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楽園へのパスポート〔前編〕(3)

 シグナの内部は実に無骨なものだった。


 金属板が剥き出しになった狭い通路を、キャリルの後について歩く。熱を感じさせない光が天井から仄かに降り、夏服のブラウスに包まれた少女の身体を薄闇のなかに浮かび上がらせていた。


 濡れた白い生地から、下着の紐と小麦色の肌が透けて見えた。


 ぎくりとして息を呑んだ。興一は慌てて視線を足下へ落とす。幸い、キャリルに気取られた様子はなかった。


 それにしても――半ば呆れが混じる、


 己の正体を握った部外者を拠点に招き入れるというのは、本来リスクの大きい行動のはずだ。だというのに、キャリルときたら少しも警戒するそぶりがない。無防備に背中を晒していることといい、この女には危機感ってやつが決定的に欠けているんじゃなかろうか……。


「……ま、あの馬鹿力なら地球の男くらい怖くねえか」


「何か言った?」


「べつに何も」


「ならいいけど。――そんなことより、着いたよ」


 着いた。その言葉の意味を掴みかねて、興一は眉をひそめた。


 キャリルが足を止めた場所が、どう見ても行き止まりでしかなかったからだ。目の前は壁に塞がれていて、操作できるパネルの類も見当たらない。天井に半球状のカメラらしき装置がくっついてはいるが、それはここに限ったことではなく、同じ物体を途中の道で何個も見かけた。特別なものだとは思えなかった。


 が、キャリルはその装置に向かって呼びかけた。


「シグナ、ただいま!」


『おかえりなさい、キャリル』


 いきなり男の声が聞こえてきた。興一は目を白黒させて、


「あのカメラ、スピーカー内蔵してんのか……」


 キャリルは相手を「シグナ」と呼んだ。ということは、声の主はこの機体に搭載されている人工知能か何かなのだろう。


 頭がくらくらする。


 転校生の正体が宇宙人で、そいつは巨大な人型ロボットを連れていて、ロボットのAIと事もあろうに日本語で喋り合っている。


 意味がわからない。


『キャリル。現在の状況下で隔壁を開放することは推奨できません』


「なんでさ?」


『うしろの地球人はどなたですか?』


 興一は内心このAIに同情を禁じ得なかった。流れてくる合成音声には子を諭す親のような感情の起伏がこもっていて、彼――AIに性別があるならばだが――が日頃からキャリルに振り回されていることが容易に想像できたからだ。


 もちろんAIであるからには、実際には人格や感情なんて持ち合わせてはいないのだろうけど。


「コーイチはボクのトモダチだよ」


『あなたの友達、ですか?』


「そうさ。ボクのこと助けようとして海に飛び込んでくれたんだ。怪しい人じゃないよ」


『…………』


 スピーカーが沈黙する代わりに、半球状の装置から微かに駆動音が漏れた。興一は、カメラのフォーカスが自分に向けられたのだと理解した。


「あー……キャリルの言ったとおりだ。こいつと同じ学校に行って、同じ教室で勉強してる。クラスメイトってやつだ」


『先程キャリルが「コーイチ」と発言しました。それがあなたの名前なのですか?』


「ああ。葦原興一ってんだ」


『葦原興一。トモダチ、クラスメイト。――承知致しました』


 と、カメラから赤いレーザー光が興一めがけて伸びてきた。外のハッチが開いたときにキャリルを認証したスキャニングビームだ。


 ビームが頭のてっぺんからつま先までをなぞってゆく。これといって感触があるわけではないが、視線を浴びているような気配があってこそばゆい。


『興一。あなたの生体情報を記録してもよろしいですか?』


「するとどうなる?」


『当機への搭乗権保持者リストにあなたの情報が追加されます』


「なるほどね。わざわざキャリルに開けてもらわなくても入ってこれるようになるってことか」


 初めて使った通販サイトみたいで何だか笑える。ゲストとして決済手続きに進むか、それとも会員登録してお買い物ポイントを貯めるか――みたいなやつ。


 興一は少し考えて、シグナの申し出を受けることに決めた。


 どうせぶっ飛んだ状況なのだ。個人情報どうこうを気にするような常識的な物差しは、この場においては馬鹿馬鹿しいだけだった。


「キャリルがいいならオレは構わねえけど」


「いいよ」


 ……いや、おまえはもっと慎重になった方がいいと思うが。


『記録完了。――隔壁を開放します』


 落ち着きのある声がそう宣告した直後、目の前の壁がゆっくりと動き始めた。分厚い壁面が上下に割れて、片や天井へ、片や床へと吸い込まれてゆく。


 隔壁の奥から姿を現した新たな通路は、これまで辿ってきた道とは異なる佇まいを見せていた。透明な円筒状のチューブの中を、足場が橋のように伸びているのだ。橋の向こう側にはアパートの一室がすっぽり収まってしまいそうな大きさの球体がある。そして自分たちと球体とを隔てる空間には、ゼリーのような物質がぎゅうぎゅうに詰まっているのが見て取れた。


 キャリルに先導されて橋を渡る。


 日に焼けた手のひらが触れた瞬間、球体の表面がぼうっと光り、切れ目が入って左右に開いた。どうやら自動扉らしい。


 潜った直後に元通りに閉じた扉を見つめながら、興一はぽつりと感想を漏らした。


「なんか……電車の接続部分みたいな造りだったな」


『コントロールブロックは乗員の安全のため、当機本体から独立して設計されています。耐熱性の緩衝ジェルを充填した空間の中に、球形の外殻に包まれた部屋が浮いている構造をイメージしていただければ』


「出入りするときだけチューブが隔壁と繋がるんだよ。ボク地球の電車はまだ乗ったことないけど、コーイチがそう言うなら近い感じなんだろうね」


 このときにはもう、当初キャリルに抱いていた警戒心は見る影もなく消えつつあった。


 考えてみれば「宇宙人から巨大ロボットの制御室に招待される」なんて体験は一生に一度できるかどうかだ。むくむくと湧き上がる好奇心に駆られて、興一は一歩、二歩と部屋の中へと足を踏み出してゆく。


 区画そのものが球形なのだから当然と言えば当然だが、壁にも天井にもきれいなカーブがかかっている。新鮮さを感じる反面、ちょっと使いにくそうだなという気もする。それでも生活空間を兼ねていることは確かなようで、いかにも地球外的なセンスのインテリアに混じってタンスだのちゃぶ台だのが置かれている様はとんでもなくシュールだ。


「すげえな。これ立体映像か?」


 興一の言う「これ」とは部屋のあちこちに浮かぶスクリーンである。ためしに指でつつくと何の感触もなく突き抜けてしまい、実体が存在しないとわかる。


「空間に投影してるの。タッチして操作できるやつもあるよ。地球ではARっていうんだよね、そういうの」


「へえ……」


 振り返ったところに、タオルが投げ渡された。


「それで体拭いて」


「おう、サンキュー」


 興一は礼を述べて顔を上げ、


「――――ッ!?」


 次の瞬間、試合中にも発揮したことのないような反応の速さで体ごとキャリルから視線を外した。


 心臓が破裂するのではないかと思う。


 背を向ける寸前、目の最奥に焼き付いた、小麦色の――


「おまえっ……おまえなあ、非常識もいい加減にしろよ! 男の前でいきなり脱ぎ出す奴があるか!」


「え――あっ! そっか、そうだよねっ。ゴメン!」


 指摘されて初めて気づいたのだろう、キャリルがあたふたと慌てはじめる。


 蒸発しかかった興一の脳みその中で、僅かに残った冷静な部分が「宇宙人にも恥じらいって概念があるんだな」とよくわからない感心をしている。なにせキャリルのことだから「コーイチだって上は脱いでるんだから一緒じゃないか!」くらいは言ってくるんじゃないかと心のどこかで疑っていたのだが、違ったということは、今までのあれこれはやっぱり天然だったわけか。


「あっち向いててやるから、着替え終わったら声かけろ!」


 ぴしゃりと言って、興一はタオルに顔をうずめた。キャリルの位置からはこっちの背中しか見えない――そんなことは百も承知だったが、赤く火照った頬を静めるにはそうする以外に仕方がなかった。


 ――ああ、クソッ。


 このタオルをいつもはキャリルが使ってるんだよな、などと考えてしまう自分が嫌だった。


 あいつは宇宙人なんだ。オレとは根本的に違う生き物なんだ。あいつの裸を見てドキドキするのは、動物相手に興奮するようなもんなんだ……。


 己にそう言い聞かせながら、興一はキャリルの「もういいよ」の声をひたすらに待つ。


 願わくは、そのときには気まずい空気が切り替わっていてほしかった。




「本っっ当にゴメン!」


 ぱんっ、と両手が打ち合わされる音がした。


 巨大ロボットの制御室の中で、丸いちゃぶ台を挟んだ反対側で、星から来た女の子が深々と頭を下げている。


 どんな状況でも続けば慣れる。


 心臓が平素のリズムを取り戻してゆくのを感じながら、興一はあらためてキャリルの格好に目をやった。黒字で縦に「あるかでぃあ」とプリントされた珍妙なTシャツと、ジッパーで開け閉めできるタイプのグレーのパーカー。今はちゃぶ台の陰になっていて見えないが、下はデニム生地のショートパンツだった。どこの星でも服飾文化は同じように発達するらしい――というわけでは勿論なく、どれも島のスーパーで一山いくらで売っているやつだ。


 興一は右の親指と人差し指で眉間のしわを解きほぐしながら、


「おまえの星がどうだったかは知らねえ。でも地球の……少なくともこの国では、むやみやたらと他人に肌を見せたりしねえんだ。友達でもだ。今のオレが言ってもあんまり説得力ないかもしれねえが、オレだって好きで下しか履いてないわけじゃないし、おまえがオレに合わせる必要はまったくねえんだ。いいな?」


「うん……ボクの母星でも、そのう、裸はダメというか……そういうのはキチンとあったんだけど」


「だけど?」


「ボク、ネリヤ――あ、これ母星の名前ね。ネリヤにいた頃はお手伝いロボットにお世話してもらうのが普通でさ。星を出てからもずっとシグナと一緒だったから、着替えのとき誰かが側にいるって感覚にすっかり慣れてて」


「つい日頃の癖が出た、ってわけか……」


 わかるようなわからんような。スマートホームで生活したら自分もそんな錯覚に陥るのだろうか。


「――ん? ちょっと待て。ひょっとしておまえ、実はいいトコの生まれだったりすんのか?」


「えっ?」


「いや、AIだけならまだしも、人間の世話してくれるお手伝いロボットって相当金かかるイメージなんだよな。しかもこのシグナだろ? 絶対そのへんの一般人が持ってていい代物じゃないだろコイツ」


 興一はキャリルから視線を外し、部屋の奥のひときわ大きな立体スクリーンを見やった。


 さすがにシステムに関わる部分までは日本語に設定できなかったのか、興一には解読できない文字ばかりが並んでいる。が、併せて表示されている図柄を見れば、それがシグナの兵装についての情報であることは簡単に察せた。


 キャリルが「ボクの剣」と口にした通り、シグナは武力なのだ。それも、一機あれば女の子ひとりで銀河を渡り歩けるほどに強力な。


 もしこんな危険物がそこらじゅうを行き交うのだとしたら、どう考えても銃社会どころの騒ぎでは済むまい。キャリルの家だけが何らかの特権を許されている、と考えるほうがずっと自然だ。


「んー……半分当たりかな?」


 小首をかしげるキャリルに視線を戻して、


「なんだそりゃ」


「ネリヤでは何もかもが自動化されてて、人工知能もロボットも珍しいものじゃなかったんだよ。皆が持ってる生活必需品だった。でも、ボクがそれなりの家柄の出だっていうのは正解」


 ――まじかよ。


 自分で尋ねたことだというのに、興一は呆気にとられるあまり二の句を継ぐことができなかった。


 たっぷり陽光に焼けた小麦色の肌、ネコ科の獣にも似る抜群の運動神経、一足飛びに距離を詰めてくるような人懐こさ――。


 目の前のキャリル・メロという女の子の個性からは、とてもじゃないが「高度に機械化された文明社会」だの「伝統ある良家での育ち」だのといった環境を連想することができない。


「あ、今『うそだろ似合わねー』って思ったでしょ。失礼しちゃうなあ。これでもボク王女だったんだからね」


 しかもめちゃくちゃVIPだった。カミングアウトがこんな感じでいいのだろうか。そして、いつの間にかこっちが悪者にされてるのは何故なのか。


「――と言っても、お飾りの王室ではあったけどね。政治も経済もコンピュータ任せだったから」


「はあ? いまいちピンと来ねえ。いる意味ないだろそれ」


「地球にも似たような体制があるって教科書に載ってたよ? それにさっきも言ったとおり、ネリヤでは国のことから一人ひとりのことまで機械が全部決めてたからさ……象徴として人間の王族がいることは、地球生まれのコーイチが思うよりもずっと大っきな意味があったんだよ」


 やはり合点がいかないというのが本音だ。社会科の授業をほとんど寝て過ごす興一には、国がどうの政治体制がどうのといった話題は悲しいほどに縁遠い。


 それでも、異星の人々の暮らしぶりには興味を惹かれた。


「一人ひとりのこと、ってのは?」


「いつどんなことを学んで、どんな職業に就いて、資産はいくら持って、誰と結婚して、どこに住んで、何歳で子供をつくって……とか、とにかく全部。その人の資質と社会の状況とを照らし合わせて、最適なプランをコンピュータが設計してくれてた。情報は統合ネットワーク上で共有されてたから、持ってる端末の性能差のせいで格差が生まれることもなかったし……まあ、みんな不自由なく生活できてたことは、確かだよ」


「なんつーか……進んでんな。理想郷ってやつか」


 岩場に置いてきてしまった鞄の中身へと思いを馳せる。夏休み明けには提出しなければならない進路志望調査票。


 あんな紙切れ一枚でも、興一にとっては時限爆弾と変わらない。


 キャリルはきっと、進むべき道について悩んだことなどないだろう。王女という立場がなくとも、彼女の星では機械がすべてを決定してくれるのだから。


「どうせならオレもおまえの星に生まれたかったよ」


 その一言は、興一としては純粋な褒め言葉のつもりだったのだ。


 しかし、キャリルの反応は芳しいものではなかった。


「ホントにそう思う?」


 夜空のように深く彩られたキャリルの瞳。じゃれつくような眼差しは今やすっかり鳴りを潜め、いつしか固い意志を宿した眼光に取って代わられている。


「最近じゃ地球でも、人間の代わりになれるコンピュータってすごく注目されてるんだよね。いちいち人が動かさなくてもモノがひとりでに考えて動いてくれたり、ネットに繋がってて遠隔操作できたり……どんどん便利になってるんだって、図書室で借りた本に書いてあったよ」


「ああ、そりゃその通りだ、けど」


「だから、コーイチが先生くらいのオジサンになる頃には、地球もネリヤと変わらないくらいの電脳社会になってると思うんだ。でもねコーイチ、忘れちゃいけないのは――」


 興一はただただ戸惑うしかなかった。


 惑星ネリヤでは高度な機械文明のおかげで皆が不自由なく生活していた――そう語ったのは他でもないキャリルなのだ。地球の科学が辿り着くであろう未来を、一足先に実現させた社会が彼女の星には確かにある。


 自分に向いていることは何なのか。どう生きれば失敗しないのか。その答えを機械が与えてくれるなら、悩みも不安もなく幸せに暮らしていけるはずではないかと興一は思う。


「――なあ、おまえさ、」


 地球人に「お願い」をしに来たのだとキャリルは言った。


 その頼み事とやらは、いまの話と何か関係のあることなのか?


 興一は尋ねようと意を決して、


『キャリル、緊急事態です』


 天井から降ってきたシグナの声に阻まれた。


「どうしたの?」


『航空機を確認しました。二機がこちらに向かって接近中。ECOと考えられます』


 最も手近にあった立体スクリーンが外の映像を映し出した。入道雲の浮かぶ青空を切り裂いて、漆黒の機影が確かに二つ、こちらへと近づいてきている。


 人の住んでいる島、それもECOの関連施設がある場所にいきなり巨大ロボットが出現したのだ。戦闘機が来るに決まっていた。


「あちゃー。いったん亜空間潜行して様子を見よっか」


『了解しました』


 亜空間潜行?


 聞き捨てならない言葉に興一はたじろぐ。


「おい待ておまえら、それやるとどうなるんだ」


「ちょっとの間隠れるだけだよ?」


『三次元世界から隔絶された時空間に移動することで、あちらからの視認や干渉を不可能にします。乗員の生命および健康への影響はありません』


「戻ってきたら何万年も経ってるとか……」


『本機の存在する位相を一時的にずらすだけです。亜光速航行を伴うものではありませんので、あなたがたがリップ・ヴァン・ウィンクル効果、もしくはウラシマ効果と呼称する現象は発生しません。ご安心ください』


「そもそもボク、今まで島と亜空間のシグナとを毎日行き来してたんだよ? だから大丈夫、へーきへーき」


「……まあ、そういうことなら……」

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