ECO出撃す(3)
コクピット全体が衝撃に襲われ、被弾を知らせる警告音が鳴り響いた。震動が始まったのはその直後だ。やられたことだけは確かだが、何をされたのか考える暇はなかった。正常な飛行ができていない。
機体がばらばらになるのではないかと思うほどの揺れに、和泉は歯を食いしばって耐えた。懸命に液晶ディスプレイへと手を伸ばす。操縦席の正面に備え付けられたディスプレイはタッチパネル式になっていて、戦況や計器類の数値のほか、各種のセンサーが割り出した情報を指先ひとつで呼び出せるのだ。震動のせいで触れる位置は定まらず、表示される文字列はひとかたまりの画像のようにすら見える。焦りに駆られた。どうにか画面を切り替え、損傷箇所のチェックに成功した。
「左エンジン、推力低下……!」
舌を噛まないよう、歯の隙間から絞り出すように発声する。声はほとんどアラートにかき消されたが、後席には届いたようだった。
「舵はきくのか!?」
きかなければ脱出ハンドルを引くしかない。
二秒で確認を終える、
「動きます!」
「森の外れに平原が見える。あそこまで飛べ!」
「了解!」
和泉はスロットルレバーを倒し、煙を吐き出していた左エンジンを完全に止めた。放っておくと爆発しかねないからだ。同時にラダーペダルをキックし、右方向へと舵を切った。
速度計の数字がみるみるうちに落ち、機体は横滑りしながら高度を下げてゆく。再び振動波を撃たれたら今度こそ直撃は免れないだろう。追撃はやって来ない。山吹がディゲラスの注意を引いてくれているのかもしれなかったが、そちらを顧みる余裕など持てるはずもない。
地面がしだいに迫ってくる。
操縦桿を握る右手、スロットルレバーにかけた左手、ラダーペダルを踏む両足。神経という神経を尖らせてレーベンの姿勢を制御してゆく。操作のひとつひとつに心臓が潰れんばかりの重圧が付きまとう。後ろには唯がいるのだ。ヘルメットの内側で額に脂汗が浮き、眉間から鼻を伝って流れ落ちた。
燃料を棄てたとき、高度は三〇メートルを切っていた。
そして、冗談のような衝撃が来た。
レーベンは腹から平原にタッチダウンした。轟音。草地を削り取りながら滑走、大地に溝を刻んでゆく。芸術的ですらある激震。容赦なく食い込んできたベルトに胸郭を絞られ、肺が破裂するのではないかと思う。コクピットのあちこちで散る火花と、飛び交う機材の破片に晒されながら、和泉と唯は嵐が過ぎ去るのをひたすらに待った。
震動が収まった。
しばらく身動きできなかった。回路の電源はとうに落ち、機内は死んだような静けさに包まれていたが、耳の奥ではアラートが延々と反響していた。
背後で唯の息遣いが聞こえ、和泉はようやく全身から力を抜いた。かぶりを振って騒音の残滓を追い払う。
「桐島隊員、大丈夫ですか?」
「おかげさまでな。流石はアカデミー主席だ。わたしが操縦していたら機体が残ってなかったかもしれんよ」
思いがけぬ台詞に、和泉は小さく噴き出した。俺が不甲斐ないせいで危険な目に遭わせてしまった――自責の念が膨らみかかっていたのに、唯の捉え方はまったく逆であったらしい。彼女のこういうところは本当にありがたい。
「――しかし、さっきの攻撃は何だったんだ?」
緊張がほぐれ、落ち着きが帰ってくる。
「振動波でしょう。それも、とんでもなく強力な」
「超音波、ということか?」
頷く、
「発振器官である角から、強烈な指向性をかけて放射したんですよ。本来は地中を移動するときに使うんだと思います。高周波振動を浴びせて、地盤を砂みたいに変えながら掘り進むわけです」
なるほど、と唯。
「奴は地底から来た……その時点で警戒しなければいけなかったんだな。体力と頑丈さに気をとられすぎたか」
峡谷の方角からは、いつしかミサイルの爆音もディゲラスの咆哮も聞こえてこなくなっている。操縦に集中するあまり耳に入らなかったのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
撤退が完了したのだろうか。
それとも、皆やられてしまったのだろうか。
不安を覚えたとき、真っ黒に沈黙した液晶ディスプレイの隣で、専用ホルダーに固定されたままのECOPADが光を灯した。
『……くん、聞こえるかね? 聞こえていたら応答したまえ。和泉くん……』
周防の声。
和泉はECOPADをホルダーから毟り取った。
「こちら和泉!」
『おお、生きていたか。桐島隊員は?』
「後ろにいます。――すみません、大事な機体を……」
『九死に一生を得たってときにそんなこと気にするもんじゃないよ。たしかに航空戦力が半減したのは痛いけど、作戦に支障をきたすほどじゃない。戦車部隊も健在だしね』
意図して言ったわけではあるまい。それでも、その言葉は和泉が胸を撫で下ろすのに充分なものだった。
「じゃあ、山吹隊員も無事なんですね」
途端に映像が切り替わり、
『あんなもんで俺が墜ちるか。つーか、なんでお前が心配する方なんだよ』
山吹の不機嫌そうな顔が大写しになった。
ヘルメットを被っていない。
ということは、山吹のレーベンも今は地上に降りているのだろう。それはつまり、彼が囮役をこなす必要がなくなったことを意味する。
「ディゲラスは?」
『また潜っちまいやがった。同じ手でホイホイおびき出されてくれるほどちょろいヤツじゃねえだろうし、ちょっと面倒くせえ展開かもな』
◇ ◇ ◇
『笹山です、王滝村より中継でお送りしております、現在こちらの時計で十時二六分、ECOによる作戦行動は未だ継続中であります、わたくしの位置からは怪獣の姿は確認できませんでしたが、一時間ほど前でしょうか、戦闘機が煙を引きながら山の向こうに消えていくのが見えました、住民の方のお話によりますと、墜落したと思われる場所の周辺に民家はなく、爆発などによる被害はなかっただろうとのことで、』
『――続いて交通情報をお伝えします。現在、長野県王滝村を中心とする怪獣警報および注意報の影響により、中央道では園原IC~中津川ICの間で約二〇キロの渋滞となっています。一般道では国道二五六号線の一部区間で混雑が発生。また鉄道では、JR中央本線が上下線ともに運転を見合わせており、再開の見込みは立っておりません』
『困るんだよねえ、怪獣なんかさっさとやっつけるなり捕まえるなりしてくれないと。そのためにECOには敷地も資金も提供してるわけじゃないですか。ああいう費用って元を辿れば僕等が納めた税金でしょ? なのに、いざって時に頼りにならないんじゃねえ……』
『そもそも社会秩序や地域経済というのは、例外なく人間の勝手な都合でありエゴに過ぎないのです。自己の安寧と利益のためだけに希少動物である怪獣を傷つけるなど、野蛮かつ残虐な行為であると言わざるを得ません。それを許容することが正義でしょうか? わたくしリリー・ハモンドは……いえ、我々CARLは断じてそうは考えません! 地球はみんなのものなのです。我々は、ECOの非道に対して断固として抗議します!』
◇ ◇ ◇
状況は刻一刻と悪くなりつつある。
ECOPADで受信していた民放各局の映像を切り、藤代は険しく眉を顰めた。もとより報道機関から好かれているとは言い難いECOである。風当たりの強さを予想していなかったわけではないが、実際に報じられているのを見るとやはり気が滅入るものだ。これまで世論を窺いながら活動するよう心掛けてきたのは、まさにこういう流れになるのを避けるためだったのだが。
――秩序も経済も人の都合、か。
リリー・ハモンドの論に賛同はできない。それでも、彼女は一つだけ正しいことを口にした。
社会の事情を斟酌する怪獣などいないのだ。
誰もが寝静まる夜であろうと仕事に精を出す昼であろうと、田畑が広がる農村だろうとビルが建ち並ぶ都心だろうと、怪獣はお構いなしに現れ、その猛威はあらゆる者の頭上に等しく降り注ぎうる。
そのことを、果たしてどれだけの人間が理解しているのか。
巷の不幸とは地球の裏側の出来事に他ならず、己が渦中に嵌まる確率は七十億分の一へと紛れ、人々はこの期に及んでもなお「何より恐ろしいのは人間だ」と嘯いて恥じない。
今日も明日も明後日も地球は回る。それこそ現実だと皆が言う。
現実なるものは所詮、「これまでそうだった」ことを「これからもそうである」と信じ込むことでしか成り立たないのかもしれない。
「――周防副長。第二次攻撃の準備はどうなっている?」
気持ちを切り替えて、藤代はマイクに向かって声を張った。
現在時刻は「十一時〇三分」。
ディゲラスに動きはない。体力の回復に努めているのだろう。もっとも、地中がむこうの独壇場である以上、動かずにいてくれる方がこちらとしても助かる。
『順調ですよ。燃料と弾薬の補給は完了。正午までには全隊配置につきます』
「どうするつもりだ? 地中探査レーダーは間違いなく警戒されている。奴が自ら顔を出すのを待つか?」
『根競べも一つの手ではありますけど、事はもっとスマートに運ぶべきでしょう。そのために降雨弾を持ってきてもらったんですから』
にやりと笑い、
『地中の酸素が不足するからか、単に水浴びのためなのか、実際のところは分かりません。しかし古生物学者の間では、アルマテリウムには雨が降ると地上に這い出してくる習性があった、という説が主流です。ディゲラスがアルマテリウムの変異体であるなら――』
「その性質も受け継いでいるはず。それを利用するわけだな」
『そういうことです。戦車での包囲が完成した後、山吹くんのレーベンから降雨弾を投下。ディゲラスを地上におびき出し、徹甲弾の集中砲撃をかけて撃破します』
「すぐに始めるのか?」
『間を空けないと勘付かれるかもしれません。せめて十三時〇〇分までは待ちたいですね。まあ、あっちが先に動いた場合は別ですけど』
「――桐島隊員と和泉隊員は?」
レーベンが不時着に成功したことは聞いている。二人は部隊と合流しだい、医療班による検査を受け、これ以上の随伴の可否を判断されるはずだった。
『ついさっき検査結果が上がってきたところです。桐島くん、和泉くん、共に任務続行に支障なし』
「今までで一番いい知らせだな」
『地上からのサポートを任せます。やることはいくらでもありますから』
藤代は頷いて、
「わかった。不測の事態への備えを怠るなよ」
そう命じて通信を終えた。
モニターを見つめたまま考える。
第一次攻撃を通してディゲラスの特徴は把握できた。ミサイルで傷を負わせることができたなら、さらに火力を集中すれば殺すことも可能だろう。奴はれっきとした地球の生き物であって、決して理解の範疇を超えた魔物ではない。その点から言えば、周防の計画はまったくもって妥当である、とは思う。
しかし、藤代にはひとつ気がかりがあった。
巨人のことだ。
芦ノ湖での怪植物との戦いの後、藤代はあの銀色の来訪者に「キリエス」というコードネームを振った。和泉と唯の報告書に記されていた名前をそのまま採用したのは思惑があってのことではなく、却下するに足る理由を持ち合わせていなかったからに過ぎない。
わかっていないことが多すぎた。
能力は未知数。出自も目的も依然として不明。他に目ぼしい情報といえば白い服の少女が関係しているらしいことくらいだが、こればかりは藤代もどう判断したものか迷って、ひとまず自分のところで情報を止め置いている。だから現時点では、和泉がキリエスと接触できるかもしれない特異な存在であることは、榊司令ですら知らない三人だけの秘密だ。
和泉は「キリエスは敵ではない」と主張する。唯もそれを支持したがっているように見える。だが、藤代はもう少し慎重だった。
「正義の味方か、悪魔の使者か……」
佐倉ほのかが顔を上げた。怪訝そうに藤代を振り仰ぐ。
「隊長……?」
「独り言だ。気にするな」
答えながらも、藤代は腕組みしたまま微動だにしない。ほんの僅かな画面のブレから、あるいはスピーカーが吐き出すノイズの切れ端から変化の兆候を読み取ろうとするかのように、モニターの向こうの戦場から片時も視線を外さない。
キリエスはまた現れるだろうか。
現れるとすれば、やはり和泉に何事かを告げるのだろうか。
一三時〇〇分。
周防は、第二次攻撃の時刻をそう宣言した。
もしかするとその時刻は、ECOにとっても怪獣にとっても世間にとっても、未来を分かつ決定的な瞬間になるのかもしれなかった。