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元締(1)

 あの日から、1マヌスほど過ぎた――。


 いよいよ、彼らの別れの時が来た。レラズはグレイプの屋敷へ、ヨーラは故郷へ、と。


「君たちがいなくなると、寂しくなるなあ」


 ドローミが、嘆いている。


「仕事の方は、グレイプさんから優秀な人材を回していただけるから問題はないが、やはり友人二人と同時に別れることになるのは辛いものだねぇ……」


 彼は、悲しそうな顔をしている。


 荷車の上から、ヨーラは応えた。


「また、いつの日にか、家族と一緒に伺わせていただきます、旦那さま」


 ヨーラは、大きな帽子を被り、田舎の特産だという、美しい織りの入った民族衣装を羽織っている。その姿は、可憐だった。


 彼女は、座席から身を乗り出した。


「それから、レラズさん――」


「何だ?」


「ちょっとお話があるので、耳をお貸しください――」


 レラズは、不思議そうに彼女に顔を寄せる。


 彼女は、彼の左耳に光る石を見つめた。本当に綺麗な宝石だと改めて思う。


 そして、ヨーラは、彼の耳に顔を近づけ――。


 ――彼の頬に”口付け”をした。


 驚いて、身体を離す、レラズ。


「な、何をするんだ、ヨーラ」


 にこっと微笑んで、


「お別れですね。本当にありがとうございました、レラズさん――」


 そして、ゆっくりと荷車が走り出す。彼女は、小さく会釈をしている。その表情は、帽子で隠れてよく見えなかった。


「達者でなあ――!」


 ドローミは、大きく手を振りながら、見送っている。レラズも、無言ながらも、いつまでもその姿を目で追っていた。




「……本当は、別れたくはないですよ……」


 ヨーラは、大きな帽子で顔を隠しながら、呟いた。


「今までは、帰りたくて仕方なかったのに、どうして、今日に限って、帰りたくないんだろう……」


 彼女の頬に一筋の涙が伝わった。


「ひどいです、レラズさん……こんな気持ちにさせるなんて……」


 彼女を乗せて、荷車は懐かしい故郷へと帰っていった。




「それでは、俺も行かねば」


 レラズは、ドローミに告げた。


「ああ。グレイプさんのところでも、自分のやりたいようにやればいいさ」


 彼は、レラズの姿を改めて眺めている。


「しかし、君は不思議な男だなぁ……」


 太い腕を組んで、ううむと唸った。


「……レージンくんといい、君といい、わたしはつくづく面白い男に遭遇するものだよ……」


 レラズは、何と答えてよいのか分からず、黙るだけだった。




 ――彼はグレイプの屋敷の前に立っていた。


 彼の目の前には、人を圧倒するような門構えがあり、さながら小貴族の宮殿のようであった。屋敷の前には数人の私兵が常駐し、威嚇するような視線で周りを見渡している。


 彼は、その者たちに何も告げずに、そのまま中に入ろうとした。


 しかし――。


「おい、そこのお前――!」


 私兵の一人が、彼を咎めた。


「何だ?」


 レラズは、別段、気に留めることもなく、普通に返事をする。


「何だ、とは、何だ!」


 その私兵は、顔を紅潮させながら、叫んだ。彼に、からかわれた気がしたのだろう。


 レラズは、何故、彼が怒っているのか、理解できなかった。


「?」


 ますます、怒り狂う私兵たち。皆、剣を手にして、彼を取り囲んだ。


「怪しい奴め。取っ捕まえて、グレイプ様に突き出してやれ!」


「いや、それより王城の衛兵様に引き渡す方がいい――」


 私兵たちは、口々に言い合っている。


 そんな彼らを眺めながら、レラズは早く行かせてはもらえないかと考えていた。


 と、そこへ――。


「ああ。あなた様ね――!」


 黄色い声が辺りに響いた。


 レラズは、声のする方へ顔を向けた。


「やっと、いらっしゃいましたのですね! 待ちくたびれましたわ――!」


 屋敷の中から、一人の豊満な女性が、駆け寄って来た。


 少しふくよかな体格をした彼女は、両手を胸の前で組んで、レラズに熱い視線を向けている。


 彼女は、みどりの黒髪が腰まで美しく伸び、大きな黒い瞳も印象的だった。身長は、44〜5メルトほどで一般的な女性のそれだ。


 ただ、その容姿は、かなり見栄えがよく、一般の女たちとは比較にならないほどだった。少し肉付きが良いが肥満体型というわけではなく、躰の凹凸がはっきりしている。おそらく巷の男たちの間では、かなりの評判となっていることだろう。


「やっぱり、お父様が見込んだ男性でありますようね。……なんて、均整のとれた身体つきなのでしょう……」


 うっとりとして、レラズを見ている、その女性。


 レラズは、少々戸惑った。


「お嬢様、気安く他所よそ者に話しかけてはなりません!」


 一人の私兵が、その女性を制した。


「いいのよ、わたくしが許します!」


 すると、一斉に私兵たちが平伏した。


 レラズは、呆気にとられた。一体、何者なのだ、この女性は、


 そんな彼に気づいたのか、彼女は顎を上げて、自信満々に彼を見ている。


「わたくしは、ヴェッテルと申します。この家の者です――」


 ヴェッテルと名乗った、その女性は彼に微笑んだ。その笑顔は、まさに天真爛漫そのものだった。


 呆けている彼に、また、別の声が聞こえた。今度は、聞いたことのある男の声だった。


 そう、グレイプだ。


「レラズ、待っておったよ。さあ、中にお入り――。」

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