銀色の来訪者(1)
世界が夕焼けに染まっていた。
古びた家々を薪とし、火勢はいや増すばかりだった。巻き起こった熱風に擦り剥いた頬が炙られる。口の中は渇ききり、泥だまりに浸かった体にはもう力が入らない。
だが、構うものではなかった。どうせ自分もここで死ぬのだ。
視線を動かせば、この世のものとは信じがたい光景が飛び込んでくる。
燃えるような空の下、黒煙の立ち昇る地上を巨大な影が蹂躙している。猩々に似たその影こそ、村を薙ぎ払った災厄の姿にほかならない。太い脚を踏み下ろすたびに地響きが起こり、天を仰いで咆えれば熱された大気がびりびりと震える。
地上からは調査隊が銃撃を浴びせ続けているが、あれで怪獣をどうこうできるとも思えない。怪獣は堪えるそぶりも見せないどころか、そもそも調査隊のことなど意にも介していないようだった。
ふと、奇妙なことに気付いた。
怪獣が仄かに光っていた。
逃げ回っているときには必死すぎて気にも留まらなかったが、目の錯覚や見間違いではなかったし、炎の照り返しとも違う。まるで沈みゆく太陽の色だ。光は怪獣の全身から漂うようにして放散され、地面を這い進んでゆく。
その薄暮の明るさに包まれた瞬間、草木は枯れ、大地は死んでいった。
それを認めたとき、ろくに働かない頭に決定的な理解が訪れた。
あいつは、滅びそのものだ。
あんなやつには誰もかなわない。
たとえ人類が持つ武器すべてをぶつけても、あの怪獣の歩みは止められないのだ。遠からず世界は終わる。そのことを悲しいとは思わない。誰もが等しく死に絶えることは、誰かが置いていかれることよりよほど優しい。
家族も、友人も、故郷さえも失った。自分にはもう何も残されてはいない。
何もかもがどうでもよかった。
怪獣がこちらを向くのを、どこまでも空虚な気持ちで見つめた。
清冽な銀の輝きが茜色の空を切り裂いた。
あまりの眩しさに思わず目を庇った。斜陽とはまるで様子を異にする閃光に慣れるのを待って、おそるおそる瞼を開いた。
巨人であった。
金属のように滑らかな白銀の肌、肢体を流麗に彩る蒼い紋様。視界から怪獣を遮って立つ背中は、魂をじかに揺さぶるほどの美しさをもって、心に巣食うあらゆる絶望を洗い去っていった。
「神様……」
知らず、呟きを漏らした。
怪獣から滲み出す黄昏の照度はすでに巨人の足元を侵しつつある。巨人は動こうとしない。ただ、静かに両腕を上げてゆく。
怪獣の喉元に紅蓮の炎がせり上がったのと、巨人が手を交差させたのが同時だった。
戦いにもならなかった。
十字に組んだ腕から凄まじい光の奔流が迸った。狙いをあやまたず怪獣を直撃し、ひときわ大きな火柱を生み、そして、後には痕跡さえ残さなかった。
巨人がゆっくりと振り返る。彼――それとも彼女だろうか――の姿が夕日を受けて映し出される。
細く引き締まった銀色の身体、その胸の中央に青々と澄んだ結晶体が見てとれる。全身に描かれた蒼の紋様はどうやら結晶体から広がるように伸びているらしかった。さらに目を凝らしてみると、左右の手の甲と足首にも小さな結晶体が埋め込まれているとわかった。
淡い光を湛えた双眸で、巨人はじっとこちらを見下ろしている。
もう君を脅かすものはない――。
そう語りかけてくるかのような、穏やかな眼差しだった。
胸の奥から狂おしい衝動が溢れ、五体がばらばらにちぎれそうなほど痛んだ。目に熱いものがこみ上げ、視界がぼやける。堰を切った滴はとめどなく頬を濡らし、重く凝った心を溶かして流れ落ちてゆく。
助けてほしくなんかなかった。
あのまま死なせてほしかった。
やがて涙も涸れ、咽び疲れた喉は声を出すことをやめた。ひどく眠い。意識が闇に包まれる寸前、巨人の手がそっと伸びてきた気がしたが、記憶はそこで途切れている。