画に分かれる。宇宙探査局――この施設の運営母体であるECOの外郭団体だ――の研究成果の一部を展示する資料室と、ダンベルのような形をした光学投影機が鎮座するプラネタリウム室である。料金はどちらも三百円ずつ。両方のチケットを買うと五百円になるのでちょっとお得だ。


 以上のことを、興一は今日入ってみて初めて知った。


 天文マニアでも軍事マニアでもない興一にとって展示資料は退屈なだけの代物だったし、プラネタリウムに至っては存在意義すら分からない。この島では本物の星空を飽きるほど見られるのだ。それなのに、何が悲しくて作り物を眺めるために金を払わねばならないのか。


「……っと、いたいた」


 資料室での捜索が空振りに終わり、ロビーに戻ったときだった。スタッフ専用の扉が開いて、SSSCの隊員が二人、歩いてくるのが見えた。


 片方はターゲットである和泉(しん)。もう片方は凛とした雰囲気の女性だ。


 興一は柱の陰に隠れ、彼らの会話に耳をそばだてた。


「――聞き込み役が俺たち二人だけなら、手分けしたほうが……」


「――だ、め、だ。前から言おうと思っていたが、君は放っておくとひとりで無茶を……」


 どうやら捜査のやり方を巡って揉めているらしい。


 こちらとしては別々に行動してくれるほうがありがたいのだが、聞いている限りでは、どうも和泉の旗色がよくない。


 興一はぐっと声を潜めて、


「……おい、なんか頼りなさそうだぜ。本当にあの兄さんでいいのか?」


『彼が最適だとキャリルが判断しています』


「おまえの判断も一緒か?」


『私は分析と提案を行うだけです。判断することはありません』


「そうかい」


 ならば、やるべきことは一つだ。


 興一は鞄からボールを取り出すと、マジックペンを握って白球にメッセージを書き入れた。


「――よし……」


 女性隊員が視線を外したタイミングを見計らってボールを転がす。


 狙いどおりに靴に当たった白球を和泉が拾い上げたところで、興一はあたかも球を追ってきたかのように駆け寄った。


「すみません! こっちにボールが来ませんでしたか?」


「ああ、ちょうど今――」


 ボールを覗き込んだ和泉の眉がぴくりと動く。


「……これのことだね?」


 後ろの女性隊員を気にしてだろう、和泉が慎重に言葉を選んでいるのがわかった。


「そうです、これですこれ。いやあ、ちゃんと鞄に入れてたんですけどね」


「ファスナーが閉じてなかったんじゃないかい? ほら、なくさないように気をつけるんだよ」


「はーい」


 興一は手渡されたボールを鞄にしまうと、二人に深く頭を下げ、足早にロビーを立ち去った。




 プラネタリウムのシアターを冷やかしてからトイレへと移動する。一番奥の個室に入ると、和泉が壁に背中を預けて待っていた。


 ――十分後、男子トイレの奥に来てください。


 それがボールに書いたメッセージの文面であった。


 誘いに乗ってくれるか不安半分だったが、ひとまずは成功か。興一は扉の鍵を閉めながら、内心ほっと胸を撫で下ろす。


 だが、肝心なのはここからなのだ。


 興一は和泉へと向き直り、あらかじめ用意していた台詞を口にした。


「えーと……まずは、ちゃんと来てくれてありがとうございます。オレ子供だし、相手にされなかったらどうしようかと思ってました」


「真面目な話を聞くのに大人も子供もないさ。他の人には秘密にしておきたい相談事があるんだろ?」


 和泉は中腰になって正面から目を合わせてくる。爽やかな顔にいたずらっぽい笑みが浮かんで、


「しかし考えたね……いくら俺たちだって、トイレの個室にまで監視カメラを仕掛けたりはしない。さては君、けっこう悪知恵働くほうだな?」


「ははは……そこはまあ、手の内腹の内の探り合いはスポーツじゃ基本っすから」


 和泉につられて興一も笑う。


 ECO隊員と密談。これほど緊張するシチュエーションもそうはあるまい。実際、絶壁の上で綱渡りでもしている気分だったのだ――ついさっきまでは。


 顔を突き合わせてみてわかった。この和泉という若い隊員からは、一般にECOと聞いて思い浮かぶような威圧的な感じがしない。


 キャリルの推測もあながち当てずっぽうではなかったのかもしれない。少なくとも、和泉眞がそれなりに「話せる」人物である、という点に関しては確かだったようだ。


「――話っていうのは、海に出たロボットのことです。お兄さんたち、あれを調べに来たんでしょ?」


「ああ。何か知ってるのかい?」


 それでも、決定的な一言を放つのには勇気が要った。


「あれに乗ってるのはオレの知り合いです」


「知り合い?」


「そいつは他の星から来たと言ってます。でも、オレと同じ学校に通って、皆と一緒に勉強してて……何をしに来たのかはオレもまだはっきり聞いてませんけど、そいつがあんたがたの敵じゃないってことだけは、間違いありません」


 しばらくの間、和泉は言葉の意味を咀嚼するように押し黙っていた。腕組みをして、なにやら真剣な目つきでトイレの天井を見つめる。


 やがてぽつりと口を開き、


「そういう話なら、さっきの女の人が一緒でもよかったはずだ。俺とサシにならなきゃいけない事情があるんだよね?」


 来た、と興一は思った。


「知り合いは、和泉眞さん、あなたに会いたいと言ってます」


 和泉の表情から笑みが消える。


「――信じてくれますか?」


「もともと疑うつもりなんてなかったけど、まあ、信じるしかないみたいだね。教えてもない名前を言い当てられちゃ……」


 和泉が鋭く目を細めたのは一瞬のことだった。彼はすぐに相好を崩すと、トイレの扉の鍵を開け、親指で出入口を指し示した。


「君から先に出てくれ。建物の外で合流しよう」




 天体観測所の正門前で三〇分ほど待った。再び姿を見せた和泉は少しばかり疲れたような表情をしていて、何かあったのかと興一が尋ねると、彼は「たいしたことじゃないよ」と前置きしてからこう言った。


「ロボットの持ち主に直接会いに行く、って皆に報告したら、そこでちょっと議論になって……許可もらうのに手間取った。悪いね待たせて」


「いや、ぜんぜん平気っす。そうなるだろうとは何となく想像できましたし。むしろよく納得してもらえましたね」


「君、俺の名前出しただろ? だからイタズラじゃないってことはすぐ証明できたんだ。でも、そこからがまた長くってさ」


「罠かもしれないぞ、とか?」


「そうそう。察しがいいね」


 興一は、ロビーで耳にした和泉と女性隊員との会話を思い出していた。


 ――聞き込み役が俺たち二人だけなら、手分けしたほうが……、


 ――だめだ。君は放っておくとひとりで無茶を……、


 あの女の人の言葉が和泉を心配してのものであることは、断片的に聞いただけでも理解できた。きっと彼女が反対したか、同行を主張するかしたのだろう。


「何て説得したんです?」


「虎穴に入らずんば虎児を得ずってね。情報ひとつも持ってないんだから罠でも何でも飛び込むべきだって言ったら、連絡を忘れないのを条件にOKしてくれた」


「……そっすか」


 実際に忘れたことでもあるんだろうか。


 なんとなく、この人が心配される理由を理解できたような気がする。


『黙っているより行動すべきであるというのは、さきほど興一も用いたロジックですね』


 いきなり、興一のポケットからシグナの端末が飛び出した。プロペラを広げて空中に浮かび、艶のある男声で喋り出す。


 和泉が目を丸くして、


「何それ。通話機能つきのドローン?」


「ああ、そういや紹介まだでしたっけ。――っていうか、よく考えたらオレも名乗ってなかったっすね」


 興一は歩く速さを保ったまま軽く頭を下げて、


「葦原興一っていいます。こいつは――」


『私の名はシグナ。ネリヤ王家が所有する銀河間航行艇、その管理システムです』


「葦原くんにシグナだね。よろしく」


 シグナのカメラが瞬きのように点滅する。


『ミスター和泉、私の本体は人型への変形機構を備えています』


「変形? ――ってことは……」


『はい、あなたがたが捜しているのは私です。私のシステムは本体と複数のドローンとの間で常時同期されており、現在はドローン端末の一機を使ってあなたと会話している状態なのです』


「なるほどね。つまり……俺はこれからネリヤっていう星の王族に会うわけか。まいったな、粗相のないようにしないと」


 まじめくさった口調で和泉がそんなことを言うものだから、興一は思わず噴き出してしまった。


「心配ないっす。むしろ礼儀が怪しいのは向こうのほうです」


 王族と聞いてどんな人物像を和泉が思い浮かべたのかは知らない。しかし、実際のキャリルを見たら彼が驚くことは明らかだ。会わせるのが俄然楽しみになってきたような、やっぱり不安が拭えないような――


 と、そのとき、大型車特有の重い走行音が耳に届いた。


 車道に視線をやったが早いか、後ろから来たバスがこちらを追い抜いていった。


 興一の笑みが瞬時に引きつる。


「やっべ――走りますよ和泉さん!」


「ひょっとして、あれ逃したら次まで相当待たなきゃいけなかったりする?」


「三時間ちょい待ちぼうけです! 東京の基準で考えてたら痛い目みますよ!」


「そりゃまずいね。……懐かしいなぁこういう感じ」


 和泉はのんきに目を細めながら、それでもしっかり興一の後についてくる。彼が最後に呟いた一言が、興一の心に引っかかりを残して風の中へと消えてゆく。


 ――懐かしい?


 数時間に一本のバスを追いかけてダッシュするのが、という意味だろうか。だとしたら和泉は、東京で育ったわけではないのだろうか。




 結果を言えば、バスには間に合った。


 坂道を下って海岸を往き、切り立った岩場を見上げたところで、興一は途方に暮れた。


 崖のような岩壁には亀裂があって、たぶんその隙間に手を突っ込めば亜空間ゲートを起動するスイッチか何かに触れるのだろう。キャリルがやっていたように。


 しかし、すっかり忘れていたが、あんな高い位置まで登るのは自分には無理だ。


「ずいぶん危ないところだな。俺が行くよ」


 和泉が岩肌に足をかける。そうするのが当然だと言わんばかりの口ぶり。


『――コーイチたち、何やってるの?』


 この場にいない奴の声がした。


 声は、シグナのドローンから聞こえていた。


「……ああそうか。これ通信機能あるんだったな」


『こっちでゲートを操作するよ。十秒後に開くから、イズミを連れて入ってきて』


「おう。でもおまえ、そういうのはオレが出る前に説明しといてくれよな」


 ゴメンゴメン、というあまり誠意の感じられない謝罪からきっかり十秒後、宣言どおりに前方の景色がぐにゃりと歪んだ。


 亜空間ゲートだ。


 シグナ――もちろんロボットのほうだ――から出てくるときにも同じものを見たが、空間そのものが渦を巻いているような歪みの中に体を突っ込むのは、なんだかミンチにでもされそうな気がして躊躇いを覚える。


 しかし、どうやら和泉にそんな恐怖はないらしかった。


「今のが君の知り合いの声? たしかに王族ってわりにはフレンドリーな喋り方をする子だね」


「でしょう。ホッとしました?」


「まあね。――よし、それじゃご対面といこうか」


 二の足を踏むそぶりもなく、和泉が亜空間ゲートを潜ってゆく。


「……すっげぇ」


 これが怪獣退治の専門家なんだな、と興一は思う。

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