貴婦人(3)
彼らは、城門に入った。
そこで、一旦止められ、身元を確認される。多くの人たちが、列をなしていた。
「これは、時間がかかりそうです、おひい様」
グーゲルが手をかざしながら、先を見渡している。それを聞くと、忌々(いまいま)しそうにオスタラは、腕を組んだ。
「この国の通関は、何と時代遅れな代物なのか。呆れて、物も言えんわ」
それを耳にすると、グーゲルが慌てて言った。
「お、おひい様――」
その声で、オスタラは「あっ」と声を漏らした。
「こ――この街の、だな。うむ、この街の通関だ」
そう言うと、オスタラは、わざとらしく「わはは」と笑った。
レラズは、訝るように、彼女たちを眺めていた。おそらく、何か訳ありなのだろうが、深く詮索するつもりはなかった。
「それはそうと――」
話題を逸らすように、オスタラがレラズの方に向き直った。
「そなたの、それは何じゃ……?」
彼女は、レラズの左耳を指さした。
そこには、あの”宝石”が光っていた。
「これは、大事なものだ」
レラズは、一言だけ答えた。
「ふむ」
オスタラは、今ひとつ理解できないようだった。
「ああ、この石は、ニダヴェリのものですね?」
横からグーゲルが、声を明るくして言った。
「以前、お城――いえ、お舘で拝見したことがありますわ」
彼女もまた、一度言い換えた。バツが悪そうにオスタラを上目遣いで見ている。
しかし、それにはまったく頓着せず、彼女はレラズに顔を近づけてきた。
「おおう。これが、ニダヴェリ石か。妾は、初めて見るぞ。綺麗なものだのう……」
うっとりとしながら、彼女は眺めている。
「そなた、この石を妾に譲ってもらえんか? 言い値でよいぞ」
まさに、彼の耳に手を伸ばそうとしたとき、
「触るな」
思わず、レラズは声を上げた。
その強い口調に驚き、オスタラは腰を抜かしそうになっている。グーゲルも、目を見開いている。
「すまない。……だが、これは手放さない……」
そう言ったきり、彼は黙り込んでしまった。
オスタラは、姿勢を正した。
「こちらこそ、申し訳ないことをした。そなたにとって、大切なものだったのだな。どうか許されよ」
彼女は、頭を垂れ、深く詫びた。
「いや、いい。気にするな」
レラズは、何気なく、彼女の頭を撫でてしまった。
「な――な、何をするぅ―――!」
オスタラは、まるで子どものように、後ろに飛び退いた。
「そ、そ、そなた、な、何をしたのか、分かっておるのかぁ――!?」
顔を真っ赤にして、しどろもどろになっている。いつもの威厳は、完全に何処かへ行ってしまった。
「頭を触った……だけだが?」
更に顔を赤らめる、オスタラ。まるで、年端もいかない童のようだ。
「こ、こ、この、第三皇女たる、妾の、――あ、頭を撫でるとはっ――! た、ただですむと、思うておるのかっ! 責任をとってもらわなんだら、こ、困るぞっ――!」
一人で勝手に盛り上がっている。呆気にとられて、レラズは彼女の様子を見ていた。
「あー、あー、おひい様、おひい様! もうすぐ番が回ってきそうですよー!」
グーゲルが声を裏返しながら、あたふたしながら助け舟を出す。
「おおう。それは、僥倖! ささ、参ろうぞ。参ろうぞ――!」
赤面したまま、オスタラはあらぬ方角を指さした。
彼らの荷車は、静かに動き出した。
まるまる5アーウほどかかって、ようやく通関から開放された。散々待たされた上に、まさにお役所仕事といった対応だった。
特にレラズの場合は、レージンから渡された、例の「犢皮紙」だけだったため、あれやこれやと問い詰められてしまった。
しかし、彼の場合、他に身分を証明するものがないため、ほとほと困り果てた。
「あなた、前歴は『奴隷』だったのですか?」
「どんな経緯で臣民の階級証を入手されました?」
「出身地は聞いたこともないところですね」
「お仕事は何ですか?」
「年齢は?」
次々と繰り出される質問に、彼はほとんど答えることができない。
「……これも、回答不十分ですね。……仕方ありません。別室にて詳しくお話を伺いましょうか――?」
と、通関の官吏の背後から、ぱらぱらと屈強な衛士が現れた。彼らは、皆手に武器を所持している。
レラズは、観念して身構えた。こうなったら、実力で突破するしかないか――。
「――いやいや。官吏殿、この者は妾の連れ合いでな」
すでに通関を終えたオスタラが、にこやかな表情を浮かべ、後ろから口を挟んできた。
官吏は、怪訝そうな顔をしたものの、「ああ」と頷いた。
「そうでしたか。――それでは、通行を許可いたします」
そういうと、いともあっさりと通行証に判を押した。
レラズは、自分の目を疑った。何だ、この対応は……。
「先程は助かった」
彼は、オスタラに頭を下げた。
彼女は、口元がにやけるのを必死で我慢しながら、応える。
「何、まったく構わん。真実のことであるからな」
本当に嬉しそうな、オスタラだ。
「おひい様、よかったですね。あんなにも偽造旅券が役に立つなんて」
グーゲルも、オスタラが機嫌がよいので嬉しそうだ。ただ、いらぬことを口走っているが。
「ま、まあな――」
レラズは、何故この者たちが、にこにこしているのか、まったく理解できなかった。本当に『女』というのは、不思議な生き物だ。彼は、改めてそう思った。
いよいよ、別れの時がきた。
レラズは、この街――アルフで、自分自身を見つけなければならない。また、オスタラの方も、この街で何か大切な用事があるようだ。
「大変世話になった。それでは、これで失礼する――」
そう言いながら、レラズは自分のプフェを出そうとした――。
「待つのじゃ、レラズよ」
オスタラが、真剣な眼差しで彼を見つめている。
「何だ?」
「そなた、妾の臣下にならぬか?」
臣下だと――? レラズは、すぐにその言葉の意味が分からなかった。
「そなたの言動や行動、すべてを見てきたが、妾の臣下に相応しいと思う。ついては、ぜひに妾の元に来てはくれぬか――?」
オスタラの真摯な態度に、レラズは了解した。そして、応える――。
「――申し訳ないが、辞退させてくれ。今は、この街に用があるのだ。それに私兵になるつもりはない」
その言葉を聞くと、彼女は、一瞬寂しそうな表情をした。だが、すぐに明るい口調で応えた。
「そうか、そうか。ならば仕方あるまい。そなたの、想いのままに行くがよい」
オスタラは、笑顔を見せている。
「――それでは、また、どこかで会おう」
レラズは、二人の女性に背を向けて、立ち去った。
「よろしかったのですか、おひい様……?」
グーゲルが、オスタラに声をかけた。
オスタラは、無言だった。わずかに肩が震えている。
しばらくしてから、ゆっくりと顔を上げた。
「私兵ではないのだがな、レラズよ……」
「おひい様……」
「――いいのだ、これで。しかし、あのような男、今まで会うたことがないわ。まったく、おかしな奴であったなあ……」
レラズの立ち去った方に、視線を向けている。
「この、ムスペルム大公、第三皇女たる妾を振るとは、あやつは大した男よ――」
虚勢を張るオスタラに、グーゲルは力強く声をかけた。
「さあさあ、おひい様。これから、お仕事でございますよ」
「そうであったな。我が国の隣国、このヴアルホルムを内偵するのが、妾たちの目的であるからな」
「そうでございます。おひい様の出番ですよね」
「ああ、そうだ。では、参ろうか――」




