商人(1)
レラズは、レージンに渡された、一枚の紙を取り出した。
「ドローミか……」
そこに書かれている名前を口にした。
この男は、一体誰なのだろう? レージンは、含みのある言い方をしていたが、今ひとつ、分からなかった。
彼の前には、見知らぬ町並みが広がっている。
この城壁に囲まれたアルフは、ヴアルホルムの首都だ。この中心にある館城に、国王・ハラルドがいる。
街には活気があった。店の軒先には野菜や果物、海産物などが溢れている。時折、芳しい香りがして、食欲をそそられた。街道には、ひっきりなしに荷車が行き交っている。
この活気が、国の力を現しているのだろう。レラズは、少し感心していた。
しばらく観察すると、多くの一般臣民の後ろに、見るからにそれと分かる者が付き従っている。――奴隷だ。
彼らは、労働力維持のため諸国から受け入れられ、奴隷階級として籍を与えられている。レラズもその仲間として、この街に連れて来られる未来もあったのだ。
彼は、嫌な気持ちを振り払うようにして、地図に示されている場所を目指した。
慣れない街並みを徘徊しながら、ようやく目的地に辿り着いた。
『ドローミ商会』――。
彼の目の前に、大きな看板が掲げられていた。
レラズは、その店に足を踏み入れようとした時、
「いらっしゃいませ、お客様」
一人の少女が、彼に応対した。
その少女は、レージンより更にくすんだ金髪で、痩せた躰をしていた。背丈は、おおよそ40メルトぐらいだろうか。かなりの小柄である。
ただ、その瞳は澄んだ碧眼で、じっと見ていると、吸い込まれそうな気分にもなった。
「友人に、この店を紹介されてきたのだが……?」
そう言いながら、レージンに渡された一枚の紙を彼女に差し出した。
「これを渡せと――」
すると、彼女はうやうやしく受け取りながら、
「そうですか。それでは、中にお入りください」
レラズは、店の中へ通された。
その店は物売りというより、何か取引をする商売のようだ。部屋の中には、雑然とした事務机や椅子、壁の全面には棚があり、夥しい書物で埋められている。
レージンの事務室で見たような、そんな印象を受けた
――まさか、ここも奴隷商なのか。
彼は、少し鼻白んだ。
「こちらでお待ちくださいませ。ただいま、旦那さまに伝えて参ります」
彼女は足早に店の奥に姿を消した。
数マニトほどすると、奥のほうから物音がして、男が現れた。
「おうおう。君かね。レージンが紹介する、レラズくんという男は――」
その男は、かなりの巨漢で、レラズと比べても遜色のないほどの体格をしていた。だが、戦士の躰をしているレラズとは違い、全体的に贅肉が覆っている。まさに中年という風貌だ。
肌の色は浅黒く、短く整えた髪は、やや縮れ気味で、黒に近い赤毛であった。深い茶色の瞳で、レラズをじっくり見ている。
「それにしても、彼が認めたとは、大したものだな、君は」
その男――ドローミは、腕組みをしながら、レラズを上から下へと観察している。レラズは、どうも居心地が悪かった。
「お客様、こちらをどうぞ――」
さきほどの少女が、テイの入れられた盃を差し出した。
「おお、ヨーラ。すまないね」
ドローミは、にこにこしながら、彼女に言った。
「さて、話の続きだが――」
レラズに向けられた顔からは、笑みが消えていた。真剣な表情となっている。
「君は、どうしたいのだね――?」
ドローミは、尋ねた。
レラズは、即答する。
「俺は、自分自身を知りたい」
その答えをきいて、しはらくドローミは沈思黙考した。
そして、言った。
「分かった。君をウチで雇おう」
「――?」
「ウチの店で仕事をしながら、君は自分のすべきことをすればいい」
レラズは、理解した。
このまま、あてもなく彷徨うより、しっかりした拠点を定めて、そこから動き出す方が格段によい。
ただ、一つ気になることがあった。
「ここでは、奴隷を扱っているのか?」
ドローミは、少し眉を上げた。
「それが?」
「奴隷は嫌いだ」
レラズは、一言それだけ伝える。
その言葉を聞いて、ドローミは大笑いした。
「君は、本当に面白い男だな。レージンが気にいるわけだ」
そして、続けた。
「ウチは、他国との貿易を生業としているのだよ。主にムスペルムやアールヴが中心だな。たまに遠方のニダヴェリからも珍しい物品を取り寄せることもある――」
レラズは、彼の言葉に反応した。
――ニダヴェリか。
おそらく、仕事で実際に行くことは難しいだろうが、何かの繋がりができるかもしれない。結論は明らかだった。
彼は、深々と頭を下げた。
「よろしく頼む」
それを見て、ドローミは苦笑した。
「おいおい。頭を上げてくれ。そんな柄じゃないよ、私は」
彼は、ぱたぱたと手を振った。だが、その目は優しかった。
「それにしても、やはりレージンの目は、相変わらず確かだなぁ……」
ドローミは、遠い目をしている。
「君は、知っているのかね?」
「――?」
「彼も、かつては『奴隷』だったことを」
やはり、そうか。レラズは、思った。
以前、彼と話したとき、それとなく、感じていたことだ。あの男も同じだったのだ。
「あいつは、本当に凄い男だった。自分の実力だけで、臣民の階級を勝ち取ったのだからな」
――奴隷階級から抜け出すのは、簡単じゃない。俺自身がよく知っているからな。
あのとき、レージンが、そう言っていた。このことだったのか、と改めて思う。
「そう言えば、今は奴隷商をやっているんだったか?」
懐かしそうに、ドローミは尋ねた。
「いや、もう辞めるそうだ。また、何かを始めるらしいが……」
「そうか。彼だったら、どんなことでも大丈夫だろう」
ドローミは破顔した。
「さて、君には明日から働いてもらうよ。いいかね――?」
レラズは、頷いた。
それを聞くと、ドローミは後ろに体をずらして、
「おお~い、ヨーラ。彼――レラズくんを、部屋に連れて行ってあげなさい」
名前を呼ばれた少女は、軽く会釈をしてレラズの前に立った。
「承知しました、旦那さま」
ヨーラは、レラズを真っ直ぐ見つめた。
「どうぞ、こちらへ、レラズさん」
彼は、彼女に促されて、奥の方に入って行った。
「あなたって、凄い方だったのですね」
前を歩くヨーラが、ちらっと後ろを見やりながら、言った。
「何のことだ――?」
レラズは、突然の問い掛けに驚いた。大人しそうな少女と思っていたが、少し意外だった。
「奴隷から臣民になったのでしょう?」
「そうだ」
「それが、凄いのですよ」
ヨーラは立ち止まり、レラズに向き直った。少し、顔が紅潮している。
「滅多にないことだって、聞いたことがありますから」
「そうなのか」
「はい。――昔、こちらのお店でも、お一人いらっしゃったようですが、この街でも数年ぶりだったとか」
おそらく、レージンのことなのだろう。やはり、相当の男だったわけか、あいつは。
「わたしって、まったく取り柄がないから、あなたのように才能がある人を、本当に尊敬します」
彼女は、真剣な表情をしながら、彼を見つめた。レラズは、どうもばつが悪く感じた。
「俺に才能などない」
また、いつものぶっきらぼうな答えだ。
「そういうところも、奥ゆかしいのですね。――それに……」
と、言いながら、彼の耳に目をやった。
「――お洒落でもいらっしゃいますし」
レラズの耳に飾られている貫通具が、わずかに揺れている。時折、宝石の赤い光が瞬く。彼のがっしりとした体躯と、繊細な装身具。その差異に可笑しくなる。
ふふふと小さく笑う、ヨーラ。何が、可笑しいのか、さっぱり分からない、レラズ。対照的な二人だった。
「そうそう。自己紹介がまだでした。――わたし、ヨーラと申します」
そう言うと、彼女は微笑んだ。
「――そして、あなたのお部屋はこちらです」
彼女は、一室を指し示した。
レラズは、案内された部屋の中に入って行った。




