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ECO出撃す(5)

 名古屋の街は混乱に陥りつつあった。


 道端に停まった車のシートに運転手の姿は既になく、大小さまざまな迷彩模様が列を組んで表通りを占拠している。ロケットランチャーのコンテナを牽いたトレーラー、探査機器を満載した軍用トラック、装甲車に偵察バイク。県内三つの駐屯地から集まった陸上自衛隊の戦力だ。整然と並ぶビル群の上を輸送ヘリの編隊が通り過ぎていった。


「怪獣が接近しています! 市民の皆さんは至急避難してください!」


 白昼の大都市である。自衛官が声を嗄らして誘導にあたっているが、シェルターへと殺到する群衆は途切れることを知らず、パニックに歯止めをかける術もない。


 人々の中に「市民以外の集団」が紛れていることもまた、事態をややこしくしていた。


「周辺の避難状況は!?」


「傷病者の搬送が遅れています! 名城公園付近のデモ隊が障害になって……」


「デモだと!? こんなときに何をバカな!」


「環境団体ですよ! CARLの代表が出てる報道番組に触発されて、ECOに抗議するって連中が公道を塞いでるんです! なんでも、怪獣の姿かたちが絶滅動物に酷似していると……」


「――すぐに強制排除しろ! もう猶予がないぞ!」


 怪獣がここ名古屋に現れることは確実視されていた。可児、土岐、多治見、瀬戸――地震源は蛇行しながらも着実に迫っており、近づくにつれて浅くなってきている。このままのペースで進めば市街地の真ん中で地表に達する。絶好の餌場だ。見逃してはくれまい。


 怒号が飛び交う現場で、自衛官の一人が腕時計に視線をやったとき、針は十四時二十一分を指していた。


 そして、震動が足を伝わってきた。


 微細な揺れは、程なくして立っていられないほどの烈震に化けた。どこからか子供の悲鳴があがる。落ち着くように促す自衛官の叫びが、恐ろしい地鳴りに潰されて誰に届くこともなく消える。


 コンクリートで固められた地面に亀裂が走り、割れ目に沿うようにして街並みがずれ動いた。放棄されていた車が裂け目に呑まれる。居合わせた自衛官の一人は後に、地割れの奥で二度、三度と光が瞬いたのを見たと証言する。が、それが地下施設の漏電によるものか、落ちていった車が炎上したのかを特定することはついにできなかった。


 青空を刺すように立つテレビ塔が、根元から傾いだ。


 めきめきと音を立てて公園の樹が倒れる。


 舗装された路面が畳のように捲れ、土砂と破片が舞い上がる。


 煙と粉塵を昇らせながら地の底から出でたのは、十階建てのビルとほぼ同等の体高をもつ、一角四足の巨獣。


 そいつが、隻眼でぐるりと周囲を探った。


 今や無人となったビルの林を、


 至るところに配置された戦闘車両を、


 狂乱して路地へと逃げてゆく人の群れを、


 捕食者の目が順繰りに舐め――ほんの一瞬の間をおいて、口腔が大音響を奔らせた。通りに面したビルのガラスが一斉に砕け、歩道めがけて降り注ぐ。


「攻撃開始ーっ!」


 部隊長の指令が下り、ありとあらゆる火器が一斉に撃ちかけられた。部隊の誰一人として、これで片が付くとは思っていない。自衛隊の装備は対怪獣戦など想定していないのだ。市民が避難を終えるまで時間を稼ぐことができれば、あとはECOが何とかする。


 怪獣は止まらない。


 その歩む先にあるのは、街のシンボル、名古屋城だ。



     ◇ ◇ ◇



 ひとまず周防らと合流した和泉は、戦車部隊とともに輸送機で名古屋入りすることになった。市街戦ならば歩兵でも戦列に加わる余地がある。降りるが早いか仲間と別れ、バズーカを担いでひとり走る。


 ビル群の背丈はさほど高くないが、地上からの視界を遮るには充分で、ディゲラスの姿を直接確かめることはできない。ECOPADに映し出されるマップが頼りだ。マップ上を赤い光点が移動する。その方角に目をやれば、倒壊するビルの粉塵が見えるのだった。


 頭上を仰ぐと、山吹機が猛禽のように攻撃をかけるところだった。山吹はディゲラスとほぼ同時に到着していたものの、陸自との連携が難しいため高空で待機していたはずだ。その彼が動いたということは、戦況が芳しくないのだろう。


 レーベンはミサイルを選択した。峡谷の戦いでも有効だった武装だ。正面からアプローチ。危険な距離に入る前に切り離す。


 直撃すればあるいは倒すこともできたかもしれない。


 真っ向から飛来するミサイルを、ディゲラスは振動波で迎え撃った。不可視の波動に打たれたミサイルは空中でひしゃげ、ディゲラスに届くことなく爆裂した。


『ちっくしょう! 知恵をつけやがったな!』


 山吹が悪態をつきながら高度をとる。ミサイルはあと一発しかない。レーザーと機関砲はあてにならない。次で決められなければジ・エンドだ。


 ディゲラスが都心環状線を突破した。


 官庁街の幾つかのビルを破壊した先で、デモ隊が右往左往していた。彼らが狼狽えているのは遠目にもわかった。怪獣を殺すなと主張する自分たちがどうして怪獣に襲われなければならないのか、とでも言いたいのかもしれない。そのすぐ近くには病院が建っていて、陸自のヘリが必死の搬送作業を行っている。


 ――まずい!


 あれでは皆まとめて振動波の的だ。


 和泉はとっさに建物の陰から飛び出し、バズーカを発射した。ディゲラスの鼻っ面で爆発があがる。


 大したダメージでなかったことは間違いない。しかし、注意を引くことはできた。敵意に燃える隻眼が、ぎろりと和泉を睨み据えた。


「こっちだ!」


 大声を発して駆け出す。


 そのとき、ぴしゃりと声がした。


(何をしているの!)


「わっ」


 思わずバズーカを取り落としそうになった。


「ナエか? どこにいるんだ?」


(あなたの中から直接話しかけているわ。そんなことより、無謀な真似をしないで。言ったでしょう、あなたに万一のことがあっては困るのよ)


 バズーカを再装填、振り返ってもう一撃。


(眞!)


「俺はECOの隊員だ!」


 荒れ狂った感情が果たして何であったのか、ふさわしい言葉を和泉は探し当てることがどうしてもできず、


「君が世界を救うために来たのなら、守りたいって気持ちもわかるはずじゃないのか。俺は人としてできることをやる」


 ――キリエスは下界の問題に干渉しない。


 わかっている。ナエを責めるのは筋違いであると。世界に危機が迫っているというのなら、その他一切を差し置いてでも対処する以外に道はあるまい。その正しさを否定することは誰にもできない。


 だとしても、自分にも譲れないものがあるのだ。


「キリエスが戦えなくても、俺は戦う!」


 ナエの姿は相変わらず見えない。しかしその時、諦めたように瞑目する少女の顔がはっきりと脳裏に浮かんだ。


(……仕方ないわね)


 懐に熱を感じた。


 バイフレスターが輝いている。


「いいのか?」


(勘違いしないで。使命を全うするためよ)


 いかにも不本意そうな声、


(死を恐れないのがあなたの資質ではあるけれど、本当に死なれては元も子もないの。……三分が限度よ)


「充分だ。ありがとう!」


 和泉はバズーカを投げ捨て、ECOPADのダミーアプリを起動した。物陰に転がり込んで内ポケットに手を伸ばし、バイフレスターを引き抜く。


「キリエス――――ッ!」


 ビルの谷間から飛び出した光が、ディゲラスの前に立ちはだかった。



     ◇ ◇ ◇



「現れたか……!」


 フギン‐δから送られてくる名古屋市内の映像を見て、藤代は思わず呟きを漏らした。


 銀色の戦乙女、コードネーム「キリエス」。彼女が姿を現したなら、ひとまず和泉を現場に送り込んだ甲斐はあったということか。


 ディゲラスはいきなりの闖入者に驚いたようだったが、高エネルギーに反応したのか、すぐに獲物とみなして牙を剥いた。塵埃を巻き上げながら突進する。画面を隔てても感じられる、山が走っているかのような威圧感。


 激突する。寸前、キリエスはひらりと跳躍した。


 必倒を期した体当たりが空を切り、たたらを踏んだディゲラスめがけて銀の巨影が降ってきた。キリエスは怪獣の背に跨ると、両の拳で殴打を見舞う。溶岩を固めたような皮膚に拳が落ちるたび、重々しい音が轟きわたる。


 効いたのか、それとも単純に鬱陶しかったのか。いずれにせよディゲラスは身をよじった。キリエスを振り落とし、倒れたところを踏み潰そうとしてまたも避けられ、すかさず起き上がったキリエスと真っ向睨み合おうとして、


 その視線が、不意にあらぬ方向へ逸れた。


 ――どうした?


 眉をひそめた藤代の表情が、モニターのある一点に気付いて凍る。


 病院の患者を乗せた輸送ヘリ。


 ローターの音が耳に障ったのだろうか。宙に浮きあがった機体へ、ディゲラスの角が照準を合わせた。


 山吹隊員は間に合わない。周防も唯も戦車部隊も似たようなものだ。そこかしこから悲痛な声があがり、佐倉隊員が目を逸らし、藤代が息を呑んだ。


 獣の咆哮が大気を劈いた。


 振動波は、キリエスの肩口を直撃した。


 ヘリが飛び去ってゆく。デモ隊も無事に逃げ去ったらしく、もう民間人らしき姿は見当たらない。


「人を……守った……!?」


 藤代が感嘆したその行為は、しかし、戦局を決定的に傾けた。


 左肩を押さえて苦悶するキリエスに、ディゲラスは次々と振動波を浴びせた。建物に穴があく。街路樹が弾け飛ぶ。道路が砕ける。狙いを外れた一射が名古屋城まで届き、銅瓦を吹き飛ばした。


 嵐のような攻勢が止んだとき、キリエスはぐったりと脱力して両膝を落とした。


 意識が朦朧としているのかもしれない。清澄な光を湛えていた胸の中央の結晶体が、エネルギーの減衰を訴えるかのごとく明滅をはじめる。


 弱ったキリエスに、ディゲラスが勢いをつけて圧し掛かった。絶望的なまでの体重差を前に、キリエスは為す術もなく組み敷かれる。なんとか手を伸ばして顎を押さえ込むことには成功したが、怪獣のパワーの方が遥かに強い。鋭い牙が銀の首筋に食い込むのは時間の問題と思われた。


 肚は決まった。


「山吹ッ!」


 マイクを掴んで怒鳴る、


「あの巨人を――キリエスを援護しろ!」


 モニターのサブウィンドウの中で、山吹の表情に戸惑いが浮かんだ。だがそれも一瞬のことだ。口角が吊り上がり、彼らしい粗野な笑みに取って代わる。


『待ってましたァ!』


 藤代は、コマンドルームじゅうの視線が刺さるのを感じた。無理からぬことだ。正体も目的もわからぬ存在を援護するなど、およそ正気の沙汰ではないと自分でも思う。


 だが、過ちを犯したとは思わない。


 キリエスは人間を庇って傷ついたのだ。


 振り返り、こちらを見下ろす榊司令と真っ向から目を合わせた。


「――構いませんな、司令?」


「無論だ」


 榊は、重々しく頷いた。


「我々は慎重でこそあれ、臆病者ではない」


 レーベンは、死角となる背面を衝いた。


 最後のミサイルが発射される。赤外線ホーミングで狙うはがら空きの背中。ミサイルは切り離されるや否や彗星のような尾を引いて命中し、爆圧でディゲラスの巨体を揺さぶる。ディゲラスが大きくもがき、前脚が地面を離れて空を掻いた。


 キリエスが横に転がり、獣の真下から逃れた。


 跳ね起きた勢いのままに拳を突き入れる。ディゲラスは後ろ足のみで立ち上がったような姿勢。そのどてっ腹にブローが沈んだ。


 効かなかったように見えた。


 一角の巨獣が誇る圧倒的なウェイトに、キリエス渾身の右はすっかり威力を吸収されてしまったようだった。


 コマンドルームの全員が固唾を飲み、


『――ゼヤァッ!』


 誰かのECOPADがキリエスの気迫を拾った。


 胸の結晶体が輝きを放ち、その光が身体の紋様を滑って右拳へと流れ込む。青白い稲妻が閃いて、凄絶なまでの衝撃となってゼロ距離で炸裂した。


 ディゲラスの口から夥しい血が溢れた。


 キリエスが静かに体を引く。ディゲラスの赤褐色の巨躯がゆっくりと大地にくずおれ、それきり動かなくなった。


 戦いは終わったのだ。


 倒れ伏した怪獣を、キリエスは立ち尽くすかのように見つめていた。その真意は知り得べくもない。勝利の余韻に浸っているようにも見えたし、殺めた生命のために祈りを捧げているようにも見えた。


 結晶体は明滅をやめず、鼓動を鳴らし続けていた。


 限界が近いことを初めて思い出したのかもしれない。キリエスは踵を返すと、風景に溶け込むように透明になっていった。


「……状況終了、か」


 ひとりごちた瞬間、どっと疲労が押し寄せてきて、藤代は長い息をついた。まだ安堵するには早すぎる。これから地獄のような残務処理が待っているのだ。


 しかし、心は晴れやかだった。


 キリエスは敵ではない。そう確信できたからだ。

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