草賊(3)
逃げるとなれば、やはり草賊どもは速い。
普段から乗り慣れているプフェを自由に操り、どんどんとレラズから離れていく。
レラズの大柄の体躯が、彼の騎乗するプフェを疲弊させていく。可哀想なほど、息を荒くしており、おそらく、そうはもたないだろう。
見る見るうちに、草賊の集団が視線から消えていく。レラズは絶望した。
――何とか、俺が行くまで持ちこたえてくれ。
彼は、祈るしかなかった。
プフェが、どうっと倒れる。
「よくここまで持ってくれた」
レラズは、頭を撫でてやった。彼は、ようやく、“約束“の場所に到着したのだ。
そこには、無残にひっくり返った荷車が二台、炎に包まれていた。赤々とした火焔が、黒い煙を吐きながら、揺らめいている。
かつて『車』だった、二つの残骸の周囲には、何体もの屍骸が散らばっていた。男もいれば、女もいる。最初に目覚めた牢獄で目にした者もいた。
レラズは、一切表情を変えることなく、先を急いだ。
そして、彼の『目的地』に到着した。
――そう。リョースとレージンだ。
彼らは――彼らだけは、生きていた。
しかし、二人は五、六人の草賊に囲まれていた。
「もう、許さねえ。仲間をこんだけ殺れて、捨て置けるか!」
「後は、こいつと女だけだ。二人ぐらい掴まえれば、そこそこ良い値で売れるぜ」
殺気立った草賊たちが、二人ににじり寄っていく。
彼らの視線の先には、リョースを背にしたレージンが、太刀を構えていた。その構えは、なかなかのもので、かなりの強者だと一目で分かった。
レラズが地を駆けながら、剣を肩に構えた。
「――遅れてすまない!」
リョースとレージンが、歓喜する。
「遅せえぞ、レラズ。待ちくたびれたぜ」
レージンが、にやりと笑いながら、レラズに拳を掲げた。
「ああ、レラズ、レラズ、レラズぅ……」
リョースが、声を詰まらせながら、両手で口を覆い、必死に涙を堪えているようだ。
それを合図とするかのように、草賊たちは全員振り向いた。
「やばい。あの野郎、ここまで来やがった」
「だったら、こいつらを人質にすればいい。さすがに手を出せんだろう」
そう言いながら、数人の男が二人に襲いかかった。
「おいおい。相手は、あいつだろうに――」
こんな状況でも、飄々としながら、レージンが迎え撃つ。
――ギイィィッッ!
草賊の振り下ろした剣を、レージンが受け止める。金属の擦れる、嫌な音があたりに響き渡る。
「くそっ! やっぱり、だめか――」
レージンに対した男が、舌打ちした。
「――いつも通り、後ろから、頼む!」
その言葉に促されて、別の草賊がレージンの背後で剣を構える。
――あ。こいつは、いけねぇや。
レージンは、観念した。流石の彼でも、同時に前後からの攻撃には対抗しようもない。
もはや、これまでと諦めたとき、背後から、鈍く、布を裂くような耳障りな音が聞こえた。
――な、何だ?
レージンは、振り向いた。
そこには、背中を袈裟斬りにされたリョースが、ゆっくりと、まるで白いイーリの花びらが舞いうように、地面に落ちていくのが見えた。
赤い血飛沫で、彼女が染め上げられていく。下女の白い伝統服が徐々に赤くなって――。
――!
レラズが、絶叫した。その咆哮は、あたりの空気をびりびりと震わせた。
その唸り声に、草賊どもの動きが一瞬にして止まった。
「な――何だ。ベアボルでも出てきたのか!」
リョースを叩き切った男が、彼女の死骸から視線を上げて、きょろきょろと見回している。
「いや、こいつだ! こいつが叫んでいるん……」
一人の草賊が、レラズを指さしながら、告げた。しかし、その言葉は最後まで続かなかった。
何故なら、すでに彼の首と胴体は、離れていたからだ。
「おおお――」
それを見た、すべての草賊が怯んだ。逃げ出そうとする、男たち。しかし、彼らは得意のプフェから降りていた。それで、すべてが終わりだった。
それぞれのプフェに駆け寄ろうとしているのを、次々と切り裂いていく。まるで、原野の雑草を鎌で薙ぎ払うように、ざくざくと蹂躙していく。レラズの目には、まったく感情がなかった。
「や……やめてくれ。何でもする。何でもするから、命だけは助けてくれ……」
最後の一人になった男が、跪きながら、両手で『ニィトオル』の合掌している。
レラズは、一瞥した。
そして、『ニィトオル』の合掌を叩き割るように、脳天から剣を振り下ろした。
男は、二つの肉塊となった。
「レラズ……」
レージンが、声をかけた。だが、次に何を言っていいのか、分からなかった。
「……ラズ……」
小さく、本当に小さくレラズを呼ぶ声がした。
一瞬にして、レラズの瞳に光が戻った。
「リョース――!」
彼は、倒れている彼女に走り寄った。そして、静かに彼女を抱きかかえた。その手は、鮮血でねっとりとした感触に包まれた。
「よか……た。あ……なたが……無事で……」
リョースは、微笑んだ。
「もう話すな」
レラズは、必死で彼女の言葉を抑えようとする。
「それに……御館……さまも……よかった……」
彼女は、レラズの背中越しにレージンに目をやった。
レージンは、悔しそうに言った。
「リョースよ、何故、俺なんかを庇ったんだ……」
「やっぱり……御館さま……だから……」
彼女は笑みを浮かべようとしている。だが、口元が少し動いただけだった。
「すまない、リョース……」
レージンは顔を伏せた。
「でも……一番……は……レラズが……帰って……くれたこと……」
「話すなと言っている」
「レラズ……これを……」
そう言いながら、リョースは自分の腹に右手をゆっくりと這わしていく。そして、眉間にかすかな皺を作り、顔をしかめる。
ぶちっと、何かを引きちぎるような、小さな音が聞こえた。すると、彼女の下腹部あたりに、赤い染みが広がってくる。
「リョース! 一体、何をした」
レラズは慌てて、彼女の右手を押さえた。すると、彼女の手には、例の貫通具が握られていた。
「これ……あげる……」
宝石が、彼女の血に塗れて、時折、赤い光を放った。
レラズは、リョースを見つめた。
「わたしの……初めての……代わり……」
彼は、貫通具を差し出す彼女の手を握りしめる。
「これから……きっと……」
彼女は、大きく息を吸い込んだ。
「あ……なたを……好きに……なる人が……」
「頼む。もう話さないでくれ……」
「……その人にも……優しくして……あげてね……」
リョースは、続ける。
「わたしは……いつも……」
再び、彼女は右手に力を入れる。
「……あ……なたの……側にいるから……」
彼女が、最後に微笑んだ。
「ありがとう……レラズ……」
そして、静かに目を閉じた。
レラズは、再び叫換する。それは、深い悲しみに満ちた、叫びだった。
しばらくしてから、レラズは彼女の亡骸を緩やかに地に横たえた。
「リョース、俺は、いつの日か、必ずお前を故郷に連れ帰ってやる――」
そう呟きながら、レラズは彼女の『宝石』を高々と天空に掲げた。