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地下牢獄(2)

「聞こえなかったのか」


 レラズは、首をぐるりと回した。よし。問題ない。


「もう一度言う。いい加減に、しろ――」


 その言葉を聞いて、相手の男は吹き出した。


「お――お前ぇ、馬鹿なのかぁ? 何、粋がっていやがるんだ。俺様に楯突く気なのかぁ――?」


 腹を抱えて、本気で笑う男。興奮しているのか、ますますいきり立ってくる。


「面白れぇ。お前ぇがその気なら、相手してやんよ。久しぶりに、男のケツもいいかもしんねぇからなあ――」


 その男は、舌なめずりをしながら、レラズの肉体を嘗め回すように見ている。


「結構、締りが良さそうじゃねぇか。おらぁ、こっち、こいよ」


 男がレラズを捕まえようと、両腕を突き出した。その時――。


 空間に、一迅の風が走った。


 その場にいるすべての者が、今、何が起こったのか、理解できなかった。




 しばらくして、時が動き出した。


「ぐうう……」


 男が、大の字になり、呻いている。前をはだけ、だらしない格好を晒している。


 その男の両腕が、嫌な方向に曲がっていた。おそらく、もう使い物にならないだろうことは誰の目にも明らかだった。


 それに、硬い石の床に腰から強く落ちたようで、足が奇妙に痙攣してもいる。出血するような怪我はしていなものの、男の生涯は終ったも同然だった。


「レラズ――」

 

 リョースが、小さな掌を胸の前で組みながら、呟く。


 レラズは、ふうと大きく息を整え、自然体に戻った。これだ。これこそが、俺自身だ。彼は、満足げに口角をあげた。


「うおおぉぉ――!!!」


 その刹那、歓声が上がった。


 な、何だ――。彼は、驚いて辺りを見回した。


 それは、この部屋にいるすべての者の声だった。男も女も、分け隔てなく、歓喜の声を上げている。


「なんだなんだ。今の技、一体、どんな拳法を使ったんだ――」


「ねぇ、あんたぁ。いかすじゃん。惚れちまったよ――」


 口々に彼を褒め称える声が聞こえる。どうも、居心地が悪い、そうレラズは思った。


「ありがとう」


 その声だけは、彼は認識できた。リョースだ。少女は、今にも泣きそうな表情をしている。駄目だ。それだけは、いけない。


「どうして、泣きそうになっているんだ――」


 不思議そうにレラズは、尋ねた。


「だ、だって――」


 ついに、うわんうわんと大声で泣き出した。


 彼にはどうすることもできずに、おろおろとしている。ほんの数マニト前まで、あれほど殺気立っていたのが、まるで嘘のようだ。


 今は暖かい空気が周囲を覆っているような気がした。緊張と弛緩。彼は、まさに目が覚めたような気分だった。


 しばらくして、リョースが泣き止んだ。ただ、まだわずかに肩を震わせている。


 レラズは、自然とその肩に手を添えた。すると、ようやく彼女の震えが止まり、俯いていた顔を上げて、彼を見た。


「本当に、ありがとう、レラズ。あなたがいなかったら、わたし――」


 また、先ほどの続きが始まるといけないと思い、彼は遮るように言った。


「礼には及ばない。当然のことをしたまでだ」


 そっけないその言い方に、リョースがくすっと笑った。


「あなたは、いつもそうなのね。まあ、それがいいのだけれど――」


 と言うと、いきなりレラズに抱きついてきた。慌てて、彼は引き離そうとする。しかし、相手を思うと力を入れることができず、彼女のされるがままになってしまった。


「お、おい。やめないか。みんなが見ている――」


 彼が言うように、奴隷たちの目は二人に注がれていた。ただし、そのすべての目は崇拝と尊敬の色で満ちていた。リョースの行動を咎めようとする者は、誰一人としていない。


「いいの」


 そう言いながら、彼女は唇を合わせてきた。レラズは困惑しながら、それを受け止めた。柔らかく甘い、その感触は、彼の脳髄を痺れさせた。




 しばらくしてから、ようやくリョースは身体を離した。


「決めた。わたし、あなたにどこまでも付いていくわ」


 満面の笑みをたたえて、彼女は言った。


 レラズは、その笑顔を見ているだけで、幸せな気持ちになった。


 だが、彼女の言う『どこまでも付いていく』とは、今の彼の立場では皮肉なものだ。


 何故、奴隷として囚われているのか。それ以上に、故郷へ帰る方法が分からない。こんな状況で、一体どこへ行けばいいのか。


 そんな事を考えていると、胸の刻印に鈍痛を感じた。


 焼き痕は、かなりの年月が経っているようで、血が出ているわけでもなく、黒い瘡蓋かさぶたのように硬化している。


 この印は、一体、何なのか。もしかしたら、その答えが、彼の欲するものなのかもしれない。




「おら、奴隷ども! 何、騒いでいやがるんだっ――!」


 突然、甲高い声が部屋にこだました。


 この部屋は、窓一つないと思っていたのだが、小さな格子窓があることが分かった。その声は、そこから聞こえてくるようだ。


「あんまりうるせえと、今晩は飯抜きにすっからなぁ!」


 山岳地方特有の訛りが、耳障りだ。たぶん、この部屋――いや、牢獄の看守なのだろう。レラズは冷静に分析した。


 ガチャガチャという音がして、その格子がわずかに開いた。かなり、慎重に開けているようだ。


「おお、おおお、おおおぅ――!?」


 看守が、素っ頓狂な声を出した。部屋の中で大の字に伸びている大男が、目に入ったのだろう。かなりの慌て様だ。


 すぐさま5〜6人の男たちが、現れた。皆、手に手に刀剣や槍を携えている。刺股さすまたを手にしている者もいる。


 部屋が、突然明るくなった。この部屋の扉が大きく開かれたからだ。


 部屋の外は回廊となっており、その壁のところどころに燭台が設置されている。その炎が眩しい。


「どいつだ、こいつをやったのは――?」


 看守が、男たちに隠れるようにして、尋ねた。しかし、誰も答えようとしない。余程みんなから疎まれていたようだ、この男は。レラズは、呆れ顔をした。


 看守は、ぐるりと見渡して、最後にレラズに視線を固定した。


「おい、新入り! お前がやったのか?」


 武器を手にした男たちの陰から、睨みつけている。


「そうだ」


 レラズは答えた。


 その答えを聞くと、看守の男は眉をひそめた。何かを考えているようだ。しばらくしてから、彼は口を開いた。


「とりあえず、レージンの御館様にご報告しなくちゃならねぇ。――とりあえず、お前たち、新入りを別の部屋に移しておけ。それと、こいつは――もう使い物になりそうにねぇから、ドラヘの檻に入れて餌にでもしとけ」


 そう言うと、鼻の先で男たちに指示した。ざざざっという靴音を立てながら、数名の男たちが、レラズを取り囲んだ。


 彼は、特に抵抗もせず、男たちの捕縛に素直に従っている。おそらく、この状況で反抗しても、勝ち目がないことが分かっているからなのだろう。


 と、彼が部屋から出されようとしたとき――。


「待って――!!」


 リョースだ。彼女は、顔を真っ赤にして、鎖の長さで拘束されている限界まで、両手を開いている。


「これは、わたしの責任なの! レラズの代わりに、わたしを連れて行ってよ――!」


 必死の形相で、彼女は主張している。両目に大粒の涙をたたえている。


「何だ、お前は。……ああ、最近、来た女か。邪魔すると、痛い目にあわすぞ」


 頭にたかるフリゲを追い払うような、鬱陶うっとうしそうな様子で、看守は告げる。


 しかしなお、彼女は続ける。


「わたしよ、わたしを連れて行ってよ。お願い。レラズは悪くないの――!」


「いいんだ、リョース。実際に俺がやったのだから」


 レラズが、振り返りながら言った。


 その顔を見て、ますます彼女は、感情がたかぶってくる。


「いや、いや!! わたしも、わたしも行くんだっ――!!」


 レラズは少し驚いていた。初めて彼女を見たとき、おとなしそうな性格だと思っていたが、こういう一面もあるのだな。彼は、少し口元を緩ませた。


「ったく、しょうがねぇなぁ。面倒くさいから、こいつも一緒に連れて行け」


 とうとう、彼女に根負けして、看守の男は呆れ顔で命令した。


「ありがとう、旦那さま」


 リョースは、にっこりと微笑みながら感謝の言葉を述べた。これから何をされるのか分からないのに、まったく呑気なヤツだな、とレラズは思った。


「――っ! な、何言ってやがる。まったく、調子狂うなぁ……」


 看守の男は、彼女の笑顔を見て、慌ててそっぽを向く。どうも満更でもない様子だ。これは、彼女の最大の武器なのかもしれない。


 そして、レラズとリョースは、その部屋――地下牢獄から連れ出されていった。

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