元締(2)
レラズは、導かれるままに、グレイプの屋敷に入っていった。
彼は、物珍しそうに辺りを見回した。屋敷の中には、調度品がいろいろと置かれている。それぞれ、かなり趣向の違う品のようだ。何かを型どった像があるかと思えば、抽象的に描かれた絵画が飾ってある。
他に目を転じれば、細かい彫刻が施された卓子に、これまた繊細な筆使いで彩られた陶磁器が載せられている。その横には、ティガの剥製が無造作に置いてあった。
おそらく、どれも高価なものなのだろうが、レラズにはまったくその価値が分からなかった。これらの品々は、おそらくグレイプが交易によって手に入れたものなのだろう。
残念ながら、こういった知識は、彼にはないようだった。彼は、全てを知っているわけではなく、必要最小限のことだけを”知っている”ようだ。
グレイプは、何も言わずに前を歩いていく。
もうかなりの歳のようだが、その歩調はしっかりとしている。若い時には、健脚を誇っていたのだろう。この歳でヴェッテルのような娘がいるということは、子どもを設けた時期は遅いようだ。
「そんな緊張されなくてもよろしいのよ。ご自分のお家だとお思いくださいね」
にこにこ笑いながら、ヴェッテルが語りかける。レラズは、その満面の笑みを見ていると、自分まで笑顔になるようだった。
「あなた様は、本当に生真面目なお方なのですわね。……それも素敵ですわ」
そう言いながら、うふふとヴェッテルは、笑った。
「それはそうと、あたな様は、昔『奴隷』でしたのですって?」
彼女は、無邪気に問いかけた。
「ああ」
レラズは、素っ気なく答えた。
「本当に素晴らしいですわ。奴隷から高級臣民になれたなんて。普通の方では、絶対にできませんものね?」
ヴェッテルは、彼に顔を近づけて、問いかける。
「そうらしいな」
彼の、いつもの返事だ。
その表情を見つめながら、ヴェッテルはますます顔を寄せてくる。
彼女は、レラズの左耳に気がついた。
「まあ。何て綺麗なのでしょう――」
彼女は、彼の貫通具の宝石に気がついた。
「――この宝石は、どちらのものなのですか? わたくし、見たことがありませんわ」
レラズは少し嫌な予感がした。
あの、凛々しくお嬢様然とした、オスタラの顔が懐かしく思い起こされた。ヴェッテルとは、かなり雰囲気が違うが、やはり金持ちは同じような行動をするものなのかと、彼は少々辟易する。
ところが――。
「今度、お父様にお願いして、あなた様と同じものを取り寄せていただきましょう――」
彼女は、一層にこやかな表情をする。彼と同じ物を身につけられると思ったのか、とても嬉しそうだ。
彼は拍子抜けした。この娘は、こういう性格なのだな。彼は、ヴェッテルの性格が好ましく思えるようになっていた。
屋敷の中をしばらく歩いていくと、中庭に一軒のこじんまりした『建物』があった。この屋敷の外であれば、まったく普通の家のようだが、この中にあるだけでかなり小さいように感じる。
「さて、レラズ。お前に、この館をやろう――」
グレイプが立ち止まって、彼にその館を指し示した。そして、一声かける。
すると、建物の中から、一斉に兵が現れた。その数、十数名はいようか。それぞれが、かなりの強者のようだ。
「お前の体つきを見ると、かなりの使い手だと分かる。それに数にも強いしな。――その力と頭を使って、儂の家族と財産を守ってくれないかね?」
グレイプが、レラズの様子を見ている。
「俺は、私兵にはなりたくない」
彼は、即答した。
すると、グレイプは破顔した。
「これこれ。勘違いするでないよ。この者たちをお前にくれてやるというのだ。お前は、好きなように自身の兵として使うがよい。儂とは、警衛の契約を結んでもらおうか」
レラズは驚いた。まさか、兵士自体を与えられるとは。この者たちを、自分の手で動かすことができるのか。彼は、心が躍るのを感じた。
「どうだね? この申し出を受けてくれるかね――?」
グレイプは、再び尋ねる。
一呼吸おいて答える、レラズ。
「どこの者とも知れない俺を信用するのか?」
「そうだ」
「何故?」
「このくらいの眼力がなければ、この世界で生きてはおれんて。――そうは思わんかね、レラズ?」
レラズはすべて理解した。やはり、この街の商人たちを束ねるだけはあるようだ。改めて、グレイプという男を見直した。
「分かった。有難く受け入れよう。こちらこそよろしくお願いする」
グレイプは、ゆっくり右手を差し出した。
「では契約だ」
レラズは、その少し皺が目立つ掌を握った。彼もしっかりと握り返す。これで、彼らの契約は成立した。
彼らの隣で、ヴェッテルが歓声を上げた。
「まあまあ。これから、あたな様が、わたくしたちを守ってくださるの? こんなに嬉しいことはありませんわ。――お父様、ありがとう!」
彼女は、小走りにグレイプに駆け寄り、抱きついた。彼も満更ではない様子だ。やはり、こんな聡い男でも一人の親であるのだなと、レラズは思った。
彼女は、しばらくグレイプに抱きついた後、静かに身体を離し、レラズの方に向き直った。
「あなた様――いえ、レラズさま、ぜひともわたくしたちをお守りくださいね」
無垢な瞳が、彼に向けられている。まるで、雛鳥が親鳥に餌をねだっているような、そんな印象を受けた。
レラズは、その姿を見て心に誓った。決して、この笑顔を失わないと。
彼は、言った。
「任せてくれ、ヴェッテル」
ヴェッテルは、溢れるような微笑みを彼に返した。




