表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/26

地下牢獄(1)

 頬に冷たいものを感じる。


(……何だ……?)


 彼は、身体を起こす。そのとたん、全身に激しい痛みを感じた。


「――っ!」


 思わず、呻き声が出る。身体中に針を刺されたような、凄まじい痛み。しばらく、彼は息をすることもできずにいた。


「……目、覚めた……?」


 うずくまり、身動きはできなかったが、確かにその声を耳にした。


(誰だ……?)


 しばらくして、ようやく身体を起こすことができた。冷たいと感じたのは、石の床だと気づく。


 彼は、やはり石で造られた冷たい壁に寄りかかりながら、少し息を整える。


「もう少し横になっていたほうがいいと思うよ――」


 どことなく優しさを感じる声が、再び聞こえた。やっと、その声の主が、少女だと分かった。


 彼は、鉛のような瞼を必死で開き、辺りをうかがった。しかし、周りは深い闇で覆い尽くされ、何も見えなかった。まだ、この闇に視界が慣れていないせいなのかもしれないが。


「どこか、怪我しているの……?」


 その声に促されるように、身体の具合を確かめてみる。


 確かに痛みは感じるものの、出血しているところはないようだ。少し手足を動かしてみたが、骨折している様子もない。


「大丈夫だ」


 声が、出た。これか、俺の声か。


「よかった」


 ふわりとした優しい音色。少し、全身の痛みが和らぐような気がする。


 彼は、再び声を出した。


「ここは、どこだ……?」


 その言葉を反芻する。


 ――ここは、どこだ?


 いや、待て。それより、もっと大切なことが、疑問となってくる。その言葉が、声帯から発せられる。


「……俺は、誰だ……?」


「え――?」


 先ほどまで、あれほど柔らかい音色だったのに、急に戸惑いの色が加わる。


「覚えて、ないの……?」


 その声の主が、ようやく認識できた。少女だ。


 彼女の表情が曇っている。できれば、その笑顔が見たい、と彼は思った。


「あなたが誰かって、わたしが分かるわけ、ないじゃない」


 と、言って小さく笑う。そうだ。それが見たかったのだ。


「すまない――」


 彼は、殊勝に詫びた。大きな体躯を、まるで小さなアイヒのように丸めながら。


「君は――?」


 ようやく、彼は普通の会話をする。


「わたしは、リョース。あなたは……。あ……。名前、分からない……?」


 その少女は、悲しそうに尋ねる。


 彼は、次第に状況が掴めてきた。この暗さは、窓のない部屋の一室か。少しすええた臭いもする。空気も淀んでいるようだ。


 改めて、目の前の少女に視線を移す。


 褐色の肌に、軽く波の打つような栗毛がかかっている。黒い瞳も潤んだように煌めいていた。


 小柄ではあるが、程よい肉付きのある躰だ。だが、抱きしめたら折れそうな、そんな印象も受ける。身長は、40メルトを少し越えるくらいか。


 身には、今にも擦り切れそうな、薄い布地をまとっている。服とは到底呼べない代物だ。


「その『絵』は、何……?」


 リョースは、彼の胸元を指さした。


 彼は、その指先に目をやった。そのとき、自らも彼女と同じような布地を身にしていることに気がついた。


 彼女の指先は、彼の胸元に刻まれている文字を指している。彼女が『絵』と呼んだのは、このことか。


 その刻印は、ヴアルホルムの公用語であるグァマル語で、記されていた。まるで家畜に焼きごてで付けたような、荒っぽい仕上げだ。彼は、その文字を口にした。


「レラズ、という言葉だ」


「レラズ……。それが、あたなの名前なのかもしれないね――」


 彼女は続ける。


「ごめんね。わたしは、ニダヴェリの出だから、文字が読めないの」


 昔、ミマメイズにいた頃、ニダヴェリは辺境の地だと聞いたことがある。


 ……ミマメイズ。


 そこは、彼の故郷だ。彼は故郷を追われ、この地・ヴアルホルムに辿りついたのだ。だが、どうやってこの地に来たのか、ましてや、追われた理由さえ思い出せない。


「ニダヴェリの者が、どうしてここにいるんだ……?」


 彼は、素直な疑問を口にする。


「奴隷商人に掴まって、ここにいるの――」


 彼女は、口元を少し歪ませて、言った。


「――あなたと一緒よ」




 奴隷なのか、彼は独りごちた。いや、それより「一緒」とは……。何を言っているのだろう。俺が奴隷だと――。


 それは断じて違う。俺は、ミマメイズの戦士だ。楽園を追われて、今、ここにいるのだ。俺は故郷に帰らなければならない。


 ――だが、その方法が、分からない。


 レラズと呼ばれた男は、混乱していた。思わず、両手で顔を覆うとする。しかし、じゃらんという金属音がして、それは叶わなかった。


「何だ、これは……」


 彼は、自らの腕を固く拘束している『腕輪』を凝視した。その腕輪は3センタもあろうかという太い鉄の鎖で繋がっている。


「鎖、きつい?」


 リョースが、心配そうに覗き込んでくる。すると、彼女の動きに合わせて、同じような嫌な軋み音が聞こえてきた。彼女もまた拘束されているようだ。


「もし、きついようだったら、見張りの人に言ってあげようか?」


 レラズは、腕から視線を下ろしていく。すると、やはり当然のごとく、彼の足首にもごつい円環がはめられており、こちらは4~5センタもの太さだった。


「いや、いい」


 彼は、近寄ろうとした彼女を制した。


 リョースが少し前屈みになったことで、身にしている薄い布地の前が、少しはだけた。すると、彼女のへそのあたりに何か赤く光るものを見咎めた。


 何だろうか……?


 よく見ると、装飾用の貫通具のようだ。光っているのは、おそらく何らかの宝石なのだろう。ただ、奴隷という割には、こんな宝石を身につけているとは、驚きだ。


「あ、これね――?」


 リョースは、少し微笑みながら、お腹のそれを指さした。


「これは、村の習わしで必ず女の子がつけるものなの。それぞれ違った『石』をつけてもらえるのよ。すごく綺麗でしょ――」


 得意気に腰を突き出して、レラズにじっくり観察させようとしている。しかし、傍からすると、女が男を誘っているようにしか見えないが。


「本当は、ここに入れられる前に、取られようとしたんだけど、御館おやかたさまが止めてくれたの。このまま付けておいた方が、高く売れるって」


 宝石が取られなかったことを単純に喜んでいるようだ。だが、その理由を考えると、レラズは暗い気持ちになる。




「おい――!!」


 突然、野太い男の声が響いた。


「べちゃくちゃ、うるせぇぞ! この新入りども――!!」


 薄暗い部屋の中で、禍々しい眼が光る。


 あたりを見回すと、その男の他にも数名の人間――いや、奴隷たちがいるのを知った。そのすべてが、レラズとリョースを睨みつけている。


 男の眼もあれば、女の眼もある。この部屋には、男女区別なく収容されているようだ。正確な数は分からないが、おそらく十数名はいるのかもしれない。


 大声を上げた男の傍らには、2~3人の女がいた。皆がその男にしなだれかかっている。この男が、部屋の主なのだろうか。


「おおい、そこの女ぁ! 早くこっちへ来て、挨拶でもしねぇかっ!」


 そういうと、卑下た笑いを浮かべながら、リョースの身体をねぶるように、見回している。


「へっへっへ。よく見ると、結構な上玉じゃねぇか。最近、痩せっぽちのヤツばっかで、飽きていたんだよなぁ――」


 その男は、股間に顔をうずめている女を引き剥がし、やはりじゃらじゃらした、耳障りな金属音をたてながら、ゆるりと立ち上がった。


 その男は、レラズより頭一つ大きいようで、おまけにでっぷりとした腹がだらしない。ただ、その上腕には、男に似合わない、がっしりとした筋肉が張り付いている。日頃の肉体作業の賜物だろうか。


 今まで女に覆われていた、ぬらぬらと光るそれは、男の欲望を如実に表している。


 リョースは、がたがたと震えだした。それが、レラズにも伝わってくる。


「早くしねぇかっ!!」


 とうとう痺れをきらしたのか、男は前にもまして大きな声を出した。びくっと、リョースが身体を強ばらせた。


 男がゆっくりと近付き、彼女の腕を掴む、と――。


「いい加減にしろ――」


 レラズが、立ち上がった。もはや、さきほどまでの身体の痛みは消えていた。これが、本当の俺の身体だ、と彼は思った。


 身の丈は、50メルトを優に超えている。大柄で、がっしりとした体躯。どう見ても、普通の奴隷、いやそれどころか、一般の臣民でないことが、はっきりと分かる。


 銀髪を短く刈り込み、緑の瞳が印象的だ。逞しい肉体と、美しい髪と瞳。その姿を眺めているだけで、美術的価値のある彫像が、この世に生を受けたような気分にもなる。


「何だ、おめぇ」


 じろりと男が彼に視線を向けた。


 その視線でレラズは身体の中に電流が走るような感覚をおぼえた。ある種、本能的なものだった。


 ぎりぎりと全身の筋肉が、緊張していく。おそらく、それは『快感』と呼べるものなのかもしれない。


 これが、彼の本当の『覚醒』だった――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ