ルパンの恋人
「出たぞ! “怪盗ルパン”だ」
――世を騒がす大怪盗。
警察を嘲笑うかのように犯行予告をしては、派手な演出で目的の品と共に消え去る。彼の者は何時しか“怪盗・ルパン”と呼ばれていた。本人が名乗っていたわけではなく、民衆がそう呼び始めたのだ。彼は人々の心を惹き付けてやまない――。
ルパンが世間を賑わす裏で平穏な生活を送る者の中に、千佐智之はいた。彼は御影山学園の高校生で、クラス、いや校内でちょっとした有名人である。
所謂“変わり者”なのだ。
彼の相手をするのは幼馴染みであり、許嫁である君島紀のほかいなかった。智之との会話を成立させるには教師含め、校内の誰しもが紀を介すことが絶対条件となっていた。喋らないのでも、頓珍漢な返答をするのでもなく、ただただそのオーラに飲まれ、声を発せなくなってしまうのだ。紀は唯一その空気を和らげることができた。
しかし、なぜ皆話しかけることを止めないのか。
それは彼の持つ才能だろう。存在だけで人々を惹き付けて止まず、聡明で眉目秀麗、加えて運動も得意となれば誰も放ってはおけまい。そんな彼の平凡な一日は今日も過ぎていった。
「ルパンはまだ掴めないか」
一人呟く男はため息をついた。たかだか一窃盗犯を捕まえられぬとなれば警察の威信に関わる。ルパンが盗みに入る場所は決まって金持ちの屋敷であり、盗まれた品は不当に取引されていたもので、被害届も出すに出せず、むしろ被害者が犯罪者なのだ。しかし、社会的にも政治的にも権力を持つ者であるので、捜査せぬわけにいかないといった話である。それに愉快犯による犯行も目立つ――その場合、盗品と犯人が警察署に届く。ルパンの置き手紙とともに。
そういうわけで色々と悩まされるのだった。
話は戻る。
智之は周囲から自分がどう思われているか十分理解しているが、一番食えないのは幼馴染みであることはそれ以上に感じていた。誰にも、智之にすら本心を隠し通す彼女は大したものである。
「智くん、またこんなとこで寝てたのね」
屋上で寝ていた智之を見つけるのも紀の仕事と化していた。成績が極めて優秀な生徒は授業を免除できるので、智之は頻繁に権利を行使していた。寝ているところはいつも違えど、紀は必ず見つけ出す。初めこそ、煩わしくはあったが、今ではもう諦めている。
「紀、弁当」
智之の腹は昼の時間を告げていた。紀の手には大きな弁当箱があるので、間違っていなかったようだ。
「ほんと、信じられないよ。もう少し、ピシッと行こうよ、ピシッと。“あの怪盗ルパン”みたいに」
紀が今、最もハマっている人物だった。自分の目的のためには手段を選ばないので、最近はルパンが載っている新聞や雑誌、ニュース番組は全て智之が収集し、肝心の紀は毎晩ルパンの追っかけをしている。
そんな彼女にも告げていない智之だけの秘密があった。
実は智之がその怪盗ルパンであることだ。
これは誰にも言っていないし、言ってはならないのだと自覚している。罪を幾つ犯そうと、わざわざ自らの罪を曝すような真似をしない。要するに、盗んだ品が元々盗品なのだ。加えて、権力でその事実さえ揉み消してしまう。ゴシップの中に見事に埋もれている。初めは興味本位だったが、今は義務のようなものになっていた。
自分がやらねば、誰がやる。
そう思って今は隠れて活動しているわけだ。
「ちょっと、智くん。人の話聞いてるの?」
「ああ、昨日の葛城商事の専務の家の件だろ」
「聞いてるんなら、相づちくらいしてよね」
毎日、弁当の時間にルパンについての話題が上る。何が嬉しくて自分の話をしなければならないのかと智之は思うわけだが、紀はつゆ知らず、熱く語るのだった。
いつものように、忍び込んだはずだった。いつものように、上手くいったはずだった。
智之は左肩から流れる血を止めて身を隠していた。少しでも、跡を残せば、DNA鑑定で一発だ。捕まりはしないが、社会的に抹殺されるのは間違いない。自分だけならまだいいが、家族、許嫁、友人にまで被害が及ぶと考えると恐ろしいことこの上ない。人目を避けて、暗い路地を突き進む。
視界が徐々にぼやけてきた。しかし、この姿のままでいることは最悪の事態を招くのは必至だ。そう考えていたとき、智之の目の前に何者かが立ちはだかる。
「ルパン?」
顔から血の気が下がるのを感じた。紀だった。一応、仮面を着けているとはいえ、幼馴染みであることに変わりはない。バレる可能性が高かった。
「誰にも言わないわ。さあ、こちらに」
黙ってついていく。何処に行くのかは知らないが、紀なら心配ないだろう。
「怪我してる」
紀の秘密基地に到着するなり、怪我が発覚してしまった。結構、深かったため、日常生活にも支障が出てしまうかもしれない。そうすれば、紀にはバレてしまうだろう。ならば、先に言っておくのが得策か。智之は正体を明かすことにした。
怪我の手当てが終わり礼を述べると、智之は静かに仮面を外した。紀が息を飲んだのは容易にわかった。
「智くん?」
「ごめん、紀」
それ以上は言葉に詰まった。何も言わなくなった智之をどう思ったのか、紀は彼の頭に手を乗せた。
「お願い、無茶しないで。智くんがいなくなったら、どうしたらいいのかわからないよ」
紀の目には涙が溜まっていた。実は智之がルパンであることを知っていたのだと彼女は語った。ルパンの話をしていたのも、全ては智之に世間の目があることを知らせるためだとも。まさか、怪我をするなんてのは思ってもみなかったと。
今回は想定外だったが、智之にはやめる気はなかった。身体が自由に動く間は。それを紀も理解していたようだ。
「智くん、次からは私が支えてあげる。だから、困っている人を助けてあげて」
「約束する」
この日からしばらく、怪盗ルパンは姿を消した。
ルパンが現れなくなって三ヶ月。
気苦労が減ったのも束の間、新たな怪盗が出現した。
――怪盗ハジ。
人々はそう呼んだ。警察を悩ますのはいつも怪盗であることには間違いないようだ。
ハジが活躍する裏で、智之と紀は秘密基地で作戦を練っていた。世間をあっと言わすような仕掛けを。
智之には紀は最高の相方だった。
書き終わってから気づいたのですが、完全に不法侵入ですね。